フクロー女王
―― 半月後、ジーク王国 古都ベルローラにて ――
「オードラス・ジグスのことは無念でした……」
フクロー女王はキーオーを謁見の間に通すと、開口一番にそう言った。女王は70歳を超えていたが、堂々とした振る舞いで、確固たる信念を持っているようにキーオーには見えた。生まれつきの赤髪にはところどころ白髪が混じり、まるで雪化粧した薔薇のようだ。
キーオーは無礼のないように膝をつき、深く頭を下げた。連邦ではラザール皇帝の顔を、市民が見ることすら許されない。すると女王はキーオーに近づき、彼の左肩にそっと手をのせて言った。
「顔をあげてください、キーオー。よくここまでたどり着きましたね」
その声は労をねぎらうようであり、キーオーの無事を喜ぶようでもあった。威厳はあるが、権力をかざす素振りは微塵もない。
「はい。ありがとうございます」
顔をあげたキーオーは、再度近くで女王の顔を見た。皺が寄った目蓋の奥に赤い瞳が見える。上下が繋がった女王の黒い召し物は装飾が一切なく、彼女の混じりのない考えを象徴しているかのようだった。
「あなたの活躍はシュライダやリータたちから聞きました。命を懸けてスライノア監獄の囚人たちを解放する働き、とても見事でした」
「ありがとうございます。そう言っていただけて光栄です」
シュライダたちがキーオーや脱獄した囚人たちを連れて、ジークの首都ベルローラに到着したのは昨晩のことだ。
あの日、キーオーたちは命からがらスライノア監獄から脱出し、シェラル公国まで逃げ延びた。シェラル公国ではジークの協力者の支援を得て連邦の追手から身を隠しながら、なんとか空路で『全海洋』へ出た。そこからは全海洋の島々を転々とし、海洋経由で連邦領から脱出。さらに陸路をひたすら歩き、半月かけて古都ベルローラまでたどり着いた。
「あなたの叔父さんを含め、多大な犠牲が出てしまったのは悲しいことです。しかしそのおかげでスライノア監獄の残酷な実態が暴かれ、世界は連邦政府に非難の声をあげています。連邦政府は否定していますが、こちらには写真と生存者の証言もあるのです」
フクロー女王はゆっくりと王座に戻り、悲しそうな顔をして続けた。
「私たちの目的は連邦に勝つことではありません。戦争を終わらせたいのです。その意味では少ない血で、大きな戦力をそぐことが出来た今回の作戦は成功だったと言っていいでしょう」
叔父さんは死んだ。キーオーはジークにたどり着くまでに、何度もその事実を受け入れようとした。しかしスライノア監獄で人の波に飲まれて離れ離れになったのが最期であり、叔父さんの遺体を見たわけでもないキーオーには、彼が死んだという事実はどうしても受け入れがたかった。
またアムチャットで別れたときのように、いつの日か生存の連絡がきて、再会できるのではないだろうかと考えてしまう。だがあの日、遠くからスコープでスライノア監獄を見ていたシュライダは、戻ってきたキーオーに、はっきりとこう言った。
「オードラス・ジグスは死んだ。特捜部の機銃掃射によって……」
嘘だ。叔父さんが死んだなんて……。
キーオーの頭にはシュライダの一言と叔父さんとの思い出が不思議な一体感をもって同居していた。まるで伝聞だけで死を知らされたかのような、そんな感覚だった。
「少し二人だけでお話ししましょう」
そんなキーオーの思いを察したのか、女王はそう言って侍女と衛兵を下げさせた。
「あなたの叔父さんと出会ったのは、まだ私が40代のころでした。叔父さんは世界中を飛び回り、旅行記を書いている最中だったのです。旅の中で知ったフラシリス皇国の人身売買について調べていた彼は、フラシリスの警察から追われている立場になっていました。フラシリス皇国はジークまで逃げてきた叔父さんを逮捕し、身元を明け渡すように言ってきたのです。しかし私はフラシリスの要求を拒否し、査証を発給して彼をかくまいました。あなたの叔父さんが持つ強さに、希望を感じたからです」
「叔父さんの強さですか?」
「ええ。どんな武力や軍事力よりも強い、叔父さんが綴る言葉の強さです。その力は、未だ連邦が成し遂げられていない世界の統一と平和を成し遂げることができるものだと私は考えています」
女王は謁見の間の天井を見て言った。そこには古い世界地図が描かれており、連邦もジークも存在していない。それどころか、大陸や海の形すら今とは異なっていた。
「ここ古都ベルローラは世界で唯一、二億年前に栄えた超古代文明の遺跡が残る街です。かつて人間は言葉も宗教も全く違っていたらしいのですが、争うことなく平和に暮らしていたといいます。連邦によって世界中の国家を統合しなくても、私たちは平和に暮らしていけるのです。あなたの叔父さんはそれぞれの国ごとの暮らしや考えに精通し、そのどれに対しても優劣をつけることなく世界に伝えていました。私たちが目指すのは連邦のような統一された世界ではなく、雑多ながらも多様な世界です」
「私も叔父からよく世界中の話を聞かされました。いろいろな暮らし方がある世界のほうが、統一された世界よりも面白いと思います」
キーオーは女王の考えに概ね賛同した。確かに叔父さんの言った通り、争いを好まない人のようだ。
この人にならあの石を預けられる。キーオーはそう思った。
「叔父から女王陛下に、渡してくれと頼まれたものがあります」
「何でしょうか?」
キーオーはボロボロになったザックを脇に置き、中から発光石の結晶を取り出した。




