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公安部特務0課。
これも最近では、特0という通称で呼ばれることが多い。
ちょうど昨年の夏だ。代々木公園の陸上競技場が丸ごと潰れてしまう大崩落事件が起こった。
未明の時間帯だったのも幸いし、その倒壊規模の大きさの割には人的被害が無かったのが奇跡とも言われた。情報は交錯し、発生当時は、大規模テロ、あるいは欠陥工事が原因でははないかとも憶測された。
ところが事件発生の数日後。かの大崩落の原因が、鬼魔ノ衆などという、見たことも聞いたこともない物ノ怪の仕業であると、政府から正式発表にされた。
これにはもちろん、国内だけでなく、世界中が一様に驚いた。
ーー鬼魔ノ衆??
それはいったい何の冗談だ…と。
記者会見の場で、だが官房長官の表情は真剣そのものでピクリとも笑わない。そういう組織名の新手のテロリズムではなく、あくまで「物ノ怪の仕業」だと主張し、それを押し通す。
唖然としたのはその場にいた記者団だけでなく、ニュースで知った国民も同じで。
「…あのう…キマノスって、いったい何の話でしょうか?」
何をどうツッコめばいいのか。そこから質問しなければならない記者団に対して官房長官は、だが、いたって真摯にこう応える。
「古来より、この世の穢れが具現化した物ノ怪の総称で、この世に破壊や災害をもたらす存在。時には人や物に取り憑き、悪事を働くこともある。妖、妖怪、怪異、魑魅魍魎と呼ばれたりもする」
つまり、オカルトらしい。
おいおい…と誰もが思った。
さらに官房長官は続ける。
「我が政府は、件の鬼魔ノ衆が原因とされる厄災に対抗する手段として、警察とも自衛隊とも異なる第3の特務的な機関を正式に承認し、これを早急に設立する」
「ふざけるな!」「真面目にやれっ!」
記者団から怒号すら混じる。
滲み出る額の汗粒を折り畳んであるハンカチで丁寧に拭いながら、官房長官はしどろもどろだ。
「ざ…残念ながら、鬼魔ノ衆については、まだまだ解明されていないことが多く…」
そう政府自体のズサンさを認めてから。
「…し…しかしながら、地震や台風などの自然災害でも、悪意を持った人為的なテロリズムでもなく、この国の安全保障に関わる全く新しい未知なる脅威である…」と締め、最後に「…こ…公安部特務0課がこれらの対処にあたる」と念を押す。
半ば強引に会見の幕をおろし。そして、怒号の飛び交う質問攻めから逃げるように退場した。
あとは国中がひっくり返ったような騒ぎになったのは言うまでもない。
ネットやSNSでも然り。こんな摩訶不思議な説明をされても誰も納得できないと、テレビ各局のニュースコメンテーターたちはこぞって政府を凶弾し始める。
議会の過半数以上の議席を占める与党を、だがそれでも、野党側が責め立てるかと思いきや。なんと野党もそろって公安部特務0課設立の承認にまわった。
国民が呆れていると、その1週間後、これまで過去に発生した鬼魔ノ衆の関連と思われる事件が正式に公表された。
代々木運動競技場崩落事件の半年前に、京都の市中で突然地割れて、盛り上がる土砂とともに古い社のような建築物が出現したことがあった。また、それから3ヶ月後には琵琶湖湖畔が地鳴りとともに軽い津波に洗われる事象も。
これらは地殻変動との関連も取り沙汰されたが、そのどちらも死傷者が出なかった事もあり軽く見られ、解明できない不思議な事象として片付けられていた。
いまさらそうだと言われても、なおさら信じ難く。
結局、お国の施策に対してネットやSNSで言いたい放題。何も納得できぬまま不満や誹謗中傷の声をあげることぐらいが関の山。
もちろん、これを機に内閣の支持率は急落した。
この国の政府は狂っているーーと。
政権交代は確実で、年内の解散総選挙はもはや避けられない事態と思われた。
暑さも和らぐ秋の季節になると、だが、少しずつ事態が変わり始める。
この件に関しては、与野党が一致団結した事実上の1党独裁体制に揺るぎはなく、どうせ何を言っても変わらない。そんな諦めのムードが国中に漂い始めた頃に、全国各地で鬼魔ノ衆が原因とされる小規模な事件が相次いで報道され始めた。
誰もいないはずの廃工場の火災、晴れ間続きの山間道路の土砂崩れや陥没、牛がバラバラにされた牧場の牛舎の崩壊など、怪我人もなく死者もいない。どれも取るに足らない地方ニュースで、だが不可解な事件ばかり。
その数は増す一方で。これら些細な事件の全てが鬼魔ノ衆の仕業だと言う。
またか…
あるいは捏造か。
ーーそもそも鬼魔ノ衆は本当にいるのか?
