1.「アポカリプスのペン」
『黙示録により、シナリオは意味を崩すか?』
「よーいしょっと」
ダンッ ごと、ごとごと
ボウリング玉の要領で、頭が転がった。刃を持ち上げると生温い水音が響き、担ぎ上げる前にその辺の死体から白衣を拝借する。大斧を軽く拭っていると、真っ白な金属が太陽光を反射した。愛用しているサングラスのおかげで眩しくはないが、余計暑い。
「あっつ……」
夏の焼けつくような日差し、頭に響く蝉の声、湿った生ぬるい空気。全てが合わさって、夏特有の気怠い不快感をもたらす。朝からセットした前髪も汗でベタついて、気分は最悪だ。
ライベリーはふと顔を上げ、軽く後ろを振り返って言った。
「やっぱ夏は長期休暇欲しいよなぁ~。こんな真っ昼間から働かせるとか、ブラックもいいとこよ?」
「帰りにアイスでも買ってあげようかい」
「えっマジで?」
返事を期待していなかっただけに、後ろから現れた影に驚きを隠せず振り向いた。白い短髪の彼は198センチと背が高く、軽く見上げる形になる。
「マジか!じゃさっさと帰ろーぜ、アイスが呼んでる」
さっきまでの憂鬱は掻き消え、地面に突き立て寄りかかっていた大斧を掴むも、その一方でクロヴンは室内の段差に座り込んだ。見れば、その手には埃にまみれた紙束がある。斧を置き何だと覗き込んでみると、どうやら人間のプロファイルのようだ。
「子供が生き残っている。実験対象なら、彼も消さないといけないよ」
その言葉に、何よりひとつ前の台詞と何ら変わらぬ抑揚に眉をひそめる。感情が希薄なのは彼の大きな特徴だが、それが時に誰しもを不安にさせた。今だってそうだ。
そんなライベリーの不満が伝わったのか、彼は割と優しく補足する。
「…任務だからね、仕方ないさ」
「わかってら!つーかお前もっと子供に優しくなれよ、俺がガキのときも思ったんだけど」
そう言うと本当に不思議そうな顔で首を傾げられそれ以上の説得を早々に諦める。クロヴンの目は前髪に隠れてよく見えないが、長年付き合いで何となくわかるものがあった。この顔をすると、何を言っても基本無駄だ。
改めてサングラス越しに室内を見渡すも、ただ白い箱のようにしか見えなかった。正確には、影で灰色を纏った白…だろうか。床には散乱した紙束や書類らしきもの、鉄臭い深紅をまき散らす肉塊。
天井のぽっかり空いた穴からは、燦燦と太陽が燃えているのが見えた。嫌なもん見た、と比較的涼しい部屋へ視界を戻す。
「で、どうする?この施設自体あんま広くねーし、廃墟探索するか」
「いや…」
静かに否定し、クロヴンは部屋の奥にある白い扉を見据える。砂埃が舞い陽光が差し込む広い部屋に、扉の軋み音が響いた。
人の仔だ、と思った。
陽の光を反射する雪のような髪、桜を吸い込んだかと思わせる柔らかな桃の瞳。華奢な腕には紫の分厚い本を抱えている。少年は何度か瞬きすると、不思議そうに二人を凝視した。やがて興味も失せたのか、その足元に転がっている死骸に視線を移す。
ただ黙って少年を見守っていると、彼はおぼつかない足取りで二人の眼前の臓物が詰まった人の皮へと歩み寄った。黒いローファーを鏡のように、あるいは水溜りのように赤黒く映し出す液体は波紋を広げ、静かに揺蕩う。
少年は無言で両親の残骸を見下ろした。
ドサッという音と同時に湿った音が零れ、彼は浅い呼吸を繰り返しながらふらついて床に倒れこんだ。痛覚を忘れたように目は骸にくぎ付けで、乾ききってもまだ目をかっぴらく。
いずれにしろ殺す。しかし、何故だか動けなかった。どうせ、どうせ殺すのに。今殺した方が楽だろうに。それなのに、体は動かない。
「……ん、だ。死、んでて」
今彼に起こっているのはエラーだ。現実を繰り返し咀嚼することで、夢かどうかではなく、現実か否かに縋り付いている。
違う、だってこれは夢だから。そう、ほら、これはありえないじゃないか。
そんな言葉が聞こえてきそうな目が、二人と死骸を見比べる。
過呼吸と咳に構わず震えながら後退ると、腕に生温かいモノが当たった。
「うっ…」
皆。そう呼んでいた。
「ぁあ、ああ…やだやだやだやだやだやだやだやだ。違う、死なないで。ねぇ、起きて、死なないで」
目頭が赤く染まり、桜は堕ちて透明な水面に浮かんだ。滲む涙に霞む視界、それより前に記憶した、自分をずらりと囲う鮮明な研究員達の死骸。近くにあった肩を揺さぶり、起きて、死なないでと訴えている。
