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Fake and Liar  作者: うるフェリ
 
18/43

12.初期化 【一級人気投票第一位記念小話 クオン・アズリー】

運命の岐路を破った手。

「クオンくん」

女の子の声が、すぐ横の少し高いところから降って来る。窓越しの夕焼けから目を離して振り向いた。

「……エリィ。どうしたの?」

ボブヘアの黒髪に漆黒の瞳。霞んだ夕陽に照らされて、どちらもカラスのように綺麗だった。

彼女はクオンのクラスの委員長だ。気こそ弱いものの、度胸があるので対して支障はない。エリィは引きつった笑顔を浮かべ、手元の教科書を開いてクオンに見せた。

「ここ、ちょっとわからなくて。教えて欲しいの」

「いいよ、どこからわからない?」

授業中真面目にメモを取っていたようで、教科書にはいたるところに赤ペンで星印がつけられていた。ぱっと見わかりやすいので教えるときにも役立つから嬉しいものだ。

「あぁ、ここの公式惜しいね。二つ目の使ってみなよ、Xに代入して」

「えっと……そっか、本当だ。ならこっちはAに一括するってこと?」

「そうそう、ちゃんとできてんじゃん。この理屈さえ覚えれば簡単だよ、この単元も」

感心したように頷いては教科書にメモを残していく。あと少しで予鈴も鳴りそうだが、学習意欲を妨げるのはクオンの主義に反していた。

「なるほど……すごいね、クオンくんって何でも知ってる。というか、わかってる感じがする」

不思議そうな目を向けられ、クオンはあくまでも自然に笑顔を作った。

「勉強してるだけだよ。エリィも同じでしょ、近いうちに僕なんか追い越しちゃうよ」

「それはないっ!……と思う」

驚いたように声を上げ、少し罰が悪そうに小さく付け足す。全く、自信がない割に負けず嫌いなのは周知の事実だというのに諦めが悪いのか何なのか。もっと自信を持てばいいのに、とクオンは少し勿体無く思う。

「自己暗示だよ。君ができるって思ってれば絶対できるし、逆もまた然りって言うでしょ?」

「そうだけど……」

彼女は悩ましそうに目を伏せる。本調子を出すことに抵抗を感じるのはよくあることだ。達成欲求が尽く低いのは彼女の大きな課題だが、その一方自分にハンデを与えない。単純に迷子状態なのだ。

すると、今度はエリィが薄く笑った。

「……それじゃ、あなたも追い越されるちゃうよ」

「あ、本当だ」

クックッと二人で小さく笑ったところでチャイムが響く。彼女は我に返ったように周りを見渡した。

「ありがとう、クオンくん。明日も教えてくれる?」

「勿論。何でも聞いて」

余裕のある微笑みで返せば、エリィはどこかほっとしたように自分の席に急ぎ足で戻った。

読み取りが苦手なところ、彼女は化学が苦手らしい。明日の分、というよりこの学年の勉強はもう終了していた。たまには戻って復習してもいいかな、と寮に戻ってからのプランを組み立てながら彼女の号令に腰を上げる。


__その夜、エリィは死んだ。


『代役と齟齬』

巘%が呟いた。



その知らせを聞いたとき、クオンは何よりも他の生徒の命を優先した。

「……そう。すぐ本部に連絡して、格持ちの任務課を要請して」

「わかっ__了解」

悪魔は絶命すると死体すら残らない。アクセサリーしか残らないのに、エリィは装飾品が苦手だった。クラスの女子が誕生日にサプライスで贈った銀色の腕時計だけが青い秒針を刻んでいて、彼女達はそれを囲んで泣き崩れていた。図書館に辿り着き、絶え間なく落ちる涙を横目に、クオンは緊急時の身に使用許可が下されるトライアングルの武器を手に持つ。

僅か十人の神童達により構成された、防衛委員会。唯一武器を扱える存在達の頂点がクオンだった。望んだことなので今更責任なんて気にも留めていない。

ただ彼女らは気の毒に見えた。異形が近くにいる以上声を上げて喚くことは許されない。だから、できるだけ早急に処理しようと思う。

「委員長、本部に要請しました。教師達が避難誘導を」

「おっけ、なら来たら阻止する。それ以上深追いしたら僕ら死ぬから」

子供であるだけで弱く、言ってしまえば格好の餌だ。武器だけが命綱と言っても過言ではない。クオンは棚にかけてある梯子に座り込み暗闇へ視線を射抜く。瞬きの回数すら無意識に減少し、一点に半透明の暗いフィルターが被さった奥を凝視した。

