13/0.Prologue Arc
赤い学園編.Prologue Arc
「歪みの奥にヒト?それは確かかい」
流石に下手な冗談ではないと察したらしく、三人は一気に顔色を変える。幻覚さえも無効となる目の裏付けにより侮られることはなかったが、半信半疑は免れなかったようだ。
歪みの内部は未だかつて立ち入られたことのない未開の地である。随分昔の話だが幾度か調査命令も出たことがあったらしく、しかし調査隊が返ってくることは二度なかった。事後、トライアングル規模で編成された調査隊はその後たった一か月ほどで解体されてしまったのだ。
「でもさ、それだけにしては何か……変じゃなかった?ライベリー」
クオンの言葉にライベリーも頷く。見ただけで我を忘れるほど呆然とするだろうか。あの内部にいた『ヒト』の影響か、それとも他に原因があるのかはわからないが視界に捉えただけなのは事実。するとノイズはダガーをくるくる回しながら呟いた。
「……お前眼あるやろ。なら、視覚から伝達されるウィルスは全部無効になるはずやん」
「は?じゃアイツ俺となんかカンケーあんの?」
そんな怪しさ満点のピエロと接点なんて御免だが、あるものは仕方ない。あからさまに眉をひそめつつクロヴンに視線を送るも彼は黙って首を横に振った。嘘じゃない、と目が言う。
「そもそも、僕は君の幼少時代を事細かく知っているわけじゃないからね。記憶がないのなら調査のしようもない」
「とは言え、歪み内部にいたなら今後何か関連性が出てきてもおかしくなくない?」
手掛かりになりそうな唯一のフィルムは失われている。原因はわからないが、はるか昔研究課職員に『フィルムが削除されている』と唖然とした表情で言われたのをまだ覚えていた。
「まぁ~メモワールフィルムは最低なくてもええやろ!なんでも原点はパーやでパー」
「何が?」
その声に振り返れば、オレンジのかぼちゃヘッドが見えた。
「あ、おはようジャラ。さっき歪みの中にピエロいたんだよ」
「ピエロ?サーカスでもあるの?」
純粋な目で聞かれ、クオンは咄嗟に無いという言葉を飲み込む。何しろ歪みの中の詳細は一切不明、ピエロがいたのならサーカスか擬きがあっても不思議ではない。そのサーカスが果たして健全なのかどうかはさておき、こんな純朴な質問に果たしてどう答えるべきなのか。そんなことを真面目に考えていると見かねたようにライベリーは苦笑して言った。
「いやねーだろ、んなモン。どうすんだよマガがメリーゴーランド乗ってたら」
「食べる?」
「食うなや」
「駄目だよジャラ、何でもかんでも拾い食いしたら」
どちらかと言うと狩りではないだろうか。
ほとほと呆れたような目を向けられジャラは頬を膨らませるが、ウルが飴玉を与えると静かになった。扱いが楽で助かる。
ウルは彼が落ち着いたのを確認すると、彼らににっこりと笑って口を開いた。
「さて、一旦館に戻ろうか。会議はそれからだね」
「賛成。全く、次から次へと不可解ばっかり……」
「それな。これ調査し終えるのどんだけかかんだ?」
クオンはタブレットを取り出して本部へ任務遂行の報告書を作成する。無駄に充実したデバイス関連のおかげで調査時間も大幅に増加するのだから、トライアングルの稼ぎには感謝するばかりだ。
トライアングルは組織という存在の頂点である。その庇護があらゆる方面で人外社会をフォローしていたのだが、逆を言えば一級悪魔だろうが消すなど容易い話だろう。
慎重にその手を搔い潜らねばならないのは前提として、まず人狼を伏せるほどのマスターマインドを相手にするのだ。更に言えば今の時点で謎が多すぎる。調査するにも今までの伝手及び情報網にはトライアングルの息がかかっているわけで、一から独自のルートを築くのも膨大な時間が必要だし、事の大きさを考慮するとそれなりの人材が要る。生憎世界はそれほど好都合に構成されていない。
