リスル
ファーフたちが去ると、買い出しと掃除がはじまった。今日はジャックとベラススが買い出し当番の日だ。
ゼ・ロマロでは世界各地から集まる豊富な農作物だけでなく、オルゴ川で採れる魚介類もよく食べられている。
「お昼は魚のパイにするからね。活きのいいのを頼むよ」
バンクスはジャックとベラススにそう言って、買い物カゴとお金を渡した。孤児院に残ったメンバーは、それぞれ二人一組になって共用部分の掃除を担当する。
キーオーはリスルとペアになって、玄関の掃除を任された。アルダ孤児院は街から少し離れた崖の上にあるため、石造りの壁によく海風があたる。そのため玄関も風雨にさらされ、土汚れが扉の至る所に付いていた。
☆☆☆
キーオーが部屋から掃除道具を持って外に出ると、リスルはまだ来ていなかった。キーオーは彼女と一緒に掃除をするのに少し気まずさを感じながらも、久しぶりに外に出て太陽の光を浴びた。アムチャットとは違い、ゼ・ロマロの日差しは強い。
キーオーは掃除道具を置いて、恐る恐る崖に近づいてみた。はるか下に岩肌があり、そこに海水が流れ込んでいる。ここに落ちたら絶対に助からないだろう。
「なにしてるの?」
素っ気ない声が聞こえた。リスルがキーオーを見て睨んでいる。
「ごめん、ちょっと海に興味があって。俺、海を見たことがなかったから」
リスルは何も言わなかった。キーオーを無視してそっぽを向いた彼女は、ジャックの言った通り左足がない。麻でできたワンピースから片足だけが伸び、左手に杖をついたまま、右手で器用に箒を握っていた。
「私は玄関の埃をかき出すから、あんたはこれで扉を拭いて」
そう言ってリスルは濡れ雑巾をキーオーに向かって投げた。彼は
「わかった」
と言って雑巾を受け取る。リスルはキーオーとの間に見えない冷たい壁を築いているようだ。
「昨日は悪かった。俺、君のことを何も知らないのに偉そうなことを言ってしまった。本当にごめんなさい」
キーオーはそう言って頭を下げると、リスルが不快そうな顔で尋ねた。
「……ジャックが言ったの? 私だけ買われなかったこと」
「違う。どうしても気になって俺から彼に聞いてしまったんだ。ごめん」
もう一度、頭を下げたキーオーにリスルは何も答えずに床を掃き始めた。気まずい沈黙が流れ、耐えられなくなったキーオーは、雑巾を四つ折りにして掃除に集中することにした。しばらくするとリスルが小さく泣きそうな声で言った。
「別にいいのよ。どうせ私は醜いのだから……」
その一言は重苦しい雰囲気をまとっていた。キーオーは扉の方を向いているのでリスルの顔は見えないが、彼女が悔しい顔をしていることは想像できた。キーオーが聞き耳を立てたのに気づいてから、リスルは手を止めずに話し始めた。
「私の左足は生まれた頃からなかった。事故や戦争で失ったわけじゃないから、二股に割れた小さな足のなりそこないみたいなものが付いている。両親はそんな私を見て、生まれてすぐこの孤児院の前に私を捨てた。普通じゃない子供たちが集まるここでなら、なんとか生きられると思ったのでしょうね。でも、私はここでも、普通じゃない子供のなりそこないみたい」
「そんなことないよ。君は立派に孤児院で役割をこなしているじゃないか」
「知った風な口きかないで! ここは『社会』じゃない。ここでの役割はお遊び、お飯事と一緒なの。ここは、自分でお金を稼いで、税金を収めて、家族と共に暮らしていく連邦領民らしい生き方を練習するための場所よ。いつまでもこんなところにいるなんて、惨めで最悪……」
「そこまで言わなくてもいいんじゃないか。ジャックだって君と同い年なのにここで暮らしているじゃないか」
「あいつは連邦軍に入隊できる年齢になるまで待っているだけよ。でも私は違う。あんた昨日、私に農業をやれって言ったわよね? こんな私にできると思う?
今まであらゆる分野の大人たちが孤児院に視察に来た。その中には農家もいたし、漁師や使用人、宝石商もいた。だけどみんな私の足を見た途端にいらないって顔を背けた。そしてついには貴族の妾まで、私だけが売れ残った」
キーオーは昨日の一言がいかにリスルを傷つけてしまったか、深く反省した。その間、しばらく箒の掃く音だけが聞こえた。
「妾の面接って、主人となる男の前で服を全部脱がなくてはいけない。ああいう時の男の目ってはっきり言って嫌いだけど、あいつらが私を見る目はもっと嫌だった。それまでの気持ち悪いにやけ顔から、まるで醜いゲテモノでも見たのかのような歪んだ顔に変わった。
なんでよ。私だってあんたたちの大好きな女でしょ。ちょっと人と見た目が違うだけで、なんでそんな顔をするの。髪の手入れには人一倍気を使っているし、大人の男が喜ぶことだってたくさん知ってる。それなのに、こんな足のせいで。ファーフみたいな小さい子まで選ばれているのに、私だけ……」
リスルの悔しい思いは、お大粒の涙となって埃が積もる床にこぼれた。キーオーはこんなにも世界に悲しみが溢れているのに、なんて自分は無力なのだろうと思うしかなかった。