PR03 (01)
北方より、東京駅上空に近づく1つの機影。
角度可変回転翼軸を持ち、ヘリコプターの垂直飛行と固定翼機の水平飛行を可能とした最新鋭の輸送航空機ーーSMT914ーー。
これが戦時中であれば、主に運ぶのは補給物資や一個小隊までの戦闘員だが。この機体は今、結界師を含む7人編成となる特0部隊を2分隊。そして御子を1人運んでいる。
最大航続距離997km。沖縄を除く日本の半分を無給油でカバーできる性能を誇る。最高速度は水平飛行時で585km/h。東京から京都まで約1時間。映画をゆっくり鑑賞する時間もない。
そして、ヘリモード時の最高速度は202km/h。このSMT914がヘリモードで埼玉県大宮市を飛び立ったのは、ほんの10分前のこと。
機体側面と底面に日の丸国旗と「特0」の文字。所属を示す埼玉県の赤い県章も。それらよりもさらに大きく目立つ緋色の狼のロゴマークがラッピングされたこの機体の通称は、
ーー緋色狼の牙ーー。
特務0課本部から応援要請を受けた埼玉の御子、緋越彩乃は、機内で愚痴をこぼしていた。
「んーもうッ!暑っい!…何でエアコンが付いてないのかなぁ、コレ」
運悪くその隣りに居合わせた特務0課の20代そこそこの若い隊員が、ブレザー制服の女子高生をなだめる相手をする。
「彩乃様、仕方ないですよ。軍用機なんですから」
その仰々しい呼び方は何とかならないかと思うけど、何度言っても直してくれないので、もう根負けして諦めた。
「夏休みよ」
彩乃は17歳のただの高校2年生。御子はたまたま。
「…まあ…そうですね。一般的には」
「冷房の効いた家でアイスを食べながらゴロゴロするのが最高なの」
わがままで面倒くさがりの彩乃が言いそうなセリフだったので、かの隊員は、ぷっ、と軽く吹いた。
「何よ…」と彩乃が横目でそれを睨めつける。
口は悪く、そうやって睨んだとしても才色兼備の美貌とスタイルである。その切れ長の美しい視線に内心ドキッとさせられるのは密かにもう何度目か。
「…ま…まあ、仕方ないですよ。本部からの緊急応援要請を受けたんですから。ウチだけじゃなく神奈川と千葉からも飛んで来るらしいです」
「それ、大袈裟よね。ねえ知ってる?…東京だけで3人も御子がいて、しかも舞子とレイアの2人はかなりの手練れよ。そこにさらに近隣3県の応援がいるほどの鬼魔ノ衆って何?そんなの聞いたことがないわ。着いたらもう終わってるんじゃない?」
「そう言われましても」
「まあいっか。ここで東京組に貸しを作っておくのも悪くないかもね。夏休み中は埼玉もカバーしてもらおっと。で、わたしは残り少ない夏休みを満喫するの。どう?」
「どう?って…だ…ダメですよ彩乃様。きちんと埼玉の御子としての責務を果たして…」
「…待って」と彩乃は片手を上げ、隊員の言葉を遮る。
「前言撤回するわ。とんでもないかも…コイツは…」
尋常じゃない妖気が彩乃の脳髄を鷲掴み。ゾクゾクする嫌な予感を首の後ろに感じながら眉根を険しく寄せた。
「どうしました?」
隊員をスルーし。いきなり安全ベルトを外した彩乃は、機体側面扉のロックまで勝手に解除。大気解放されて、ブワッ!と強い風が機内に流れ込む。
「ちょ!…彩乃様、危ないです」
「大丈夫よ」
肩越しショートの髪がバサバサと乱れる。その横髪を片手で押さえつつ、彩乃は地上を目視で見下ろした。
ちょうど高度を下げ始めた機体が東京駅の丸の内側からアプローチしているところで。
「…見て…すごいことになってる」
物々しいパトカーや救急車の数。それら緊急車両の赤色灯が明滅する中で、まるで水を掛けられた蟻の大群のように、黒塗りの群衆が右往左往に逃げ惑っていた。
「うわぁ…大混乱ですね」
隊員も目を見張る。
「でも、きっとあの3分の1は埼玉県民よ」
「まあ…そうかも…」
「…ねえ……アレは何?」
隊員も彩乃の横顔からその視線の先を追った。
「うわッ!…何ですか、アレ」
東京駅にすっぽりかかる禍々しい暗雲と、何かとんでもない爆発でもあったか、きのこ雲のように立ち昇る土埃の大きな柱。
それだけでも驚きだが、本命はそれではなく。そこから上空に向かってうねうねと蠢いてる異様なモノが、あり得ないほどの長さの白い鞭状でーー。
アレが…鬼魔ノ衆?
