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伯爵令嬢は紅茶しか信じない

作者: 原雷火

「君には裏切られた気持ちでいっぱいだよ。衆人環視の夜会の席で……まさかこの僕に毒を盛るなんて。ヴィクトリア・ヴィジョン……君との婚約を破棄し……君を……死刑に処す」


 王太子カイルは落胆の表情で私に告げた。


 ここはハイランド王国の謁見の間。国王陛下と王妃様が玉座に並び、カイルの言葉にゆっくりうなずく。


 囲む文官たちがざわついた。私の死刑宣告を見にやってきた貴族たちも、ヒソヒソと耳打ちし合う。


 衛兵に引っ立てられると城の中庭につれていかれた私は、ギロチンにかけられた。


 反論の言葉も見つからない。だって、突然こうなってしまったのだもの。


 首と両手に枷をされ、斜めになった刃が私の首に落とされた。


 すべてが終わった。真っ白になった。



 気がつくと――


 私はヴィジョン家のタウンハウスの居間で、独り静かに紅茶を楽しんでいた。


 カップは空だ。


 執事のシドがうやうやしく訊く。


「お嬢様。カップが空いておられますが」

「あら、そうね。気づかなかったわ」

「何か考え事などなさっていらしたのでしょうか?」


 考え事というには、あまりに生々しい光景。


 私は婚約を破棄され首をねられた。


 あれはきっと、未来に起こる出来事に違いない。


「私、婚約を破棄されて処刑されるみたいなの」

「お嬢様くらいの年頃でしたら、そういった妄想をなさるものです」


 こっちは本気なのに、茶化さないでほしいわね。


「ねえシド。前に話したことを憶えてる?」

「はて……」

「貴男に淹れてもらった紅茶を飲んだ時に、未来が視えたという話よ」

「ああ、そうでしたねお嬢様。たしか……三ヶ月ほど前のガーデンパーティー。そこでカイル殿下の命を助けて、婚約することになったのでしたっけ」


 青みがかった黒髪を揺らし、どこかとぼけたように首を傾げる。シドは右目のモノクル越しに金色の目を細めた。


 もう。貴男がこの状況を作った張本人だというのに、忘れてしまったなんて無責任ね。


「そうよ。三ヶ月前に同じように、紅茶を飲んだら未来が視えたの。今回で二度目ね」


 なぜかはわからないけど。普段から紅茶党なのに。



 遡ること三ヶ月前。


 王太子主催のガーデンパーティーが城の中庭で開かれることになった。


 その前日、同じように紅茶を飲んでいた時に視たのだ。


 ガーデンパーティーで来賓に飲み物が行き渡り、王太子が乾杯を宣言したその時――


 彼に向かって毒蛇が迫り、跳びかかって腕を噛むという、とんでもない光景が視えてしまった。


 最初は白昼夢かと思ったけど、不安になって執事のシドに話したところ……。


 この飄々ひょうひょうとした青年は「日傘をお持ちになればいいでしょう」とニッコリ。


 万が一にもあるわけない。と、思いながらも、私は翌日のガーデンパーティーで日傘を手にしていた。


 白昼夢の通り、カイルが乾杯の声を上げようとした。誰も蛇なんて気づいていないところで、私だけが次に起こる惨事に敏感だった。


 不意に茂みから飛び出した蛇が跳ぶより早く、私は閉じた傘でエイッと打つ。


 みんな驚いていた。直後に衛兵の「蛇だッ!」の声。で、そこからは来賓がバタバタ逃げ出したり悲鳴をあげたり、会場は一時騒然となった。


 毒蛇は騒ぎに紛れて逃げてしまったけど、王太子は無事。


 それがすべてのきっかけになった。カイルは私を「ヴィクトリア。君は命の恩人だよ」と敬い、感謝した。


 私はただ、目の前で王太子が死ぬのを見過ごせなかっただけ。


