生の商人
「キーオー? 僕はキーオーじゃない。バランだ」
「バラン?」
ルークはその言葉に驚き、少年の肩から手を離した。
「ルーク特捜軍士、なにをしている?」
アイリスは苛立ちながら、被疑者の確保に手間取っているルークに近づいた。ジャックがルークという名前に反応し、彼の方を見る。
(あの方がルーク様なんだ!)
「すみません、アイリス少尉。この少年は被疑者ではありませんでした」
「なに?」
アイリスはバランの顔をまじまじと睨んだあと、部下の一人を呼んだ。
「おい! プロファイリングファイルをみせろ」
「はい、少尉」
一瞬、この少年が嘘をついているのかとアイリスは思ったが、部下から渡されたファイルの備考欄にある一文を見つけると、彼女は悔しそうに拳で足を叩いた。
「しくじった!! ガキの髪は青色だ!」
「えっ?」
突然のアイリスの言葉にルークや他の隊員たちも動揺した。備考欄には小さく「被疑者の髪は青色」と書かれている。連邦には極北・極南出身の特徴的な髪色を持つ者など少ないだろうという勝手な思い込みが、アイリスや特捜部の隊員たちに備考欄の髪色まで確認させるのを怠らせた。そのためにオレンジ色の髪を持つバランをキーオーだと早とちりしてしまったのだ。
「だから申し上げたではありませんか。キーオーはもうここにはおりませぬと」
そう言って大広間に入ってきたバンクスに、アイリスは憤慨しながら言った。
「貴様っ……! じゃあどこへ行った?! 早く教えろ!」
「それはできませぬ」
「できないだと?」
「キーオーは先ほどこの孤児院を卒業しました。もう私は彼の保護者ではありません。したがって彼がここを出ていったという事実以外は、私には申し上げる義務はありません」
「虚偽の申告をした場合は貴殿にも刑が下るぞ。いいのか?」
「はい。ですからここにはもういないということだけ、はっきりと申し上げておきます。しかしまだ刑が確定していない赤の他人の被疑者が、どこへ向かったかどうかまで私にはわかりません。仮に分かっていたとしても、報告する義務はないはずです」
堂々としたバンクスを見て、アイリスは彼女がかなり法律に詳しいことを察した。
(この奴隷売りが。人の人生をお金に替える卑しい「生の商人」め……)
そうしてアイリスはバンクスに対して嫌悪の表情をむき出しにすると、
「もういい。帰るぞ」
と言って部下たちを撤退させた。すぐさま母艦に戻り手配書を公開する手続きをしなければ。アイリスは自分の不甲斐なさに腹が立った。またグランディオーゾ中将に迷惑をかけてしまった。ここままでは出世コースを外されてしまうかもしれない。
撤退の準備をしていたルークにジャックは恐る恐る声をかけた。
「あ、あの。ルーク様ですよね」
「ああ、そうだよ。僕がルークだ」
「よ、よかったら、ここにサインしてくださいませんか?」
くたびれた麻の腹巻とペンを差し出たジャックの頼みを、ルークは快く承諾した。
「もちろん、いいとも」
「やった! あ、ありがとうございます!」
「君、名前は?」
「ジャックです。僕もルーク様のような立派な連邦軍人になりたいんです」
「おお、頼もしいな。じゃあジャックも特捜部に入るかい? もれなく怖いお姉さんがついてくるけど」
ルークは少し冗談のつもりでアイリスのことをからかってみた。しかしジャックは表情を変えず、
「それでも構いません。あの方も立派な連邦軍人さんだと思っていますので」
と答えた。この子のほうが自分よりよっぽど「悪になる覚悟」ができている。ルークは少し寂しく、複雑な気持ちになった。
「そうか……。王都で待っているよ、ジャック」
「はい! 必ず兵隊検査に合格してみせます!」
ジャックは喜々としてサイン付きの腹巻を受け取った。ルークはアイリスに呼ばれて、急いで四輪車へと戻った。