ほとんど怪物じゃない…
彩乃は「んん?…」とさらに目を凝らす。
小さな人影らしきがひとつ。空中でヒラヒラと蝶のように舞いながら、その双鞭と戯れているようにも見えた。時折りチカッ!と一瞬の流れ星のような閃光が瞬く。
追う2本の鞭。逃げる御子。
舞子…!?
急がなきゃ…
緋色に光る煌河石リングに声を乗せる。
「司令本部。彩乃よ…東京駅上空にて鬼魔ノ衆を視認。あれは舞子よね。紫兎ちゃん、状況は?」
「彩乃ちゃん、来てくれてありがとう。とりあえずの時間稼ぎに手一杯の舞子ちゃんを手伝ってあげて」
「とりあえずの時間稼ぎ?」
「大規模避難誘導が進行中です。地上でワラワラと湧いてる蟲の大群にレイアちゃんと珊瑚ちゃんも手一杯で…」
人口密集地で同時に多発…
「そういうことね…」
まるでタクシーに乗っているかのごとく彩乃は隊員に告げる。
「ここでいいわ、止めて」
「ここで?…了解…」
受けた隊員はインカムを通じて操縦士に指示を送る。スカーレットファング機はヘリモードのままホバリングに。
「いい?…今回ばかりは危ないからアイツから離れているのよ」
特0隊員たちにそう言って、埼玉の御子はウインクを投げ打ち。いきなりスカイダイビングでもするかのように、背から機外にその身を放り出す。
「えええっ?!…ちょ…ちょっと!」
隊員たちが慌てたのは、彩乃がまだ御子になっていなかったからで。
両手広げた大の字で背から落下しながら、ブレザー制服姿の女子高生は、機外に半身を乗り出す隊員に向けて余裕のVサインを投げる。
「畏み…畏み申す!」
すると…
パァ…と彩乃自身が眩く発光し、御子衣装にサラッと長い緋色の髪に変わった。
そこから紐状の鬼魔ノ衆に向かってすっ飛んでいくのを無事見送って、隊員たちは「フーーーッ…」と長い安堵の息を吐き切った。
その一連の様子に、操縦桿を握っていた操縦士は、ハハハ…と声高らかに笑う。
「相変わらず、うちの御子さんは面白いねぇ。やる気があるのかないのか…さて、隊員たちを下ろす場所を探すとするか」
操縦桿を押し込み、ぐんと機首を下げ。緋色狼機は旋回しながら高度を下げていく。
これ以上壊されたら大変だわ…
あわやぶつかりそうになった高層ビルの人々の視線から逃れ、舞子は滑空飛行をしながら、すでに半壊以上した駅のホームを改めて見下ろす。
この一帯は高層ビルが密集して建ち並ぶ。あの破壊力でどれか一つでも薙ぎ倒されでもしたら、さらにとんでもないことになる。
変化自在な硬節触手を持つ鬼魔ノ衆の全容は、いまだ黒い厚い霧で覆われていてよくわからない。
…が、その生え際はやはり先頭車両だと思われる。
多節棍のようなその白い二本の触手は、クネクネと自在に曲がって伸びたり縮んだり予測困難な動きを見せていた。でもその長さにも限度があると、そう舞子は踏む。
最初あの時、先頭から舞子のいた5号車までざっと100メートル。恐らくは、舞子がその射程に入ったから攻撃を仕掛けてきたのではないか。
煌河石のリングが菫色に光る。
「舞子ちゃん、どう?…うまく引きつけられそう?」
ウネウネと伸びる硬節触手からの距離を測りながら、舞子は前方車両へ少しづつ旋回の輪を縮めていく。
「なんとかやってみます。ねえ紫兎ちゃん。アレはいったい何?…鬼魔ノ衆だよね?」
だって、あんなの見たことがない…
「間違いなく鬼魔ノ衆です。そろそろ来そうですよ」
射程内に入ったか、攻撃モードに転じた触手がぐんと高速で伸びて、飛翔する舞子を追い回し始めた。
そうそう、こっちよ……
「…さて、しばらくわたしと遊んでもらうわよ」
注意を引きつけるため、ひらひらと蝶のように舞いながら攻撃をかわし。今はできるだけ救助の時間を稼ぐ。
ゴウっ!と耳に唸る風圧に圧倒されそうになりながら、隙をみて浄化の閃光弾を小出しに放ってみるけど、これがなかなか当たらない。
隣接する高層ビルに被害が及ばないよう、避けるコースやポジショニングも限定されてくるので、かわすだけでもかなりの神経をすり減らす。
…っ…3本目!!