知らなかったのか。そいつらが研究と言う名目で、何百と言う人間を殺してきたことを。
救いの手を『悪魔』が差し出すべきなのか、でもただの種族名であって、宗教とは関係なくて。
___やってることは悪魔そのものでも?
慟哭がした。そして、気づけば泣き叫ぶ少年に大斧を振り下ろしていた。
「おや…」
おかしい。確かに『空間』に収納していたライターがない。今ライベリーに感情的でない言葉をかければ、きっとまた怒られる。4000歳以上も年下の成人したばっかりの実質雛だが、面白いのでなんでもいい。
あぁ、そうじゃなかった。この施設は木造のはずだが、マッチでいけるだろうか。有難いことに燃えやすいモノなら結構転がっている。
「ほらライター」
そんなことを考えていると、察したのかライターを投げて寄越してくれた。不機嫌そうなネオンピンクの瞳はうねうねの青いマッシュ髪に隠れ、しかし確かな『自我のある光』を宿している。ふむ、良い目だ。
「助かるよ。ところで…」
長居する理由もないのでライターを生温い肉の、黄色くぶよぶよした部分に放り込む。燻ろうとした火は何かに無理に押し上げられたかのように燃え盛って、蛇のように室内を駆け巡った。
「君は煙草を吸っていたかい?見たことがないけれど」
「吸ってねーし。ノイズが俺の部屋でぐだぐだぼやいた後忘れてったヤツ」
どうやら八つ当たりをするだけの元気はあるようだ。
その頃、ノイズ
「あれ?ライターどこや?」
「ライベリーが持ってったよ」
「あぁそうなん?ありがとクオン」
クオンは何故知っているのか、あまりの兄バカで気づかないノイズだった。
△▼ △▼ △▼ △▼ △▼
「だ…か…らあぁ~~」
バンッと机を叩きクオンは怒鳴り声をあげた。
「違うって言ってんでしょー----!?!?!?!?」
久しぶりに本気で怒らせたことを自覚してか、ノイズは思わず肩を竦める。パソコンのデータを消去したのはこれで百回目だろうか。
「だっからノイズは間抜けとか言われんの!保存方法、何回も教えたじゃん!?これ逆、ま、ぎゃ、く、な、の!!」
「悪かったって…いたっ殴らんとって!痛い痛い痛い!ごめんって!」
そこに、クロヴンとライベリーが扉を開け、帰宅を告げた。部屋に入ってくるなり苦笑するライベリーを余所に、クロヴンはソファに腰かけ何処から出したのか本を開いて読み始める。
「お前らまた…どーせノイズが消去パーリナイしたんだろ?」
「これで祝三桁、僕全部数えてるから……!」
「ライベリー助けてくれぇ!クオンが離してくれ__いだっいっだぁ!?ちょコレ骨折れたやろ!?」
「別に瞬間再生するからいいでしょ。あと九十九回折ってやる…」
「ライベリィィーー--ッ!!!!」
迫りくるクオンに悲痛な声を上げるも、ライベリーは半笑いでその様子を眺める。なにぶん身長差が大きいのではたから見てもハムスターが獅子に嚙みついているようにしか見えないが、やはりノイズはクオンに甘いのかもしれない。
しかしライベリーの経験上、ノイズは単純明快阿呆である。自分の体の大きさと認識がマッチしていないのは明白、ただやたらと鋭い指摘を繰り返し、更には突然背後に現れるなどといった嬉しくないイベントを起こしている。流石暗殺担当なだけはあるというものだ。
一方相方であるクオンは現在進行形で鉄槌を下しているが、こんな風に暴走するのは珍しいことだ。普段は可愛げこそ皆無なものの、最年少ながらに坦々と任務をこなしている類まれなる人材である。体は小さいが銃の扱いは一級品、百発百中の天才肌である。
「あぁ~、クオンやっぱちっさ…逆によくノイズにぶん殴りにいくよなぁ」
「信頼から来ているんだろうね。ほらごらんよ、もう怒気が消え失せている」
「だってなんか、虚しいじゃん。覚えてくれないし」
「結構刺さるなその文句…まぁ、確かにクオンって小さめやな。悪魔って高身長の傾向あんのに」
種族的特徴の一つで、悪魔は身長が高い者が多い。たいていは190センチ前半か一歩手前ほどだが、クロヴンの場合長寿が過ぎるので例外である。
そんな化け物だらけの中で、まだ成人していないとはいえクオンは小さい方だった。
「少食だからじゃね?もっと食え成長期」
「無理。死んじゃう」
「そういうライベリーはめっちゃ食べんのに180やん。どうカロリー消費しとんねん」
「お前らの後始末だわ、あと一センチ足りねぇぞ」
「誤差の範囲内じゃん?十分高いし」
「そうかい?年齢的に、もうこれ以上伸びる見込みは皆無」
「うるせーな!皆無とか言うなよ悲しくなるだろ!」
「気にしとったんかいな」
途端三人が笑い声をあげるものだから、ライベリーもすっかりぼやく気をなくし笑みを零した。
とりあえず紅茶でも淹れようかとポットを手に持つも、今朝注いでおいたお湯がもう消えている。きっとクオンとノイズが暇つぶし程度に飲み干してしまったのだろう。じゃあ入れておけという話だが、そんなことが実現したら怖い。
「お湯沸かすか、紅茶飲む?」
「あ、飲む飲む」
「おれも~」
「僕ももらうよ」
やはり聞き分けというか、話はちゃんと聞いているのだからいい。こういうところだけは大人だ。
(…あれ、大人の基準ってこんな低いっけ?)
