第一章 第一節
チリン、チリン♪
「ありがとうございました…。」
一般的にこの言葉は店員がお客さんに対していうもので、ドアベルはお客さんが外に出たから鳴るものだろう。
だが、今回は違う。扉を開けてドアベルを鳴らしたのも、ありがとうございました、といったのも、元店員のあたしだ。
つまり、あたしは、たった今、たった半年間勤めたこの「シャロット書店」をクビになった。
「はぁ…」
溜息をつく。ついても仕方ないとわかっていてもついてしまう。
だって、あたしはもう身寄りも仕事もない。退職金って言って、書店の店長さんは十四歳のあたしには多すぎるほどのお金をくれたが、これもいつかは底をつく。
他の仕事を探すのには、きっと今の時期には苦労するだろう。
この世界共通の法律「ファンレイム法」三十五条にはこんなことが書いてある。
~全世界の男女は己の身の境遇に関係なく十四歳の春に故郷を出、最低二年半何らかの仕事に「見習い」として従事しなければならない~
この書き方だと、まるでその期間が終われば働かなくていいように聞こえるが、実際はその逆。各店や役所は子供たちをいかに囲い込み、そのまま大人になっても従事させるかを重きに置いている。あたしがいた店も、決してそんな風潮を無視しているわけではなかった。ただただ、あたしがドジだっただけだ。本を運べば必ずひっくり返す、ややこしい客に当たればテンパる、本の卸売り業者に丸め込められて本の仕入れ値を吊り上げられる…。改めて客観的に自分の行動を振り返ってみても、どう考えてもいい店員でも、見習いでもない。
「これからどうしよう…」
夏空を仰ぐ。路地から街の中央通りにでる道は、まるでクビになったあたしを嘲笑うかのように続いている。通りに面した大きな店の窓に映る人影は、黒がかった茶髪を頭の左下でくくっている、赤い眼鏡をかけた冴えない少女。つまり、あたしだ。
これからあたしが取るべき行動は、まず「引継ぎ屋」に行って、人員募集が掛かっている所はないかを聞いて新たな仕事を探すこと。あと、今日の宿探しだ。
引継ぎ屋は、その名の通り、人員を募集している所と仕事を探している人とを結びつけることを生業としている。まずはそこで聞き込みだけど…。まずまずのところ、新しい見習いが入ってきて半年しか経っていないこの時期に人を雇ってくれるところは見つかるのだろうか…。というか、もし見つかってもまたクビになるんじゃ…。
ゴーン、ゴーン
「わっ!」
足元ばかり見ていたあたしは、突如あたりに響いた大音量の音に文字通り飛び上がる。
いつの間にか中央通りに出ていたらしい。今の音の発生源は、この街自慢の大時計台だ。
この世界、鏡月は大きく東西南北の四つの地域に区切られている。今あたしがいるこの街は、南地方最大の都市、ネムだ。ネムは別名「文化の中央街」。音楽、文学、演劇、衣食住…。鏡月の全ての文化が結集し、また新たに生まれていく場所だ。だからか、街の外装もとてもきれいだ。あたしが出てきた田舎町のフィルッケルとは、同じ南地方と思えないぐらいの差がある。
あたしは、中央通りのさらに中央、噴水広場の件の時計台を見上げる。軽く十メートルはあろうその支柱の上にあるのは、これまた大きな時計。鐘が音が低いのが一回と、それよりもう少し高いのが十一回鳴った。朝の十一時だ。最初の音の高低で午前か午後を知らせ、そのあとの鐘で時刻を知らせる。さすがはネム、時報のシステムもオシャレだ。
からくり時計だった時報の鐘から、時報の鐘と共にでてきた人形たちが中へ帰っていく。あーあ、また見逃した。書店に行く初日に見逃して、でも最低二年半はここにいるんだからいつか聞けると思って、意気揚々と今来た道を逆方向に歩いたあの日が懐かしい。
泣きたくなる。
帰りたくなる。
帰りたい、あたしが育った、あの家に。
家といっても、あたしは孤児院育ちだ。でも、よく小説に出てくるような怖い孤児院ではない。そこのママ(院長さん。みんなからはママって呼ばれてた。)もパパもお手伝いさんも、優しいけど叱るときは叱ってくれて、本当の家族のようにあたしたちは育った。孤児院も田舎町だからか規模が小さく、最年長だったあたしたちから、一番下の子を合計しても二十人程度しかいなかった。でも、フィルッケルの孤児院は他のところの孤児院より厳しい所が一つだけある。それは、十四歳の春に孤児院を出たら、見習いとしての職務を全うするまで孤児院に帰ってはいけない、という決まりだ。あたしたちは小さい頃からそれが当たり前と思って生きてきたから、ネムにくる途中の電車で出会った子の驚きように、あたしたちも驚いてしまった。
