知らない床で
深い眠りの中にいたキーオーは体中の猛烈な痛みで目を覚ました。熱もあるようで、頭が痛む。かろうじて目蓋を開けると、かすんだ先に天井らしきものが見えた。しかしぼんやりとしていてよく分からない。ただそれは夜空とは違う、暖かい色をしている。
耳をすますと誰かの鼻歌が聞こえた。その音色は痛みに苦しむキーオーに安らぎを与えた。ここはゴウロン号の医務室だろうか。暖かい光が視界を包み込み、キーオーはようやく自分がベッドの上に寝かされていることを理解する。
(ジークの赤い目はどうなったのか。それにミュートやラッセルは無事だろうか)
居ても立っても居られなくなったキーオーは、動くはずも無い体にムチをうち、ベッドから起き上がろうとした。
「動いては駄目」
すると唐突に優しい女の人の声が聞こえ、静かに彼の胸をさすった。
「きっとよくなるから。じっとしていて」
その手は滑らかで冷たかった。顔はよく分からなかったが、若い少女のように思えた。彼女からは連邦では嗅いだことのなかった落ち着く匂いがする。その匂いはキーオーにしばらく忘れていたアムチャットのことを思い出させた。
まだ幼かった頃、キーオーは破傷風で生死の境をさまよったことがある。地獄のような時間の中、父さんと母さんは一睡もせずに彼を看病してくれた。おかげでキーオーは奇跡的に回復し、それ以来大きな病気をしたことがない。その時の雰囲気にこの部屋はよく似ていた。
両親はキーオーがアムチャットか出て行くことに反対していたが、怪我や病気をするととても親身になってくれた。二人は本当にキーオーのことを大切に思っていたのだ。父さんと母さんにまた会いたい。キーオーはここが天国で、また母さんたちが自分を助けてくれたのだと思った。身体は辛かったが、心は満たされている。そんなことを考えながら、彼は再び長い眠りの中へと落ちていった。
☆☆☆
次に目が覚めたとき、体は驚くほど軽くなっていた。両手や胸には包帯が巻かれており、動かすと少し痛かったが、以前のような激しい痛みと熱はない。
キーオーがゴウロン号の医務室かと思っていた部屋は、よく見ると全く違っていた。部屋というよりは洞窟のようであり、その壁は不規則に窪んでいる。人工物らしきものはキーオーが寝ているベッドだけで、それ以外は自然物のようだった。頭上にある小さな穴からは暖かい太陽の光が差し込んでいる。
(ここはどこだろう……)
キーオーはかつてバンクスたちにゼ・ロマロで助けてもらった時のことを思い出した。あの時も見知らぬ部屋で目を覚ましたが、今度は「部屋」ですらない。形的には洞窟によく似ているが、壁の色が明るいので狭く暗いといった印象は全く感じなかった。どうやらここは特殊な鉱物でできた洞穴のようだ。しかも驚くべきことに壁自体が薄っすらと光っていた。それも炎のような暖かみのある光である。キーオーは昨日、部屋の明かりを見て暖炉か何かだと思ったが、まさか洞穴の壁自体が光っていたとは。
不思議な鉱物の姿にキーオーは興味をそそられ、ベッドから降りて壁まで歩いた。関節が微かに痛むが、傷は確実に快方へ向かっている。淡いオレンジの夕日のように光る壁は結晶のように半透明だった。やはり光の反射ではなく、壁自体が光っている。
出入口を探して部屋中を見渡すと、地味な麻布で覆われた人がやっと通れるぐらいの穴を見つけた。この暖簾のような麻布がドアの替わりのようだ。外に出ようとした時、キーオーは出口の近くで自分のザックを見つけた。まず中の荷物を確認しなければ。叔父さんから託された宝石、発光石の結晶は無事だろうか。
キーオーは衝撃でごちゃごちゃになってしまったザックから物を取りだし、石の無事を確かめた。ゼ・ロマロ持ってきた地図や調理器具はボロボロになっていたが、石は恐ろしいほどに傷ひとつなく、蒼く澄み切っている。
キーオーは安堵のため息をつき、石をザックに戻した。すると麻布があがり、一人の少女が洞穴へ入ってくる。
「あっ……」
少女はキーオーを見るなり、驚いて口に手を当てた。麻のドレスを着て、緑色の髪を肩まで伸ばしている。
(綺麗な女性だ……)
キーオーは彼女の美しさにすぐさまそう思った。可愛いとか、美人とか外見的な要素だけでなく、内面からあふれ出る魅力が思春期の少年の心を虜にしたのだ。ひとたびの沈黙の後、彼女は言った。
「よかった……」
いや、彼女は無意識に呟いたのかも知れない。そして不意にキーオーの前にやってくると、いきなり彼を抱きしめた。
「えっ?」
キーオーは突然の出来事に困惑した。彼女の体からは甘く暖かい匂いがする。
「死んでしまうのかと思っていたの。本当に治ってよかった」
彼女はキーオーの肩に顔を擦り付けて言った。鼻を啜るような息遣いが聞こえる。なんと彼女は泣いていたのだ。キーオーはまた困惑したが、こんな綺麗な少女が自分のために涙を流してくれていると思うと嬉しい気持ちにもなった。
壁が優しい光を放つ中、2人はしばらく動かずにいた。




