10.5話 箍を外す萌芽
下準備という名の休日
あの後、ノイズは図書館中をふらふら立ち読みしつつウルを探すも徒労に終わった。クロヴンはずっとひとところに座っているし、他の客も少ないというのにウルだけが見当たらない。
もしかして、図書館にいないのではないか?そう思うのも無理はないだろう。黒い天井を仰ぎ、ウルもこんくらい遠いんかなぁと思う。
(あ~、そういや神話とかなんとか言ってたな)
辺りを見回しながら何処かに地図はないかと端の方までまた歩き、長い廊下をひたすら歩いていく。そもそも彼には聞きたいことが山ほどあるのだ。それは勿論の事、そうでなくともまだ曖昧な点が多すぎる。
まず第一に、暗示だ。その具体的な効果と作用、今の状態について。そして世界の層やトライアングルの目論見、修復者やマリオネットにバグや情報屋……。
その他にも重要な問題は、両手の指でも足りないほど発生している。
「神話は……二階って、ここやんけ」
さっき見て回ったが、このフロアに彼はいないようだった。マップを凝視するも、有用な情報はなさげだ。
ということはだ。目的がなくなってしまったので、素直に本を読むしかないわけである。
そう思ったところで胡乱気に踵を返し、単調な廊下を奥へ奥へと進んでいった。何故いないのか?偶然にしてはできすぎている。頭をもたげる疑問を周回し、それでも飽き足らず思いつく限りの可能性をピックアップしては全て落ちて行った。そんな無駄な作業工程を頭の中で組み立てては崩しを繰り返す。
適当なところで角を曲がり、暖かい色の照明の下で歩を進めた。協会ほどではないがここも想像以上に広い。とは言いつつ、ここに来たのも何回目かすでに分からなくなっていた。
△▼ △▼ △▼ △▼ △▼
「あ、ウルもういるよ」
「マジじゃん、はえーな」
ライベリーとクオンは言われた通りの時間五分前に噴水に辿り着く。そこには見慣れた噴水広場が、そして透明な水飛沫を眺める灰色髪のウルがいた。
見た所ノイズとクロヴンがいないので、彼だけ先に来ていたのだろう。確かに、ジャラを一人で放っておいては大変なことになりそうだ。
「ようウル!ジャラはまだっぽいな」
後ろから声をかけると、ウルはふとしたように顔を上げる。そして緩慢な動作でこちらに振り返った。
「お疲れ。二人共本に食いついてたからさ、そっとしておいた」
「あの二人本好きだもんねー、あと三分くらいだしすぐ来るんじゃない?」
「だよな。大体噂をすればノイズ辺りが背後にっ__!」
と振り返れば本当にいるのだからたまったもんじゃない。
「うわっ!?こわお前」
「いやいやめっちゃ期待しとったやん自分、せっかく出てきたったのに」
「それを有難迷惑って言うんだよ」
「ジャラなら喜びそうなものだけれどね」
いつの間にかクロヴンも現れ、あとはジャラだけとなった。話が難航しているのだろうか。
噴水が輝く。街の生活音や喧騒が響き、ジャラらしい気配はまだなかった。
「つーかさ、ウル。暗示って結局俺らにどう作用してんの?」
ライベリーが尋ねれば、ウルはいつもの柔和な微笑みを浮かべる。
「クオンと話してた通りだよ。怯みを造る、まぁ心がある限り誰しも怯めば脆弱になるからね」
そう言うと、ウルはにっこりと目を細めて彼らの目を覗いた。左右で色が違うのはともかく、問題は瞳孔の形だ。左右で色も大きさも形まで違うので左右で別人のように見えるのがまた、彼らの恐怖心を煽った。
「僕は君達とは相容れない存在だ。君達のその怯みその証拠だよ、逆もまた然り……怯みのない僕は大抵偽物って判断できるから便利でしょう?」
「マジで言うとるん?人狼便利やな~」
さっきの暗示の考察内容と言いその『怯み』と言い、全くもって万能な種族である。ノイズの言動にも今回ばかりは頷くしかない。
それ以前にまず、人狼という存在にまだ実感が持てていなかった。いや必然的に理解してはいるのだが、それでも妙に馴染んでいる彼に違和感らしい違和感は持てなかった。
そういえば、とクオンはふと思う。
「ねぇ、クロヴンは暗示作用なかったの?なさげだけど」
彼らだってほとんど変わらないが、にしても彼の代わり映えなさにはほとほと呆れる。
「ないよ。まぁ自覚がないとも言えるし、僕はあまり認識できていないからね」
「逆に心配なるやつじゃん、ゴー精神科案件」
「無理やろ手遅れや」
「偏見がすごいんだけど」