人々の呆れムードと疑心暗鬼が積もる中で、マスコミや一部の有識者を中心に「なら証拠を」と騒ぎ出すのは早かった。
そう…
これら一連の鬼魔ノ衆関連事件の最大の問題は『映像』どころか『画像』すら一切出てこないことだった。
誰もがカメラ付きのスマホを持つこの時代にあって致命的な証拠の欠落。鬼魔ノ衆は目視できるが一般の映像機器にその姿を写すことが出来ない、と政府は言い訳を並べ立てた。
ハッキリと写らないのだそうだ。
斎藤もテレビで見た。
事件現場の監視カメラの静止画や動画もプライムニュースで次々と公開されたが、説明されてやっと分かるぐらいに何かがボヤッと写っているような、ただのモザイクらしきにしか見えない。
これでは胡散臭い心霊写真の類と何らかわらない。見えないモノを信じろ、という構図そのものがどだい無理な話で。それはつまり根拠が無いに等しい。
そんな恐ろしいバケモノが、このデジタル時代に実在しているという確固たる証拠がーー。
その後、鬼魔ノ衆存在論争に妙な変化が現れ始めた。
それがーー空飛ぶ少女の目撃譚。
鬼魔ノ衆事件の発生に比例して、その現場に居合わせた目撃者の数はどんどん増えてくる。
俺は、私は、ーー物の怪ーーを見た。
そんなタイトルで増え続ける目撃情報をメディアがこぞって報道する中で、空飛ぶ不思議な少女たちの目撃情報が混ざり始めた。
空から事件現場に現れ。鬼魔ノ衆なるものを、剣や槍やあるいは杖か、光のビームで消し去り。その場から逃れるようにまた空へ飛んで行ってしまう。
10代半ばぐらいの、まるで人気アイドルのような容姿の、カラフルな巫女衣装らしきコスプレの、神出鬼没の少女たち。その異なる容姿情報と全国各地に及ぶ出現情報から、一人だけではない、というのがSNS上でも通説だった。
ともあれ。
そんな謎めいた少女たちの目撃譚に人々の興味が集まり始めたのは必然だろう。メディアがこぞってこの話題に飛びつき、SNS上では昼夜問わずに関連と思しき投稿で埋め尽くされた。
ただ不思議なことに。これほど多くの目撃情報があるにも関わらず、謎の飛行少女たちの姿を収めた画像や映像についても、何一つ出てこなかった。
それが半年ほど前の、あれは東京でも珍しく雪が降った2月だったと、駅務の斎藤は覚えている。
それまで政府筋は、設立されたばかりの特務0課と謎の少女たちの関与を一貫して否定し続けていたのだが。
それが一転、その日の記者会見でその存在を公式に認めた。
公安部特務0課つまり政府と相互支援関係にあるMFC…マジカル・フレンズ・チャンネルと呼称されるコミュニティがあり。それに属する特殊な能力を持った少女たちは日ノ御子…あるいは単に御子と呼ばれ、それぞれが全国各地で活動しているーーと発表された。
加えて、これら御子たちの特殊な能力が鬼魔ノ衆を浄化、つまり退治できる最も有効かつ効果的な対抗手段である、とも。
日ノ御子?…御子?
ーー特殊な能力??