それはさておきとポットをテーブルに置いたその時、背後からガチャリと鋭い音が響いて風が吹いた。
驚いて振り返ると、鍵をかけていた窓が勝手に開いている。そして外から肩で息をしている少年が入ってきた。協会二級のペンダントを首にぶら下げている銀髪の彼は、確か任務課二級のヨーク・ノルアードだ。
「すみません、品が、ないですが…失礼します!緊急任務、一級…招集の伝達、です」
どうやら、本部からここまで走ってきたらしい。礼儀正しいのは結構だが、流石に息を整えるくらいして自分を気遣ってあげて欲しいものだ。
「緊急?それより大丈夫かヨーク、ちょい休んできよ」
「いえ、今から戻らねばなりませんので…協会は絶対ですから」
そう言うなり窓から力なく背中から落下する。ライベリーとノイズが慌てて窓際に駆け寄り下を覗くも、そこにはもう誰もいなかった。夢のように過ぎた一瞬だったが、さっき戻ってきたばかりのライベリーとしては招集なんて蹴ってやりたいものである。
「じゃ行こ、はやくはやく」
窓枠に肘をついて眼下に広がる森林を眺めるライベリーを余所に、クオンはタブレットを収納して扉に手をかける。
「めんどくさいー!行きたない!」
「じゃおいて行くか、クロヴン行こうぜ」
「そうだね」
「嘘待って待って」
「ヨーク、緊急任務って?緊急で一級総動員ほどなの」
観測塔に息も切れぎれでたどり着いたヨークを見つけ、相方のレイト・C・ベイルはペットボトルを差しだして尋ねた。ヨークは包帯に巻かれた目を地面に落としそのまま座り込む。
「ありがとう…。事の詳細までは」
「そう。平和な方がコッチもサボれるっつーのに」
苦笑いでペットボトルを受け取り、その表面が僅かに温かく感じた。風が冷えているからだろうか。
「ですけどね…ただ、捜査課から通達はないんですよ。協会本部の独断かも」
その言葉にレイトは顔をしかめ、ほんのり白く染まった遠い空に目をやる。この調子だと本部に探りを入れるなどととんでもないことをしかねない。慌てて口を開いたヨークを手を振って制止し、黒い布で覆われた目を彼に向けて静かに言った。
「しばらく様子見。お前は気が早すぎだよ」
「そ……うですよね、よかった」
安心とともに顔を上げ、しかしそこにレイトはいなかった。気が早いのは一体どちらか。口元に笑みが零れ、ふと背を預けていた柵の向こうを見る。
もう夕暮れのはずなのに、空は早朝のように顔色が悪い。風は強く顔に吹き付け、蒸し暑くもそれだけが冷たく居心地が悪かった。このままでは風邪をひいてしまいそうだ。
「…あぁ、どうりで」
手に持っているペットボトルには、ポップ体で『はちみつれもん』と書いてあった。
△▼ △▼ △▼ △▼ △▼
------協会本部 本館3F中央広間
「…帰りてぇ」
「同感やわ」
あれから本部にたどり着き十分ほど。待てど暮らせど、広大な空間に一向に変化は訪れない。クロヴンのように立ったまま睡眠ができればいいものの、ライベリーはそんな器用さは持ち合わせていないので待つしかない。そんなわけで騒がしい二人を眺めていたのだ。クオンはタブレットでゲームをしているし、ノイズはその横でタバコ片手にちょっかいをかけている。
「うわ~、よくそんな使い方できんな。どうやってるん?」
「タッチしてるだけだけど……?」
ドン引き通りを越して恐怖の感情が顔に浮かんでいる。この二人を観察してても面白いのでは、という思考が五分前だ。
(にしても……)
ガラスで構成された空間にはいつまで経っても慣れやしない。黒い宝石のような壁には銀の燭台が備え付けられており、室内を煌々と照らし出している。漆黒の柱にはグレイのツタの装飾が施されており、所々目玉の模様が組み込まれていた。首が痛くなる程高い天井も同じくとろりと黒に染まっているが、床だけは真っ白な大理石が埋め込まれていた。というのも、表面はやはりガラスで覆われているからだ。
ただ白一色というわけでもなく、大理石の部分に明るめの青い光が走っていた。中央に立っているとわかりづらいが、床には青く巨大なトライアングル…つまり正三角形が二重に刻まれている。これが防衛本部(鬼)だと赤、同盟本部(天使)だと金で刻まれているとか。
(よくやるよなぁ、厳重でいいけど…)
これら全て、『呪紋』の一種だ。
『呪紋』は『呪文』と違い、人外のみが使用できる魔術的なものだ。オリアビとは違い、才さえあれば誰でも扱える。ただ本物の『魔法』や『魔術』と違って儀式や大掛かりな準備が必要なので、こういった建築に組み込まれたりが一般的なのだ。
そんなことをぼ~っと考えていると、水面に墨を垂らしたようなモノが視界の端に移った。
「あっカラスじゃん。やっと来た…!」
その墨はカラスの形状を成し、幽霊のようにゆらりとクロヴンの肩にとまった。二人もライベリーの台詞に気づいたらしく、いつの間にか目覚めたクロヴンがカラスから手紙を受け取る。