 すっかり彼に気に入られて、王太子に近しい人たちだけの会食に呼ばれたり、一緒に旅行をしたり。


 気づけば婚約していた。当家……ヴィジョン伯爵家としては、次のハイランド国王になるカイルと私が結婚すれば、玉の輿だと大喜び。


 飲んでおくものね、紅茶。こんなバラ色の未来が視えるのだもの。


 なんて、思っていたのもついさっきまで。


 私も貴族の娘である以上、家のためにと、この婚姻を受け入れるつもりでいたのだけれど……。


 このままだと、まずい。さすがに処刑はされたくない。


 察したシドが白手袋に包まれた手で細いあごを撫でる。


「残念でしたねお嬢様。近々、婚約を破棄され処刑されてしまうだなんて」

「嫌な白昼夢で済めば良かったけど、以前に同じことがあった以上、また起こってしまうかもしれないわ」

「困りましたね」


 眉尻を下げるだけで、役に立つつもりがないのかしらこの執事は。

 私は今、解る範囲内で未来の情報をシドに伝えた。


「結局、私が視たのってカイルに婚約破棄と死刑宣告をされる場面なのよね。毒を盛ったのが誰で、どういった方法で、なぜ彼を狙ったのか……さっぱりわからないわ」


 執事はぽかんと口を開く。


「お嬢様は気づかれていらっしゃらないのでしょうか? 未来を見据えるその眼力も、宝の持ち腐れですね」

「口を慎みなさい。どうしてそんなに意地悪なのかしら?」

「いえ、明らかにおかしいもので」

「なにがよ?」

「その未来では、毒を盛られた王太子殿下がご存命です。殿下ご自身から死刑宣告されているではありませんか」


 あっ……確かに。


「き、気づいていたわよ。貴男を試していたの」

「ははは。そうでしたか。お嬢様が聡明で、私も鼻が高い」


 いつかその鼻、へし折ってやるんだから。


 とはいえ、確かにそうね。おかしいわ。毒を盛られたのにカイルは生きている。

 そして、私が毒を盛ったとされている。


「やっぱり私なのかしら。カイル様に毒を盛ってしまうのって」

「そうとは限りませんよお嬢様。恐らく、殿下の毒殺が目的ではないのでしょう」


 まるで正解を最初から知ってるみたいで、時々シドが怖くなる。


「じゃあ、何が目的なのよ?」

「復讐……かと」

「復讐? 誰に?」

「もちろんお嬢様です。その美しいアメジストの瞳も、長く背中を覆うほどの絹糸のような薄紫の髪も、社交界で羨望を集め嫉妬の炎に身を焼いた者たちは少なくないでしょう」

「少し変わった毛並みなだけよ。猫と同じね」

「では、恐らくは……王太子殿下との婚約を妬まれてのことかと」


 ああ、だから私を罠にはめて、カイルに毒を盛らせるつもりなのね。


「つまり私がカイル様を毒殺するよう、これから誰かが仕向けてくるということね」

「今宵は夜会のご予定が入っております」


 そうだった。今夜なのだ。


 私が処刑される未来の白昼夢。カイルの言葉を反芻はんすうした。


 彼が毒を盛られるのは、夜会の席でのことだ。


 シドが私をじーっと見る。お座り、待てをされた忠犬の眼差しだ。


 執事は黙ってさえいれば顔も整っていて、仮に役者になったなら女の子にキャーキャー言われるルックスの持ち主だった。


 中身に問題ありだけど。


 うう、仕方ない。口を開けば生意気で反抗的で皮肉屋で面倒臭い執事だけど、二つだけ気に入っているところがある。


 シドが淹れる紅茶はとても美味しい。

 

 そして、すこぶるこの男は優秀だった。執事の範疇はんちゅうに収まらないほどに。


 私の言葉を待ちきれずシドが口を開く。


「いかがいたしましょう?」

「お願いできるかしら」


 シドはスッと一礼した。


「イエス、マイレディ」

 