おいおい、マジか…
その場に居合わせた記者団は失笑しながら呆れ果てるしかない。
オカルト要素たっぷりの鬼魔ノ衆に加えて、日本古来の女王を連想させる呼称、さらに集団コスプレ少女の特殊能力ときたもんだ…
いい加減にしてくれ。
当然のごとく。
「なら、今この場にその御子さんを呼んでくれますか?」と意地悪の一つでも言いたくもなる。
政府はこれに対し、応えず。
「鬼魔ノ衆と同様に、御子も、その姿をカメラやビデオなどの映像機器に収めることが出来ない」とだけ説明し。
「現時点では機密上それ以上の回答は出来ない」と明確な言及を避けた。
しかし、世間は色めき立つ。
政府が認めた!
噂の空飛ぶ少女たちは実在する!
この日を境にして人々の注目は、政府を糾弾するのを忘れたかのように、一気に謎の少女たちへと集中し始めた。
その詳細は秘密のベールに包まれたまま。それがさらに噂が噂を呼び、御子を取り巻く論争は一気に加熱していくばかり。
そのスタンスは大きく二分された。
アンチ御子派。
卑弥呼はともかく、巫女を連想させる宗教めいた呼び名も手伝って、その胡散臭さに呆れる人々。そんなものはインチキ霊媒師の類いに違いない、と。
ゴシップ週刊誌は、特務0課の高官は夜な夜な御子といかがわしいコスプレプレーに興じている、などと誹謗中傷の三流記事を面白がって掲載したり。
その一方で、御子熱狂派。
多くはネット世代の若者たちが面白がってSNSで盛り上がる。
空を飛ぶ…光を放つ…
アイドルのようなカラフルな衣装…
可愛い、美少女、などなど。
その秘匿性と神秘性をスパイスにして、コアな御子オタクも現れ。御子見たさに「キマノスが出た」と誤報する迷惑な輩まで。ただのお祭り騒ぎと言ってしまえばそれまでなのだが。そういった渦中におかれた御子たちを表現した文字の羅列は、若者たちを惹きつける魅力的なキーワードがとにかく満載だった。
そうしていつからか誰かが言い始めた。
御子は魔法少女だーーと。
ヤバい…ほんとだ…
その言葉がピッタリと当てはまる。
駅職員の斎藤健は、今まさに、魔法としか思えない不思議な技を披露する可憐な少女を目の前にして、そう思う。
ゴシップ記事を鵜呑みにしないほどの器量は持ち合わせてはいたが、ネット上であらぬ噂が飛び交うそんなヒーローまがいの少女たちが本当に実在するとは、まるで信じていなかった。
もし、いたとしても、気休め程度のお祓いや神事をお手伝いする役ぐらいなのだろう、ぐらいにしか考えていなかった。
この時まではーー
いわゆる紅白袴の巫女装束にデザインは寄せているが、色も仕立ても全く別物のカラフルさで。フレアなスカートにニーハイブーツは本当にどこかのアイドルグループにいてもおかしくない可愛らしさ。
実はこの装束が身体能力を高め、邪気から身を守るための特殊な性質を持つことを、ただの駅職員の斎藤が知る由もないのだから。
ユニフォーム?…いや単なるコスプレなのだろうか…?と思ったりもする。
それに…
アレは武器なのか?
こんな事態でなければ銃刀法違反で即逮捕されると思われるほどの、どう見ても物騒な業物。
それが神ノ起具と呼ばれる、鬼魔ノ衆の穢れを祓うための武具が具現化されたものだと、ただの斎藤が知るわけもなく。
かの御子が手にしているのは、身の丈以上もある長尺の双頭の槍。
その鋼色の柄には銀杏の黄葉模様が散りばめられ。両端の鋭い刀身には桜木の花弁の模様が刻まれていて、武具と呼ぶにはどこか華やかにも映る。
たった今、その双槍から打ち放たれた浄化の光膜が毒々しい黒紫の霧を祓い清めるをジッと見届けて。
いきなりクルッと体向きを変えた黒髪の美少女が、タッタッタと早足でこちらに向かって一直線に間合いを詰めてくる。
斎藤は「うっ…」と思わず身構えた。
コツンとブーツを、立ち話でもするような距離を置き、小柄な瞳でジッと見つめられ。
「とりあえずの応急処置です。この場の毒気は浄化して、あの一番奥の階段までそのまま結界を張りました…」
まっすぐ澄んだ声音が耳に心地よい。
何だこの半端ないオーラは…?