すると、横から後輩が遠慮がちに話しかけてくる。

「クオンさん、亡くなられた先輩と仲が良かったとお聞きしていましたが、その……大丈夫ですか?」

気遣わし気に首を傾げ、銃を両手に無表情のクオンを見上げた。クオンは彼に柔和な笑みを向ける。

「優先順位を見誤ったら本末転倒だからね。もう過ぎたことだから仕方ない。過去は変えられない」

「……そうですか」

気の毒に。

そう思って視線を彼から闇に戻す。感情が希薄過ぎて周りから睨まれることは多少はあったが、最近はクオンが『合理的な視点役』になっていた。必要悪という言葉が、子供の彼に不格好なほどよく似合う。

そもそも防衛委員会である身として、彼らの意識が低過ぎるのだ。本末転倒という言葉を一度咀嚼してから文句を言って欲しい。口にする前に自分で論破だ。

(……無駄にはならないか。復習くらい)

時間は有限だ、委員長なんて命がいくらあっても足りない。自分の才能と豪運に感謝するばかりだがそれも限界があるだろう。


△▼ △▼ △▼ △▼ △▼


「クオンくん、お墓参り行った?」

「……誰の?」

最近校外の死人が多すぎて、一体誰を指しているのかわからなかった。すると目の前の彼女は一瞬息を詰まらせ、目を真っ赤にして言う。

「……エリィよ。もう忘れたの」

「そういうわけじゃないけど……」

随分と深刻味のある声で訴えられ、胡乱な目を隠すように柔和に目を細めた。

「今日行くよ。ごめんね」

その言葉に彼女は更に唇を強く結び、そのまま邪険そうに振り返って教室を出て行った。

それでいい。感受性の強いヒトはクオンの仕事に支障をきたす、厄介な存在だ。適当に花でも見繕って寮に戻ろうと思いつつ、机から出した教科書に目を止める。

「…………」

はみ出ていた紙を抜き出し、クオンは無表情でそれに目を通した。

「……花の代わりには、無愛想かな」

結局追い越されることもなかった。残念だったね、と口角を上げて鞄を持つ。


全てにおいて、理由など存在しない。


△▼ △▼ △▼ △▼ △▼

いつからこの社会は平和になったというのか。不純な動機で見た白昼夢の行方は知れず、トライアングルの庇護範疇を超えた結果がコレだ。ヒトであるが故に得た知見と引き換えに安寧を手放した存在。文句などとても言えたモノじゃないが、時にそれを望んだものでないと声高らかに言い張る者もいる。そして、それを自ら奪う者も。

__墓標に刻まれた名すら、望まなかったとしたら?

生きた証、存在の瞬間、記憶との接点。

その全てを否定したものに価値など無い。不必要どころか害虫と成り果てたのなら、駆除するだけだ。

その言葉が初夏の蠅のように煩わしかったのも、今は遠い過去で。誰の為になるかはわからない。それでも繋がるならそれでいい。

一つの命の履歴を消すという行為。こうも呆気なく行えるとは露知らず、ただ唖然としていた。歴史を嘲笑うような禁忌の匂いを嗅ぎつつ、飢えた野良犬のように屍肉を消して行く。それが任務であり生まれ持った才能だったから。きっと将来、守る為の引き金となり得るはずだろうと思って(よすが)としている。

その命綱すら視界に入らなかったとかと思うと、本当に愚かだ。

一度トライアングルに所属すれば逃げることなどできない。雁字搦めになった愛憎で首を吊って終わるのだ。

「……協会管理下校に異形やと?」

思わず資料から顔を上げる。途端職員は肩を震わせ軽く頷き、ホッチキス止めされた書類を恐る恐る差し出した。その挙動にふと我に返り、怒ってないよと軽く手を振って紙束を受け取る。

「その、言っても図書館でして。校内ではあるのですが比較的発生率が高いかと……」

「ようできとるけど通達文が稚拙やな。防衛委員会か」

「……仰る通りです」

眉をひそめたノイズに、彼は目を伏せて答えた。引け目を感じる本人ではないがそれも仕方ない。

ノイズとしては教師の怠慢を疑うところだが、それを察した職員は補足した。

「ノイズ一級はご存じでしょうか。前々から噂になっている神童の、確か委員長でしたね」

「あー……っておい、コレついさっきの通達文やんけ!はよ言えってもう……」

ノイズが腰を浮かせたところで、彼は焦ったように口を開く。

「す、すみません!しかしその委員長が既に」

ピタッと動きを止め、信じられないといった目つきで視線を投げる。すると彼は、苦虫を嚙み潰したように眉間にシワを寄せた。

「……消滅させたとのことです」

その言葉を何度も頭の中で反芻する。


未成年の悪魔が異形を殺した?

