PR21 (1)
「…ん…っ……あれ?…わたし…」
珊瑚は、舞子の腕の中で意識を取り戻した。
「おはよう、珊瑚ちゃん」
「ぇっ…と…舞子ちゃん?……ハッ!鬼魔ノ衆は!?」
「大丈夫。さっきのヤツは、紫兎ちゃんがやっつけてくれたよ」
「えっ…紫兎ちゃんが…?」
珊瑚はこの身が宙に浮いている舞子の両腕に抱えられているのだとわかった。
舞子の頬が月明かりに照らされキラキラと光っているのを見て、それが涙だと知る。
「…そっか…もう行っちゃったんだね…」
ひと声かけられなかったことを後悔し、まだ開いているゲートを横目に見下ろした。
「…また…会えるよね…」
「うん、わたしたちも頑張らなきゃ…だね」
紫兎ちゃんの覚悟と勇気に応えるためにも…
舞子は翠玉色の瞳に強い決意を込めながら、ゴゴッと大気が揺れてゲートが閉じ始めるのを睨みつける。
特0司令本部に無慈悲なゲートが開くまで。
ーーあと4時間。
ゲートに飛び込んだ紫兎は、黒塗りの奈落を足から垂直に落ちて行く。
暗闇トンネルのスカイダイビング。
空気抵抗を減らし横にブレないようにするためぐっと顎を引き、両手を胸の前でクロスして肩をしっかりと掴む。
時速は200kmに達し、まともに息すらできない。
くぅ………息が…苦しい……まだ?
壁や岩に当たって身体がバラバラになるのでは…
そんな恐怖と十数秒ほど戦う。
すると…
耳障りだった風切り音が止み、突然の静寂に包まれた。
まともに受けていた風圧も感じなくなって、プハァッ…!と大きく息を吸い込む。
落下の感覚も消えてしまっていたので、大結界の狭間に入ったのだと知る。
虚無な空間にやはり上下の感覚が奪われたが、前に来ていたことでパニックに陥ることはなかった。
逆に…
ふぅ……よかった…まだ生きてる……
そう安堵した。
でも不安材料を挙げればキリが無い。
その筆頭は、このまま時空の狭間を永遠に彷徨い、ここから抜け出せなくなることだ。
もし、あの場所…月の大空洞にたどり着けなかったら…
紫兎のしていることそのものが無意味になってしまう。
それに、ここで鬼魔ノ衆に出くわす危険も十分にあった。事実、前回の脱出の時はそうだった。他の御子がいない今、我が身は自分で守るしかない。
全てが音無しの闇だ。
トクン…トクン…と我が身の心臓の鼓動が早鐘のように聞こえる。
こんな場所に独りでいると、『無』に押し潰されそうになる。
リストバンドに差してあったマグライトを点し、視界を確保する。
手元を照らすだけでも、気持ち的にはずいぶん楽になる。
鬼魔ノ衆の気配は感じられない。
それでも最大級の警戒レーダーを張りながら、まず、ホルスターベルトにあるテンガンの位置を指先で確かめた。
パラシュートスーツの中、台所ラップでお腹に括り付けた御盆の神ノ起具がそこにあることも確認する。
そして、デジタル腕時計のストップウォッチのスタートボタンを押しておく。00:00で止まったままなのは、この狭間では想定内。
魔光を灯すことができないので、非常発光筒をペシッと折って光らせ、ジッ…と息を潜めて待つ。
あの亀裂をーー
体感で3分ほど経っただろうか。
あの時と同じでソレが来るのを感じ、足下に目を向ける。
すると、音もなく破れて小さな白い光が漏れ出始める。
結界の狭間の亀裂。これも前に見た光景。
同じなら、このまま白く眩い光が広がり吸い込まれるはず。
…風…と感じるのは重力だ。
大空洞につながっていることを祈る。
視界が白い光に塗り尽くされ、渦巻く風…いや月の重力に引き込まれていく。
その落下感覚に。
…よし!…行ける!