それに目の色が翠玉色だ。
あどけなさに朱を挿した目元の長い睫毛がどこか大人びて、ピンク真珠のような淡い唇。編み込み後ろに結い上げた黒髪からふわっといい香りも漂い。
きゅっと細腰に、割と胸も…
ぐぅっ…すげぇ可愛い…
その神秘的な翠玉の瞳に、斎藤がぼーっと魅入っていると。
「あの?…もしもし?」
ハッ…! いかんいかん…非常事態だった。
我に返った斎藤は、やっと構内奥へと視線を流した。
まるでオーロラのような。御子の瞳の色と同じ翠玉色の半透明の膜が、大きなシャボン玉バリアのようにフワフワと張られているようにも見える。
「…結界?…あれが…?」
初めて見た。当たり前だけど。
「はい。つまり、こちら側はもう大丈夫です」
きっ…
「…鬼魔ノ衆が?…ここに?」
しどろもどろで、声も裏返る。
「はい。間違いなくこの上にいます」
凜然と頷く御子。
「つまり…ホームに?」
「はい。そういうことになります」
「そっ…それじゃあ……」
まだホームにいるはずの乗客や駅員は、いったいどうなってしまったのか?
改札の窓口にいた別の駅職員が後ろから。
「斎藤さん、ホーム《うえ》と連絡がつきません。見てきましょうか?」
「ああ頼む…」
「ダメです!」
御子の力強い声がそれを制する。
今にも駆け出そうとしていた若い駅職員は驚いて足を止めた。
「ぁ…と、ごめんなさい。お気持ちはわかります。でも許可できません。上は危険です」
「しかし…」
それが駅職員の仕事だ。いきなり東京の御子と言われても、そんな権限もないはずだ。
おもむろに舞子は、改札に立ち並んでいた人々に再び向き直った。
「特務0課が間もなく参ります。だから落ち着いて指示に従って下さい」
いまだポカンと惚けている人々だったが、何人かは顔を見合わせて、うんうん、と頷いてくれる。
舞子が先に、ーー魔法ーーを見せたのが功を奏したようだ。
「それと、力のある方は倒れている人たちを改札の外まで運んで下さい。すぐに救急隊も来るはずです…」
ね?…と視線だけで暗黙の同意を求められて。
斎藤は「は…はい」と慌てて頷いて見せた。
その通りで、駅務の救急隊が直ぐに駆けつけるはず。
「急いで手当すればまだ助かります。ご協力をお願いします!」
舞子が祈るように腰を深く折り、すっと丁寧に頭を下げると。
「よし、分かった」と、ひとりの男性が足を前に進めてくれた。
それをきっかけにボランティアの輪が広がり、そこかしこで倒れている人々の救助が始まった。
改札の外には、中に進めない人々がぞくぞくと集まってきていて。その人集りは状況を把握できないまま更に大きく膨れあがっていた。
「何だ、何で入れないんだ?」
「おい、見ろ…怪我人か?」
騒然となっていたが、改札の奥から意識を失った人々が運び出され始めると、スペースを開け、床にタオルやレジャーシートを広げたりと協力し始めてくれる。
そこにバタバタと駅務の救急隊と警察が駆けつけて来た。
その一連の様子に、ふーっ…と安堵の息をついてから、再び駅職員に向き合う舞子。
「直ちに、駅の閉鎖と駅外への避難指示、誘導をお願いします」
っと…
「それは…この東京駅丸ごと、ですか?」
「はい。もちろん駅に入ってくる電車も全部止めてください」
御子の真っ直ぐな翠玉の瞳は、もちろん冗談ではない。
「そ…それは…」
困惑して、互いに顔を見合わせる駅職員たちが背後に二人。
斎藤は迷った。
東京駅の全面封鎖など、これまでなかったことで、それほど大袈裟なのか?とも思う。
確かに乗客が倒れているが、鬼魔ノ衆なんて本当にいるかどうかも分からないモノのためにそこまでする必要があるのだろうか?
言うまでもなく東京駅は巨大だ。在来線だけでなく新幹線だってこの東海道だけじゃない。この付近だけを封鎖すればいいのでは?