「あ、そういえばランタン達が言ってたよ。館にブルーレター届いてるって」
「はぁ?!お前そーいう事ははよ言えて……!!」
ぎょっとして隣をてこてこ歩くジャラに振り返り、最早溜息を吐いて終わる。
返信が早いのは良いことだが、ジョーカーは基本丸一日経ってからやっと気づく始末である。らしくないと言えばそうかもしれない。
「今は緊急事態だしなぁ、アニキも馬鹿じゃねぇし。いや、どうだっけか……?」
「さらっとディスるじゃん。呼び方と内容が相反してるんだけど」
百聞は一見に如かずとは言うものの、クオンの中では彼の評価が低迷している。上げたと思えば矢継ぎ早に不満を零すのだからノイズと似たようなものか、で済ませていたのだが。こう聞くとジョーカーの方が頭がおかしいのではと思ってしまう。
「……ジョーカーさんって変なヒトだね」
「同意やな」
そんな言葉を聞きながら、ライベリーは腑に落ちない様子で遠い空を見やる。地平線の向こうは昼の青い色を濁しつつ、まだ日は高く昇っていた。
途端ぽん、と背中を軽く叩かれ振り向くと、優しく笑うウルがいた。
「ピエロについては僕も調べとくよ。あんまり気にしないくらいでいいからね」
「マジ?めっちゃ頼りになんじゃんソレ、センキュ!」
その手が離れる頃には、僅かに残っていた悩ましさもすっかり姿を消す。不思議なものだ、人狼とは心理学まで掌握しているらしい。
ウルは歩調を緩めてジャラの隣へ戻り、また目を細めて微笑んだ。
△▼ △▼ △▼ △▼ △▼
館を目の前にし、ライベリーはスマホから顔を上げる。
「壱鬼の奴らにも報告しておいたぜー。わざわざ新品の調査専用スマホまで購入したんだから、調子乗ってグルチャ作ったけどいいよな?」
「ええんちゃう?プライバシーの権利やぁとかお狐さんも言っとったし」
「僕らには人権法程度しか明記されてないけどね」
どの道法律なんて今更だが、無力ではないだろう。何らかの形で有効活用できるはずだ。
「あ、ノイズ保護フィルムつけてないじゃん。画面バッキバキになるよ」
「え~……だってめんどいんやもん」
「駄目!ジャラでさえ自分で買ってつけてんだけど?11歳だよ11歳」
「紅茶飲みたい!ノイズタピオカ作って!」
「なんでおれがそんな高等テクニックを成せる思てんねん。ライベリーかクオンに頼み」
「でもライベリーができるって言ってたよ」
「できへんわ!!おいライベリージャラで遊ぶな!」
半笑いで一瞥されたものの、こんな頭がすっからかんな11歳と一緒にされれば癪に障るというものだ。決して悪い意味ではないがいい気分ではない。
「じゃ今度電気屋行こっか、すぐ画面割るんだし必需品だよ?理解して?」
「はいはい、すんませんでした……」
正直機械関連には触りたくない。壊すしか選択肢がない機械音痴にスマホが二台など、全く気は確かかと言いたいところだ。まぁクオンが言うなら別にいいが、いつの間にジャラの扱い方を覚えたというのか。
「……てか紅茶飲みたいの後にタピオカ持っていくなよ」
「気づくん遅ない?」
それはさておき、まずはブルーレターが先だ。
「で手紙何処に届いてる?ポストにはなかったけど」
ライベリーが聞くと、ジャラは水面のような水色の瞳を瞬かせて二階を指差した。正面玄関のちょうど上あたり、なら談話室あたりだろうか。
「窓際にあるよ。ブルーレターは大抵風で飛ばないように物で固定してくれるから、本物だと思う!」
そう言うと奥の階段まで元気に駆けて行った。そのまま上に姿を消したところで彼らはホールの横に位置するリビングへと進む。