そう思って、亀裂を抜けたその直後。
!!…ッ…
紫兎はいきなり箱型に出くわした。
特0司令室のメインスクリーンいっぱいに映る巨人にどよめきが起こった。
「…な…何だ…あれ…」
素戔嗚ーー
神話の須佐之男命の名を借りた人型の召喚獣。
それが、出雲の御子、姫榊ちひろの切り札。
箱型鬼魔ノ衆のゆうに3倍ほどある大きさに度肝を抜かれる。ビルで言えば10階建ほどか。
ちひろは、紫兎が決死の覚悟でゲートに飛び込むと聞き。その命運を託す代わりに、12鬼の箱型全てをたった一人で迎え撃つ覚悟を決めた。
召喚には尋常じゃない魔力が必要とされる。ちひろ自身の魔力では足りず、地霊脈の井戸の力を借りなければならなかった。
その膨大な魔力の媒体となる御子にかかる負担も尋常じゃなく。術後は、ほんとうは丸1日寝込むほどに消耗する。4時間…と言ったのは、ちひろの気迫だ。
それ故に、この大技の持続は数分が限度とされる。
それでも…圧巻だった。
鬼魔ノ衆の出現予知ポイントで待ち構えた素戔嗚は、振り下ろした右ストレートで最初の箱型を粉砕。
続いて上がってくる箱型を次々と、風船割りのごとく拳や蹴りで粉々に打ち砕いていく。
これが出雲の御子の力……すごい…
素戔嗚の背後で浮かび、究極の術式を操る姫榊ちひろ。
モニターから目が離せず、二條いちみは畏怖の念すら抱く。
その頃、鴨宮あずきは長距離移動を余儀なくされていた。
「ちひろはんの大技、生ライブで見物できへんのが残念や」
MCリングでそうちひろに告げる。
「…あら、あずきちゃん、今どこ?」
あと1鬼…
それももう間もなく粉砕できる。
「佐渡ヶ島ちゅう所に連れていかれるところや。しかも、雨が、ぎょーさん降ってきて、真っ暗で何も見えへん」
「それは残念やね…出雲からは、まん丸いお月さんがよう見えとるよ…」
12鬼全ての鬼魔ノ衆が灰塵となって消し飛んだのを見届け。ちひろは、今にも消えそうな意識を何とか保ちながら夜空を見上げた。
大役を果たした素戔嗚の姿が崩れ、光の粒子となって昇華していく。それがまるで、その銀輪の月に届くかのように。
紫兎ちゃん……あとはよろしゅう…
頑張ってな…
ーーあと3時間…
「くっ…!!」
紫兎は咄嗟に発光筒を手放し、腰のホルスターからテンガンを引き抜く。
体が重力に引っ張られるド正面に箱型が迫る。
つまり落ちていく紫兎と上ってきた鬼魔ノ衆が、垂直トンネル内で鉢合わせる格好になった。それを避けようにも飛べない紫兎にはどうすることもできない。
一緒に落下していく発光筒が、箱の目玉が紫兎を見つけて一斉にギョロリと剥き開かれるのを照らす。
…が……紫兎の方が早かった。
無我夢中だった。
引き鉄を引いたのは、まさにぶつかる直前で。
逆に、この距離ならまず外すことはない。
―――当ったれぇぇ!……
ドンッ…!!
大砲のような閃光が箱型を貫き、たまたまその後ろに連なっていた数鬼もろとも串刺しにしてくれた。
そのまま紫兎は、舞い上がる浄化の黒塵の中を通り抜け、垂直トンネルを落ちていく。
んんっ、何も見えない!
ぶわっ!と視界が開けたところが、いきなり大空洞の入り口だった。
「うわぁ…ッ!!」
まずい!
今後は咄嗟にテンガンを放り投げ、パラシュートを開くための赤い紐を引いた。
バサっ!
「んっ!…グゥッ…!」
体がギチギチとハーネスに締め付けられる感覚で、落下スピードが急激に落ちたのだとわかる。
その足下。見える範囲に鬼魔ノ衆はいない。
ラッキー…
だが思っていたより早く、ぐんぐんと地底が近づいて来る。
「えっ!?…待って!」
ここが地球の重力の6分の1の月だとしても、このスピードのままでは無傷で降りられるとは思えなかった。
パラシュートを切り離して水平方向に飛ばなければ、と思い出し。すぐさま緑の紐を引いた。
直後、切り離されたパラシュートの空気抵抗がなくなり、ガクンとさらに落下スピードが増した。
「きゃぁぁぁぁ…!」と悲鳴が出た。
バタバタと慌てて握ったパラグライダーの操作ステックを倒すと軌道が変わって前に進み始めた。
けれど同時に落下もしているので、あっという間に地面…いや、月面がみるみる迫る。
「…とっ……と……とぉ!」
着地と同時に足を蹴ると、ポーンと大きく跳ねた。
「うわぁ…ッ!」
そのまま三段跳びをしているように何度も月面をぴょんぴょんと跳ねる。
ここが月で助かった。
もし地球の重力だったなら、とゾッとする。
とーん…とーん…と跳ねる高さがしだいに低くなっていき、何度目かの着地の時にタイミングをはかってパラグライダーを切り離す。
一気に抵抗がなくなった紫兎の体はグンッと前方向に放り投げられ。
「うわわわ…ッ!」
足がもつれたまま月面の上を豪快に転がり始めた。
デコボコした硬い土や石が転がる体のあちこちを痛めつける。
「い…たっ…たっ…たぁぁ…」
このまま永遠に転がり続けるのではと思ったが、やっとバタっと月面に伏せる格好で止まってくれた。
「くうぅぅぅ……」と痛がっている場合ではない。
ーー急がなきゃ!