__ありえない。


「それ……間違いないやろな?」

「はい。確実に始末したと報告が入っておりますが、確認なさいますか」

半分上の空で職員の言葉を聞き流す。

何か……何か胸騒ぎがする。現状に至るまでの経過に歪など無いが、どうしてか虫の知らせがした。誰かが必死に急かしてくるような感覚に心底嫌な予感を覚え、ノイズは溜息を吐く。

「いや……それより今すぐレイト二級呼んで来い、一級命令や言うてな」

「了解いたしました」

不審げな顔一つせず駆け足で踵を返して行ったが、ノイズはそんなに几帳面でも優秀でもない。ただ彼はつい先月一級通達係に就いた職員で、天然気質らしく何の疑いもなく詐欺に引っかかるので少々心配なところはあった。

「……第四校か」

書類に目を通しながら立ち上がり、協会の制服である外套を羽織る。せっかく淹れた紅茶も無駄になってしまうが、”コレ”は取り返せる問題だ。

あの委員長だからこそ死なせてはいけない。未だかつて無いほど優秀な人材かつ、将来が確約された奇跡に等しい神童と聞いている。

紙を捲りながら扉をくぐり、すぐ横の螺旋階段を駆け下りていく。

1階の大広間まで辿り着き正面玄関まで大股で歩いて行った。すると背後から、聞き馴染みのある声がかかる。

「ノイズ一級」

「お、レイトほんまに来たんや?」

存外驚いて見せると、彼は心底不愉快と言う風に無表情で言った。

「そうっすね、流石に命令を無視する気もさらさら無いので。で?変な冗談だったらぶっ飛ばしますよ一級」

まだあどけなさが残る顔に冷たい笑みを浮かべた不良を見やり、構わず歩を進める。

「流石にそこまでアホ言う気もさらさら無いな。例の委員長、異形殺したつっとるけど報告書書いたんは防衛委員会の下っ端や」

「そうですか、で何です?」

書類を放ってやるとレイトは冷めた目でそれを手に取る。文章に少し目を通すと相変わらずの無表情で言った。

「へぇ、高校卒論文程度には書けてんじゃないですか。としたらその委員長くんは大卒か」

「お前なぁ、あんまそういうこと言ったもんちゃうで?」

苦笑いしつつ教育課の受付に圧をかけ、職員の目の前を素通りする。そのまま廊下の奥のエレベーターに乗って研究課の転送階である地下4階のボタンを押した。

「ノイズサンいると通行が楽でいいな……最早呆然と見られてましたね」

「うっさいわ、不良に言われたかないねん。……そんでどうや?」

ぽーん、と無機質な音が響く。軽い音と共に扉が開き、暗い廊下に踏み入った。

レイトは軽く首を傾げて低く唸り、静かに口を開く。

「さぁ、アンタ程の観察眼も持ち合わせてませんよ。ただ『消えた』ってのは大分違和感ありますね、表現が曖昧過ぎる」

「レイト、それ時間見てみ」

訝し気に紙を捲り、やがて強張った視線をノイズの背に向けた。

不自然にインクの滲んだ数字。

「は?五時間経過の報告なんですけど、連絡入ってないんすか」

時間表記が全てa.m.とp.m.になっている。3の字がいじられているが、今は夜九時。既に一時間も遅れていた。

「さっき受付に伝えたし、帰還頃にゃ通達係の犬も首輪つけられとるやろ。それより心配なんは()()()()()()()()()()()どうかやな」

異形の相手は一級であるノイズでも眉をひそめるほどの所業だ。にもかかわらず、碌に戦闘もできない教師が避難誘導を行う体たらくなら。全校生徒は誰を(よすが)にする?