「タピオカか……ちょっと作んの時間かかるしミルクティーでもいいよな?」
「ソレ僕も飲む。ウルも!」
「ありがとう」
「同じく~」
「同じく」
全員の我儘のもとかなり面倒なことになったが、そういえばこの館には甘党しか住んでいない。それもそうだ、仕事内容が濃いので自然に糖分を求めてしまう。
なので、冷蔵庫には必ずプリンが常備されているのだ。
文句を言う気もさらさらないので素直にキッチンへと向かい、棚を開くと面白いものを見つける。
「そういや青関連だけどさ、この前バタフライピーの紅茶買ったんだよ。聞いたことある?」
「知ってる知ってる!青いヤツね」
話題になっていたのも随分前の話だが、その頃は全員多忙だったので悪魔のくせして話題には出なかった。とはいえ気になったので買ってみたのだが、確実にミルクティーには合わないだろう。
「まぁコレは今度にお預けかな~。壱鬼のヤツらが来た時にでも出すか」
「お~、絶対おもろいやん。楽しみが一つ増えたわ」
狐擬きとナルシストは知らないが、甘音や楽刻あたりならさぞいい反応をしてくれるだろう。いや、夜行も食の感性については割と普通だった気もするが、とにかく小食なので健康に気を遣っているだけかもしれない。
「うわ、またポットの中身ねぇし。お前らキッチンに置いとく分には成長したけどよ、ちゃんと熱湯入れろって」
シンクにすら置いていないのを見ると、犯人はノイズだろう。他二人は洗うかシンク放置かである。
冷たいステンレスが無機質に照明を反射している。なんだか哀愁が漂うその姿に苦笑していると、とたとたと軽い足音が上から聞こえた。
「あった!あ、紅茶!!」
「今淹れてるからもうちょい後な。先リビング行ってろ」
「はーい!」
いい返事を残してリビングに向かう。彼らはジャラの姿を見つけ無意識にその手へ目がいき、すると手紙は青と赤の二枚があった。
「赤?どうしたのソレ」
そんな派手な手紙を送って来る知り合いなどいない。ジャラは首を傾げつつ手紙の裏を見ると、パッと顔を輝かせてソファに座るウルに駆け寄った。
「……あぁ、そっか。コレは私情かな。君達には関係ないから大丈夫だよ」
「ね!言ったでしょ、やっぱり来た!」
ウルはあまり嬉しくはなさげだが、その横でジャラははしゃいでいる。ならいいかと納得し、続いてジャラは青い手紙を広げた。
「じゃ読むよ?え~っと……『まず最初に。ノイズ、次会ったら覚えときぃな殺すぞ』……だって」
ジャラが恐る恐るノイズに目をやる。
「……うん。わかった……」
この前の爬虫類の件だろう。バグにとんでもない嫌がらせを仕掛けられたに違いない。
ジャラは何度か瞬きすると視線を手紙の戻す。
「『新しい情報。マスターマインドの影響が人間の教育機関にも及んでいる。リストーラーの状態は一切不明、しかし天使が勢力拡大の為校則を利用し生徒・教職員に暗示をかけているとのこと。厄介事が起こる前に屋敷から遠く北西に位置する”ファルベ学園”へ潜入し、学園ごと潰してほしい。こちらで必要な物資・空席は用意するが潜入は不可能なのでよろしく。また学園で公にされていないこと、世界の消滅派と復興派が対立状態にあり、更にそれとは全く別の異分子が紛れ込んでいることも伝えておく。余力があれば異分子の調査も依頼。Jより』……以上!唐突だけど、予定的に大丈夫?」
彼は皆を見渡し、続いてキッチンから戻ってきたライベリーがを見る。正しくはお盆に乗ったミルクティーを。
ジャラが読み上げている間クオンはひたすらメモを取っていたらしく、横の二人と何かを確認するように話してた。
「いけるんじゃね?これから二週間は予定ねぇし、最低通達もフルシカトでいいだろ。クロヴンとかノイズがいい免罪符になるわ」