それを見るなりノイズは口をへの字に曲げた。
「手紙?来た意味ないやん……」
「中央広間は転送装置そのものだ。遠征にでも行くのかもしれないよ」
そう言いながらペーパーナイフで封を切り、手紙を広げ読み上げる。
「一級隊員へ通達する。観測部の報告、ロンドンにおいてマガの反応とは異なる未知の反応が検出された。これに基づき、以下の任務を命ずる。対象の調査を実施し、必要に応じて生死を問わず確保、連行せよ。また、意思疎通が可能である場合は手段を問わず会話を通じて情報を引き出すこと。後、本部へ移送せよ。本任務は最優先事項とする。協会は絶対である、迅速かつ確実に遂行せよ」
読み終えると同時にカラスは煙のように消え、手紙は地図に変わっていた。ロンドンの地図だろうか。
「ロンドン。すぐ横なのに最近行ってなかったね」
「ここカンタベリーだろ?…西か、ついでにどっか寄るか」
「ええな、ご飯食べてこ~や!」
「賛成!僕タルト食べたいな~」
言いながらクオンはてってと壁際まで歩み、灯っていない蝋燭から黒いコードを引っ張り出してタブレットに繋いだ。機械ならライベリーの方が強いが、好奇心旺盛な年頃なのでクオンに度々譲っている。彼はタブレットをいじりながらふとしたように続けた。
「そういえば、ロンドンって五百年前天使が堕ちた所だよね。今も行方知れずって」
「あ~、結構長寿だったって聞いたわ。今頃どうしてんのかな」
当時は三人とも子供かそれ以下だったので詳しくは知らない。今も暗黙の了解でとして口に出されることは少ないが、歴史に刻まれる大災害、それどころか『災厄』だったと語り継がれている。クロヴンを除いた前の一級もその時に絶命したのだ。防衛本部や同盟からも壱鬼、壱翼を含む戦闘員が総動員されながら重大な損害を被るも、その堕天使はこの世界の何処かへ消えてしまったとか。
「彼ならまだ元気そうだけどね」
あまりに突然な言葉に、三人の視線がクロヴンに集中する。
「…どういうこと、知っとるん?」
「もちろん。彼は僕と同年代の友人だ」
同年代ということは、つまるところ5000歳以上の堕天使ということだ。とんでもない化け物である。
「へー、そうだったんだ。すごいね、そんな長生きしてるヒトがまだいるとか」
人外には基本寿命というものが無い。それでも年々人外達が若くなるのは、それだけ彼らの世界が混沌としているからだろう。強く賢くいなければ明日の日の出は拝めない、人望がなければ淘汰される、だから『組織』一つ一つも強大なのだ。
そしてその頂点に君臨しているのが『トライアングル』である。悪魔の団体『全国悪魔協会』、鬼の『鬼遣防衛本部』、天使の『神使総員同盟』、この三つの組織は互いに監視し合い、言わば『円卓状態』により均衡を保っている状態だ。
すると、タブレットを忙しなく叩いていたクオンが唐突に固まる。
「…あ、ごめんライベリー。話聞いてたらノリで起動しちゃった」
「え、ちょ嘘待っ」
悲痛な声とほんのり青い煙を残し広間には静寂が舞い戻った。
___まるで、初めから何者もいなかったかのように。
△▼ △▼ △▼ △▼ △▼
------ロンドン
夜の街には先ほどまで雨が降っていたらしく、四方八方に伸びる通路を冷えた霧が徘徊していた。ぽつぽつと黄色く灯る街灯だけが、頼りなく大通りを照らし出している。そんな、風にすら忘れられたような霧張り詰める夜道に、四つの影がぼんやりと現れた。
「うっ……気持ち悪……待って、無理っ……」
「装置で酔うヤツは稀やけど、まさかライベリーもとはなぁ…」
もともと乗り物酔いが酷い彼に、急な転送は厳しかったようだ。ぐるぐると脳を搔き混ぜられるような感覚に、胃が締め付けられる息苦しさ…。更には暑苦しい中に冷えた霧、悶え苦しむ肌と体内の温度の差。それほど辛くもないはずなのにいっそ殺してくれとでも零してしまいそうだ。
「可哀そうに、アイスの話も忘れてただろう?」
「今それ言うかよ!…ゔっ」
「あぁほら、少し休みなって。大声出さない!」
優しいのか冷酷なのかよくわからないクオンが背を撫でてあげるも、酔いはしつこいらしく一向に治まりそうにない。
とりあえず瀕死のライベリーを引きずり、地図に記されている印の場所を目指してロンドンの古風な街並みを歩いてゆく。白く繊細な彫刻そのものが巨大化したような建物が続き、それが終わると近代的なガラス戸の図書館が見えた。そこを通り過ぎた所は店が立ち並び、暗闇のショーウィンドウは影絵のように沈んでいる。遠い向こうには時計台がぼんやりと浮かんでおり、そこまで全力で走ったらどのくらいかかるのだろう、と思考の片隅で好奇心が囁いていた。
雨上がりのせいか視界いっぱいに灰色の霧が広がり、一歩踏み出すたびに湿った音と硬いブーツの音が響き渡った。時計は二時を指しており、それを考慮しても街は異様なまでに静まり返っている。
