ルフ郷の剣士
四月、地竜王の月。俺、ジンタ・アイアンタートルは今日で15歳だ。
ポーチに入れた、磁気テープ再生型の携帯魔工プレーヤーで一昔前流行ったバンドの曲をイヤホンで聴いていた。
「・・とぅー、週末の雨降り、てぇいん~」
適当に口ずさみながら枝から枝、幹から幹、樹上を飛び跳ねて移動してゆく。貫頭衣に麻パンツに+1のブーツと、身軽な格好だから動き易い。
武器は腰の左に護身用の浄めのダガー、右には1発だけ炸裂弾を装填した2連装の古い仕様のグレネードガンだけ。他に持ち物はウェストバッグのみ。
「11時、過ぎちまった。ヤッベっ!」
中古で買った、どっかの軍隊だか警備隊だかの払い下げのゴツい腕時計で確認し、俺は急ぐ。今日は予定が詰まってる。
「おっ、ごめんなっ!」
前方に木がなくて着地した先にいた透明なゼリーみたいな『原種スライム』数体を驚かせてしまった。身を震わせて威嚇態勢を取ってくる。
俺は絡まれる前に飛び上がって近くの木の幹までいって蹴り、先を急ぐ。
「泥まみれで、街の~ててい、ふぁーん」
俺は、生まれ育った『ルフ郷』を囲む森の中を移動している。別に都会で流行ってるらしいトレイルランとかいうのじゃない。たぶんトレイルランは樹上を飛び跳ねたりしないだろうし・・
「逢えない日が育てるなんてぇ~たたーん、テケテぇ~、煙草の、っとぉっ? アンラッキーっ」
前方の大木に『毒ケムシーノ』が張り付いて、こっちをガン見してるっ! 殺る気満々だよっ。ケムシーノはモヒカン毛を持つ芋虫のヌイグルミみたいな温厚なモンスターだが、毒ケムシーノは名の通り有毒種で攻撃的っ。
回り道するのも面倒だった。
「照明魔法っ!」
俺は光の球を創り出して操り、毒ケムシーノの眼前まで飛ばして激しく輝かせながら破裂させた。
「ぎゃっぴぃっ?!」
軽く火傷して、木から剥がれて落下してゆく毒ケムシーノ。
「ツイてないぁっ、お前っ! へっへっ」
俺はそのまま木々を抜け、森が開けた場所にポツンとある、ルフ郷の墓所の入り口の前に着地した。魔除けの利いた林道もあるが、近道していた。
『礼儀にうるさいヤツ』がいるからイヤホンを取ってプレーヤーも止める。門に扉は無いので中へ入ってゆくと、早速いた。
日によって違うが今日はこれ見よがしにピッチフォーク(干し草を掻く農具)を担いでいて、偶然通り掛かった風に俺の方を見た。暇で人が訪れることを待ちわびていると思われるのはプライドが許さないタイプ。
『使役妖精』のゼンゴーだ。背は低く、首や手足は痩せ過ぎてるが腹は出ていて、極端に長い耳と鷲鼻、老人のような顔が特徴的。肌の色はくすんだピンク。
ルフ郷の墓所の墓守だ。
「なんだアイアンタートル家の小僧」
「ゼンゴーっ! 明日、俺、出発するからっ。墓参りだ。これ、妹が作ったヤツっ」
俺はウェストバッグから取り出した、大きな木の葉で包んだライスボールをゼンゴーに投げ渡した。
使役妖精は対価が足らないと、仕事ぶりがわかりやすく雑になるので注意が必要だからな。
「ふんっ、あの小娘がな。他人が手で直に握った物は積極的には食いたくないモノだっ」
「なら返せよ?」
「ふざけるなっ! 俺の物は俺の物だっ。とんだ強欲小僧だっ。信じられんっ、全く、最近のガキは・・」
ライスボールを大事そうに抱え、ゼンゴーはブツブツ文句を言いながら立ち去っていった。
「相変わらずだぜっ」
俺はさっさとアイアンタートル家の墓の前に向かった。
掃除を済ませ、『花鉢(花弁を備える習慣がある)』に花屋で買った『花鉢セット』の花弁を入れ、香台で香を焚いて、左手で右手の手首を持つ祈りの所作で両親と先祖に祈った。
「父さん、母さん。俺も兄さんに続いて冒険者になることにしたよ。村に残る妹を見守ってやってほしい・・さて」
俺は墓の前を去り、ポンプの所で手を洗い、近くのベンチに座って水筒を出し、弁当を広げた。妹特製のライスボール3個だ。これは纏めて、乾燥させて鞣した木の薄皮で包んである。
ふと見るとゼンゴーはまだ葉に包まれたライスボール1つを持って食べずにウロウロしていた。
「おーいっ! ゼンゴーっ! こっちで一緒に食べないかっ?! 笹茶もあるぞっ?」
「ジンタっ、俺はお前の友達じゃないっ! 気安いぞっ?!」
眼を剥いて言って、墓守小屋に入ってしまった。無視したら無視したで、機嫌悪くなるからややこしい。
「大袈裟だなぁ」
俺は呆れつつ、ライスボールを食べだした。
「んぐんぐ・・おっ、酒蒸し焼き鱒のほぐし身かぁ、豪勢だなぁ」
他の2個は梅ピクルと川昆布の佃煮だった。定番っ! 好物っ! わかってるなぁ、マイシスターっ!!