くだらない話が勝手に流れ始めた緩い空気。それを一気に染めあげる様に、声が響いた。
「ウルーー!!!!!」
喧騒すら制する明るく爽快な声。風切り音を伴って上着を翻し、ジャラが戻ってきたのだ。その手には独特な美しい青い花が握られている。
「見っけてくれたよ青バラ!ほら、見てみて!!早くポスト投函しよ!」
駆け寄って来るなりなんなり随分と騒がしい。何処か小動物を思わせる挙動に、彼らは肩を竦めて噴水広場を後にする。
ジャラはごく自然にウルに近ずくと、何か小さく耳打ちした。それを気に留めることはなかったが、彼から何か聞いたらしいその時のウルは酷く憂鬱に見えた。
「あ、それでコレ投函したらバグのところ行くんだよね?」
ジャラはクロヴンの横に駆け寄り、子犬のように首を傾げる。しかし、その台詞に何処か違和感を感じ、その正体はすぐに分かった。
「君は……ドクターを知っているのかい?」
「知ってるよー、もっちろんね」
至極まっとうなことを言う口ぶりでさらに続ける。
「ていうか、バグはウルのふるーいお友達でしょ?だから僕も知ってるの」
「そういうもんなの?組織的だな」
バラをくるくると回す手を見て気付いたが、ジャラの右手の爪は青のグラデーションがかかっていた。左手は真っ黒だが、一般的な人外の特徴である。
「組織とも言えるんじゃない?一応一貫性はあるから」
「そんだけやと組織名乗んのには弱ないか?もうちょい人員欲しいやろ」
「法人化は?」
「物によるね」
事に人外社会では非合法な……そう、それこそバグのような闇医者だったりと言った者が極めて多い。最早そんな細かいことを気にするようなヒトは少ないが、どうしたものか必要最低限の常識やモラルを失うことはないので一層不思議なものだ。
「ジャラ遅かったけど、何してたの?」
「あ、廃公園にランタン招集したんだけど。そこの鉄の四角い骨組みに座ってた!見晴らし意外とよくてさ、ねぇあれ何て言うの?」
「骨組みつったらジャングルジムじゃね?梯子の集団みたいなやつだろ」
「そうそう、そんなの!」
かなりどころか記憶の断片すら怪しい過去に遊んだような気もするが、大人は皆ブランコに逃げる習性がある。人ヒト問わずそうなのだから、何か原因があるのかもしれない。疲れた現代人にとって、地に足がつかないというのはある種の『自由』を感じるのだろうか。
ただノイズみたいなのがタバコ片手に座っていれば、完全に職質ものである。
「あ、それで!飴玉皆気に入ってくれたみたいだよ、前クオン瓶ごとって言ってなかったっけ?何処に売ってる?」
備蓄用だろう。本人に加えランタン達追加なら、確かにかなりの量が必須のはずだ。
「駄菓子屋で売ってる。その時はライベリーが買ってくれたんだけどね」
「また欲しいなら買ってやろうか?ジャラも」
「年上の尊厳を何とか守りたいとか思っちゃってるから自腹!」
「あ、そういやお前五千代やもんな。どっかの家督かて」
聞き馴染みがあるとしても精々二千代くらいである。トライアングルの平均年齢が二千代なのでそれもそうだが。
固い床を踏みしめ、地下から地上へ上がる。通路が一本通行なのもどうかとは思うが、これで成り立っているので文句は言うまい。
「ポスト何処だっけ?あるか?」
「あるある!あっち!」
ジャラの指差した方、確かに青い花びらがちろちろ燃えている。人込みに流されつつなんとか竈のような郵便に辿り着き、何の躊躇も見せずにジャラは青バラを投函する。その様子に一瞬驚いたものの、バラは呆気なくするりとポストに呑み込まれた。
「あ、これ個人情報は?」
ふと思ってクオンが聞くと、ウルは暖かい笑顔で答える。
「送り主の思念を読み取って勝手に配達してくれるよ。検閲を潜り抜けられる理由の一つだね」
「便利だね、これは面白い」
珍しくクロヴンが興味を示すが、兎にも角にも注射が優先だ。
「行きしか帰りに鬼と会えたらええな、報告楽やし」
「温情が微塵も感じ取れないって」
裏路地に入った途端、あの時の記憶が蘇る。
『目を閉じて』
冷や水を浴びせられたような衝撃を思い出し、連鎖する記憶を封じている内に例の廃ビルに辿り着いた。鮮やかな晴れ空、煤けて黒ずんだ灰色のビル。
「あれ……イヴは?いねーじゃん」
「多分寝てるね。帰る頃にもまだ睡眠中だと思うよ」
「寝るんやああいうのって」
わりと頑丈そうな雰囲気はするが、事細かに彼女について聞くうちただの少女がカンストしていたのも事実だ。