そう、あたしたち。
あたしには、同じくネムにきた同い年のカナという親友がいる。あの子は、王宮の見習い試験に見事合格したから今は王宮にいるはずだ。たったの半年で見習いを解雇されたあたしとは大違いだろう。
いつの間にか目の前にあった「引継ぎ屋」の看板がかかったドアを開ける。
カランコロン♪
どうやら、この街の商店はドアベルをつけるきまりでもあるらしい。
「おいで、何かあったの?」
正面のカウンターに座っていた赤髪のボブのお姉さんが手招きしてくれる。
「あの、えっと、つ、ついさっき見習いを解雇されたんですけど…」
「あらま。…でも、そんなに問題児じゃなさそうなのにねぇ。あっ、もしかして、辞めさせられた?」
「ち、違います!店長さんも店員さんも何も悪くなくて、ただ、あたしがドジだったことが原因でっ!」
「んー、そっかあ…。で、再就職しにここに来たのよね?お名前は?」
「セレナ・カラリアです。こんな時期に、辞めさせられたばかりのあたしを雇ってくれるところはありますか?」
「そう自分を卑下しない。あなたなんか、全然いい子。店員見習いのくせに客に暴言吐くようなヤツよりも全然いい。あ、ごめんなさい。そんな奴と比べるなって話よね。」
「い、いえ…」
陽気な口調のなかに疲れを醸しつつ、お姉さんはノートみたいな何かを触る。
「あの、それって、“機巧“ですか?」
「ええ、そうよ。色々できて便利なんだから。」
機巧は、最近四大陸主要都市を中心に出回りだした、機械のことだ。「パネル」というものの中に情報が映し出されるもので、あたしも人生の中で見かけるのは二回目だ。
「そうね…。無条件に受け入れてくれるところは…。あったわ。」
「ど、どこですか!?」
「月猫劇団というところでね、どうやら劇団員を募集中らしいの。あ、心配しないで、“条件“の欄には何も書いてないから。なんか、音楽経験とかある?」
「ハーモニカを少し…」
「出来るの!?すごいじゃない!ならここに決定ね!住み込みだから、住むところも心配なしよ!」
「いや、でも、あたしドジですし、ハーモニカだって人に聞いてもらえるレベルじゃないですし…。まずまず人前にでるなんて…」
「大丈夫よ!ここの団長さん、確か女の人で優しかったはずだから、きっと大丈夫」
「…でも、演技力とかないし…」
「ちょっと今までと視点を変えた仕事もいいかもよ?とりあえず、見に行ってみたら?ダメそうと思ったら、戻ってきな。仕事また紹介してあげる。」
「…はい」
「これ、住所ね。あと、これ、ノートとペン」
「…え?」
「私からのプレゼント。まあ、この前のバザーの売れ残りだけど。」
「あ、ありがとうございます!…それじゃあ…」
「うん、いってらっしゃい!頑張ってね!」
というわけで、新しい就職先(?)は見つかった。なんか、お姉さんに押し切られた気もするけど…。まあいいや!ママから教わったもん、流れに乗ることもたまには大事って!
私は大事にもらったノートとペンをショルダーバッグの中に入れる。
メモ片手に、さあ、その月猫劇団さんにうかがいますか!
ぐう~
その前に腹ごしらえね…。
ネム名物のサンドイッチは最高だった。あたしは満腹のおなかを抱えて、屋台街をでる。ここは前から安いっていろんな人から聞いていたけど、ほんとに安かった。それでいておいしいんだから完璧だ。カツサンド、テイクアウトでもう一個買った方がよかったかな…。
「あ」
サンドイッチ効果でふわふわしているあたしの目に入り込んできたのは、図書館。しかも、鏡月共通の王立月光図書館だ。この図書館は、鏡月全土に散らばるように存在し、貸出カードが共通で使えるうえ、貸出期間も長く、利便性がいいことで有名だ。あたしの故郷フィルッケルの近くにもこの図書館はあって、貸出カードも持っている。こんな大きい街なんだから、絶対どこかにあると持っていたけど、ここだったとは…。
って、それよりも月猫劇団よ!きちんと探して、雇ってもらえるようにしなきゃ!
…でも、ネムの図書館って鏡月の中でも指折りの大きさだったよね…?それはとても魅力的。
んん…、どうしよ?
「ちょっと、ちょっとなら、いい、よね?」
結局、誘惑に負けたあたしは図書館の扉をそっと開けた。