それから少し経ち、四人は漆黒の森の入り口にたどり着いた。装飾が施された、アンティーク調の黒い鉄の門は固く閉ざされているが、重力に縛られない悪魔には段差と何ら変わりない。ライベリーを押し上げ引っ張り、何とか四人は深い森の中へ侵入した。
森は街よりずっと暗くしかし、霧は晴れている。土に浸み込んだ雨の匂いか、それとも緑の蔓延る深い木の葉の香りか。肺を満たす新鮮な空気は酔いまで鎮めたらしく、ライベリーも自力で歩き始めた。
しかし、そこでノイズが眉をひそめて呟く。
「……マガ討伐って、防衛本部のヤツらと連携やんな。異常の調査にせよ夜更けにせよ、人に見られたらどないすんの」
慣れない静けさのせいか、その台詞はいつもの声より新鮮に聞こえた。彼の言葉にのみ集中できる環境と意識が揃っていたからだろうか、普段が聞き流しているに近い会話だとすると、今は本質をより身近に感じて話をしているような気がする。
「マガは世界に干渉するモノで、それと同じような能力を持ってるだけでレーダーに似た反応として映る…だよね?」
「そうそう。まあ、マガでした~、って結果しか聞いたことねぇけどな」
「懸かってるもんが重いからなぁ~…、気ぃも抜いてられへんて」
欠伸をしながら言われても説得力がないが、その通りだ。
マガの正式名称は『魔廻物』(まがいもの)。この世界に存在してはならない、言わば世界に侵入してきたウイルスみたいなものである。討伐は基本協会任務課が請け負っているが、人目に付く可能性があるので記憶に干渉できる防衛本部の鬼と連携で行われるのが一般的だった。
「でも、件の話じゃ『類似した反応』じゃなくて『異なる反応』じゃん。何もなかったらいいけど」
「僕の知っている限り、そのワードが使われたのは一度だけだったね」
妙に低い声でいうものだから、三人して首を傾げる。
「二度目ってことか、そん時はどうやったん?」
「長くなるよ。聞くかい?」
三人が好奇心旺盛な目で頷くと、彼は僅かに口角を上げて、泥沼のような模様の黒い曇り空を見上げた。
「あれは…」
___あれは、六百年前のことだった。
例の天使が堕ちる前の、そして堕天したキッカケともなった事件だ。
『暗示と示唆』
歯車が呟いた。
青みがかった満月が、ロンドンの広大な街並みを柔らかく照す。優しい風に吹かれたクロヴンの白髪は仄かに虹に輝き、前髪に隠れた瞳は時計台から行き交う人々を無感情に眺めていた。
そんな夜、天使と悪魔が出会ったのだ。
涼しい風と乾いた空気の中、凛と澄んだ声が背後から降る。
「綺麗だなぁと飛んで来たら、まさか先客がいたなんてね。しかも悪魔、びっくりしたよ」
何の気配もなく、風が揺らぎすらしなかった。唐突に声をかけられても軽く後ろを振り返ったに済ませたクロヴンに、天使は少し悲しそうな顔をする。
「…天使かい。どうやら勤務中でもなさそうだ」
途端その美しい天使は顔を輝かせ、嬉しそうにクロヴンの横に座った。
粉雪よりも白い白銀の長い髪は一つにまとめられ、それでも腰を下ろすと床に垂れてしまった。声が幼げな割に自分とほとんど変わらない背丈、天使にしては純粋な笑顔、そして深い森よりも緑に輝く、鮮やかな瞳。
「おや、君は本当に天使かい?そうは見えないねぇ」
「しっつれいだなぁ!僕は正真正銘、本物の天使!ねぇ、僕は同盟特翼のトゥルー・フロート。君は?」
天使の瞳は必ずと言っていいほど白い。そして、機械のように無機質な性格のものばかりだ。いかにクロヴンといえ、彼には心の底から驚くばかりだった。ただ、協会の動向を探ろうとしてきたとばかり思っていたから。
「先に名乗るなんて、天使にしては礼儀がなっている……。僕はクロヴン・ジョーカーだ、協会特位」
「ジョーカー?僕の知り合いに同じ名前のヒトがいたよ。あ、そうだ!あんまり他のトライアングルと会話できなかったから、悪魔とまともに話すの初めてなんだ!色々教えてよ、僕らのことも話すからさ!」
話すから、ではない。クロヴンが同盟についてよく知っているのもこの時のおかげだが、いきなり質問の雨でなだめるのに苦労した。
それから会話を重ねるごとに、クロヴンも少しづつトゥルーに興味が湧いてきたのだろう。気づけば月日は流れ、ほとんど毎日トゥルーと過ごしていた。任務の時にちょっかいをかけてきたこともあり、何かあれば連れまわされと毎日がお祭り騒ぎである。まるで何百年、何千年と昔から一緒にいたかと錯覚するほど、長寿と時代に飽きる暇もないほど彼は底抜けに明るく、面白かった。人外と言う鬱憤の世界で、彼は純粋だった。
いや、楽しかったのだろうか。
その時は、何故か特位と特翼に任務が与えられた。
そしてロンドンの薄暗い街並みを歩き、森にたどり着き、その奥にあったモノはまさしく『悪夢』であった。
いや、その地面にぽっかりと誘い込むようにして口を開けていた100mはある大穴は、本来眠る場所のはずだったのだろう。本当の悪夢は、異様なまでに黒いそれではなかった。