「常連だもんね、言い訳にはうってつけだし」
「言うても重要そうなやつはやるけどな。たまに役不足やろ最近」
マガの出現率が低下しつつある近年、トライアングルに回って来る仕事も徐々に難易度が下がりつつあった。新人が生温くなっているのもその影響だろうが、全くクオンを見習ってほしいというのは兄バカの思考回路だけにはとどまらなかった。
「って言ってもさ。二週間で学園崩壊って何すんの?内部から崩す?」
クオンがカップを手に取ってそう言うと、ウルは渡されたミルクティーから顔を上げる。
「それだったら教師と生徒で分かれた方がいいんじゃない?ぱっと見大人の三人と、クオン、ジャラ、僕で」
「さんせー!ずーっとウルと一緒に入れる……」
ジャラを無視して先程の赤い手紙を読みながら言うが、目は口程に物を言うとは正真正銘彼の事である。
そしてカップをコースターに置き、立ち上がった。軽く伸びるとそのまま廊下の方へ向かい、彼らに笑顔で振り返る。
「手紙に物資の場所描いてたから回収しに行くね。三分くらいで戻って来るよ」
「本当?ありがと」
クオンのその言葉に、彼は扉の隙間から微笑みかけた。ドアが徐々に締まり、パタンと音がした頃にはウルの気配は完全に途絶えてしまう。
それを見送った後ジャラは近くに座っていたノイズに手紙を渡し、自分は横に腰を下ろして念願のミルクティーにありつく。一方でノイズはクオンにも文面を見せつつ、悩まし気に眉間にしわを刻んだ。
「ん~、学園ねぇ……おれ教師とかようできる気せんな……」
「いやいやその前にさ、天使いるじゃん。コレ俺ら目隠してるとバレるくね?協会は300歳以上から目隠すのが規則だろ、クオンが未成年で転校生だとして……新教師の俺らが目隠しとか。アイツら鋭いし一瞬で見破られんぞ」
「じゃクロヴンは外部班か。何か覗いたらダメな気がするし」
「僕を何だと思っているんだい……?」
どっかの情報屋とかなりの既知感を感じるが、そういえばこの二人は似ている。存外という顔をされてもそれが周囲の共通認識である。
「あ、ウルは目変えられないよ。アレも人狼の証だから」
「へぇ!でもまぁいいんじゃね?持病かなんかでメガネかけときゃいいし」
ウルにメガネは結構新鮮で似合いそうだが、そうすると視力が弱いという設定も追加だ。せいぜいメガネを落とさないようにしてもらいたいものである。
にしても、何だか妙に納得できる。あの不思議としか言いようのない瞳、あれが人狼の証ということは『代名詞』にもなりうるのだ。
「ジャラは口どうしよか?真っ黒は流石に誤魔化しようないやん」
「二週間くらいなら再現できるよ。ご飯いっぱいちょーだい!」
普段黒いままなのは省エネだったようだ。ファルベ学園は結構な名門校なので名前くらいは知っていたが、確かあそこは寮制度かつ食堂はビュッフェ式のはずである。確かにシェフが昏睡状態になりそうなので、定期的な食糧の支給は必要だろう。そのあたりはクロヴンに任せるとして、問題は寮だった。
「寮六つあったよな?ファルベがドイツ語で『色』だっけ、クラス分けも色らしーぜ」
「全員同じ寮だと楽なんだけどなー。更に同室だとなお良し」
密談や会議がしやすいので、もし別になると安全な部屋探しからのスタートを切ることになる。
「そこはジョーカーがなんとかしてくれとんのちゃう?アイツ無駄に仕事速いし変なルート持っとるし」
確か人間のハッカーも友人にいたはずだ。アメリカの女子大生だった気もするが、どうしてハッカーでジョーカーと繋がりがあるのか最早わからない。ジョーカー曰くただのおもろいギャル、らしいが……。
(ただのギャルが協会のモニターハックできるか?)