三階の扉はまだ直されていない。ものの見事に外れている。
「てかこれどうやったん?お前ら」
流石のノイズもあまり思いつかない。が、クオンの答えは案外単純なものだった。
「楽刻の雪と僕の風の弾丸で吹っ飛ばした」
「すげぇ、早速連携技生み出してらキッズども」
清潔な廊下の左、例の白い看板が見えた所でノイズは足を止める。
「……何か、すっごい嫌な気配すんな」
試しに少しだけ扉を開き中を覗くと、いた。明らかに機嫌の悪そうなバグが。
「クソが……安静の文字眼球に刻むぞどつきまわそかマジで……」
グラサンをかけているだけあって、目元が暗く中々恐ろしい。
一旦扉を閉じる。
「……これ、行っていー感じ?無理くね?」
その言葉にクオンは首を傾げて肩を竦める。
刹那、扉が壁に激突しめり込む勢いで大きく開かれた。尋常でない負のオーラを背負った医者がこちらを睨む。
「はよ入らんかい、疲れとんねんどっかの離反悪魔のおかげでな……」
恐らくも何もジョーカーの事だろうとノイズは苦笑する。あの策略家に安静を仕込めると思ったら大間違いだ。
などと抜かせば殺されどうなので、大人しく中に入る。流石のジャラも空気を読んで静かにしていたが、一切物怖じしていないところ余程図太い神経の持ち主なのか日常茶飯事なのか正直微妙なところだ。
「なぁウル、ドクターマジ誰状態よ?しかも関西弁なってるし」
無言で部屋の奥に消えたのを見計らい、恐る恐る尋ねてみる。しかし、ウルは微笑まし気に笑っている。
「あぁ、バグって怒ると性格変わるんだよね。元が関西弁で標準語は作ってるんだよ」
「え、そうなんだ。全然違和感ないんだけど」
「何百年かはいるから。まぁちゃんと対応してくれる分面倒見は良いんだよなぁ……長年付き合ってるからわかるけど、バグってめっちゃ優しいし甘いんだよね」
「マジで言うとる?あの状態にジャラぶん投げたらどうなる?」
「僕?」
「多分飴玉与えられて終わるね」
「究極の医者いるわココ」
とは言え、人外を専門に対応する医者ならあれくらいがちょうどいいのだろう。生意気な患者は懲らしめてこそ正義である。
何故なら最悪の場合、死に至るからだ。
途端また扉が壁に衝突し悲鳴の幻聴を感じた所でバグは言った。
「さっさと座って手首出せコラ、貫通さすぞ。昨日と同じ順や」
とりあえず無事に注射を終え、道具を片付け始める内落ち着いてきたバグにノイズが問う。
「壱鬼のヤツらはもう?」
「おう、早朝に来て早々に帰ってったぞ。つーかノイズ、ジョーカーどうにかなんねぇのかマジの話。生命力トカゲなんだが」
「あ、わかるわかる。でもアイツ爬虫類」
言いかけてとっさに口をつぐむ。しかし、既に後の祭りだ。先ほどとは打って変わって非常にいい顔をしているバグを一瞥するなりなんなり、命日決まったわ……と肩を落とす。
「うっわ……アニキに殺されるぞノイズ」
「大丈夫大丈夫、死なん程度に調節して放置やな。満面の笑みで沈められるわ終わった」
クオンの中でジョーカーの評価がどうなっているのかなど考えたこともないノイズは半笑いで絶望するが、話にひと段落着いたと見たジャラは座ったバグの横まで駆け寄り、モニターの画面をのぞき込む。
「お?ジャラじゃねぇか、久しぶりだな」
「久しぶりバグ!!やっぱバグの横って落ち着く!右!」
「おーう方向指定もあんのなご苦労さん。ところでお前ら、錠剤生きてるだろうな?割ってたら死体が増えるぞ」
流石にまだ割ってはいないが、そもそもどのくらいの衝撃で割れるのだろうか。気になるものの割れは死なので好奇心は押さえておくことにした。しかし、ここで有能な最年少がいい働きをするのだ。
「バグさん、錠剤どのくらいで割れるの?」
クオンに対するときは大抵の大人は目つきが和らぐ。彼もまた例に漏れずそうなった。
「あー……これなら握力くらいじゃないか。まだ完全バージョンじゃねぇからな、これも。開発に時間かかるんだよ」
「へぇ……大変ですね」
「全くだ。おいお前ら、この子くらいシャキッとしろよ情けないな」
「クオンはしっかりし過ぎてるっすよ~マジ。暗示解除後これが怖いんだなぁ」
「同感」
「ジャラ、ライベリーが好きなだけ駄菓子屋で奢ってくれるって」
「ほんと?やったぁ、ありがとう!」
そうお礼なんて言われてしまえば、とても冗談なんて言えなくなるのだからこういうところが怖いのだ。
青い花、青い炎。




