第二章 第一節
「はぁ、はぁ、はぁ、…ま、待って…」
あたし、ただいま全力疾走中。前には、ルル、リトラス、フィオナ姉、さらにその前方にはキールが操縦する馬車がある。あたしたち五人のうち誰かが馬車の手綱を引き、残りの四人はそれを追いかける、というシステムだ。でも、五人のうち乗馬経験があるのはキールとフィオナ姉だけだったので、実質はその二人の交代制だ。フィオナ姉はあたしたちの様子をみてスピードを調節しててくれたけど、キールは容赦ない。あたしたちと馬車の距離はどんどん離れていく。
「ふう、少し休憩しよう。どうせ、この山道は一本道なんだから、少しぐらい離れても大丈夫よ」
道の端にある木の下にみんなで座る。誰も彼も、顔を赤くして、息を荒立てている。
「はぁ、セレナも、少しは僕たちについてこれるようになったんじゃない?」
「そう、だな…。さすがにこの生活も一週間。お主の身体も疲労限界領域の幅を広げていることだろう」
「うん、自分でも前より絶対速くなってると思う。ちなみに、フィオナ姉、ククルまではあとどれぐらいなの?」
あたしたちの最初の目的地は、東領の大都市・ククル。この国、鏡月は「領地境界」で東領・西領・南領・北領・中央大領の五つに分かれている。セルカートを中心に上下左右に放射状に出ている境界線で四つに国が分けられ、それぞれに領長がいる。あたしたちはいま、南領の境界を抜け、東領に入るための山道を地味に北上中。鏡月一周にはこの道が一番近いらしい。
「そうね…。もう半分は過ぎたと思う。それよりセレナ、敬語抜くの慣れてきたね」
「でも、何で“敬語は抜くけど礼儀はそのまま“なんていうルールを作ったわけ?」
「ただ単に、うちが人に敬語使われるの慣れていないだけ。でも、礼儀は大事だから大事にしないとねって感じかな」
「ちなみにお主は、姉さんのお主を呼ぶ二人称が変わっていたのに気付いているか?姉さんは信用できるやつにしか“あんた“をつかわないぞ」
「本当だ」
「ちょっとルル…!」
「ついでに言うと、お前は何で僕らが鏡月を一周してからセルカートに向かうかって知ってるの?」
円形大国、と称される鏡月の中心部に向かうのに、わざわざほかの地域を回る必要はない。
「そう、それ!今度聞こうと思ってたの。フィオナ姉…」
「新入団員確保と、名前売り、あとはそう、フィオナの恋人探し」
「へぇ、そうなんだ…。って、キール!?」
突然、背後からキールの声がして、すごく驚く。
「あのねぇ、キール。人の事情を勝手に人にバラさないことと、不用意に人を驚かさない!」
フィオナ姉が後ろを振り向き怒鳴る。木にもたれて背を向けていた道には、いつの間にか手綱の持ったキールと馬車がいた。キールはほぼ、音を立てずに動く。でも、馬の蹄の音もしないって…。
「お前らがあまりにも遅いから戻ってみたら、のんきにおしゃべり中だったからな。現実に戻らしてやったんだよ」
ほら、交代だ、とキールが馬車を降りる。
「ねぇ、みんなはまだ走る?」
「…大丈夫」
「身体が限界疲労フェーズに突入した…」
「馬車でゆっくりしたい…」
「はい、四対一でうちらの勝ち。今日の体力トレーニングは終わりよ。ほら、キールもおとなしく乗る!」
「少し甘くないか」
「トレーニングの言いだしっぺのうちが言うんだから、終わりなの。走りたきゃ、一人で走って…」
「まだ昼間なのにこの具合か…?」
「お主が丈夫過ぎるのだ…」
ふん、と鼻を鳴らして、何を思ったのか、春の青空を仰いだキールの横顔は、どこか寂しげに見えた。まるで、疲れていない自分の身体をどこか厭うような顔つきだった。