「離反悪魔か。他の工作員も洗っておかないと怠いことになりそうですね、金の生る木を伐採されたら溜まったもんじゃねぇ」

「組織的やな。統率が取れとる、全く違和感もなかったわ」

当たり前だろう。

彼らはまだ()()()()()()()。企てているだけなのだから。

「さて、研究課気絶案件や。なるはやで行きまっせレイト二級」

「了解」


△▼ △▼ △▼ △▼ △▼


「生徒が何人か行方不明に……!クオンさん!!」

「うるさい聞こえてる。教師に連絡して本部に救助要請入れて。異形出現、恐らく幻覚を見せる系統の捕食型」

軽く睨むと、青ざめた彼は慌てて教室から出て行った。騒がしくなりそうな生徒達を牽制しつつグラウンドへ向かうよう指示し、自分は影に潜って放送室へと走る。

「クソっ、めんどくさいな……通りで本部から検査が来ないと思った!」

眉をひそめて毒づく。

下手に影の中を転移すれば異形に目を付けられるかもしれないので、地道に駆けて行った。ココは二階北館、放送室は四階の東館だ。大した距離ではないが、人生は一秒一秒の積み重なりである。

「出現場所は図書館……行方不明者なら知能は高いか、としたらテクニカル?活動時間は夕暮れ辺りから……」

つまるところ、タイムリミットは日が昇るまでだ。八時を指す時計に舌打ちし階段を駆け上がる。

「武器の使用許可は要らないはず、異形相手に太刀打ちはできな……」

無表情で無理やり言葉を飲み込むと、ぎゅっとおかしな音が鳴った。

そんなことはどうでもいい。やるかやらないかの違いで大きな格差が生じるのだ。

怯みか自暴自棄かで高鳴った胸に鼓舞される様に地面を蹴る。

階段を登り切り、窓際の影から這い上がって付近の生徒に呼びかけた。寮制度だ、こんな時間まで学校にいるのは仕方ない。

「早くグラウンドへ逃げろ!!異形出現、暗い場所には近づくな!!わかったら足を動かせ、とっとと走れ!!」

クオンの声に周りの生徒たちは一瞬で蒼白になり、悲鳴と嗚咽を喉の奥に押し込むように口を押えて我先にとクオンと逆方向へ全力疾走して行った。

クオンは僅かに焦燥を滲ませた目で周囲の気配を探り、逃げ遅れを確認しながら渡り廊下を突っ切っていった。疲れてもいないのに異様な緊急事態に冷や汗が垂れ、緊張が背筋に蔓延る。

角を曲がり傍の扉を開く。幸運なことに室内には誰もいなかった。

灰色のコンピューターに駆け寄ってボタンを押し、マイクがキィイン……と鳴るのを耳にする。何度聞いても不快な音だ。

「これは訓練ではない。異形出現、異形出現。暗所に近づかないよう教職員は生徒の安全を確保した上、グラウンドへ避難誘導を。防衛委員会は直ちに無線を繋ぎ、校内の見回りへ向かえ。生徒は速やかに避難せよ、繰り返す……__」

今は太陽どころか、月も星の光も校舎には射しこまない。夜闇に陰った空間では異形は活発化しより獰猛に命を狙いに来る。一瞬でも気を緩めることは許されないこの時間を生き抜くのは、ただの生徒には酷すぎる話だ。

守り()()、生き延びる。

それが今の最優先課題だ。

その瞬間、小さな三角形のバッジからブツッと音がした。

『クオンさん、防衛委員を各館へ向かわせました。委員室に集合していたのが幸いだったようで、あと逃げ遅れも既に数名』

「了解。副委員長、君は直ちにグラウンドへ向かい全校生徒を守れ。図書館を確認した後、僕も直ぐに行く」

『了解。幻ですか』

「その通り」

なりふり構わず窓から裏庭へ飛び下りる。強い風を伴って軽い衝撃に抗い、地面を強く蹴った。

もしかすると、今校内にいるであろう異形は幻の可能性がある。逆もまた然りだが、もし予想通りならどの道図書館へ追い込まれてしまう。万一にでもそうなると全員を守り切るのは困難を極める。

『行方不明者26名を除く全校生徒の無事が確認されました。異形の気配は今はありません』

「そう。じゃあ委員全員集合させて、必ず孤立しないように」

『了解』

不便なものだが、無線で繋げることのできる人数は限られている。後は副委員長に任せ、クオンは気配に集中しながら図書館まで走りつづけた。

裏庭の空は曇り切っており、いつも色彩鮮やかな花壇はすっかり色を失っている。薄暗い背景は妙な胸騒ぎをちらつかせた。

__今更。

いつも影に潜っているクオンに最早、光など存在しない。尤もなことだ。

涼しすぎる風に揺れた常緑樹が自分を嘲笑っているようだった。光も無く煩わしいほどうっそうと茂った緑、レンガ造りの重厚な壁を乗り越えればべっとりと砂埃が指先に付着した。