不用心にも、燃え盛る烈火のごとく、赤く光を放ち始めた大穴に近づき過ぎたトゥルーこそ真の悪夢だった。
一瞬、彼の体が人形のように見えた。藻掻き苦しむように地面に膝をついた彼は突然狂ったように嗤い始め、異質なまでに大きな翼が突如純白に咲く。それも白い素朴な布地に水が浸み渡るかのように徐々に灰に染まり、刹那見えた瞳はアメジストのような紫に染まっていた。
そして蜃気楼のようにゆらりと立ち上がり、半ば上の空で彼は呟く。泣いていた。こちらへ振り向いて、虚ろな目で言ったのだ。嗤っていたのが嘘みたいに、掠れた声で。
「……思い、だした」
何が起こっているか理解できず、何より本能が近寄るなと警鐘を鳴らしていた。再度闇に染まった大穴ではなく、トゥルーに。
そして彼はクロヴンに背を向け気づいた時にはもう空へ舞い上がり、向かっている先はロンドンの街。
追いつくことはできなかった。飛べないから。
辿り着いた時、眼前の街はとっくに美しい蓮華の炎を咲かせ、阿鼻叫喚の図と化していた。地面は砕け、獣の爪痕のような亀裂が建物から何からまでを破壊している。人間は絶望の中に叫び声と命を落とし、更には黒い霧のような化物『マガ』が街中のいたる場所を徘徊していた。悲劇と憎悪に濡れた街は、見るも無惨な光景だった。
上空で地獄を見下ろすトゥルーに、決して遠くない過去が重なる。優し気な面影はもう何処にも亡かった。まだ間に合えば、と淡い希望を持った。
今の彼に近づいても恐らく無駄だ。ただ何も考えないで、付近のマガから手を付ける。
あの心根まで天使だったトゥルーにこんなことはできない。魂の回収ですら涙目になって、残された死体に優しく声をかけていたような子だ。こんな、こんなこと……ありえて良い話じゃない。
彼は自分のような、無感情な目はしない。
ひたすらに地獄を駆け回ってトライアングル総動員で応援が来たとき、クロヴンはやっとトゥルーに接近することができた。しかし、それは彼がトライアングルからも、クロヴンからも離れてしまうことを決定づけた行動だった。
悪魔は重力に縛られないと言えど、実体を持った存在である以上非科学的な『重さ』は付き纏ってくる。それは『メモワールフィルム』という記憶が重さを持った状態のことであり、精神の問題でもある。
会話はなかった。ただ、彼は去り際にこう言った。
「君は…来てはいけない。お願いだから。僕はもう、ボクじゃない……絶対に、来るな」
『おもいだしてしまったのさ』
「…そして同盟には特翼という最大の戦力が欠け、その頃から格持ちの名前は公開されなくなった。今まで以上に協会や防衛本部との関係を拒絶するようになったのさ」
静かに話を聞いていた三人に目を向ける。あの時に死んだ仲間の顔も声も体温も、クロヴンの中にまだ燻っていた。
あぁ、なんてことだろうか。君たちが消え失せてしまったばっかりに、これほどまでに若い子達が、未成年をも含むこの子達が非常時に命を絶たなければならないのだ。
しかし、彼ら以上に能力が高い者も協会にはいないのもまた事実だ。あの災厄以来珍しく続いている平和が少しでも長く保たれることを、ただ祈るしかない。
そんなクロヴンの憂鬱を余所に、三人は血の気が引いた真っ青な顔で不吉なことを想像していた。
なら、今回も。
そこでピリオドを打つのにどんなに苦労したことか。すると、クオンがその場を誤魔化すようにして言う。
「…でも、その後大穴の反応はレーダーにも登録されたんでしょ?今回は違うし」
その言葉に二人の顔色も良くなってゆく。少し考えればわかることだ、虚妄に心臓を凍り付かせるなんて一級としてだらしない。
「確かにな。一回経験済みのクロヴンもいるしぃ、大丈夫っしょ!」
「やけどさ、世界に干渉するモノがマガでそれ以外は干渉能力なかったよな?空間がせいぜいで…下手したら、なぁ」
「お前兄バカのくせして、クオンの努力を潰すなよ…」
「えっ……あッ!」
鋭い指摘をする割に鈍感も一流だ。もう鈍感なのか敏感なのか、何が何だかわからない。ただシリアスな問題を抱えている今、クオンも怒ったりはしなかった。この空気を読む能力を少しでいいからノイズに分けてやって欲しいのだが。
「でもさ、二人は知らないけど僕は『そういえば一級だった』って感覚が強いんだよね。クロヴンとか見てると、特位だけど一級の部類なわけで、コレと同列って言われても…」
「あ、わかるわかる。ちょっとどころか化物だもんな。そのおかげで、何か安心感半端ねーっつーか」
「トップ2とか言われてる身としても差開きすぎてちょっと信じられんもん、そらそうなるて」
「まぁ。君達が若いせいだろうね。千年後には立派な一級さ」
「俺らを認めてないということが発覚した」
少し間を置き、四人の笑い声に静寂は引き裂かれる。が、そこでふと真剣な顔に戻ったクオンが手でそれを制止した。観測部からの通知をイヤホンで聞いているようだ。
