空旅のはじまり
ルークとアイリスが孤児院を訪れているころ、キーオーはすでに王都行きの定期便に乗る手続きをしていた。孤児院のみんなは無事なのだろうか。騒がしい港の改札でキーオーは不安に駆られていた。
あの時、特捜部の戦艦を目にしたバンクスは
「すぐにここを離れなさい」
と言った。できるだけ早く、人目に付かないように逃げるの。そう彼女の言葉に促されて荷物をまとめたキーオーは、孤児院の仲間たちに挨拶もできぬまま裏口から外へと出た。
唯一誤算だったことは、外へ出るキーオーの姿を見ていたミュートが後からこっそりついてきてしまったことだ。
『キーオー、キーオー』
ガスマスク越しに名前を呼ばれたキーオーは、幼いミュートが後ろから追いかけていることに気づいて驚いた。もう孤児院ははるか遠く、豆粒のように見える。
「ミュート。ついてきちゃ駄目だ」
キーオーは足を止めて幼子を諫めたが、ミュートは大きなガスマスクを横に傾けるだけだ。彼女にはなぜキーオーが孤児院を出て行ったのか理解できないのだろう。
『なんで?』
悲しい出来事があったからか、ミュートはよくキーオーに懐いていた。キーオーはジークの兵士たちと外見が似ていたが、それは同時にミュートの両親とも外見が似ていることを意味していた。孤児院の仲間たちの中で、キーオーが一番ミュートの面倒をみていたこともあるかもしれない。
「ごめんな、ミュート。一緒にはいけないんだ」
キーオーはしゃがんでミュートと目をあわせた。ガスマスク越しに不安げな瞳が見えた。
『いやだ。いっしょにいく』
ミュートの小さな手がキーオーのマントをつかんだ。すると、どこからか車の音が聞こえてきた。キーオーがあたりを見回すと、遠くに四輪車の車列が見えた。紅白の塗装に装飾。連邦の特捜部で間違いない。
(まずい……)
キーオーはミュートにフードとマントを被せると、自分も同じように被った。ぱっと見は貧しい兄妹にしか見えない。そうして車に道を譲り、路肩を通り過ぎた。あの車の中にアムチャットの人々を殺した特捜部の軍人が乗っている。
キーオーはアムチャットの惨劇を思い出して孤児院の仲間たちを案じた。いや、さすがの特捜部でも連邦領民までは殺さないはずだ。しかし自分が孤児院に戻れば、命の保証はない。
キーオーはミュートを孤児院まで連れ戻そうと考えていたが、特捜部が孤児院へむかった以上、それは不可能だと断念した。幸運なことに定期便の切符は2枚ある。このまま一緒に王都へ行ってアバンチュール弁護士の助けを借りるほうが良いだろう。
キーオーは胸が張り裂けそうな思いでミュートの手をひくと
「わかった一緒に行こう」
と歩き出した。不安な思いはあるが、今はアバンチュール弁護士に会うために王都を目指すしかない。そして叔父さんに面会し、石を盗んだ真相を聞かなくては。
☆☆☆
「王都ラッツァルキア行き定期便『ゴウロン号』ハルフィア、ワートラル経由。まもなく乗船手続きを終了します」
キーオーとミュートは手荷物検査を済ませると、プラットホームから大型船に乗り込んだ。船のプラットホームはそれ自体が巨大な倉庫のようであり、田舎者のキーオーとミュートはその大きさに圧倒された。
これが本当に空を飛ぶのか。巨大な翼とプロペラはあるが、それよりも船の胴体のほうが太くて大きい。しかも船体は所々傷ついており、船を覆う鉄は錆で茶色く染まっている。タラップから船内に乗り込むと、錆びた鉄と煙草や火薬の混じりあった臭いがした。二人は乗客であふれる狭い船内を潜り抜け、切符に書いてある3等の客室へとむかった。これから一泊二日。世界を約半周する長旅がはじまる。
3等客室は相部屋で、キーオーたちのほかに3人の乗客がいた。
「随分とかわいいお客さんだな。よろしく」
髭面で屈強な男の乗客が2人をみるなり、そう言った。他の2人もがっちりとした強面の男たちだ。
「よ、よろしくお願いいたします」
「おうよ」
キーオーとミュートが小さく頭をさげると、乗客たちはまた自分の荷物を荷物棚にしまう作業に戻った。幸いにもキーオーとミュートは髪色が特殊であり、極北・極南出身の貧しい兄妹にしか見えないのだろう。乗客たちは誰も二人のことを不審に思ったりはしなかった。
荷物をしまい終えると、キーオーは部屋を見渡して驚いた。この部屋にはベッドが無い。どうやって眠ればいいのだろう。ミュートと二人で首を傾げていると、今度は別の乗客が
「ハンモックを使うのさ」
と教えてくれた。ボサボサの髪に無精髭、しかし優しそうな顔つきだ。
「ほら、あそことそこにホックがあるだろ。これをかけて……」
男は部屋の壁にあるホックに、客室に付属しているボロボロで破れかけのハンモックをかけると、
「これで寝床の完成」
と言って笑った。
「お前らの分はそこにある」
男は部屋の下部にある棚を指す。
「ありがとうございます」
キーオーとミュートはお礼をいうと、二人で協力してハンモックの寝床をつくりあげた。その様子を微笑ましそうに男たちは見守っていた。
「お前ら、船ははじめてか?」
「はい」
「この船はゴウロン号。ラザールの言葉で『鉄人』を意味する。作られたときには軍艦だったけど、今は引退してこうして乗客を運んでいる。ところどころくたびれているが乗り心地は一級だ。俺が保証する」
男は自慢げにそう笑うと、
「俺はラッセル。ラッセル・ベロンドだ。2日間よろしくな」
と握手をもとめた。
「よろしくお願いします」
キーオーはラッセルと握手を交わすと、
『ミ、ミュ……』
と勇気をだして知らない人に自己紹介をしようとしているミュートの声を遮って言った。
「俺はレラク。この子は妹のルクシアです」
どこから特捜部に情報が漏れるか分からない。偽名を名乗っておいたほうが良いだろうとキーオーは判断した。
「レラクにルクシアか。月から貰ったいい名前だな」
ラッセルは硬く険しい手を振りながら言った。キーオーが2つの月の名「ルクルクシアル」と「レラクス」から咄嗟に作った偽名だったが、ラッセルは気づいたようだった。それから彼は他の二人の乗客も紹介してくれた。
「こいつはブレース、それからバスケス。二人とも俺の仲間だ」
最初に二人の話しかけた男がバスケス。もう一人の坊主の男がブレースと名乗った。3人は見た目こそ怖そうだったが、話してみると優しい男たちだった。
「あの、空を飛ぶってどんな感じなんですか?」
キーオーが不安そうに尋ねると、ラッセルは微笑んで答えた。
「大丈夫、驚くほど快適だから」