 諸々は、この男に任せて、私は夜会のドレスを選ぶことにした。



 きらびやかなホールに楽団がゆるやかな音楽を奏でる。


 若い貴族の男女が集められた夜会の始まりだ。


 元々、あんまり得意じゃない。三ヶ月前のガーデンパーティーだって、親に言われて仕方なく出席した。


 カイルは王太子らしく、私よりも来賓たちの相手に忙しそう。


 別に構って欲しいなんて、子供じゃないから言わないけれど。彼と結婚したら王太子妃として、外交とかもしなきゃいけないのよね。


 さて、今夜、王太子に毒が盛られる。起こることさえ解っていれば、あとは事前に阻止するとかできるわけだし。


 同じことは三ヶ月前に毒蛇相手に一度、上手くいっている。


 壁の花をしている私の元に、白金髪に青い瞳のふわふわな美少女がやってきた。


「あら、殿下のそばにいらっしゃらなくてよろしいのかしらヴィクトリアさん」


 綿菓子みたいなふわふわさとは正反対の、ツンとした口ぶりだった。


「エレオノーラ様……ええと、こんばんは」


 苦手。だから距離を置きたいのだけれど、彼女はなにかにつけて私のところにやってくる。


 私が嫌いなら遠ざかってくれればいいのに、変な人。


 彼女はエレオノーラ・スノードロップ。侯爵令嬢でカイル王太子の幼なじみ。王家と公爵家に次ぐ、ハイランド王国で三番目に大きなスノードロップ家の人間だ。


 エレオノーラが私をじっとにらむ。


「ほら、殿下のグラスが空いていましてよ。あの方がお好きな赤ワインをもっていって差し上げたらどうかしら?」

「ええと……」


 まるで私を給仕係にするつもりみたい。


「ああ、そうでしたわね。ヴィクトリアさんってワインが苦手で紅茶しか口にしないんでしたっけ。かわいそうなカイル様。ワインを一緒に楽しみたくても、あなたが飲めないんですものね」

「でしたらエレオノーラ様がカイル様にワインを差し上げればよろしいのではありませんか?」

「婚約者のあなたを差し置いて、そのようなことできませんわ。いずれ王妃になるという人間が、国王陛下となられる御方の役に立たないなんて、あぁなんて嘆かわしいのでしょう」


