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月明りの記憶

 石がとても高く売れるかもしれない。その希望は孤児院に帰るキーオーの足取りを軽くした。爽やかな海風が崖の下から吹き付けてくる。なんて心地よい週末なのだろう。

 狭い海岸沿いの道で、大八車に牛車を連ねた一行とすれ違った。キーオーは海岸側に立ち、彼らに道を譲る。貴族の行列にしては規模が大きい。それに牛車や護衛の者たちの装飾もラザール帝国のものとは違うように見えた。


☆☆☆


 キーオーが孤児院へ帰ると、リスルはもういなかった。あまりの衝撃にキーオーは持っていた麻袋を床に落とす。思い描いていた幸せな未来が一瞬にして崩れ去ってしまった。


「リスルはフラシリスの貴族のものに妾として行くことになったわ」


 昼食の席でバンクスは孤児院の子どもたちにそう説明した。さっきキーオーがすれ違った行列はリスルを迎えに来たフラシリス貴族のものだったのだ。

 キーオーは白身魚フライが喉を通らず、珍しく食事を残してしまった。その様子をバンクスは心配そうに見つめていた。


「キーオー、大丈夫かい?」


 昼食が終わったあと、バンクスがキーオーに声をかけた。食後の自由時間で2人以外、大広間には誰もいない。


「はい。すみません」


 キーオーは気持ちが体に異常をきたしているとわかったが、強い心でなんとか平静を装おうとした。バンクスにだって事情はある。彼女に迷惑をかけるなんて絶対にできない。


「なぜ謝るのよ」

「せっかく作ってもらった昼飯を残してしまったので」

「食べたくないときには無理に食べなくてもいいのよ。それにあなたが食事を食べられないほど辛いことは痛いほどよくわかるわ」


 バンクスにはキーオーの気持ちはお見通しだった。ゆっくりとキーオーの隣に腰掛け、彼の背中を優しく撫でる。


「……今回だけは、私のお節介でリスルに申し訳ないことをしたと思っている。あの子が採用されなくて苦しんでいることはよく分かってた。だからフラシリスの貴族に彼女にぴったりの主人がいると聞いて、すぐに手紙を送ったの。妾には手足のない子や火傷を負った子ばかりいるという、ちょっと変わった貴族さんね。リスルのことを話すとその方からすぐにでも行きたいと返信がきた。ただしフラシリスはとても遠いから、一度しか孤児院には寄れない。そう添えられていたわ」


 キーオーは少しずつリスルが行ってしまった経緯を理解していった。


「本当はリスルにもしっかり相談したうえで、行くか行かないか決めてもらうべきだったと思っているわ。でもその貴族さんは手紙の返信が届いてからたった3日で彼女を迎えにきた。それでリスルには突然の決断を迫ることにさせてしまったの。孤児院のみんなに別れの挨拶もできぬまま、あの子を送り出してしまった」


 バンクスの話を聞いて、キーオーは貴族に突然迎えに来られたときのリスルの気持ちを想像した。ある朝いきなり、リスルは将来をきめる重要な選択を迫られたのだ。大金が手に入るかわからないキーオーとの不確実な未来か。それとも、確実に妾になれる安定した未来か。しかも、これはおそらく最初で最後のチャンスに違いないだろう。

 そこにバンクスへの体裁や感謝の気持ちを加味すれば、リスルがどちらを選ぶかは明らかだった。


「これでよかったんです。俺のわがままで、リスルの人生を台無しになんてできませんから」

「そうね。私もどんなに辛い選択だったとしても、あの子の将来幸せになれればこれで良いのだと思ったわ。でもあれほど妾に行きたがっていた子が、ここを出るときにすごく悲しそうな顔をしていた。きっとキーオー、あなたのことを想っていたのでしょうね」


 バンクスに言われて、キーオーは知らないうちに涙をこぼしてしまっていた。フラシリス皇国。ちょうどゼ・ロマロの反対側に位置する大国だ。もう二度とリスルと会うことはできないだろう。

 社会の仕組み、安定した将来、バンクスの気持ち。冷静に考えればリスルが孤児院を出て行くことは正解に違いない。しかし心のどこかでキーオーはその選択は間違いじゃないかとも思っていた。

 もっと早くリスルに出会っていれば。もっと早く彼女に声をかけられていれば。後悔の念がキーオーを取り囲んで、渦となって悲しみの中に引きずりこんでいく。声をあげて小さく泣くキーオーにバンクスは居たたまれなくなった。


「キーオー。リスルという名前にはね、『まん丸い月』という意味があるの。私があの子を孤児院の前で拾ったとき、ちょうど二つの月が重ねって一つの大きな丸になっていたから、そう名付けたのよ。この子は私にとっても特別な子になる。だからこの子が大きくなって、ここを去っても忘れないように、月を見るたびにリスルを思い出せるようにって、そんな思いも込めたわ。

 月は不思議なものよ。月と太陽はどこで見ても変わらないし、誰の上にだって同じ光を放つ。貴族の上にだって、ゴミの中の虫にだって、私たちにだってみんな同じ光さ。どんなに景色が変わっても、どんなに年月が経っても、月の明かりだけは変わらない。月を見上げていると、人間のちっぽけさと世界の小ささに気づくわ。きっとどこかで、誰かも同じ月を見上げているかも知れないってね」


 キーオーはセイルや叔父さんとの別れの夜も月明りが綺麗だったことを思い出した。ゆっくりと涙が枯れていくまで、バンクスはずっとキーオーの隣にいてくれた。


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