否、不可能である。
「それもそうだな。てかクオンにもいい機会だろ、潜入系は初めてじゃね?」
「そういえば……でもさ、今まで潜入系統は専らノイズに回ってたじゃん。ライベリーは詐欺師だからともかく、クロヴンと僕はあんましてないんじゃない?」
言い終えた直後、何の前触れもなく扉の軋み音と共にウルが帰って来た。大きな荷物を抱えて入室し、箱をテーブルの横に置く。
「よっと……。制服とか学園についてのパンフレット、教材に地図、職員名簿まで揃ってるね。生徒のは流石に厳重だったみたいで」
「お貴族様もいたっつー話だろ?まぁこんだけありゃ万々歳にもほどがあるわ」
「まぁありがたい話だよねー。多分教師二、三人犠牲になったろうけどさ」
箱を開いてとりあえず教師名簿から目を通す。クオンは教材をパラパラ捲って目を通し、つまらなさそうに、しかし丁寧に机の端へ追いやった。彼からすれば、外見年齢上同年代の人間の勉強内容など幼稚園レベルである。まぁ二百年も生きていればそうなるのは必至だろう。
「セカンドスクールか。日本で言う中学生やて、ちょいアイツらに報告しといたらまたはしゃいどるわ。今のクオンなら中学二年生らしいで、外見」
「へー、三年じゃねぇの。よかったな、お前若めの顔面で」
貶されているのか褒められているのかわからないので無視しつつ、少し気になったのでスマホを取り出す。
‐‐‐‐‐‐‐チャット
甘音『なら中二くらいだなクオン』
ノイズ『まじで?』
夜行『学生か、いいね!楽しそうじゃないか、羨ましいくらいだよ』
夢ツ『うちの楽刻も連れてって~www』
ノイズ『何やねんそのW』
楽刻『(笑)です。僕は結構です』
甘音『イギリスじゃ使わねーのか、味気ないな。ならこっちもできることやっとくかー』
楽刻『では、その間こちらでは同盟の動向を探っておきましょうか』
夜行『黒幕は天使と関係が深そうだね。まぁ、この僕を前にしては無駄な事さ!』
夢ツ『そっち天使誰おるかわかったら教えてや( *´艸`)』
夢ツ『電波妨害とかあったら手練れ派遣するわ』
ノイズ『有能やな』
甘音『協会にいないっけ?』
ライベリー『いねぇな。ネットワーク上が多いわ』
夜行『Σ(・□・;)』
楽刻『明日派遣します。(/・ω・)/三 口』
‐‐‐‐‐‐‐-----
「何このチャット、めちゃくちゃ騒がしいんだけど」
まず一文が長い。こちらの文化とは大きな違いだが、情報量が多く要領を得ているので逆に助かるかもしれない。
というか、そもそも謎の顔みたいな記号の羅列がどういう意味なのか分からなかったのだが、面倒なので放置した。
ちなみに会話は日本語である。多様な表現方法がトライアングルのお気に召したらしく、今では協会だろうが同盟だろうが日本語はよく見かける。教育課程でも英語と日本語の二つが同時進行で教えられているとか。
つまり日本語はわかる。しかし、この記号の羅列に関しては常英国人並みの知識しかない。
「てか楽刻が使ってる顔文字可愛いな」
一人理解ができる異分子がいたがそれも無視する。多分、教えてもらったところで馴染みがないのでわからないだろう。とりあえず顔であることはわかった。
「にしても電波妨害か、スマホとか授業中使われたらたまらんやろな。由緒ある名門校やしありうるけど」
「どうかな?検索してみたところ、そういった情報は見当たらないよ」
スマホ片手にウルが言う。それなら別にいいが、念の為壱鬼には伏せておこう。
「あ。それとメガネの件だけど、どうせウルもう知ってるでしょ」
「御名答。良い案だと思うよ、下手に聞かれなくて済む」
そう微笑浮かべて答え、クオンから目を逸らしてカップに手を伸ばす。その横で、光る板を食い入るように見つめていたジャラはぽつりと呟いた。
「ゴースト……」
不審なワードに思わず彼を見る。途端、視界に入ったその顔に思わずゾッとするほど冷たい緊張が背筋に流れた。ジャラはそれを知ってか知らずか、そのまま続ける。
「噂があるって。双子のゴーストがいるらしいけど、ホントかな?」
喰べる……いや、呑むつもりか。
ありもしない心臓がぎゅぅっと握り潰されるような酷い戦慄に、静かに息を呑む。彼は魂を闇に呑み込む種族だ。だから、心理と密接な関係にある彼らの魂も本能的に怯んでいるのだろう。飢えた獅子を前にした小鹿のようなもの。