「異形の気配はない……」

胸騒ぎと混濁しないよう注意を払いながら夜の野外を駆けていく。整った石畳を逸れれば土くれと雑草、その奥は森。しかし近道だ。

__さぁ、どうする?

「もうッ……!」

面倒だな、という言葉は継がずに追い立てられるように走る。木の影へと潜り、時々転移を繰り消しては影の中を走り、正面の闇に浮かび上がる大きな物体を一瞥した。

もう動き始めてから十五分は経っているので、まだ連絡がないところ順調ではあるようだ。バッジは破壊されれば通知が来るから彼らの無事は把握できる。

頼むから。


頼むから、校舎内の異形は幻であってくれ。


△▼ △▼ △▼ △▼ △▼


図書館に入った時、小さなクオンを得も言われぬ悪寒が襲った。先入観などではない。どこまでも純粋な憎悪と敵意。

扉を開くにつれて、巨大な黒百合がタイムラプスのように開花するようだった。

怯みはしない。そんなことになれば確実に死ぬ。バッジを口元に近づけ、手前の棚に背をぴったりと寄せた。

「副委員長、図書館に本物が。上位二名を連れて応援を」

『了解、直ちに。上位ではありませんがトゥルー・アイ保持者を連れて行きます』

「了解」

小さく呟いて返し、そのまま繋いでおいた。万一を考慮したうえで避難が優先だ。



左肩を、


ぞわりと灰塵が撫でる。


『い”ッ…あ”ア”亜”グぅぅ”……っ”イ”あ”』

引き攣った喘ぎ声

赤く縁どられたどす黒い液体が垂れる。

「ぐッぅぅ__……!!」

冷たい液体に触れた腕を灰色の骨ばった手が弾丸の勢いで握り潰し、嫌な音を立ててひしゃげた手首を掴んで肩ごと引き千切る。

痛みに鈍感と言えど、未成年であるクオンに身体の欠損は厳しい。肘から下なら瞬間再生はできたが、肩からの組織の構成は少々手こずる。

『クオンさん!?大丈夫ですか、一体』

「うるさい、まだ大丈夫つってんの……!」

棚の影に潜れば多少の安全は確保できる。必ずとは言えない。あちらから姿が見えないだけで、気配はどうしても察知されてしまう。

どん、と鈍い音を立ててすぐ横に青みがかった腕が伸びる。まるでクレーンゲームだ。狙われているのは自分。できることはこちらに集中させること、痺れを切らし校舎に向かわないよう阻止すること。

『そんなの聞いたことありません……!今裏庭へ辿り着いたところです、あと五分ほど耐えてください』

「うるさい……」

ほとんど八つ当たりだが仕方ない。欠損した肩を組みなおし、まだ残っている片手に黒く光る銃を握る。視界に捉えられるのはこちらからの一方通行だ。不透明のガラスケースに囲まれたクレーンゲームなんて時間の無駄。だが、時々存在を主張することで中毒性を生じさせることができる。

細い腕が影の中へ突き刺さった瞬間、銃口を向け大地の弾丸を浴びせる。轟く発砲音。肉に食い込んだ弾丸から岩が生え、筋肉を裂き骨を砕いて肘から下を地面に固定する。関節に岩の先端が食い込んだようで、異形は腕を振るわせながら痛みに絶叫を落とした。あまりに醜悪なノイズ音に反射的に耳を塞ぎ、ベキベキと軋轢音を立てて引き千切ろうとする腕に追い打ちをかける。


どがっ カラン……


『イ”い”異ガッぅあ”ぃ”ぃ”ぃ”ぃ”い”ヒあ”ッあああ”あ”ぁ”ああぁ”ぁ!!!!!!!!!!!』


憎悪と怨恨と激痛。

肩があるだけまだマシと思って欲しいものだ。

懲りずに何度も何度も影の中に腕が入って来る。ソレを反射的にかわし時々銃で撃ち払いながら奥へと走って行った。

棚と棚の間は結構狭い。しかし異形の腕が随分長いというか、とにかく関節が異様に多いのでたいした障害にはならなさそうだ。影と銃だけでどこまでやれるものか……。そんなことすら今は忘れようとひたすらに避けて腕の破壊に努める。

(幻を使うのなら腕の中にも偽物があるはず……だとしても全っ然区別つかないし!)

もしかして、全て本物なのか?幻なのか?