1秒たりとも無駄に出来ない。
痛みに堪えて身を起こし、片膝をついた。
ストップウォッチのデジタル数字に目をやる。
40秒使った。
残り3分と20秒ーー
足は?…大丈夫。
腕は?…動く、オッケー。
汗?…と思ったのは頭から流れてくる血だとすぐにわかる。
どうやら転がりながら頭を切ったらしい。
手を当て痛みが走り、ヌルッとした血のぬめりをその指先に感じた。
「ぅ…ッ!」と顔をしかめる。
すると…
パラシュートスーツの中で御盆の神ノ起具が、ボゥ…と淡く光る。
一つだけポケットに入れてあった小さな煌河石から魔光を勝手に吸収して、返す光を放ち。頭の傷口を癒していく。
同じだ、幼き夏の日のスイカの時と。
それが御盆の治癒の力。そしてあの大きな蜂は虫型の鬼魔ノ衆だったに違いない。その異様をはっきりと今は思い出した。あんな鼠のように大きな蜂は見たことがない。
であれば、この御盆の神ノ起具には浄化の力もあるはず。
これは、ある意味そういう賭けだった。
ーーそうだ、鬼魔ノ衆は?
パッと見渡しても、どこにもいない。
あれほど地面…いや月面を埋め尽くしていた箱型畑はすっかり更地に変わり果てている。
だが…
ゾクゥッ…!と悪寒が背筋を走り抜け、つぃ…と天壁を仰ぎ見た。
うぇえぇぇぇ……まだあんなにいっぱいいる!
大空洞の天壁の穴の近く、浮遊する箱型鬼魔ノ衆の大群が黒い雲のようにみえる。
あれは、まだ地上に現れていないざっとその数およそ700鬼。
やっぱり…と思う。
縛っていた封印が全て一気に解けてしまったんだ。
もっと段階的に解けてくれれば、長期戦でも何とかなったのかもしれないが。もう今となってはそれを考えても仕方ない。予想していたとは言え、たった一人であの数の鬼魔ノ衆と同じ空間にいると思うだけで生きてる心地がしない。
例えるなら猛獣の檻に放り込まれた一羽の兎だ。
「新潟、椿様、負傷!…手当に救護班と結界師があたっているようです。回復、復帰の見込み不明」
オペレーターの報告に五郎の表情が曇る。
「まずいな…これで8人目か…」
「治癒に長けた御子に、負傷した御子の巡回をさせてみては、どうかしら…?」
いちみは、そう提案する。
「そうだな、仕方ない。それでいこう」
御子が動けなくなれば、それこそジ・エンド。
それで街に被害が及ぶかも知れんが建物や道路など、今は二の次だ。
いちみが指示を出す。
「小日向くん。青森の音祢、富山の氷実、栃木の瑠璃、徳島のすだち、それと鳥取の梨々、この5人でシュミレーションしてみて」
「了解です。あっ……と、引波司令、松本国務次官より通信 です」
「つないでくれ」
「松本だ。引波司令、特0の全システム移管の件だが、どう頑張っても明朝07:00が最速だ。すまん」
05:05までに特0司令本部のシステムを丸ごとどこかに移さなければならないのだが。
「そうですか……」
ここが陥ちてからの2時間をどう戦うか…
原始的でも衛星無線とホワイトボードの手書きで、凌ぐしかないな。
「それともう一つ、どうやら対外的な心配事が現実味を帯びてきた」
「対外的?…何の話です?手短にお願いします」
「日本近海で不穏な動きをしていた中国、ロシアが艦隊を集結させているとの情報だ。北の港からも戦闘艦が数隻、軍港から姿を消したのを衛星がとらえた」
「この騒ぎに乗じてこの国を乗っ取るつもりですか?自衛隊が手一杯な今、米国に対処してもらうしか…」
「その米国から首相官邸に空爆要請が入った。日本の支援という名目で」
いちみが声をあげる。