 芝居がかった口ぶりだけど、これがエレオノーラの素みたい。


 彼女は容姿端麗な上に秀才で、錬金術と薬学に精通していた。以前には国王陛下のご病気を、立ちどころに治す特効薬まで作ったと噂だ。


 エレオノーラが調合した万能解毒剤は、どのような毒もたちまち分解してしまうとか。


 家柄も容姿も才能も、この国で一番の才女。誘蛾灯のように人が集まった。


 こんな彼女は、私がカイルと婚約する前は……まるで私なんてその場にいないみたいな、空気扱いをしてくれていた。


 エレオノーラには無視されている方が、ずっと気が楽だったのに。


 彼女は社交界の華だった。シンパも多くて一大派閥を築いていた。三ヶ月前までだけど。


 みんな、彼女がカイルと結婚すると思ってたみたい。


 私が王太子を助けたことで、状況が一変した一人だ。


「ほら、ボーッとしてないでお行きなさいな」

「ご忠告ありがとうございます」


 どうあっても私のことを給仕係にしたいみたい。


 この場にいて、ずっとエレオノーラにつきまとわれるのも嫌。


 会釈をして私は壁際の給仕係の元に向かった。


 空のグラスがテーブルクロスの上に並んでいた。給仕係の男がグラスを磨いている。


「赤ワインをいただけるかしら」

「はい。すぐにご用意いたします」


 開栓済みのボトルがあるにも関わらず、給仕係は新しいものを取り出した。


「あら、新しいのをわざわざ?」

「未来の王太子妃様に、開栓済みのワインはおだしできません。こちらをおだしするようにと」

「誰の指示かしら?」

「本日の夜会の給仕責任者でございますが……」


 後で調べればわかりそうね。


 私は一拍置いてから。


「グラスを二ついただけます?」

「はい? お二つですか?」

「ええ。何か不都合なことでも?」

「いえ、そのようなことは……」


 私は並んだグラスから適当に二つを選んだ。

 給仕係はコルクを抜いてグラスに赤ワインを注ぐ。


 これといって給仕係に変化は見られなかった。もし、グラスのどれかに毒が仕込まれていれば、私が勝手に選んだものを使わせないはず。


 グラスすべてに毒が仕込まれていれば、今頃、この会場の貴族は全滅しているでしょうし。


 つまり、新しく栓を開けたこの特別な赤ワインが怪しいってことね。


「このワインは誰が選んだのでしょうね」

「すみません。解りかねます」


 給仕係は自分が毒入りのボトルからワインを注いだなんて、知りもしないわよね。


 ああ、良かった。事前に解っていて。


 さて、それじゃあ運んであげようじゃない。お望み通りどころか、もう少し気遣いをみせてあげるわ。


 私は壁際のエレオノーラの元に戻った。


「お待たせしましたエレオノーラ様」

「あら、どうしてワイングラスが二つなのかしら?」

「私だって少しは気遣いができますから。殿下のものと同じ特別なワインだそうです。私は苦手なので……どうぞエレオノーラ様。私の代わりにカイル様と乾杯なさってください」


 グラスの一つをそっと差し出す。と、エレオノーラの肩が細かく揺れた。


「い、今は喉は渇いていませんの」

「そうですか。残念です。でしたら私が殿下と乾杯させていただきますね」


 これでエレオノーラがどんな反応をするのか、私は試した。


 彼女のもくろみは、私が直接、手渡しでカイルに毒を盛ること。


 現行犯でなくてはならない。きっと、毒は致死性ではないけれど、即効性のあるものね。


 そうすればカイルとの婚約はご破算になり、私も消すことができる。


 この場合、私が殿下に毒を盛る動機だけが不明だけど、状況証拠だけで十分処せるという判断なのでしょうね。


 けど――


 もし私まで同じ毒を飲んでしまったら、どうなるかしら?