「駄目だよ、ジャラ。もし本物ならいい伝手になる。人間には基本見えない種だからね」
「えー!!久しぶりに主食が手に入ると思ったのに!」
カタン、とウルがカップを置く音で彼らはふと我に返った。何故だろうか。彼の持つ異様な雰囲気には、得も言われぬながら鎮静作用染みたモノがあった。
(さっきも……)
ピエロを見つけた時の、酩酊した妙な気持ち悪さ。あれすら綺麗サッパリ除去された。彼は人狼だ、という事実が得意げに物を言うのは果たして幻聴か、それでも恐ろしい力だ。
__思考回路を手放さない事。
それがどれだけ重要なのか、長寿である彼らは骨の髄まで刻み込まれた死活問題だった。
冷静さを欠いてはいけない。例え、死の一歩手前でも。断崖絶壁の端、軽く、いとも簡単に背中を押す手は__……。
『トライアングル』
未来永劫、その名を忘れることはないだろう。これほど嘘であってほしいと願ったこともない。
「最悪の場合はいいけどねぇ、そう何でもかんでも食べないの」
「じゃ最後!全部終わったら!!」
「もう……最期ならね」
「やっっっった!!やっぱウル好き!」
彼らの瞳に映るのは、ただの子供の快活な笑顔だった。その変貌ぶりが純粋の極致であると悟るのに数秒、徐々に落ち着きを取り戻すのに数秒。そして、ふと思い出したようにクロヴンが口を開いた。
「……ノイズ。仮面、取るつもりかい?」
その瞬間、あからさまにノイズから生気が失せた。普段は見ないほど気だるげにソファに背を預け、いかにも嫌そうな空気を醸し出す。
「……それしかないやろ。ほんま嫌や……」
クオン自身ずっと気になっていたのだが。いくらあざとくねだってもその顔面の防御だけは固く、決して仮面を外してくれることはなかった。兄バカに熱烈な弟のお願いが効かないなんて、頑として断られる度に興味が増すのだ。
「ねぇ前も言ったけどさ、何で絶対顔見せてくんないの?兄バカのくせにおとーとが信用できないとでも?」
「ちゃうて、そういう理由やなくて……」
ほとほと困り果てたように顔を逸らすが、別に口から出た言葉なのでクオンはメンヘラではない。自分勝手な彼に少しイラッとしていたのだ。
まず説明がなく、ただただ断り続ける。今更何を渋ることがあるのか、しかもたまに恐怖を感じるほどの兄バカがである。
そりゃあ、気になるに決まっているだろう。仕方ない。クオンだって年頃の少年なのだ、好奇心には勝てない。
とは言え、今回ばかりはノイズだって逃れ切れないはずだ。
すると、横からとても愉快気なライベリーが満面の優しい笑みを浮かべる。
「いーじゃん、お前もそろそろ観念しな?何も隠すことないっしょ」
「お前な、他人事のように言うけど……」
「他人事だし!」
その通りである。
「僕も賛成だね。クオンもそれほど子供ではないさ」
子供である。
「お前ら今日マジで調子乗っとるやろ。絞殺すんぞ?」
「あ~、ほらほらそういうこと言わねーの。ビビられんぞ」
「何で?いつもの事でしょ」
何も知らない無垢な眼にこれから何が焼き付けられるのか、嫌な予感と共にほとんど自暴自棄になったノイズは長い溜息を吐く。白黒の仮面に手をやり、少し躊躇いつつも徐にそれを外した。
最初に現れたのは額に一線刻まれたツギハギ、そして視線を逸らす気まずげに歪んだグリーンの瞳。
これ以上ないほど、目つきの悪い顔。
思わずクオンも思考回路が吹っ飛び、フリーズしたように固まった。ライベリーと言えばノイズの横で笑いを堪えている。そんなところまでクロヴンに似なくてもよかったのだが。
「……こっわ。奇跡じゃん?え。何でそんな目つき悪いの?無駄に目綺麗でよかったね」
「は……?お前、ほんまそんだけか?怖いやろ」
我ながらそう認識できるほど目つきが悪い。人外である故顔自体は端正なものの、その眼光と眼差しは荒いものだった。まず背が異様に高いしガタイもある。笑おうものなら人の子供が泣く。そして保護者までもが腰を抜かし、子供の手を引いて逃げる様に走り去っていくのだ。
それが、クオンはこうである。前々から無駄に肝の据わった子供だとは思っていたが、引くくらいで済むとはとても思っていなかった。目綺麗じゃない?とウルとジャラに共感を求めては無邪気に笑う。
「ね!目だけは」
「ジャラ……だけは不要だよ」