俺は昼飯を食べ終え、墓守小屋に挨拶に行ってウザがられつつ、墓参りを済ませ、墓所を後にした。
ルフ郷の外れにある家に戻った俺は、家事に取り掛かった。妹はまだ教会学校に行ってる時間だ。
水回りを中心に掃除。屋根の補修。家庭用魔工製品の不具合チェック。ポンプの具合チェック。鶏舎の世話。結構広い菜園の世話。魔工農機のチェック。家の魔除けや防犯関係のチェック。倉庫のチェック。全体的に家関係の魔工製品の、妹にもわかりやすいマニュアルの作成。
普通なら丸一日は掛かりそうだが、俺は3時間でやってのけたっ。ふふんっ、優秀な次男っ! ジンタ・アイアンタートルとは俺のことだっ。
「よしっ、売るモン売ってくるか」
俺は売却用素材をどっさり家で一番デカいリュックに詰めて郷に1軒しかない『よろず屋』に向かった。
「・・はい、確かに。ジンタ、冒険者になるなら素材収集専門にしたらどうだ? お前は兄ちゃんの『ソウスケ君』とは違うタイプだと思うなぁ」
「いやぁ、色々やってみますよ」
兄のソウスケは4年前に冒険者なっていて、今は冒険者ギルドで『特一位』のランク付けになっていた。今、特一位は世界で31人しかいない。
どれくらいスゲェかというと『超・神・スゲェ』というくらいスゲェ。語彙オカシくなる凄さっ! 弟の俺が、始める前から『無理することないんだよ?』と気を遣われるくらいさっ。
森や、近くのハーフエルフの隠れ里なんかで獲得した品々を売った俺はペコペコになったリュックを背負って、続けて郷に3軒ある酒場の中で郷で唯一の冒険者ギルドの支部指定を受けている酒場『ジュリアンの店』に向かった。
ここは仕事の発注と受注、情報交換ができる他、2階が冒険者用の安い宿にもなっている。冒険者以外では郷の自警団御用達の店だが、それ以外の住人はあまり来ない。
「ジュリアンさん、冒険者ギルドへの仮登録、お願いします。これ、エントリーシートと料金」
「は~い。メイン職はやっぱり『剣士』か・・アイアンタートル家の子だもんね。魔工電信はすぐ打っとくから、明日、メジハの支部に行っても『見習いの仕事』くらいは受けられるからよ?」
メジハは森を抜けた先にある、ルフ郷に一番近い村だ。
「お願いします。この後、里長に推薦状もらってくるんで」
「うん。モスグリーン領主は貴方のお兄さんも御両親も知っているはずだから、推薦状があればギルドへの推薦状、一筆書いてくれるわ」
ルフ郷もメジハ村もモスグリーン領にある。森の中のルフ郷なんかはほぼ自治だけど。
「推薦状の錬金術ですねっ!」
ジュリアンさんは苦笑した。
「調子に乗らない。ギルドの教練所に通わず登録するってことは、基礎訓練受ける機会が無い、ってことだからね? 最初の内は大人しく生まれたての仔山羊みたいにしてなさいな」
「まぁ、様子は見ますけど・・」
ジュリアンさんも、よろず屋の店主とは違うベクトルでベイビー扱いしてくるから、こそばゆいぜっ!