それさえ分からない。ここまで洗練された幻を作れるのなら、そもそもコッチの異形すら幻覚かもしれなかった。

「五感に作用するタイプか……それとも本物?」

『確証が持てないんですか?異形なら空気は陰鬱で重くなるはずです!その独特な雰囲気までは模倣できないかと……!』

「そうだけどッ!クソ……」

また外れた。異形も少しずつ慎重さを増してきているのか、肘から下のみ侵入してくるようになる。

異形は憎悪と悔恨の権化だ。思念そのものの具現化だから、周囲の空気も影響を受けてしまう。

影の中は特定の物体以外は不可侵領域である。つまり、もう一度顔を出して確認する他無いが腕の数を考えるとハイリスクハイリターンのギャンブルとなる。

そんなことを考えていると刹那、腕が頭上から現れ、掴みかかろうとする手が見えた。そのまま地面を蹴って向かいの書棚の向こうへ、転移を使い逃れる。それを幾度か繰り返し、異形を混乱させたところで柱を背にして首を出した。

少しばかり焦ったものの上手くいったのではないだろうか。とっくに再生しきった手にも銃を握り、慎重に地上へ這い上がる。

「…………」

確かに重い。言い表しがたい息苦しさ、閉鎖し淀みの溜まった空気。

とぷん、ともう一度影の中へ潜る。

「確実に本物。それと図書館に入る時は気をつけて、影に入れるようにしておくから」

『了解』

その声が絶えると、途端無音の空間に不気味な静寂が広がった。影の中なので水中染みた音は流れていたが、それが余計無を際立たせている。

気配は肌をじりじり突き刺すように存在している。どちらもまだ生きている。

その一方で、どう抵抗すればいいかは全くの無策に尽きた。まず格が違い過ぎる。そして悪魔にとっての最大の天敵であり、また未成年であるクオンが相手では話にならない。しかしそれを覆し、塗り替えなければ決して未来には進めない。

わかっていた。張り詰めた目元を瞬きでほぐし、図書館の入り口付近に注意を払いつつ棚に沿って歩き出す。もうそろそろ五分経つ頃だ。できるだけ早く影に潜伏しなければ、一瞬で喰われてしまう。

『到着しました、今から中に入ります』

「わかった。すぐ影に」

棚の影をするすると移動し、扉付近に目をやる。


光が入った。その瞬間影に溶け、空白になったそこを腕が搔っ攫っていく。


「クオンさん……!無事でしたか、よかった」

「委員長、腕が何本もと言う話でしたが本体は?」

「まだわからない。何処かに隠れてるから、トゥルー・アイ保持者に見つけて欲しいんだよ」

クオンの台詞に、紫のメッシュが入った金髪の女の子が手を上げた。その目は綺麗なブルーに輝いている。

「私ですけど、あんまり戦えないです。武器は鎖鎌で……どうしたらいいですかね」

頼もしいとは言えないが価値はある。クオンはさっきの戦闘の様子を伝え、改めて彼らに向き直った。

「君は……ジェシカか。僕についてきて、鎌で追い払うくらいでいい。姿を見つけること。副委員長は僕が気を引いている間に本体の居場所の特定、ドーイは副委員長のサポートに。僕とジェシカは図書館の奥に進んでいくから、できるだけ離れて。それと絶対に思考回路を手放さない事、冷静に、とりあえず考えるんだ」

「了解」

一同が頷くのを確認し、眼の保持者ジェシカに視線をやる。彼女は何度か頷くと鎖鎌を手に持った。

「君は本体の発見に集中して。厄介払いは僕がやる」

「了解です」

恐らく死人が出る。それはこの場にいる誰しもがわかっていたことだった。


△▼ △▼ △▼ △▼ △▼


「う”ッ……__!!」

頭上から振り下ろされた腕を銃身で受け流す。死角から現れた腕を片方の銃で撃ち抜き、地面に膝をつかないよう走るだけだった。

体力が限界に近い。既に一時間近く経過しているが、まだ応援は来ないのか。

ジェシカも何とか踏ん張っているが、時々咳き込んでは喉を傷めている。しかし本体はまだ見つからないようで、重い空気が関節にギシギシと食い込んだ。

暗闇から現れる手はまるで、地獄へ引き込もうとしているようにも見えた。そんな風に捉えるのも死期が近づいているからか、どの道このままだと全滅は免れない。

「はっ、はぁ……ぁ?」

「ジェシカ!」

副委員長の声に二人は反射的に振り向く。彼の姿を探し、そこには腕の発生元があった。関節が一様の方向に揃っている。

「そこか!!走れジェシカ、もう少し踏ん張れば勝てる!!」

彼女は肩で息をしていた。首だけを頷かせ、ふらつきながらも鎌を握りしめて走り出す。まだ表情は凛としていた。

「ドーイ、こっちで注意を引くぞ!二人に目を向けさせるな!!」

「はい!」

捜索に向かっていた二人はまだ体力があったようだ。クオンが何とか庇ったからジェシカは無傷なものの、副委員長と言えどクオンとは格が違う。彼ならそれをも理解した上での判断のはずだが、今は任せるしかなかった。

