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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

花に嵐

作者: 仲村 なか




「よお」


 師走が近づき、寒さが身に沁みる季節になったというのに、薄手のパーカーにチノパンという、見ているだけで鳥肌が立つような服装をした顔のいい男が軒先に立っていた。


 男は寒さで鼻頭を赤くしながら「久しぶり」と言って軒先でひらひらと手を振っている。

 その背後には燃えるような夕焼けが広がっていて、眩しさに少し目を細めた。


 軒先に突然現れた男は「腹減ったんだけど」と実家にでも帰って来たような気やすさで腹をさすっている。

 この男はアサヒと言って、この家は別にアサヒの実家ではないし、そもそもアサヒに会うのは数年ぶりだった。


 まるで断られるとは微塵も思っていないような態度が癪で、私は開けた扉をそのまま閉めて鍵をかけた。

 おい、というくぐもった声が扉の向こうから聞こえる。それを無視して居間に戻ると、背後でガチャガチャという物音がしてガラリと引き戸が開いた。お邪魔します、と背後で声が聞こえる。


「なあ、今日の飯なに」


 パタパタとこちらに向かって歩きながらアサヒが訪ねてきた。

「なんで飯がある前提なんだ」と返せば「ないの?」と心底不思議そうな声で返される。


 料理が趣味なもので、いつも日曜に大量に作り置きをしているのだ。ないのかと問われればあるとしか答えようがない。

 この男もそれがわかっているから日曜日にやってきたのだろう。


 でもそういうことじゃない。

 その作り置きは自分のためのものであって、お前のためじゃないんだ。頭の中にそんな考えが巡るけれど、今更追い返す気にはなれず素直に「今日は餃子だ」と答えると、背後で「やった」と嬉しそうなアサヒの屈託のない声が聞こえた。


「ビール買ってきた」


 そういうとアサヒがガサリとビニール袋を掲げる。手土産を必ず持ってくるところも律儀で嫌いではないのだ。

 餃子にビールは素直に嬉しかったので「ありがとう」というと、アサヒは嬉しそうにヘラリと笑った。


 家に上がらせた手前、もてなさないわけにはいかない。

 アサヒをダイニングテーブルに座らせ、暖かい番茶とご近所さんにもらった焼き梅を梅を茶請けに出してやる。


 ただの梅干しより焼いた梅干しの方が疲労回復効果が強くてダイエットにもいいらしい。あと梅干しとか酸味の強いお茶請けには番茶や釜炒り茶などの酸味を中和してくれる少し甘味のあるお茶がいいらしい。

 全部梅干しをくれたご近所さんに聞いた話だけど、お茶請けを人に出す機会なんてなかったから持て余していた知識だ。


 アサヒが来たおかげでその知識を生かすことができたな、とそんなことを考えながら、あとは焼くだけだった餃子をフライパンの上に並べていく。油は引かずに少し隙間を開けて並べるといいらしい。これもご近所さんから聞いた話だ。


