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アバンチュールの法律事務所

 ブレースとミュートをホテルに残して、ラッセルは朝9時台の王都の街並みを歩いていた。連邦軍との交渉が決裂したラッセルだったが、イャスに帰る前に一か所だけ寄らなければならないところがあるのだ。昨日、やけ酒したせいで少し気持ちが悪かった。

 ホテルから目的地である王都の中心部までは歩いて10分ほどだ。日差しを遮るように高層建築物が立ち並び、朝だというのに通りは暗かった。建築物はまるで渓谷のようにそそり立ち、その間を電線や排水管が橋のようにかかる。

 世界で最も人口が多い王都ラッツァルキアは、ラザール貴族たちの住む一部のエリアを除いて、そのほとんどが荒廃していた。ジークとの戦争に人や金をつぎ込んでしまい、インフラを整備することも治安を維持する警察官を雇うこともおろそかになっているからである。

 高層マンションのベランダでは女たちと奴隷の子供たちが死んだような眼で家事や洗濯をはじめていた。男たちはほとんど戦争に行ってしまい、市民らしい人影は女や子供ばかりだ。


(いつ来ても酷い街だな……)


とラッセルは思った。こんな都市が世界一の国家である「連邦」の首都だとは。ラッセルは護身用の短銃をコートのなかに忍ばせ、王都で最も貧しいエリアを抜けて、古びたビルが立ち並ぶオフィス街へと向かった。

 オフィス街とはいえど、ここも荒廃している。今、連邦で最も活気のある産業が兵器の製造、次いで奴隷の斡旋産業であり、まともな会社はほとんどない。コンクリートがむき出しになったビル群は廃墟なのか現役なのかわからない有様だ。おそらく築150年は経過しているだろう。壁はところどころひび割れている。

 ラッセルはその灰色のビル中の一つに入り、空き部屋が増えた案内看板を見た。35階に目的の事務所名がある。ラッセルは手動でドアを開閉するエレベーターに乗り、37階まで昇った。


『アバンチュール法律司法事務所』


 エレベーターを降りると、シミだらけのコンクリート壁にアルミ板でそう書かれていた。するとアバンチュール弁護士のペットである『ヤマアラハリカ』の「モンモ」がラッセルを出迎える。


「ようモンモ、少し太ったんじゃないか? ご主人はいるかな」


 ラッセルはモンモを抱きよせてそう言った。

 ヤマアラハリカは猫のような愛くるしさとムカデのような奇怪さを併せ持つ、九本脚の奇妙な生き物だ。頭から腰にかけては猫や狐に似ているが、二本の前足に対して後ろ足が六本も生えている。尻尾はまるでエビやシャコのように太く、矢印型に広がった骨を毛が覆っていた。世界でも珍しい生き物らしく、ラッセルはモンモ以外にヤマアラハリカの個体を知らない。


「その子、変態するので、蛹になるために栄養を蓄えているんです」


 事務所の中から女の声がした。利発的だが可愛らしい声色だ。ラッセルは抱いていたモンモを床に放すと、事務所の中に入って言った。


「まるで、蝶や蛾だな」

「分類的には哺乳類より、爬虫類や両生類に近い生き物だと言われています」


 アバンチュールはタイプライターで書類を作りながら、ラッセルの言葉に返答した。小さなダイニングほどの事務所の内部は本や書類で埋め尽くされ、アバンチュールはその真ん中で作業していた。身長が低いためか、少女が勉強しているようにしか見えない。しかし彼女は王都で最も優秀な弁護士であり、最年少で連邦法科学院を卒業した秀才なのだ。


「じゃあこの愛らしい姿が見られるのも、あと僅かってことか?」


 ラッセルはモンモをみつめて、アバンチュールに尋ねた。つぶらな瞳は蛹になって変態したら、どんな姿に変わるのだろう。するとアバンチュールは手を止めて立ち上がり、モンモを抱き上げて頭を撫でた。


「いいえ、違います。羽が生えて自由に飛べるようになるだけで、一般的な蝶が蛾のように、いわゆる完全変態をするわけではありせん。羽化すると翼猫つばさねこに近い体貌になります」

「それはちょっと見てみたいな」


 ラッセルはモンモを抱くアバンチュールをみて、本当に「美少女」のようだと思った。肩からかけた毛布に、ふんわりとした栗色の髪がのっている。それに赤みがかった頬と、他のラザール領民と同じ褐色の肌。これで20代半ばというから驚きだ。


「あと半年もすれば、変態すると思います。それでラッセルさん、今日はどういった御用件ですか?」

「実は不慮の事故で、3人ほど亡くなってしまったんだ。それで賠償金の示談交渉を頼みたい」


 ラッセルはゴウロン号でライクンを撃ったとき、ライクンごと向かい側の客室の乗客3人まで殺してしまった。本当に申し訳ないことをしたと胸を痛めたが、賠償金という形だけでも遺族に気持ちを伝えたい。

 アバンチュールとは発光石以外の鉱物を使って、ラザール帝国の会社と取引をはじめてからの付き合いだった。知人の経営者から、連邦政府の息がかかっていない弁護士として紹介されたのが彼女だったのだ。それ以来、アバンチュールは顧問弁護士としてラッセルの鉱山経営に携わっている。


「わかりました。詳しくお話を聞かせてください」


 アバンチュールはそう言うとラッセルをソファーに座らせ、台所へと向かった。


「ラッセルさん、コーヒーを飲まれますか?」

「ああ、頼むよ。ミルクは入れないでくれ」

「わかりました」


 アバンチュールは不器用な手つきでコーヒーを準備した。台所は散らかっており、食器が散乱している。


「コーヒーを淹れるのはアシスタントさんの仕事じゃなかったのか?」

「アシスタントさんは先月、持病が悪化して辞められたんです。それで古いつてを使って新しい子を採用したのですが、まだ王都に着いていないみたいで……」


 アバンチュールはラッセルの前にコーヒーを置くと、急いで机の上の書類を片付けた。


「そうだったのか。雑用でできることがあったら、俺も手伝うよ」

「ありがとうございます。でもラッセルさんに悪いので遠慮させてください。新しいアシスタントの子は真面目な男の子らしいので、彼が王都に着いたら一緒に片付けようと思います」

「そうか。俺も新しいアシスタントくんに会えるのを楽しみにしておくよ」


 ラッセルがそう言うと、二人は仕事の話に入った。その途端、アバンチュールをまとっていたふわふわとした雰囲気が、一瞬にして消えた。


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