ふと横を見ると、図書館の扉がすぐそこに見え血の気が引いた。もうそこまで追い詰められている。

真正面から伸びてきた巨大な腕に雷を食らわせ、そこをジェシカが切断していく。鎌の扱いは文句なしだが、体の動きが少し遅い。それをフォローしつつ時々引っ張ったり突き飛ばしたりしていたのだが、その分鎖鎌の長所を活かして死角の攻撃を牽制してくれた。

「クソッ……」

腕をかわし切ったままだと、その後も永遠に追いかけてくる。御してからではないと危険極まりなかった。

このままではキリがないと考え、クオンは天井のシャンデリアに目を付ける。

「ジェシカ!!」

こちらに顔を向け、慌てて走って来る。クオンは彼女が後ろにいるのを確認しながら広く高い壁に駆け寄り、書棚に立てかけてある梯子に飛び移っては跳躍を繰り返した。一番上の梯子を目指して何度か空を切って飛ぶ。

「こっちに、速く!!」

手を差し出して鎖を引っ張り、そのまま背中を掴んで棚と棚の間に立たせる。顔色は蒼白だが、まだ戦えるだろう。

刹那迫ってきた腕を大地の弾丸で撃ち払う。まだ執拗に追ってきているようだ。棚の上を走りながら、ジェシカに声をかけた。

「ジェシカ、鎖鎌貸して。しばらく武器は使えないけど、手離さないでね」

ジェシカは目を見開いて瞬くが、頷くと鎖鎌を差し出した。クオンは銃を空間に収納し、鎌を掴む。棚の端まで全力で駆け、鎌の片方を振り回してロープのように投げた。ガシャン、とシャンデリアに引っかかる直前、クオンは彼女の手を取って高く跳ぶ。

「わッ!」

平衡感覚と地面の間隔が急激に奪い去られ、ジェシカは焦燥を隠し切れずクオンの手を強く握りしめる。強い風が体に打ち付け、髪を揺らした。強い衝撃を喰らいながらもシャンデリアの端を掴む。片腕を引き上げてジェシカを上に投げ、軽くなった体を持ち上げた。今にも落ちそうなジェシカの腕を引っ張り、天井との接続点を掴んだ。

悪魔は重力に縛られないためシャンデリアの上に乗っても落ちはしないが、揺れることには揺れる。

「鎌返すよ。ここなら異形の注意もあっちに向くはず、本体を見つけて。ゆっくりでいい、まずは落ち着いて、呼吸を整えて視るんだ」

「は、はい……」

シャンデリアが大きくてよかった。こちらに注意が向いていないか銃を握りしめ、ひたすらに視線を巡らせる。下の二人は苦戦しているようだが、まだ大丈夫そうだ。

「ぁ……あそこに……!」

「副委員長!!」

ジェシカが震えながら指差した方向から彼らを遠ざけ、クオンは彼女をそこに置いたまま空中に身を投げた。

「クオンさん……!?!?」

「君はそこで指示を出して、絶対降りるな!!届かないから!!」

先ほどから腕を観察していたのだが、関節の数には限りがある。計五つまでしか一つの腕に組み込めないようなので、とても天高いシャンデリアには届かなかった。

棚の上に着地し、それと同時に前かがみになって低く跳ぶ。風を切る音が耳に響き、壁近くで急旋回しジェシカの言っていた方へ向かった。

「あ、もう少し右、えと二時の方向です!!」

「了解!」


ピー……___


バッジから甲高い音が鳴る。

「ドーイが……!!」

喰われました。



続いてもう一度、ピー……と音が二重に重なる。無機質な死の通達に血の気が失せる。鳩尾が冷え、足元にぽっかり穴が開いたようだった。

『ク、クオ……ンさん』

眼前に迫る腕の壁は、とてもかわし切れるものではなかった。

あぁ、どうして。こんなにも面倒なことが……。

ドンッと強い衝撃が胴体に加わる。そのまま何かにくるめられたまま横に吹っ飛ばされ地面に転がった。薄紫の髪と肩に付着した赤黒い色に、最悪が脳裏をよぎった。

「ジェシ」

「無事かガキ、他の生き残りは」

協会の制服、隠れた目、格持ちの任務課ペンダント__……!