 フライパンにお湯を入れてふつふつと沸き立つのを尻目に、ダイニングに座る男に向き直る。

 アサヒはぼんやりと窓の外の夕焼けを見ながら暖かい番茶を啜っていた。


 アサヒがこの家にやってきたのは、確か四年ぶりだ。


 四年も音沙汰がなければもうこの家のことなんてきっとさっぱり忘れたのだろうと思っていたけれど、日曜日にやってきて飯を集りに来たあたりそうでもないらしい。


 少し、髪が伸びた気がする。

 四年前のことなんてもう記憶は朧げだし、写真なんて残っていないから比べようもないけれど、それでも少し背が伸びた気がするし、顔も精悍になった気がする。

 全部気がする程度の変化だ。


 変化に寂しいとも思わないけれど、ただ、呆けた横顔が綺麗だな、と思う。


 見られていることに気づいたのか、それとも夕日が沈んでしまったからか、アサヒがふと窓から目を逸らしてこちらに視線を向けた。


「なんか、夕日とか久しぶりに見たわ」


 そう言ってアサヒが笑った。


「夕日は大体毎日見るだろ」と返すと、いまの部屋が東向きでさ、とアサヒがポツポツと最近の出来事を話し始めた。

 餃子に意識を向けながらアサヒの少し掠れた声に耳を傾ける。


 アサヒの名前は呼んで字の如く朝の日と書いてアサヒと読む。

 アサヒの両親曰く、アサヒが生まれた日の朝日が綺麗だったから、というなんとも安直な理由で名付けたんだそうだ。

 名前とはそんなシンプルな理由で名付けていいものなのだろうかと言いたくなるが、アサヒも両親も気に入っているようだから部外者が口を出すことでもないだろう。


 名は体を表すというが、アサヒはひと懐っこく衒いのない人物だったため、よく人に好かれた。


 素直な男だったが、傲慢で不躾なところもあり、よく言えばおおらか、悪く言えばガサツな男だった。

 そのガサツさも親しみやすさと言えるような可愛らしいものだ。


 アサヒは高校の頃、陸上部の短距離選手だった。

 県内でも有数の選手であり、全国大会の常連だったのだ。均整の取れた手足の長い体がグラウンドを走る姿は清々しく、美しかった。


 私はアサヒがゴールテープを切ったあと、私の姿を見つけて嬉しそうに笑う顔を見るのが好きだった。

 それもいまでは過去の記憶だ。美しく走り抜ける風のような男はいま、私の家のダイニングで焼き梅を齧っている。


 アサヒの近況報告を聞いているうちに、全ての餃子が焼き上がった。米も余分に炊いていたので二人分には十分足りるだろう。

 タレをいくつかと有り合わせの野菜でサラダを作り、簡単な卵スープを完成させれば食事の準備は終わりだ。

 ご飯は自分でよそえ、とアサヒに声をかけると、アサヒは「ん」と気の抜けた返事をして、空になって湯呑みと茶請けの皿を流しに下げて炊飯器に向かった。


 台所で並ぶと、私の目線の先にアサヒの肩があった。背を抜かされたのはいつだっただろうか。


「背が伸びたな」と今度は確信を持って呟くと、アサヒは「いつまで伸びるんだろうな」と少し笑った。


 互いに米とスープをよそい、冷やしておいたコップに冷やしておいたビールを注げば食事の準備は万端だ。

 こんな完璧な料理の前で乾杯をしないのは料理に失礼なので、どちらともなくコップを掲げて「乾杯」と言いながらグラスを鳴らした。

 

