露命の強者
砲撃の音が止んだ。機銃掃射がひと段落した合図だった。
「キーオー、お前はジークの友人たちと行くんだ」
叔父さんはキーオーの肩に両手を置いて言った。元気な囚人たちと叔父さんは、二手に分かれて正面と裏口から脱出し、特捜部を引き付ける囮役になる覚悟を決めていた。
「俺もいっしょに行く! 叔父さんを追ってここまで来たんだ。叔父さんがいなくなったら、俺は……」
「いいか、キーオー。お前はジークへ行くんだ。アムチャットで交わした約束を覚えているな?」
叔父さんはキーオーを座らせ、ザックを上から撫でた。中に発光石の結晶が入っていることを確かめたようだ。キーオーはリータたちに聞こえないように小声で答える。
「もちろん。でも『あれ』は恐ろしいものなんでしょ? もしも俺がジークへ行くことで、罪もない連邦の人々がたくさん苦しむことになるなら、俺はここで叔父さんと一緒に死ぬ」
「それは駄目だ! 心配するな、キーオー。ジークのフクロー女王は、あの石の危険性をよく分かっている。昔、ジャーナリストとして世界中を飛び回っていたときに、あの方に命を救われた。聡明で、争いを好まないお方だ。私の甥だと言えば、必ずお前を守ってくれる」
そう言うと叔父さんはキーオーを抱きしめ、
「信じてくれ」
と続けた。
もちろん、キーオーは叔父さんの言葉を信じていないわけではない。リータやシュライダ、チェクたちと出会ってジークのイメージは大きく変わった。きっとフクロー女王も叔父さんが言う通りの良い人に違いない。しかしキーオーにはどうしても、叔父さんと離れ離れになることが耐えられなかった。
「じゃあ一緒にジークへ行こう」
キーオーは叔父さんの耳元で懇願するように言った。だが叔父さんは無情にも首を横に振る。
「それはできない。私は連邦政府に指名手配され、終身労働刑が確定している。私がジークに行けば、フクロー女王やジークの国民に迷惑がかかってしまう。お前の辛い気持ちはよく分かるが、私の思いも理解してほしい」
叔父さんはキーオーから腕を離すと、少し離れたところにいるリータとチェクを呼んだ。
「すまないが、甥っ子を女王陛下の宮殿まで届けてやってくれないか。賢い子だ。必ず役にたってくれる」
怪我人や女の囚人たちと脱出方法を確認していた二人は一度その場を離れ、キーオーの両脇にしゃがみこんだ。そして、まずリータが口を開く。
「もちろんです。宮殿までとは言わず、彼の面倒は私が全責任も持って守ります」
「え?」
戸惑いをみせたキーオーに、今度はチェクが声をかける。
「スライノア監獄まで一緒に旅をしてきたのよ。もう仲間みたいなものだわ」
叔父さんはそんな二人を見て安心し、
「頼んだぞ」
と託すように言った。リータは力強く、
「はい、任せてください」
と答える。キーオーは一連のやりとりに取り残され、不安が胸を切り裂いていくような感じがした。叔父さんはそんなキーオーの思いを察し、かつてアムチャットで土産話をするときのような、楽しげな調子で語りかけた。
「キーオー。アムチャットに伝わる『露命の教え』を覚えているかい?」
「忘れるもんか」
『人間はちっぽけなもので、驚くほど簡単に死んでしまうし、簡単に忘れられる。だからこそ命を大切にして、自分や身内のために生きるべき』
キーオーはそんな『露命の教え』を、生まれてからずっとアムチャットの至る所で聞かされてきた。ほんの数か月間ゼ・ロマロに住んだだけで、体から抜けるものではない。
「あの教えについてどう思う? 正しいと思うか?」
「いや、間違っていると思う」
「どうして?」
「人間はちっぽけじゃないし、自分や身内だけで社会は回ってはいかないから」
頼もしくなったキーオーの答えを聞いて、叔父さんは嬉しそうな顔をした。
「そうだな。私も昔はそう思っていた。でも大人になって、あの教えの半分は間違っていなかったんだと気づかされた」
「えっ、どういうこと?」
「『人間の命は露のように儚い。だからできるだけ自分や、自分の身内のために生きろ』この教えの前半部分は間違っていなかったのさ。人間は露命だ。驚くほど簡単に死んでしまうし、人生は思ったよりも短い」
キーオーは両親やセイルの死を、リータとチェクはライクンの死を頭に思い浮かべた。どんなに抗おうとも、人間は死の運命から逃れることはできない。叔父さんは続けた。
「それでつい弱気になって、大きな挑戦やチャンスから逃げ、より安全で安定した道を選ぼうとする。これはアムチャット人が選んだ考えで、私はこれを露命の弱者と呼んでいる」
「露命の、弱者……」
「ああ。確かに人間の命はちっぽけで儚い。しかし儚いからこそ、一度しかない人生で大きなことに挑み、勇気をもって社会を変えていかなくてはいけない。私はそのことに、この歳になってやっと気づけた」
叔父さんはそう言い終えると、静かに立ち上がった。
「キーオー、お前は露命の強者になれ。限りある命を、他人や世界のために使える強い人間になるんだ」
「分かったよ、叔父さん。俺は必ず露命の強者になる、なってみせる」
キーオーが続きを言おうとしたとき、偵察に出ていた囚人の一人が帰ってきて叫んだ。
「特捜部の掃討隊が降りてきたぞ! みんな急げ!」
そんな……。まだ叔父さんには伝えたいことが山ほどあるのに。キーオーは焦りながら叔父さんの目を見つめる。
「きたか……」
叔父さんは天井をみてそう呟くと、キーオーに目を合わせて笑顔で言った。
「私をスライノアまで助けに来てくれたこと、叔父として誇りに思う。ありがとう……」
そしてそのまま慌てる囚人たちを引き連れて、正面出口へと駆け出した。小さな多目的室は人の波ができ、キーオーと叔父さんを引き裂いていく。
「叔父さん!」
リータがキーオーの腕をつかみ、整備士用の出口へと引っ張った。
「キーオー、こっちだ!」
叔父さんの背中が人の間から僅かに見えた。大きくて頼りある、懐かしい背中だ。キーオーは故郷を思い出し、視界が涙でぼやけていく。
「露命の強者になれ」
混乱と喧噪のなかで、叔父さんの言葉だけがはっきりと、いつまでも頭の中で響いていた。