黒い霧の中から硬節触手の数がいきなり増えて、舞子を突き狙う。
…クッ……!
半身に仰け反り、かろうじてソレを躱すが。その鋭利な爪のような先端がザクッと巫女装束の袖を引き裂いた。
ズルい、もう一本あったのね…
!!っと……
息継ぐ間もなく、もともとあった2本の節触手が続けざまに舞子に襲いかかる。その動きを読んでいたので、これもアクロバティックな宙返りでギリギリいなす。
休ませないとばかりに、次々と3本の硬節触手が舞子を叩き落とそうと執拗に狙ってくるのだから大変だ。
「ぅっ!…しつこいわね」
流石に一度に3本相手はきつい。
もう反撃どころではなく、躱すだけでも一杯一杯になる。
でも…それでいい。
今はとにかく避難誘導の時間を稼がなきゃ。
東京駅周辺の大パニックは不思議と治まりつつあった。
切っ掛けは、誰かが空飛ぶ人の姿に気づいたからで。
「お…おい、あれ、何だ?」
最初は大きな翠玉色の鳥の見間違いかと。
「…うそ、人?…が…」…空を飛んでる!!
連鎖する反応で皆が上空を見上げ始め、その光景に唖然としながら足を止めだした。
「御子?…あれが?…」
騒然とする中で言葉が波紋のように広がっていく。
空中をひらひらと飛び回る一人の少女と、それを執拗に追い回す怪物の白い硬節触手。
人々は、その攻防戦を地上から見上げ、高層ビルの窓から見下ろす。
「おい、アレ御子だってよ…」
「マジか…すげぇな」
でも…と人々は思った。
例えるなら、巨象の鼻に無謀な戦いを挑むひとひらの蝶。
無理ゲーだろ…?
あんな怪物に敵うわけがない。すぐに叩き落とされて無惨に踏みつぶされるのがオチだと。
それでも人々は、恐怖に駆られて逃げ惑うことをほんのひと時忘れ。その場で足を止めている。
喧しく避難誘導を促していた警察や自衛隊の拡声器からの声も、いつの間にか鳴り止んでいた。
そう。彼らもその時ばかりは職務を忘れ。群衆と同じく空を見上げ、息を呑みながら御子と鬼魔ノ衆の攻防を見守り始めていた。
3本目の触手が新たに出現し、ああ…と群衆が騒めく。
不意をつかれた御子がソレに一瞬貫かれたように見えて青褪めたが。ギリギリで躱した御子の華麗さに、群衆は「オオオッ…」と響めいた。
落とされそうでなかなか落とされない御子に、知らず知らず応援を込め、それぞれに拳を堅く握りしめていた。
「なあ?…いっそ、ヘリのミサイルとか戦車の砲撃で攻撃できないのかよ?アレ」
ひとりの男が、たまたま横にいた自衛隊員に問う。
「聞いてませんか?…我々の銃火器は、ほとんど鬼魔ノ衆に効かないんです」
「ああ…そう言えば、そんなことテレビで言ってたな。それって本当なんだ…」
「特0には結界師もいますが、あくまでサポートで。今のところ御子だけが唯一対抗できる手段だと、我々も聞いてます」
「…でもなぁ、あんな女の子があんな怪物にどーやって?」
「御子は浄化の光で鬼魔ノ衆を攻撃できるらしいです。ほら、また光った…きっとアレのことです」
「…ぁぁ…あれか…」
「でも…」
自衛隊員の先の言葉を聞かずとも、男は察した。
あんな豆鉄砲のような攻撃しかできないのなら、まず勝ち目は無い。
無理ゲーだろ?と誰もが思いながらも、誰もその場から動こうとはしない。無意識に人々は、この戦いの行く末をその目で見届けようとしていた。希望か…絶望か……
その刹那。
「ああっ!!」と誰もが思わず悲鳴を上げた。さらに増えた触手が翠玉色の御子に襲いかかる。
…4本!!…って……
「くっ!…ぅぅ…」
咄嗟の翻りを見せて、ゴウッ!と掠めた風圧とともに舞子の黒髪がパラパラと宙に散った。
それほどのギリギリ。
…っと…
バランスを崩しながらも舞子は、畳みかけてくる追撃をを神ノ起双槍の長柄でギン!と受け流し。
これも躱す。
いったい…何本あるの?