「二級!シャンデリアの上に一人、トゥルー・アイ保持者、それと異形の腕はあそこまで届かな」

「あっそ」

途端脇に抱えられ、二級は一つ跳ぶとシャンデリアの上に辿り着いた。目を瞬かせ口をパクパクさせるジェシカの横にクオンを放ると、そこにいろとだけ残して下に降りる。

「はぁ……?」

何が何だか、疾風怒濤の形勢逆転に驚愕の溜息を落として下の様子を除いた。

「おいレイト、生存者おったか」

「無事ですよ。多分何人か死んでますけど」

そう言いながらレイトと呼ばれたヒトが手に持ったのは、大きな黒い対戦車兵器のような銃だった。いや、大砲?すると横からジェシカが言う。

「ロケランですよ、ロケランですアレ……!!すごい、希少な武器です!適性があるヒトとっても少なくて、しかも二級ともなれば……クオンさん大変、図書館の壁がなくなります!!」

「えッ」

返事をする間もなく爆音とともに腕の断片が砕け弾ける。一瞬屋内がフラッシュが焚かれた様に明るくなり、続いて酷く甲高い音がした。何千もの金属が引っ掻かれた音が同時に叫び、それにノイズがかかる。嫌な声だった。

ふと横に大柄なヒトが現れ、ペンダントは一級のものだ。仮面をつけた顔の下は見えなかったが多分、強い。

「ほら、はよこっちおいで。アイツが図書館ごと吹っ飛ばすとか言うとる」

「ジェシカ!」

反射的に彼女の腕を引っ張り、彼に駆け寄る。すると彼は二人を腕に抱え、次二人が瞬いたときには外にいた。

「スピード……!?」

「お前か委員長って、無駄に冷静やなガキのくせに」

彼が苦笑を孕んだ声で言いつつ二人を地面におろす。その瞬間周囲が真っ白に染まり、無音の中酷い耳鳴りと頭痛が襲った。衝撃はなかった。

「ノイズサン、片付きましたけど。図書館の費用チャラでいいですよね」

正面から声がかかる。それに応える声が頭上から降ってきた。

「お前おれの財産を空っぽするつもりか……?必要悪とは言えど、そこまで木っ端微塵にする思わんやん」

「幻を使うと聞いたので」

「何やねんそれ、委員長お前か」

立ち上がると、彼は随分と大きい。おまけにどことなく圧を感じ、ジェシカは感動で目が曇っているのでまだ気が楽だった。

「はい。助けていただきありがとうございました、それと要請後の検査についてですが」

「あーはいはい、子供のやることちゃうわ。教員全員入れ替えてその内しごいたやつ返したるから、書類上は大人にやらせ」

「えぇ……?しかし」

「せめてでもって言えや、語呂悪すぎやねん……!」

困り果てたように苦笑いする一級はレイトに振り向き、肩を竦める。

「こりゃ予想以上やわ、大したもんやけど年齢がな」

「ですね、猿真似でもなし。いっそ所属させたらいいんじゃないですか」

ほとんど無関心な様子で一級を一瞥し、続いて安心させるように二人の頭を撫でた。

「はい、お前ら帰ったら説教な。ガキがやりすぎ調子乗るな。あと死んだヤツの名前は」

行動と台詞が相反しているが、口調の割に穏やかな声音だった。微妙に冷たいような、無関心さも混じっているが悪いヒトではなさそうだ。

「副委員長のレイ・スミス、書記のドーイ・エイベルです。それと、失礼ですがこれが防衛委員会の仕事なので……」

「いやいやキッズやん、見事な。防衛委員会はええけど、そのまえに老い先短そうな大人おるんやから生贄にすりゃええんよ」

「あの治安悪い言い分は聞かなくていいからな、ほら帰るぞ」

「ロケランで吹っ飛ばしたヤツに言われたかないわ……」


『歪と原罪』

*膢が綴$%た。



























間違った道。


歪の花。


_______________

Xの人気アンケート、クオンくんがトップに輝きました!

アンケートで好きなヒトに投票していただければ、もしかしたら意外な一面が知れるかも……?

是非見に来てくださいね!

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