 餃子とビールがあまりにも美味いのでしばらくは無言で食事を続けたが、そのうちポツポツと会話を始めた。

 取り留めのない会話だったが、懐かしい声が鼓膜を揺さぶるのがやけに心地よかった。


 四年ぶりとは思えないほどにアサヒの存在はこの家に馴染んでいた。

 ありきたりな比喩になるけれど、家に灯りが灯されたような気分になって、ここ数年感じていた妙な寂しさはこの男が原因だったかと嫌な気づきを自覚する。


 快活に笑う目の前の男が好ましいと思うのは必然で、私はアサヒのことをアサヒが産まれる前から知っているのだ。


 私が中学生かそこらの頃にアサヒが生まれたのだ。マンションの隣室に住んでいた私はアサヒにミルクを飲ませてやる手伝いをさせてもらったし、オシメだって変えてやった。


 この話をするとアサヒは嫌がるけれど、私にとっては愛おしい思い出だ。

 今日も少し酔っ払いながらその話をすると、アサヒは嫌がりはしなかったけれどまたその話かと少し呆れて、それから擽ったそうに笑った。


 私はアサヒのその反応に少し寂しさを覚えた。


 子供扱いするなと怒るあのアサヒはもういないのだと、見当違いな親心もどきが寂しさを訴えるのだ。

 それでもアサヒと酒を酌み交わすことができるのは嬉しいのだから親心というものは随分と複雑だ。


 余るだろうと思って焼いた餃子はすっかりとなくなって、ほろ酔いのまま手を合わせてごちそうさまの合掌をする。

 互いになにをいうでもなく、私が食器を洗うとアサヒが隣に並んで食器を拭き始めた。


 十年ほど前に、この家にアサヒが住んでいた。

 私はもう働いていたけれど、アサヒはまだ高校生だった。


 アサヒがこの家に住んでいたのはたった三年ほどだったのに、それだけの時間でアサヒは随分とこの家の中で大きな存在になっていた。

 家を出てもアサヒは頻繁にこの家に訪れていたけれど、ある日パタリと音沙汰がなくなった。

 それが四年前のことだ。


「今日、どうしたんだ」


 最後の食器を手渡しながら、私はアサヒにそう問いかけた。


 音沙汰のない四年は長く、アサヒは突然連絡を断つような薄情な人間ではないことを私はよく知っていた。


 連絡を絶ったのも、今日、この家に訪れたのも、きっとなにか理由があってのことだろう。

 というか、理由がないわけがないのだ。

 今日はアサヒの父親の命日だ。

 そんな日に押しかけてくるなんて、気にかけてくれと主張しているようなものだろう。


 アサヒは大きな手で茶碗を持ち、やはり少し大雑把な手つきで水滴を拭うと、少し視線を彷徨かせた後に私の目を真っ直ぐに見つめた。

 父親に似た綺麗な二重をしているな、とぼんやり思う。


 アンタさ、とアサヒが口火を切る。


「親父に惚れてただろう」


 ドッと心臓が波打った。


 毛穴が全て開いたような心地がして寒気に酔いが一気に醒める。きっと瞳孔も開いているから動揺は見透かされているだろう。

 アサヒの声は変わらず穏やかで、私を傷つけようとしている風には見えない。


「オレは親父に似ているから、オレの顔は見たくないだろうと思ってさ。アンタにしばらくは会わないでおこうと思ったんだ。でも、アンタ親父が死んだ時、母さんより憔悴してただろ。だから死んでないかずっと不安だった」


 生きててよかったわ、とアサヒが目を伏せて笑った。

 その仕草がアサヒの父親そっくりで、面影に首を絞められるように息苦しくなる。

 動揺を落ち着かせるように、大きく息を吐いた。ポタ、と水滴がシンクの上に溢れた。


「デリカシーっていうものがないよな、お前ら親子は」

「親父よりはある」

「どっこいどっこいだよ」


 酔いは覚めたが動揺が膝に来ている。

 震えそうになる足をアサヒに見えないように強く抓った。


「いうべきじゃないって、そんくらいわかってるよ」


 アサヒが穏やかな声で告げる。


「不快に思ったなら謝る。でも、親父のこと本当に好きだったろ、アンタ。きっと誰にも言えてないんじゃないかなって思ってさ。親父の話をする相手なんていないだろ。アンタ友達少ないし」


 アサヒは穏やかに微笑んでいる。


 アサヒの父親は癌で亡くなった。

 最後は緩和ケアを利用して穏やかに亡くなったらしいけれど、ただの隣人である私が死に目に立ち会う道理はなく、その度胸も覚悟もなかった。


「寂しいだろ、惚れたやつの話ができないのは。親父の恋話なんか聞きたくねえけど、親父のどこに惚れたのかとかさ、なんでもいい、話聞かせてよ」


「アンタが嫌じゃなかったらな」とアサヒは目蓋を伏せたまま、穏やかにそういった。


 いつの間にこいつはそんな懐の広いことが言えるようになったんだろうか。

 突っ込みたいところは色々あるが、いろんな感情より感慨深さが上回る。


「なんか、色々考えててくれたんだな」

「褒めてくれてもいいぜ」

「ありがとう。でも話すことはなにもないよ」


 突き放しているように聞こえないよう、努めて穏やかな声でそういった。

 きょと、と拍子抜けしたような顔でアサヒがこちらを見ている。

 確かにアサヒは父親似だ。仕草とか、節々で面影を感じることはあったけれど、でも、それだけだ。


「アサヒとアサヒの父さんを重ねたことはないよ。不快な思いをさせてたならすまん。それでもアサヒはアサヒだし、あの人はあの人だ。お前に背負わせるつもりは毛頭なかった。それに、もう踏ん切りもついてる」


