アイリスとルーク
宝石店から出てきたアイリスをルークは不服そうな目で見つめた。彼女の強引なやり方にドーソンの怯えた声が外まで響いていたからだ。
「……アイリスさん」
「アイリス『少尉』だ! いつまでガキのつもりでいる」
「アイリス少尉。やり方が少し手荒ではないでしょうか?」
「時間がないのだ。これでいい」
アイリスはそう言ってルークをあしらうと、
「四輪車を用意しろ。被疑者は街はずれの孤児院にいる」
と部下たちに命令した。
「はい。ただちに!」
他の特捜部が機敏に動き始めるなか、ルークはその場を動けずにいた。ラザール皇族の証である若草色の髪が海風にたなびく。彼はドーソンの震える声が耳から離れずにいた。
「ルーク特捜軍士、何をしている! 他の者はもう支度をはじめているぞ」
「こんな乱暴なやり方、グランディオーゾ中将はお許しにならないと思います」
「中将は一刻も早く石と見つけろと仰せになったのだ。尋問に時間を割いている暇はない。それにエドカ元帥なら私のやり方を賞賛してくださる。連邦軍人なら中将よりも元帥のお考えに重きを置くべきだ」
「私自身も手荒な方法には反対です。軍人が領民から嫌われて、連邦が戦争に勝てるとお思いですか?」
「あの石がジークの手に渡れば、一瞬で私たちは負ける。お前はこの任務にかけられている重要性を分かっているのか?」
「もちろん、分かっています。ですが私はこんなことをするために連邦軍に志願したのではありません」
ルークのその言葉にアイリスは憤慨し、鬼のような形相で彼に詰め寄った。
「じゃあなんのためだ! 言ってみろ! この温室育ちのクソ坊ちゃんが!」
「連邦と連邦の領民をお守りするためです!」
「それは綺麗事だ! 緊急性の高い任務を遂行するためには、少しくらい嫌われる勇気も必要だ。今こうしている間にも国境付近では何万人もの連邦軍人がジークによって殺されている。軍人だけじゃない、民間人もだ。
お前は現実を見ようともせずに綺麗事ばかり並べて戦争を正当化しようとしている。戦争は正義と悪がぶつかるんじゃない。悪と悪がぶつかるんだ。私たち軍人はどんな憎い相手であったとしても人を殺す。人を殺してお金を貰って生きている。いかなる理由をつけてもそれは悪だ。お前は悪になる覚悟があるのか?!」
アイリスの凄まじい言葉に、若いルークの心はかき乱されてしまった。頭ではよくわかっているつもりだったが、現実はもっと混沌としていた。憧れや輝きだけで軍人を目指したわけではなかったが、ルークにはまだアイリスの言葉通り「悪になる覚悟」はなかった。
「……すみませんでした。アイリス少尉」
「分かればいい。お前が『あの姉』とは違う人間だってことは、私もよく知っている。それに皇族の広告塔になるつもりで連邦軍に入ったわけではないということもな。だからこそ、厳しく当たってしまうのだ。許してくれ」
アイリスはそう言うと、乱れた制服を整える。ルークは自分の考えに甘えがあったことを深く反省した。連邦軍に入ったのは、机上の政治ばかりで現実を見ようともせず贅沢に暮らしているラザール皇族や連邦議会議員が許せなくなったからだ。もう一度、自分の原点に立ち返ろう。ルークは乱れた息を整えながらそう思った。
ルーク・ミッチェル・ブラス・ケート・ニルブア・ルコークス・ベルキアス・ベントロールド84世。そのあまりにも長すぎる名前がルークの本名だった。連邦を形成する最も大きな国家「ラザール帝国」に生まれた彼は、皇族しか受け継がない特異形質の若草色の髪と瞳を持つ美男子である。
ラザール帝国はラザール皇帝を君主とする君主制国家で、長きにわたり皇族から選出された「国務参与」と選挙で選ばれた「国務大臣」たちによって治められてきた。ルークは皇位継承権14位であり、皇帝にこそなれそうになかったが、国務参与のポストに入れることは確実であり、その将来は約束されていた。そのためルークは18歳になるまで家庭教師や使用人たちに囲まれて、何不自由なく王都で育った。
そんなルークが特捜部へと向かうきっかけを作ったのは、二人の年上の女たちだった。一人はルークの姉であるライアだった。ルークと5つ歳が離れている彼女は、連邦の若き国務参与として現在は政権に参加している。そしてもう一人が、あのアイリスであった。
アイリスはライアと同い年で、皇族の使用人の娘として生まれた。身分など関係ない幼い頃は、ライア・ルーク姉弟とよく3人で遊んだ。アイリスとライアは仲が良く、二人は幼いルークのことを弟のように可愛がった。そしてルークもライア同様、アイリスのことを実の姉のように慕っていた。そうした幸せな日々が崩れさっていったのは、二人が思春期をすぎた頃だった。少女二人の将来はあまりにもかけ離れすぎていたのである。
ライアは華々しく政界デビューをし、アイリスは軍人となった。ルークは戦争の実情も知らずに政局を動かすライアが嫌になって、軍隊に入ることを決めた。しかし本当はまた3人で仲良く暮らしたいという思いが、心のどこかに残っていた。
☆☆☆
四輪駆動車の用意ができ、運転席に座ったアイリスが助手席を空けてルークを呼ぶ。
「何をしている! 行くぞ、ルーク特捜軍士!」
「はい、アイリス少尉!」
ルークは威勢よく返事をすると、急いで四輪車に乗りこんだ。どちらにしても早く被疑者を捕まえなくては。それが今の彼に与えられた使命だった。