眼光は鋭いながら、眼の色は澄み切った淡いグリーンでとても綺麗だった。水面のような、宝石のような、春の木漏れ日のような。
「ん~……でも、コレ生徒の寿命著しく縮むよね?」
「とーうとつに裏切るやん」
垂れ眼つり眉が余計に恐怖を増幅させている。感心するほどの厄災並みの目つき。もう笑うしかないだろう。
「まぁノイズ自体人柄は良いし、誤解も直ぐ解けるんじゃないかな?」
ウルは優しく諭すように言うが、全くフォローになっていない。
「誤解って……おれ何もしてないのに……」
「噓吐け、非正規任務お前だけ異常に多いんだよ。最早超過だわ」
「うん、クロヴンの方が怖くない今は」
クオンのその言葉にノイズはかなりのショックを受ける。
「嘘!?」
「……?」
一方でクロヴンは恐怖の対象であったことを初めて知り、ジャラは物珍し気な顔でノイズの顔を見つめていた。ライベリーなど呼吸困難に陥るほど必死で笑うのを我慢しているが、全てがノイズの心を的確に抉っていく。
「もー……全くしゃあないなぁ、お前らは」
怒る気もすっかり失せて苦笑いし、ノイズは仮面を元に戻した。
「何やねん、杞憂かいな……お前ほんま度胸あるなぁ」
内心冷や冷やしていたので安堵の溜息を零す。
「いやいや、だってあのノイズだよ?究極の兄バカで抜けてるノイズだよ?」
「すまんクロヴン、おれは何を間違えてもうた?何でクオンはこんな天然で悪態ついてまうんや」
「君はヒトがいないと口調も著しく治安低下するだろう?そういうことさ、たまにクオンに目撃されているよ」
「は?おれがクオンの視線を取りこぼしたと?」
「寧ろ取らないでほしいんだけど」
「ええとこだけ吸収してくれ……頼むから」
その後二日間ほど少々ぎこちなくなるクオン。後から少し効いたらしく、ノイズとしてはだいぶ堪えたようだった。
「後悔でしかない……なんで取ってもうたんやおれ……」
「いやお前杞憂とか言ってたじゃん。ちょい経てばクオンもコロッと元どーりだろ」
~ちょっとした出来心のクオン~
「ねぇノイズ、何でいっつも仮面付けてんの?24時間永遠に」
そう尋ねると、向かいに座っているやたらと背の高いノイズはギクッとしたように口を固く閉じる。ややあって、呆れたような苦笑を漏らした。
「お前なぁ、マジで懲りへんな。絶対あかんよ。見せんからな?」
「何で?たかが造形物じゃん」
「言い様よ……あかん、駄目です。見せません」
そう頑なに拒むとクオンは不満げに目を細める。
「けち」
「ケチで結構や」
「絶対?」
「あかん」
「何が何でも?」
「取らん」
更に即答で断り続ければ、クオンは苛立ったように机に肘をついて呻く。流石に素っ気無かったかなと本から視線を上げると、途端目をきらっきら輝かせた上目遣いのクオンが目に入った。
「だめ?」
「グっ…………!!!クオンが可愛い……!!!」
「ねぇ、ほんとにだめなの?」
きっと腹の中では半笑いなのだろうが、この子は自分の思っているよりずっと可愛い顔をしているのに気づいていないのだろう。致命的である。いや、それどころではない。助けを求めて部屋を見渡すも、キッチンにいるライベリーは肩を震わせて必死に笑いを堪えているし、クロヴンでさえも窓際の椅子で顔を手で押さえている。
最悪だ。
「あ”ー!!あかん!!絶対取らん言うとるやろ!!お前なぁ、まじで殺しにかかってるやん……!!」
机に突っ伏して視界を閉じると、クオンは次の手を打つ。すっくと立ち上がりとことこソファまで駆け寄ると、ちょこんとノイズの横に座って控えめに袖を引いた。更に小首を傾げ、子犬のような顔をする。
「だめ……?」
ちなみに、ノイズの記憶はここで途絶えている。
「はーッ……まじつまんな。ねぇライベリー、ノイズ死んだ。なんでこんな厳重なの?」
ノイズの自己防衛がはたらき意識がシャットダウンするのを見ると、先程とは打って変わってクオンは冷めた目を彼に向ける。
「っ……い、いや?知らね……」
「ウソ。もー、ほんっとにつまんない!」
作者が日本人なので、都合上言語関連はご了承ください。決して差別・人権問題に関係する意図はありません。
また、ノイズの顔面が気になる方は、作者のプロフィールからXを覗いてみてくださいね。
今週もありがとうございます!