 犯人捜しが始まるのは必至。なにより加害者に仕立て上げられるはずの私が、被害者になってしまう。


 だから、エレオノーラはこの申し出に……。


「ま、待ってヴィクトリアさん。やっぱりそのワイン……いただくわ。せっかく未来の王妃様から勧めていただいたのに。ごめんなさいね」


 震える手で彼女はワイングラスを手に取った。


 そこに――


「待たせてしまったねヴィクトリア。ああ! エレオノーラも一緒だったんだね。二人は仲が良いのかな? 最近はよく、二人でいるところを見かけるよ」


 王太子カイルがやってきた。良く言えばピュア。悪く言えば鈍感な人。だからなのか、派閥を形成していたエレオノーラから人々が距離を置き始めたことに気づいていない。


 彼女が私に粘着しているのが、カイルには「女同士の友情」に見えてるみたい。


 私は残るもう一つのグラスを王太子に差し出した。


「ワインをお持ちしようと思っていたところです」

「ありがとう。来賓たちとのお喋りで、ちょうど喉が渇いていたんだ。本当に君は思慮深く、素晴らしい女性だね」

「いいえ。私ではなくエレオノーラ様がワインをお持ちするようにと」


 王太子はエレオノーラに向き直った。


「おお! さすがエレオノーラだ。さすがは僕の大切な幼なじみだね」

「え、ええ、と、当然ですわ」

「今日は三人が揃ったことを祝おう。乾杯しようじゃないか……と、そうだった。ヴィクトリアはワインは苦手だったんだよね」


 困り顔のカイルに微笑み返す。


「ティーカップで乾杯はできませんね。お二人だけでどうぞ」


 私は空になった手でグラスを持った風にする。


 これで二人が毒を飲んで倒れたら、いったいどうなるのかしら。


 なんてことを考えた。


 王太子は満足そうに笑う。


「では、乾杯だ! そうだ……エレオノーラ! 君が最近調合した万能解毒薬の完成を祝おうじゃないか!」


 カイルがエレオノーラの手にしたグラスに、自分のグラスの縁をつけようとした瞬間――


 侯爵令嬢の手からグラスが落ちた。床にガラス片が飛び散り赤い液体が王太子のズボンを濡らす。


 エレオノーラが声を震えさせた。


「し、失礼しま……」

「おっと、いいんだエレオノーラ。しかし、君らしくもない。何を怯えているんだい?」

「お、怯えてなんていませんわ。うっかり手を滑らせてしまって」


 私はカイルに言う。


「殿下、ズボンに赤い染みができてしまいましたね。誰かここに! さあ、殿下。お召し替えをなさってください。グラスもこちらに」

「ああ、悪いね。ありがとうヴィクトリア」


 王太子が口を付けることがなかったワイングラスを、私は受け取った。


 すぐにメイドたちがやってきて、割れたグラスとこぼれたワインを片付ける。


 さらに王太子を着替えさせるため、連れて行ってしまった。


 去り際カイルが笑う。


「僕は大丈夫だから、二人は夜会を楽しんで!」


 本当にお気楽なんだから。もしかすれば、毒を飲んでいたかもしれないのに。


 こうして、エレオノーラと私だけが取り残された。


 彼女ってば、青い顔。何が起こったのかわからない……みたいになってる。


 当然よね。本当なら、私がワインを殿下に飲ませて、この場で彼が倒れるはずだったのですし。


 私は残ったワイングラスを掲げると――


「せっかくの特別なワインだし、いただきますね」


 スッと飲み干す。


 口の中いっぱいに広がる果実の味と深い苦みというか、頬をすぼめたくなる感じ。


 紅茶にも同じ要素を感じるのに、やっぱりワインは苦手。


「だ、大丈夫ですの!?」


 エレオノーラが思わず本音を漏らした。


「うっ……っとりするくらい、深みのある味ですね」

「――ッ!?」

「どうかなさいましたかエレオノーラ様?」


 なんで死なないの。いや、致死量の毒じゃないかもしれないけれど、倒れないことに驚いているみたいね。


 当たり前よ。だって――


 私の執事は優秀で、夜会が始まる前には毒入りワインのボトルくらい確保して、安全なものとすり替えてしまうのだから。



 なによ! なによなによ! なんなのよ! あのワインには特別な毒が仕込んであったのよ! 足の付かない即効性……その解毒薬だってちゃんと用意しておいたのに。


 あの女は死ななかった。きっと、給仕係がミスをして、普通のワインをグラスについだのね! 役立たず!


 計画がもうめちゃくちゃですわ!


 カイルがあの女に毒を盛られて倒れたところに、たまたま居合わせた、あたくしが偶然手にしていた解毒薬を使って、口づけで彼を目覚めさせるはずだったのに。


 毒を飲ませたヴィクトリアは現行犯で捕まって、そのまま縛り首でも斬首でも火あぶりにでもなるはずだったのに!!


 なんでグラスを二個も持ってきたの? カイルとあたくしが飲むように仕向けたの!?


 あの女……いったいなんなのよ。


 まさか、知っているの?


 あたくしが、万能解毒薬の調合に失敗したこと。


 全部嘘。あたくしが毒を処方して、それに合わせた解毒薬を与えているだけだということを。


 ううん、バレたりするものですか。


 国王の病気。贈り物のワインに少しずつ入れた毒を蓄積させて、それを解毒剤で治したのが上手くいった。


 他にも、あたくしが治療した人間は、みんなあたくしの毒を飲ませた相手ばかり。


 三ヶ月前のガーデンパーティーで、蛇を使った時も血清を持っていたのに。


 カイルが死にかけたところで、あたくしが救うという筋書きだったのに。


 あの女が邪魔をした。


 許せない許せない許せない許せない。

 

 絶対に、許しませんわヴィクトリア・ヴィジョン!!



