対決
ライクンが動き出す少し前、キーオーは3等客室へと急いでいた。赤い目の男。それに禍々しい黒ベスト。キーオーはアムチャットにいたころ、両親から奴らの話を何度も聞いていた。連邦と同じく、ジークもろくな連中ではない。
白い肌や、赤や青の髪色といった外見的特徴はアムチャット民となんら変わらないが、実は奴らの方が連邦より恐ろしい存在なのだと母はよく言っていた。
「本当に怖いのは連邦ではなくジークだわ。あの国の人たちは子供でも老人でも、その命が尽きるまで国のために戦わなくてはいけない。しかも連邦軍が隠れられないように森を焼き払い、国境付近には大量の地雷を埋める」
薄明かりの廊下でキーオーは考えた。また誰かを失うかもしれない。あの夜、村のみんなを救えなかった悲しさは、キーオーの中で勇気と呼べるような力に変わっていき、赤い目の恐怖を打ち負かした。
(とにかく、ミュートやラッセルたちに危機を知らせなくては……)
長い間、月明かりの中にいて目が慣れたおかげで、暗闇でもはっきりと前が見える。キーオーは3等客室まで思いっきり駆け抜け、ラッセルたちのいる1100号室のドアノブをつかんだ。
「どうした?」
すでに足音に気づいたのか、ラッセルはハンモックから降りていた。
「赤い目の男が、仲間を助けにきました……。ジーク軍の襲撃です!」
キーオーは息を切らしながらそう言った。その声にミュートと、ラッセルの部下2人も目を覚ます。
「本当か?」
「はい。ジークの兵隊がデッキに降りるのを見ました。それにこの船には赤い目をした囚人が乗っています。あいつら、仲間を助けに来たんです」
キーオーの言葉を聞いてラッセルは血の気が引いた。赤い目の兄弟、シュライダとライクンの噂はイャスでも有名だった。ジーク最強の殺し屋兄弟がこの船にいる。
「ブレース、バスケス。子供たちを守るぞ。君たちは俺の後ろに隠れていなさい」
ラッセルは部下2人をドアの前に立たせると、キーオーとミュートを窓側に移動させた。ミュートが不安そうにキーオーに抱き着く。
『キーオー。こわい』
「大丈夫だ、ミュート」
二人のやりとりを見て、ラッセルは気づいた。
(キーオー? ミュート? 本名じゃなかったのか。じゃあこの子たちどうして偽名を……?)
ブレースとバスケスは袋から発光石を取りだし、状態の良いものを選んだ。ラッセルはそれを受け取り、急いで試作品の銃を組み立てる。さらに手の震えを抑えながら、子供たちを励ました。
「二人とも安心しろ。あいつらは用が済んだら帰っていくはずだ。それに万が一、この部屋に来たとしてもこっちには強力な武器がある」
ラッセルはそう言いながらも、恐怖で引き金が震えて引けないような気がした。いくら最強の武器だとしても、俺に撃てるのか。普通の銃すら撃ったこともないのに、確実に相手に当てられるのか。それに発射時の衝撃にも耐えられるかわからない。
「若旦那、大丈夫ですか?」
バスケスが不安げな顔でラッセルを見た。
「ああ。大丈夫さ。やるしかないだろ」
ラッセルは自分を鼓舞し、キーオーとミュートの方を振り返った。
「もし俺たち3人が殺されたら、お前たちは窓から飛び降りろ。荷物をまとめておくんだ」
ラッセルはそう言って立ち上がると、客室にある窓の鉄格子のネジを外しはじめた。
「そ、そんなのできません……」
しかしそれはキーオーやミュートにとって信じられない言葉だった。窓の外には山岳地帯の山肌が見える。確かに海に飛び込むのとは違うが、それでも山肌までかなりの高さがある。飛び降りて助かる保証はない。
「やるんだ! ジークの赤い目は恐ろしい存在だと聞く。子供だろうが老人だろうが容赦はせず、残虐な殺し方をするらしい。お前たちには未来がある。こんなところで死なせるわけにはいかない!」
ラッセルはネジを外した鉄格子を力いっぱい引き抜くと、その鉄格子で窓ガラスを割った。夜の空にガラスが輝き、冷たい外気が流れ込んでくる。
キーオーはミュートと共に不安に駆られながら、ザックに二人分の荷物をまとめた。麻袋に入った青い宝石も、自分が死んでしまえば誰にも見つからないかもしれない。そんな思いが頭をよぎる。
「ミュート、大丈夫か?」
キーオーは怯えて声も出せないミュートを抱き寄せ、落下時の衝撃に備えて麻のマントで彼女をぐるぐる巻きにした。しかしその瞬間、船が大きく左右に揺れる。
「うおっ!」
彼は窓に倒れこみ、外に落ちそうになった。ミュートはその拍子にドアの方へと転がったが、ブレースがしっかりと彼女を受け止めた。
「危なかった……」
キーオーがそう安堵し、ミュートを近くに呼ぼうとした時だった。不意に甲高い音が鳴り、鉄の扉が蹴破られた。
「邪魔だ」
そして少年のような声と共に、坊主頭のバスケスが切り裂かれる。ラッセルは慌てて銃を構えたが、むなしくも彼の部下の血が部屋中に飛び散っていった。その突然の惨劇に誰もが悲鳴を上げる。その中で赤い目は血しぶきを被りながら、ラッセルに問いかけた。
「貴様がイャスの要人、ラッセル・ベロンドか? それとも今、殺した男がラッセル・ベロンドか?」
ラッセルは黙り込んだ。彼は答えないのではない。答えられないのだ。試作品の銃が小刻みに震え、カンカンと金属音が鳴る。
バスケスは即死だった。喉元をかき切られピクリともしない。こんなにも簡単に人間は死んでしまうのか。ラッセルは命の危機をはっきりと自覚した。しかし同時に、眠っていた闘争本能が目覚め始める。
(俺はやれる、必ず生き延びて今の連邦を変える)
彼は静かに目を閉じ、鼓動を整えて、銃を撃つ瞬間を何度もイメージした。子供たちの前でかっこ悪い姿を見せるわけにはいかない。
「俺が……ラッセル・ベロンドだ」
静かに答えたラッセルに、赤い目の男は獲物を見つけたように微笑した。
「そうか。残念だが、貴様たちの旅はここで終わりだ」
「確かに、俺の旅はここで終わるかもしれない!」
ラッセルは銃を構えると、ジーク最強の殺人鬼に毅然として立ち向かった。もう死ぬ覚悟はできている。そしてキーオーの方を一瞥し、続けた。
「だがキーオー、ミュート。お前たちの旅はここで終わらせたりはしない。必ず生き延びて、この国を変えるんだ!」
キーオーはラッセルから本名で呼ばれたことに驚いた。しかしその真意を確かめることはできなかった。
ガタガタガタガタ、とラッセルの持つ光線銃が金属音を立てて震え、まるで時を刻むかのように部屋の中に響く。ラッセルはすぐさま引き金を引こうとしたが、寒さと恐怖で指が動かない。赤い目の刃はもう目前だった。
(くっ、ここまでか……)
最悪の事態に備えて、ラッセルは叫んだ。
「逃げろー!!」
しかしその一瞬、光がすべてを照らした。
キーオーはその後のことをよく覚えていない。真っ白い闇の、無音の静寂。体が浮きあがり、体のどこにも『地面』を感じない。これが死なのか。キーオーは静かにそう考えようとしたが、突如激痛が走り、気を失ってしまった。