「……まだ反応があるって。100m間隔をぐるぐる回ってるって……」
「100!?…それって」
その言葉に立ち止まって目を合わせる。強い風が吹き、木の葉の擦れる音が彼らを取り囲んだ。
「…急ごうか」
クロヴンの台詞を合図に、四人はあの場所へ走り出した。
そんなわけがない証拠もある。しかし、逆もまた然りが現状だ。
走っている方が歩いているときよりも周囲の音がよく聞こえた。彼らを嘲るようなカラスの声、笛のように低く響き渡るフクロウの言葉、風に煽られては揺蕩う木々。まるで森全体が一つの生き物のように揺れている。静かな森に響く音、それはあちらこちらで反響しやけに大きく聞こえた。
そして音無く走る彼らにもその声は届いた。
「この先に行かない方がいいよ」
鈴を転がしたような、しかし深みのある中性的な声が上から降ってくる。
「木の上や…!」
その方向を見上げた瞬間、灰色の雲から満月が姿を現しまっすぐに純白の光を射た。暗闇から唐突に白く世界が姿を現し、掠れた視界で何とかその『ヒト』を見つける。
その姿は逆光で灰色に染まり、黄色く浮かぶ色素の薄い右目と、水面に映る深い森の左目が彼らを見下ろしていた。目が、ソレの異様さを決定づけた。
「君達は、この先に行かない方がいい」
そう繰り返した『ヒト』については何もわからなかった。彼らの誰もが知らない種族だ。
「……誰、そこで何してるの?」
「暇潰し……いやどうかな、違うのかもしれない」
思いの外、クオンの問いにソレは答えた。口調や雰囲気、気配から敵対しているようには思えない。もしくは、敵として見られていないのかもしれない。
「暇つぶし……?で、あんた誰?」
答えると思って聞いたわけじゃない。だが、ソレは何の躊躇いもなく口を開いた。
「聞くときは自分から名乗るのが礼儀じゃないの?まぁいいけど……」
そこで少し黙り二つの目が四人を見定めるように動いた。それもつかの間、ソレは言葉を継ぐ。
「……僕は、友人からは『ウル』って呼ばれてるよ。それで?君達は何してるの、悪魔達」
僅かに目を細め今度は彼から質問が来る。何を考えているかなど予測する気もすっかり失せ、ただ木の上から音もなく羽のように降り立った彼を凝視するしかなかった。
ウルフカット染みた髪は明るい曇り空のような雨の降る灰色、その目は異様な光を宿し彼らを見返していた。光のない黄色の目は狼のような、見れば見るほど魂の籠もった色を宿し、真っ黒の瞳孔はやけに小さい。緑の方はこちらから見て右のほうで、水を通して深い森を覗いたような輝きを閉じ込めていた。
背はそれほど高くなく、クオンより少し低いくらいだった。少年のようだが決定的に違う何かがある。童顔に丸い瞳、しかし隙を感じさせる『隙』もなかった。首には銀に輝く三角形のペンダント、そしてミストブルーのTシャツに白いパーカー。その頬には、人外に刻まれるシルシがあった。
三角形がかみ合う、牙のようなそのシルシの型に見覚えはない。特に規則性があるわけではないが、やはりシルシには種族ごとで一定の傾向があるのだ。
「俺らは任務で来たの。そしたら目的地にあんたがいたわけ」
「あの大穴の近くだ、君はとても怪しいのさ。迷惑をかけるけれど、本部までご足労願えるかい」
クロヴンが補足する。ウルと名乗る人外はしばらく考える素振りをみせると、クロヴンの申し出を無視し四人に問いかけた。
「君達は、そもそも『大穴』が何か知っているかい?」
「大穴自体がって?…ホントだ、大穴って何?光が人外を狂化させるんじゃ」
意表を突かれたことにより冷静さに僅かな隙間が現れ、増えた疑問がそこを埋める。それを警戒心が振りほどき、一旦考えるのを放棄した。今は任務が最優先事項だ。
「で、それが何なんや?」
ウルは少し口角を上げ、面白そうに微笑みを浮かべた。いや、微笑みなんて良いものじゃない。笑みだ。
「狂化…惜しい。大穴っていうのは、」
_______世界の真ん中からの、メーデーなんだ
△▼ △▼ △▼ △▼ △▼
「『世界の真ん中』?どういう意味なのか全っ然わかんないんだけど」
「さっき、狂化って言ったよね」
ウルの問いにクオンは頷く。任務通達には『情報を引き出すこと』とも書いてあったのだし、この展開は予想外ではあるが好都合だ。
「あれは別に狂化ではないんだよ。ただ『彼』の場合真実を知ってしまっただけで、狂ってるどころか正常だよ」
前言撤回である、何を言っているのか全くわからない。ウルは相も変わらず素知らぬ風ににっこりと微笑んでいる。ライベリーは首を傾げ、そのままの疑問を彼にぶつけた。
「真実?色々断片的過ぎてわかるものもわっかんねーよ。詳細教えてくれる気は?」
その台詞に、意外にウルは驚いたような顔をする。
「初対面の人外を信用するの?」
「ライベリーの目は『トゥルー・アイ』っていう嘘見抜くオリアビがあるんよ。反応もなさげやし、まぁ少しは信用できるんちゃう?」