 夜会の数日後――


 私の首は無事、胴体とのつながりを維持している。


 タウンハウスの居間で執事の報告に耳を傾けた。


「残念ながら、確保したワインの出所は追跡しきれませんでした。が、大方、エレオノーラ・スノードロップの手引きでしょう」

「貴男が証拠を押さえられないこともあるのね」

「お嬢様は私を買いかぶりすぎです」


 と、言いつつも嬉しそうにシドは不敵な笑みを浮かべた。


「ワインの毒はどうかしら?」

「その正体がわからぬよう高度に隠されております。これほどのことができるのは、薬学と錬金術に秀でた国家級の才能の持ち主をおいて、他におりますまい」


 隠し方が上手すぎて、右に出るものがいないおかげで特定はできるけど、証拠は掴めない……か。


 そもそも、紅茶を飲んで視る未来の光景が不思議なのだけれど、おかげで命拾いした反面、困ったことがある。


 事件は必ず未然に防がれるから、事件として成立しない。

 よって決定的な証拠も残らない。


 犯人が誰か目星はつくけど、事件が起こっていないから犯行の決定的な証拠が残らない。


 だからエレオノーラをどうにもできなかった。


 執事がゆったりとした動作で一礼する。


「今回もお見事にございます」

「貴男のおかげよ」


 シンプルに、どうやっているのかわからないけど、どうにかしてくれるのがシドという人間だ。


「私はお嬢様のお手伝いをさせていただいているに過ぎません」


 尊大なんだか謙虚なんだか、わからない執事ね。


 シドは首を傾げた。


「しかし……毒を盛るという行為に私は違和感があるのです」

「違和感というか、犯罪よね。普通に」

「仮にお嬢様がカイル殿下の毒殺を狙った場合、なぜ遅効性の毒を選ばなかったのでしょうか? この計画には現実味がありません。即効性の毒では犯人が誰か、丸わかりで逃げ場もないのですから」


 真剣な眼差しで、本気で悩む執事に返す。


「貴男って、時々人間の心が理解できないみたいね」

「願わくば、お教え願えませんかお嬢様」


 私は小さく呼吸を整えると――


「動機よ。私がカイルを毒殺する理由がそもそも存在しないのよ」

「理由……ですか?」

「別に私はカイルのことが嫌いではないし、不仲でもない。ちょっと鈍感すぎる人だとは思うけど……殺す理由がないわ」

「確かにそうですねお嬢様。カイル殿下はとてもマイペースな御方です」


 執事は腕組みすると、うんと頷く。いや、そっち? カイルのことで納得しているの?


 気を取り直して――


「だから夜会という衆目の集まる場所で、即効性の毒を彼に飲ませないといけなかったの」

「なるほど。どのような理由があって殺そうとしたかはわからずとも、実際の犯行に及んだという事実でお嬢様を窮地に陥れようということですか」


 私は「と、思うのだけど真相は黒幕の心の中ね」と締めくくった。


 執事は笑う。


「ともあれ相手は恐怖することになるでしょう。お嬢様には一切の企みが通じないのですから」


 もう、こんなことは起こって欲しくないのだけれど。


 ひとまず、耐えた。乗り切った。と、今回の件の総括を終えて安堵したのもつかの間――


 タウンハウスの居間に銀甲冑の騎士たちがなだれ込んできた。


 ハイランド王直属の近衛騎士団だった。団長らしき男が一歩前に出る。


「ヴィクトリア・ヴィジョン殿。貴殿に緊急の取り調べを受けてもらうこととなった。ご同行願おう」


 有無を言わさぬ雰囲気だけど。


 私の後ろに立つ執事は一切動じていなかった。


「お嬢様、いかがなさいますか?」

「そうね。最後に紅茶を一杯、いただけないかしら?」

「イエス、マイレディ」


 騎士たちが固唾を呑んで見守る中、私は淹れたての紅茶の香りを楽しむ。

 次に訪れる未来が、琥珀色の水面に浮かんで見えた。

【完結済】『運命の糸を操る令嬢は婚約破棄で王子に報いる』【連載版】

https://ncode.syosetu.com/n7577iz/

前作の連載版が完結済みです 14万文字ほどになります よろしければこちらもぜひ~!


いつもお読みいただき、誠にありがとうございます。物語の世界に足を踏み入れていただけたことを大変嬉しく思います。


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原雷火 拝

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― 新着の感想 ―
[一言] これは是非連載版で読みたいですね
[気になる点] ここで終わっちゃうなら、異世界恋愛のジャンルはちょっとおかしいと思う。 ミステリーなら分かる。 王子とくっ付くか、執事とくっ付くかまでするか、あるいは主人公が誰かを好きなのを仄めかす描…
[一言] 全然無事じゃないわ
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