 ごめんな、ともう一度言ってから、少し背を伸ばしてアサヒの髪を撫でてやる。


 少し伸びた、それでもまだ短く揃えられた柔らかい黒髪をかき混ぜると、アサヒはあまり納得のいってない表情で、それでも大人しく撫でられるがままになっていた。


「オレと親父、結構似てねえ?」

「似てる。でも輪郭とか、それこそ横顔は母親似だぞ」

「横顔とかわかんねえよ」

「綺麗だよ、お前の横顔」

「口説いてる?」

「口説いてない」


 あっそ、と言ってアサヒは笑った。

 アサヒの父親が、あの人のことが好きだった。

 中学生だったオレに居場所をくれたひと。


 きっと初恋だった。


 でも、アサヒの父親のことを好きだったのと同じくらい、アサヒの母親のことも、アサヒのことも好きだった。

 それはきっと親愛だけど、でもオレにとっては初恋と同じくらい大切な感情だった。


 アサヒは覚えていないだろうけど、まだ生まれて数日のお前が小さなその手でオレが差し出した指を握りしめてくれたとき、あの時からオレは、お前のことが可愛くて仕様がないんだ。



 朝日が生まれた日のことを思い出す。


 アサヒの母親は別に見ててもやることないでしょって言って立ち合い出産を拒否したから、待合室でアサヒの父さんと私は一緒にアサヒが生まれるのを待っていたのだ。


 待っている間にいつのまにか寝てしまっていて、起きた時にはもうアサヒは生まれていた。

 オレはアサヒの父さんに連れられてアサヒに面会させてもらったけど、生まれたばっかのアサヒは真っ赤で猿みたいだったのをよく覚えている。

 実際にアサヒの母さんは「猿みたいだ」と言って疲れてるはずなのに笑ってたし、アサヒの父さんもそうだなと言って笑っていた。


 アサヒの母さんが寝た後に、あの人がオレを「付き合ってくれた礼だ」と言ってコンビニで特製肉まんとシュークリームとジュースを奢ってくれた。


 コンビニのベンチは冷たくてお尻がキンと冷えたけれど、肉まんが暖かいのであまり気にならなかった。


 夜明けまえの世界はどこも薄らと水色を纏っていて、どこか別の世界のようだった。


 ベンチに座りながら二人で肉まんを齧っていると、遠くで薄水色の空を白く柔らかな光線が時間をかけてゆっくりと広がっていくのが見えた。


 世界が生まれ変わる光景だ。

 柔らかな光線が黄金色の空をたゆたう様に、私は教科書にあった朝焼けの中で、という詩を思い出していた。


 言葉は朝焼けの中の八歳の少女のようだ。

 私はあの詩が好きだった。言葉にできない美しさがこの世に存在することが嬉しかった。


 そう思ったことをそのまま隣で肉まんを齧っているアサヒの父さんに伝えると、いい言葉だな、と嬉しそうに私の頭を撫でた。


「この朝焼けは言葉にできないほど美しいか」

「うん、そうかも」

「そうか、じゃああの子の名前は朝日にしよう」

「いや奥さんと相談しなよ」

「それはそうだな」


 結局、アサヒの母親も「いいじゃん」と言って同意したので、無事朝に生まれてきたあの子供は朝日と名づけられた。

 言葉にできない美しさを持った名前。

 私は言葉にできないあらゆる祝福をこの子に捧げたいと思った。


 だから私はアサヒが可愛くて仕方がないし、きっとアサヒの父親に惚れたのはその出来事がきっかけだ。


 あの人が死んだときは本当にどうすればわからないほど悲しかった。本当に悲しくて、私はまた自分の悲しみを表す言葉を知り得ない私の言葉の無力さに絶望をしていた。


 脳味噌に直接刃を突き立てられてぐちゃぐちゃにされたみたいに苦しさが蠢いていて何度も吐いた。