「妹ちゃん、マコトちゃんも1人になっちゃうから心配ね」
「マコトはしっかりしてますし、郷には叔母さんもいるから」
ジュリアンさんは眉をひそめた。
「あの人、貴方達のお母さんと仲悪かったじゃない。大丈夫なの?」
「ううっ、まぁ、親戚なんで・・」
確かに父方のあの叔母は母と緊張感があった。俺達とも微妙で、特に同性の妹とは結構バチバチしているところはあった。
それから里長に推薦状をもらい、叔母さんの所に挨拶に行って「冒険者なんてなんにもならないわ。毎日の暮らしから逃げてるだけ」とビシッ! と言われ、最後に俺の送別会をダシに1人の親が経営している食堂で教会学校の同窓会をやってる学友達の元に顔を出した。
教会学校は飛び級や留年がなければ数え年で14歳までで中等教育を終える。厳格な単位制で、修行や家の仕事がある俺はたぶん半分くらいしか出席してなかったけど、座学の成績はそこそこだった。
国や地域や種族にもよるが、人間族の庶民はほとんど中等学校までしか通わない。
「冒険者で1発当てたら貴族とか芸能人と付き合えるんだろ?」
「危ないんじゃない?」
「保険入った方がいいよ?」
「お前の兄ちゃんイケメンだったなぁ」
「僕は冒険者より役人志望だな」
「はいっ! 私っ、今年こそは高等学校の入試、受かってみせますっ!!」
「お~~っ!!」
「あ、実は俺、この間の版画のコンクール、3次選考通ったみたいなんだ・・」
「うおーーーーっっ!!!!」
「え? ミツオ、まだ版画やってたんだっ?!」
「俺は家業の家具屋立て直すっ!!」
「私もジメハでフリーターやろっかな?」
「いや、冒険者はフリーターじゃないけど・・」
「はいはいっ! シスターミズキの真似っ。『懲罰が必要ですわぁっ!』」
「似てねぇ~」
「引っ込めっ」
ワイワイガヤガヤと、もうほぼ全員働いているけど10代中盤ばかり集まると取り留めもなく、騒がしくて、既に懐かしい気持ちになっちまった。
この後スピーチさせられたのには辟易したが・・
送別会を終えた午後5時半過ぎ、俺は骨董並みに古い貨物輸送用の魔工3輪バイクの荷台に乗って郷の外れの俺と妹の家に向かっていた。夕陽が綺麗だ。
自転車程度のスピードしか出ない骨董バイクを運転しているのは教会学校同期のヒロシだ。一番よくツルんでたヤツだ。
「女子、普通にしてたけど、ジンタが店に来る前はメソメソ泣いてるのが3割くらいいたかんな」
変なステッカーをベタベタ貼った、これまた骨董みたいなヘルメットを被ってるヒロシ。
「なんで泣くんだよ? 意味がわからん。俺は兄貴みたいに道歩いてるだけで郷の人がワラワラ集まってくるような男じゃないぜ」
兄貴が冒険者として出世する前の話な。
「基準がオカシイだろ? お前はお前で3割くらいの女子がなんもしてなくても『いなくなくなる』ってだけでピーピー泣かすんだからなっ。自覚しろよ? しまいに刺されちまうぞっ?!」
「えー・・」
ドン引きする俺。
「マチはさ」
ヒロシの声のトーンが変わった。マチ。教会学校の中等課程に入った辺りから、付き合ってるような付き合ってないような、そんな関係だったが去年の暮れのキッパリとフラれた。
送別会も来てなかった。
「経理の資格取ったらどっか都会に出て働くってさ」
「へぇ」
ヒロシはマチが好きなので、俺は話題をすぐに変えた。解散した人気バンドの話や、新進気鋭のプレイガールの番付や、教会学校の思い出話をした。
近くまで送ってもらい家まで帰ってくると、側にカンテラを置き、木製の防具で身を硬め、大小の木剣を持った妹、マコト・アイアンゴールド(数え年12歳)が待ち構えていた。
「なんだ? 戦か?」
マコトは結構な勢いで大きい方の木剣をブンっ! と投げ付けてきた。危ね、と思いつつ柄を受ける俺。
「勝負だ、お兄ちゃんっ! 今日こそ1本取るっ!!」
「稽古かぁ・・」
俺は溜め息を吐いた。性格的に『来るだろうな』と予感はしていた。
「わかった。ここは柵とかあるから裏庭行くぞ?」
「わかったっ!」
移動して、空のデカリュックを置いて、片手で軽く構えた。マコトは身を縮めて猟犬のような構えをしている。癖強いなぁ。普通の剣術教えたはずなんだけどな??