今更何を言ってるのか、不審なことと言えばそのくらいだ。しばらくウルは四人の顔を見つめていた。そして目を伏せて、物思いに沈むような仕草をし、こちらに向き直ってまた微笑んだ。
「君達がいいなら、僕が否む理由もない。いいよ。アレを実際に見てもらった方が話も早いし、来て」
蜃気楼のように背後に振り返った彼を追い、四人は歩き出す。ウルは小柄な見かけにしては随分と歩調が速かった。人外だからか、暗い海底のような森でも迷いなく歩を進めている。
静まり返った森に、ふと虫の声が戻ってきたことに気付いた。僅かだが水の流れる音や狼の遠吠えに似た動物の声、水中の泡のように浮かぶ青い蛍が木々の間を漂っている。
(マジで、何者だコイツ…)
そうして無言で歩いていたとき、想像を絶するソレは彼らの前に突然現れた。
「なに、コレ…」
大地にぽっかりと口を空けた、巨大な深淵の入り口。それは夜ということを含めても異様に黒かった。
…いや、黒過ぎる。物理的に本当に黒い。そこを見ると、そこだけ視界が途切れ盲目になったような錯覚がするのだ。
目を背けたくなる違和感を押し殺して中を覗き込んでみると、見える範囲で最深部から上の方にかけ、もやもやとほんのり黒く光を纏っているモノが広がっている。光る黒い霧でできた海のように、ソレは壮大なものだった。この深く広いアビスに投げ込まれ己よりはるかに巨大なクジラでも通過したら、生きて抜け出せる気は失せるだろう。
しかし、と四人は食い気味にアビスを凝視し続ける。
この色と光り方は、何処かで____…。
「……魂?」
クロヴンの言葉に、三人は存在しない心臓が奈落へ放り込まれるような衝撃を覚えた。言葉は理解しているのに、意味が理解できない。
「はっ……?意味わかんない、コレ、魂って?」
「な、んで……こんな大量に?しかもコレ、人の魂じゃねぇだろ……!」
人間の魂は白か黒に光るのだが、こんな霧のような形態ではなく蝋燭の灯のような輝きがある。かといって人外の魂は死んで体から離れた瞬間消えるし、そうでなくともこの魂の海に親近感が湧かない。むしろ嫌悪感すら催すほどだ。
そう、この嫌悪感は覚えている。限りなく彼らに身近な……。
「魔廻物の魂だよ。マガのね」
簡単に告げたウルの言葉に最早、驚く気力は残されていなかった。今まで住んでいたこの世界が、今は何処かよそよそしい。理想に生きていた記憶が急激に現実へ叩き落される。澄み切った心の視界が一気に曇ってゆく。幸福の木が枯れて廃れてゆく……?
何かが外れる予感がする。
「マガに魂は存在しない。そう教えられてきたんでしょう?」
その通り。人や人外にありマガに無いモノ、それが魂。それは四人の中で、紛れもない『常識』として君臨していた。
今眼前に広がる光景も紛れのない真実であり、事実だ。それは悪魔の直感でよく解った。
だが、だからこそ信じられない。
しかしそれと同時に、一つの疑問が浮かび上がる。
____協会はなぜ、ソレを隠していたのか?
彼らの顔色を見るなり、ウルは依然とした笑みで言った。
「気付いたみたいだね。一つの違和感は歯車となり、次々と連鎖する…。その結果がどうなるかは君達次第だよ。ただ、これだけは言っておく。君達のいるところは確実におかしい」
ウルの立ち位置がいまいち掴めない。そんな悪魔達の不安を知ってか知らずかウルは大穴の近くに歩み寄ると徐に手をかざした。その途端、深淵の入り口を透明に覆うドームがガラスのパズルを組み立てるように展開される。その膜越しでは、悪魔でも仲が霞んで見えた。
「これは…?」
クオンが尋ねると、ウルはわざわざ彼をに振り向いて答えてくれた。
「結界。情報となりうるモノ、人間には全てシャットダウンされるよ。人外には伝わるけど掠れるようになってる。造ったヒトにしか壊せないから、大丈夫」
「人間に見つからんように隠してるわけか…すごい技術やなコレ。ウルお前、一体何者や?」
ノイズが巨大なドームに触れると、その部分が反応して薄いグレーの波紋が全体に広がる。尋ねて振り返り、もう開いた口がふさがらなかった。
そこにはもう、ウルはいなかったのだ。忽然と消えた。
その瞬間から、彼ら悪魔四人は共通の秘密を抱えることとなった。帰宅後、異変無しと報告書を提出し早々に各自の寝室に引きこもる。考える時間が必要だった。いずれにしろ、現実から逃げる術などないのだから。そうして独りで考えている内、彼ら四人には意図せず共通の解が出た。
あれほど巨大な大穴を五百年もの間、無防備に晒していて隠し通せるわけがない。気付いた者はきっと、全員消されたのだろう。
____自分達に
『アポカリプスの手が加わった』
一つ、歯車が外れた。
ノイズにライターのを教えてあげた時、クオンはとっってもいい笑顔でした。
ちなみに僕は関西人なので、エセ関西弁の心配はないですよ。