 それでも私が生きていたのはアサヒの母親とアサヒが生きていたからだ。


 アサヒが私の家に寄り付かなくなって安心したのも少し事実だ。


 それはあの人とアサヒを重ねてしまうからというよりは、アサヒに憔悴した自分を見られたくなかったということが大きいかもしれない。

 それでも、あの頃にアサヒを見ていたら、きっとアサヒの中の面影にあの人を重ねてしまっていただろう。

 だから今日、久しぶりにあって、アサヒのことをアサヒとして見ることができて少し安心していた。


 目の前にいるアサヒは私の背丈を随分と追い抜いて、精悍な男前に成長していた。私は撫でていた手を下ろしてアサヒに笑いかける。


「会ってたら、確かにお前の父親を思い出して辛かったかもしれない。でも、それ以上にお前に会えなかったことの方が辛いし寂しかった」


 アサヒは驚いたような顔で私を見下ろしていた。


 私は言葉の無力さを知っているから、せめて尽くせる言葉は尽くそうと思っている。

 伝わらなくても誠実であれと、そう教えてくれたのはアサヒの母さんだ。


 ちなみにアサヒの母さんとはめちゃくちゃ今も交流している。

 アサヒに出した梅干しをくれたのも、梅干しに番茶が合うことを教えてくれたのも、餃子の焼き方を教えてくれたのだって全部アサヒの母親だ。


「会いに来てくれてありがとう、また会えて嬉しい。でも、どうせなら今日は、アサヒの話を聞かせて欲しいんだ」


 そう言って微笑んだまま目蓋を伏せると、少し間を開けてから照れと嬉しさが混じったような声で「しょうがねえな」と小さな声が聞こえた。

 視線をアサヒに戻すと、耳朶が仄かに色づいているのが目に映った。


「でも親父の話もしようぜ」

「お前がしたいならいいけど」

「というか、アンタの話が聞きたい。久しぶりに会えて嬉しいのはオレもだよ」


 そう言ってアサヒはオレの手を取りながら「オレも寂しかった」と囁くように言うので、今度はこっちが照れる番だった。顔のいい男にこんなことを言われて照れない奴はいないだろう。


「じゃあ、酒を注ごう。なみなみとな。杯を受け取ってくれるか」


 私は恥ずかしさを誤魔化すように、アサヒの手を握り返して少し大袈裟な口調でそう言った。

 アサヒはなに言ってるんだとばかりに怪訝な顔をしたあと、すぐに思い至ったのか呆れたように笑った。


「勧酒か。好きだな、それ」

「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ。何度聞いても名訳だろ」

「別にまたすぐ会いに来るよ」

「いまこの時間を大事にしようってことだよ。秘蔵のワインを開けてやろう」

「ワイン飲めねえわ。苦いし」

「子供舌め」

「好みの問題だろ」

「それもそうだ」


 手を離すタイミングを見失って、手を繋いだまま話を続けているのが少しおかしかった。

 それでもこの手を離そうとは思えなかった。


 さよならだけが人生だ。


 いつかこの手のぬくもりをなくす日が訪れる。

 だからこそこの子の手の熱さを覚えていられるよう、私は祈りを込めるようにしっかりと握りしめた。


 汗ばんだ手が握り返され、頭の上でアサヒが笑った気配がした。

 もう一度「会えて嬉しいよ」とひとりごとのように呟くと、アサヒがぐしゃりと私の頭を撫でて「泣くなよ」と言って笑った。




 

 

 

 


 







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