「マコト、来いっ」
「お兄ちゃん・・覚悟っ!」
マコトは小さな身体で野性的に飛び掛かって短めの木剣で攻撃してきた。荒いけど、勘が良く、速い。
「勘はいいぞ?」
パワーとリーチが足りないのは仕方ないが、動きが荒いのは気になった。荒さ、後々まで修正が難しい場合が多い。
何合もマコトの攻撃を受け、軽めに捌き、弾く。
「複雑なことはまだいい、だが取り敢えず身体の側面を晒し過ぎなのは直せ」
今日、限りだ。今のマコトで実行可能で、後に繋がるアドバイスを言葉を選んで言ってみた。
「わかったっ!」
言われた通り、側面の隙が小さくなった。動き全体も引き締まる。不慣れな感はあったが、ぐっと良くなった。
「いいぞっ、ケムシーノ2匹までならその装備でブッ飛ばせそうだ!」
「ケムシーノ? ふふん。こっから本気だよっ、お兄ちゃんっ!」
マコトは飛び退いて魔力を高めた。マコトの『本気』それは・・
「火炎魔法っ! 氷結魔法っ! 石槍魔法っ!」
マコトは炎と氷の矢と石の礫を放った! マコトは攻撃魔法バンバン使ってくるんだよっ。
「ヤッベっ」
俺は躱し、木剣で弾く。前よりコントロールも弾速も破壊力も上がってる。だが、
「エルっ! エルっ! ヴァルっ! ・・ううっ~・・エルっ! ふぅ~」
マコトは最後の火炎を放ち終えると、バテてその場にヘタり込んでしまった。マコトは気持ちで魔力を高められるタイプだが、逆に魔力が切れるとヘバり易い。
火炎を木剣で払った俺はスタスタ歩み寄って、座り込んだマコトの木の兜をコツンと小突いた。
「勝負あり、だ。魔法使い出したらそればっかりになるのと、いい加減『攻撃魔法しか覚えられない』のなんとかした方がいいぞ?」
「にゃ~・・一回使いだすと、カッとなって止まんなくなっちゃうだよぉ。攻撃以外の練習もつまんなくてぇ」
「色々問題がある発言だなっ。まぁいい、良くないけどっ! 取り敢えず水分取って風呂入れ」
「は~い、あぁっ! 最後までお兄ちゃんに勝てなかったなぁっ」
腕を取って立たせてやると、マコトはケロっとした顔でカンテラを拾って家に入っていった。俺は今まで闘っていた裏庭を見てみる。
マコトに爆撃されまくって荒れ放題になっていた。
「剣士より魔剣士か魔法戦士向きだな」
我が妹ながら末恐ろしいぜ・・
交代で風呂に入り、俺の誕生日を兼ねて豪勢めな夕飯を食べた。
いつもなら少し休憩してから夜間トレーニングか自分の部屋に戻って冒険者活動関係の勉強をするところだが、今日はリビングに残って据え置きの古くてやたら大きい魔工ラジオ聴きながら、マコトと色んな種類のボードゲームやカードゲームを引っ張り出してきて、2人で長々と遊んだ。
「はい、またわたしの勝ちぃ~」
「マジかよっ? 弟子にしてくれねぇか?」
「へっへっへぇ~」
今日までに色々話したし、家や生活に関するあれこれはノートに書いておいた。あまり真面目な話はしなかった。
翌日、夜明け前。空が白染み始める頃、俺は『石器の剣』1本を持って昨日、妹が荒らした裏庭に出ていた。
石器の剣は規格は片手でも両手でも使えるロングソードで、石の刀身の剣だ。石と言っても初歩的な錬成で硬く強く鍛えられている。特に強力でもないが幽体の魔物にも効果があった。
服装はバンダナにタンクトップにハーフパンツにデッキシューズ。こういう格好でウロウロするとマコトがうるさいが、まだ寝ているからいいだろう。
俺は一通り簡単に剣術の型を確認してから2種類覚えた。剣の技の確認を始めた。構え、呼吸を整える。