獲物を取り逃がした4本全ての硬節触手がいったん上空で伸び切ると。その鉾先がすぐさま返って舞子の頭上へと襲いかかる。
…ッ…!…
体勢不利。
ーーよけられない!!
「ハァッ!」
空中で仰向けになっていた舞子は、咄嗟に神ノ起双槍を上方に突き立て、そのまま傘のような防護障壁を張った。
桜色を帯びた半球状の盾に、ガツン…!!と鋭い爪先が食い込む。その衝撃に耐える舞子の奥歯が、ギリッと強く軋んだ。
「ぐぅぅっ!」
何て、馬鹿力…
その場に留まろうとすることを許さないとばかりに、4本束になった硬節触手は、舞子を上から押し潰さんと加圧し始め。このまま加重に任せて強引に地面に叩きつける気だろう。
でも、束になってくれた…
ここまで舞子が放っていた閃光による攻撃が、見上げる人々から豆鉄砲と酷評されていることを、もちろん舞子自身は知る由も無い。
逆に、舞子が敢えて魔力を抑えていたことを、人々は知らない。
舞子ほどの手練れの御子がフルパワーの浄化の魔力を、こんな街中で解放したらどうなるかわからない。
だからこの機会を待っていた。
そう…
その後ろには青い空と白い雲があるだけ。
乾坤一擲!
ここで一気に叩き込む!!
舞子の全身から魔光の粒子がブワッと湧き立ち始めた。
…と、その時だった。
まさかの5本目が黒い霧の中から一気に伸びてきて。
くっ…挟撃ッ!!
狡猾な鬼魔ノ衆だ。アッパーカットのごとくガラ空きな舞子の背後を貫くつもりだ。このまま前の4本を潰したとしても串刺しは避けられない。
でも…それでもいい、と舞子はかまわず目の前の4本に大砲を撃つ構え。
わたしがここで倒れたとしてもレイアも珊瑚もいる。
たとえを命を賭してでも、この地の人々を護る。
それがーー御子の本質。
だから…
この4本だけでも道連れに、祓わさせてもらいます。
…と、その時、視界の端にすっと横切る緋色の人影が見えた。
えっ?…と一瞬。
舞子の背後を高速で駆け抜けた赤い流星が5本目の硬節触手を一刀両断。
ザクっと切断されて黒塵と化す。
煌河石リングに彩乃の声が。
「舞子、一つ貸しよ!」
勢い余ったか、そのままVサインを立てながら高速で離脱していく。
なんとも彩乃らしいやり方に、舞子はふっと口角を上げる。
よし!…これなら……
上から押されて背後に迫るのは線路の地面。
…急げ!!
舞子は有りったけの魔光気を神ノ起双槍に注ぎ込む。その切っ尖が煌ッ!と発光し、その周囲に小輪の魔法陣が桜花のように一気に咲き乱れる。
んんんっ…
さらにひときわ大きな魔煌が円状に膨張し、それが瞬時に収縮を見せた。
「江戸っ子を!!…ナメるなァァァーーー」
ドンッ…!!
大砲のような桜色の閃光柱が上空に放たれる。
その波動で大気が、ゴォ…と震えた。それは高層ビル群の強化ガラス窓にすらピシピシと亀裂を走らせるほどの衝撃。
束となっていた4本の硬節触手はその一瞬で黒塵と化し、パラパラとそのカタチを失くしていく。
「うおぉっ!」
見守っていた群衆からどよめきの声が上がる。
触手が束になって、さらにもう1本が翠玉の御子の背後から。もうダメかと。
緋色の御子が赤い彗星のごとく現れ、触手を切ったその直後、桜色の閃光の柱が上空に轟き。慄きながらもその眩しさに目を覆った。
ああ、でも…
落ちる…
翠玉の御子が、そのまま撃たれた鳥のように力なく落下していく。
上空で折り返した緋色の御子は、はたして間に合うのか。
祈るように両手を握りめる人も。
…が。
それより早く白紫の御子が、まるで燕のように低空を滑空してくるのが見えた。
二つの色が地上ギリギリで一つに重なり、再び空に昇って行くのを見て。群衆は「ホォォォ…」と安堵の息を吐き出した。
興奮のあまり、拳を突き上げ雄叫びをあげる者も多く。
すごい…
あれが御子の…あれが浄化の能力…
この時人々は、舞子が放った桜色の閃光に希望の片鱗を見ることとなった。
読んで頂きましてありがとうございます。