「は?…アホですか?…そんな火器が鬼魔ノ衆に通用するとでも…?」
その憤りを抑えきれない。
「そうでもせんと、この騒ぎに乗じて不穏な動きをする輩からこの国を守れんという欧米流の正義を振りかざしてきておる。他国はこの現状を正しく認識しておらんし、自国に鬼魔ノ衆という得体の知れんバケモノが飛び火するんじゃないかとも恐れておる」
「国連は?」
五郎の問いに。
「すまん。先に多数を押さえられた…」
松本は沈痛な声音を返す。
「感染源は潰せ、ですか?…リミットは?」
「本日の06:00…もちろん交渉は継続中だが、強硬されるかもしれん。一応、君たちの耳にも入れておく」
通信が切れて、五郎が大きな嘆息を落とす。
「面倒なことになりそうですね」
いちみも眉根を寄せる。
「ああ、政治の世界はもともと面倒という本質でできている」
「…なるほど」
五郎は時計を見やる。……あと2時間か…
―――紫兎……
もうお前だけが頼りだ、頼むぞ…
困った…
すぐ近くに身を隠す遮蔽物も見当たらないし、そんな時間もない。
大平原でポツンと取り残されたような不安感に包まれ、紫兎は出来るだけ気配を消すように身を屈めた。
美味しそうな兎に気づいて、降下してくる猛禽類は今のところいないようだ。
お願い、このまま気づかないで…!
そう祈りながら、腰に1挺残ったテンガンをホルスターからそっと引き抜いた。
そしてベルトポケットから予備の煌河石弾を取り出し、左手で握りしめる。
すくめた首でキョロキョロと、目指す場所を探す。
ーーー祭壇は?
右手前方、その距離ざっと200メートル。
ラッキー、意外と近い…
そう思った直後だった。
頭の中で危険察知のアラームがけたたましく鳴った。ゾクゾクッ!と心臓が鷲掴まれたような戦慄に全身が強張る。
やばい、見つかった!!
見ると3鬼の鬼魔ノ衆が紫兎に気づいて下降を始めた。まずいことに祭壇に向かえば鉢合わせのコース。
紫兎の全本能が、後ろに逃げろ!、と大声で叫ぶ。
ぐっ…
体が石像のように固まって前への一歩が踏み出せない。
ストップウォッチは1分30秒を越えた。
怖い……でも、わたしは御子!
しかもここは、わたしのホーム!
「…動け!わたし!…ヨーイ、ドン!」
声に出し、祭壇に向かって猛ダッシュ。
初動の3鬼に引かれるように他のヤツらもゾロゾロと下降を始めるのが見える。
テンガンはあと2発。
ここには山ほどの煌河石があるが、それを壁から削り出して装填している時間はない。
ヤツラが撃ってくる前に祭壇にたどり着かないと…
はぁ…ッ…はぁ…
走れ…走れ…もっと速く!
あと100メートル…90…80…70…
!!
「くっ…!」
察知して咄嗟に右に跳んだ。
紫兎を狙った鬼魔ノ衆の黒い槍が、足を蹴ったあとの月面をドンッ!と穿つ。
弾け砕けた岩石が派手に飛び散り、頭上から降り注ぐ。
「きゃ…ぁぁっ…!!」
その衝撃波に吹き飛ぶされ月面をゴロゴロと転がる。
そこにさらに何本もの黒い槍の雨が降ってくる。
強引に肘と脚を使って転がる勢いを止め。
「クッ…!」
仰向けの体勢で、テンガンの銃口を迫り来る黒い槍に向けた。
ドン!!!
放たれた閃光の柱が、黒い槍もろとも数鬼の箱型を巻き込んで貫いた。
灰塵となって崩れていくのを見届ける時間さえも惜しみ、紫兎は再び祭壇に向かって走り出した。
はぁ…ッ…はぁっ…
必死に駆ける紫兎の背後に次々と容赦なく黒い槍が撃ち込まれ、その轟音とともに岩石が吹き飛ぶ。それらが頭から降り注ぐのを持ち前の危険予知で何とかギリギリでかいくぐって。
はぁ…!…はぁ……ッ…!