「セィッ!!」
魔力を乗せて交差して斬り付ける『十字抜き』。冷たい夜明け前の空気を斬り裂いた。
「ハッ!!」
突きと同時に刀身に溜めた魔力を炸裂させる『烈光突き』。打ち抜かれた空気が鳴って、衝撃が菜園の方まで伝わり、その奥の林の鳥達が驚いて飛び立っていった。
汗を拭い、姿勢正して、魔力を練り直した。仕上げに使える魔法4種の確認もする。
「ポロっ!」
光の球を出してマコトの部屋の窓は避けて家の周りを周回させて、手元に戻し、小さく瞬かせて消す。
「植物魔法っ!」
地面から蔓を生やして近くに置いてあった農具を取って振り回させ、また元の位置に静かに起き、解除して蔓を崩壊させて消した。
「加速魔法っ!」
挙動を大幅に速くして裏庭中を駆け周りながら石器の剣で連続して攻撃と回避行動を繰り返し、加速を解いた。
「はぁはぁ・・」
これは負担が大きい。技は同時に使えない。視覚の加速と、下半身の魔力補強を誤ると自滅しそうだった。
「回復魔法」
淡い輝きと共に体力だけは回復した。体外に完全に出てしまった水分や栄養、魔力や気力は戻らない。
今の俺にできるのはこれくらい。当面、この地力と、装備と持ち道具でやりくりしていかないとな。
「よしっ、シャワー浴びて朝飯作っとくか!」
俺は家の中に戻った。
午前6時過ぎ、俺は自室で装備を固めた。擦れ防止の頭巾と鎧下の上から、家に伝わるアイガードを上げ下げするタイプの『夜鷹の兜』を被り、魔物の甲羅を錬成した軽量鎧を着て、その上から魔除けのジャケットを重ね着していた。
腰周りは昨日と変わらず浄めのダガーとグレネードガンに、スローイングナイフ(投擲用の小さなナイフ)も何本か仕込んだ。
ボタンの留め具付きの革の鞘に入れた石器の剣はベルトで固定して背中に背負い、鞄の類いはポーチとウェストバッグと程々の大きさの頑丈なリュックだけ。
荷物は厳選した。最初のメジハの村まで俺の脚なら軽めに走っても昼までに着く。大荷物は取り敢えずは必要無い。
後はマコトが勝手に買った何やら妙に可愛い兎の上履きから、+1のブーツに履き替えるだけだ。
「父さん。母さん。兄貴。出発するよ」
俺は色褪せた写真立ての家族写真に行って部屋を後にした。マコトはまだ赤ん坊の頃の物だ。
「・・わたしも3年後には続くからっ!」
家の前で、カンテラを持って涙ぐんでいるマコト。パジャマにカーディガンだと、昨夜裏庭を荒らした猛者と同一人物に見えないな。
「年に何度かは帰るから。ソウスケ兄さんも年に1度か2度は戻ってくるだろ?」
「上のお兄ちゃんは歳が離れ過ぎてなんか怖いよ。あの人はもはや『お父さん』だよっ!」
「お父さんて・・」
苦笑するしかない。父はマコトが産まれて一年経たない内に亡くなっている。確かに、マコトにとって兄貴は『父』だったかもしれない。
「元気でな、叔母さんとも仲良くな」
「え~、叔母さん苦手」
見たこと無いような悪い顔をするマコト。
「仲良くなくてもいい、色んな人に助けてもらえ。・・マコト」
「何?」
「俺もソウスケ兄さんも、普通の家族みたいにずっと一緒に居てられなくてごめんな。性分でな、ロクデナシなんだよ。大人しくしていると、フワフワして、己を見失いそうになる。行くしかないんだ」
「別に、わたしは・・」
マコトは駆け寄って抱き付いてきた。カンテラが揺れて危ないから持って支えてやった。妹は泣いていた。
「育ててくれてありがとうっ! わたしは全然大丈夫っ!! わたしはもう全然大丈夫だからっ!!」
「マコト」
どんなに準備しても、度を越えて勝手にするのはそれだけで業が深いもんだと、改めて思い知らされた。
叔母さんの言葉が思い出されて、今になって耳が痛い。
装備が少し重かったが、俺はまた安全な林道を使わず木々を飛び越えてメジハ村方面口を目指して移動していた。急ぐ理由は無いが、そんな気分だった。
と、出口近くまで来ると、人の気配や、焚き火の燃える臭いがした。
「ん?」
少し距離を取りつつ、樹上から確認する。メジハ方面口に一番近い『祓い所』で、俺と同年代くらいの女の子が一人でキャンプしていた。
祓い所は普通、野外に設置された念入りに魔除けを施した安全地帯だ。設備内容は場所による。
ここは郷の近くだからわりと充実していて、キャンプスペースに脇にバンガローも併設していた。安全な林道の脇にあるのでかなり安定した祓い所と言っていい。
祓い所の林道側の縁にオフロード仕様の型遅れの三輪バイクが停められていた。よく知ってる車両だ。
その冬のようなダウンジャケットを着込んだ女の子は、焚き火の前の携帯折り畳み椅子に座って、マグカップで何か温かい飲み物を飲みながら、林道の方をジッと『最後の戦いに挑む勇者のような顔で』見ていた。
「参ったな」
俺は小声でボヤいて、祓い所の近くの木の上まで移動した。
「マチっ!」
呼び掛けると、女の子、マチはギョッとして、振り返った。
「ジンタっ?! どっから出てきてんのっ??」
「俺には俺で、色々あるんだよっ」
祓い所に飛び降りた。
「待ってたのか? まさか俺の旅の仲間に」
俺が軽口を叩きかけると、マチはいい匂いのする樹脂の小袋を投げ付けてきた。
「ブラウニー焼いたんだ。あげる。昨日、送別会行かなかったのはちょっと意固地、っというか、ダサかったな、っていうのがあって」
「・・おう、ありがとう」
「甘さ控え目で、ハーブ使ってるから傷み難いと思うけど、早く食べた方がいいよ?」
「わかった」
「・・・」
「・・・」
速攻、間が持たないっ。
「あたし、資格取ったら郷を出ようと思ってるんだ」
「ヒロシから聞いた」
「アイツはすぐジンタに話しちゃうね」
「ヒロシはヒロシで色々あるんだよ」
「あ、そう」
マチは棒きれで焚き火をイジった。
「あたしはあたしで大人になるから。ジンタもちゃんとしてね」
「・・了解。へへっ」
ちょっと笑ってしまう。俺の故郷、トータルで好きなヤツばっかりだ。
「何が、へへっ、よっ! こういう時ふにゃふにゃ笑わないっ。『残念イケメン』と思われるよ」
「へへへっ」
「ふふっ、移っちゃったじゃんかっ! やめてっ」
俺達は暫くふにゃふにゃ締まりなく笑って、5分後には森で「それじゃ」と別れた。
ルフ郷の森のメジハ方面口まで来た。目の前は名前も無い草原で、そこに魔除けの利いた簡素の街道が延々と続いている。街道には『泣き笛街道』と名が付いていた。
大陸を貫く泣き笛街道には本道から無数に支路が別れていて、このルフ郷の森に至る道もその一つ。ルフ郷の森より先は郷が整備した林道だけだ。街道はここまで。
父は冒険の旅先で亡くなったが、母は呪いの病を患いながらも俺達のいるこの森に帰ってきた。母の旅はここが終着だった。
「・・・」
俺はここから旅立つ。兄もだった。いつか妹も、おそらく。
「遠かったんだろうな」
どこかに帰るまでが旅なら、俺もそこを見付けよう。
「行くかっ!」
俺は赤い朝焼けの、冷たい風の強い草原の中の泣き笛街道に踏み出した。