――あと少し……20……10……
ぐんぐんと背後に迫る箱型の不気味な百目模様。
よろよろと駆けながらテンガンのチャンバーを開き、魔光の尽きた煌河石を放り投げる。
祭壇への階段を見上げ、その直前で紫兎は力いっpw月面を蹴った。
「ええぃ!!」
飛んだ……いや、跳ねた。
月の軽い重力を利用して宙に高く舞い上がる。前方宙返りをしながら、握っていた予備の煌河石弾を素早く装填しガチャっとチャンバーを閉じた。
伸ばした左腕で祭壇の床に手をつき、逆立った格好のまま引き鉄を弾いた。
最後の1発。
---当たれ!!
ドンッ…!!
砲身から放たれた閃光が、そこに連なった鬼魔ノ衆を巻き込んでごそっと灰塵へと変えていった。
っし…!!
撃った反動と跳ねた勢いが余って祭壇の床の上をツルル…と滑っていった紫兎は、突き出ていた柱の一つに激突して止まった。
「ぐうっぅぅぅ……」
背中をしこたま打ちつけたが、ここでも痛がっている猶予はない。
ーー時間は?…あと60秒あるかないか…
もうそれを見る間もなく。
頭上に広がる鬼魔ノ衆の分厚い黒雲が紫兎に迫る。もういつでもヤツらの黒い槍が一斉に降ってきてもおかしくない。
ハァ…っ……ハァ……ハァ……
肩で大きく息をしながらヨロヨロと立ち上がり。
御盆を取り出し、両手で頭上に掲げた。
ーー月神の鏡、月の御子の神ノ起具。
なんと…
驚いたことに鬼魔ノ衆の群がピタリと動きを止めた。
どころか、ズズッ…と後退まで始めた。
なんだ……
これが何か、知ってるのね…?
「…でも…どこにも行かせないよ」
大空洞の煌河石と同調するため瞼を閉じ、すぅーっ…と霊気を集中する。
紫兎の全身から湧き上がる魔光の粒子が頭上に掲げた御盆に吸い込まれ、みるみる光を帯びていく。
「お願い!!みんなを助けたいの!…月の御子、引波紫兎の名において、ここにいる全ての日ノ御子たちに告ぐ!!」
ーーその真紅の瞳…
「わたしに、ありったけの力を貸して!!」
すると…
紫兎の呼びかけに応じるかのように、大空洞内の何千もの煌河石の結晶がブワッ!と魔光の粒子を解き放ち始めた。
白く、青く、さらに、淡い紫色の光の粒子に変化しながら神秘的な輝きをみせ。それがオーロラのように大きな大きなうねりとなって光の躍動が大空洞の壁面を波打つように広がっていき。
まるで煌河石から咲き誇った光の花々が、一面で風に揺られているようにも見えるその光景がーー
美しくも…
あまりの荘厳さに、紫兎は驚嘆の息を洩らす。
「………す…ご……い……」
涙が溢れた。
嬉しかった。
煌河石がーー
応えてくれて……ありがとう……
煌河石から咲き誇った魔光の粒子は妖精のように宙を浮遊し。続々と紫兎の神ノ起具に集まり、吸い込まれ、そして蓄積されていく。
そうして月神の鏡は月の御子の祈り受け、あとは命じられるのを静かに待っていた。
「ふふっ…言ってみたかったんだ……これ……」
ずっと自分は何者なのか分からなかった。
御子でもなく、普通の人でもなく…
憧れたし、羨ましかった。
御子装束に身を包み鬼魔ノ衆から護りたいものを護る彼女たちのようになりたいとずっと願っていた。
これでやっと御子のみんなと、本当の意味での仲間になれた気がする。
嬉しくて…嬉しくて…
溢れ出す涙が止まらない。
わたしの大切な場所を!
わたしの大切な人たちを!
ーー護りたい!!!
ありったけの願いと祈りを込めて紫兎は叫んだ。
「畏み!…畏み申すっ!!!」
その願いと想いがかたちとなってブワッ!と月神の鏡から噴き出す。
巨大な魔光の玉となり、祭壇は目も眩むほどの光の輝きに包まれた。
―――間に合え!!
「いいいっ…けぇぇぇぇ!!!」
四方八方に爆ぜた魔光の玉が薄紫色の魔光の柱となり。渦巻き、うねり、枝分かれしながら。
大空洞にいた鬼魔ノ衆の全てをドッ!と一瞬で貫き通した。
そうして…
紫兎の祈った魔光の柱はそのままの勢いで、天壁の穴すべてに吸い込まれていった。
読んで頂きましてありがとうございます。