いやいや、ちょっと待て!
俺は、たった今、いるかどうかも知らなかった、御子さんを目の前にしてるじゃないか。
と言うことは、鬼魔ノ衆とやらも本当にいるはず。
いや、しかし…
だとしても、たった今、この東京駅構内に一体どれほどの人がいるのか。きっと間違いなく数万人。それを承知で、この御子さんはそう進言しているのだろうか?
東京駅構内全面閉鎖と避難に加えて、全車両の運行停止。
それがどれほどの混乱とパニックを引き起こすことになるのか分かっているのだろうか?
その挙句、何もありませんでした、では俺の首が飛ぶどころでは済まないぞーー。
「…あのう…昨年の代々木公園の事件をご存知ですか?」
駅職員の戸惑いと躊躇いを感じ取った舞子は訊いてみた。
「ぇっ?…ああ、もちろん知って…」
そこまで言って、斎藤はゾッと青褪める。当時、テレビで流れていた映像が過ぎったからだ。
代々木公園の陸上施設が見事に崩壊していた映像を思い起こし身慄いした。
「まさか…アレと同じことが、ここでも?」
「はい。起こり得ます。ーーあの時ーーと同じような大きな邪気を感じます。だから一刻も早く…」
斎藤は舞子の言葉を遮る。
「それはつまり、君は、ーーあの時ーーそこに?」
「はい、いました。わたしと他の御子で対処しました」
その翠緑の瞳は真剣そのもので。
ゾッ…としながらも斎藤はもう覚悟を決めた。
「分かりました。全力を尽くします」
そして他の駅職員たちに向き直り、
「聞いた通りです。これを大規模テロと見立て、急いでこの状況を東海本部に。直ちに当駅乗り入れ車両の停止命令、それと東京駅全構内の封鎖と退避を東にも要請して下さい」
そうして他の駅員達も動き出す。鬼魔ノ衆を大規模テロと見立てた訓練に則り、各方面と連絡を取り始めた。
この時すでに、特務0課から各機関に東海道新幹線の運行停止と東京駅全面封鎖の要請中だったのだが。東京駅ほどの巨大な人口密集場所での鬼魔ノ衆事案に慣れていない各機関は、お役所仕事振りを発揮してしまっていて、調整が難航していた。
結果、この現場からの状況説明と要請は、各機関を迅速に動かすのにかなりの効果をもたらす。
「ありがとうございます!…ぇぇっと、サイトーさん」
駅職員のネームプレートに視線を走らせてから、舞子は微笑を浮かべ。ペコリと頭を下げた。
明日から就活かも、と頭の隅で思いながら斎藤は訊いてみた。
「…で…君は?」
どうする?という意味で。
「もちろん。これより先は、わたしたち御子にしかできないことです」
それはつまり…そういうことか…
「それでは…」
斎藤に背を向けると、舞子は旋風のようにタタッと駆け出し、トンッ…と軽やかに床を蹴って結界の奥に向かって低く飛んだ。
「うぉ…!…」
思わず声が出た。
本当に飛ぶんだ…
スカートをヒラヒラとはためかせ、宙を浮いて飛んでいく少女を目で追いながら、斎藤は思う。
あれはやっぱり魔法少女だ…と。
その頃、人垣の密集する改札の外では、事の起こりが伝言ゲームのように伝わっていく。
「鬼魔ノ衆が出たらしいよ」
「えっ!マジで?」
「なんか良くない空気が流れてるらしい」
それでもパニックにならなかったのは幸いだった。
鬼魔ノ衆の毒気と聞いても、ピンときていない人々がほとんどで。もしこれが、毒ガステロと誰かが騒ぎ出していたら、あっという間に大混乱を極めて、東京駅構内は二次災害も引き起こすカオスと化しただろう。
どころか…
「噂の御子さんが来てるらしいよ」
「え!マジ?」
「リアル魔法少女?」
「ちょ、見たい、見たい」
話題の御子見たさにスマホのカメラを手に続々と人が集まってくる始末。
程なくして東京駅への立ち入り禁止のバリケードが設置され始め、電光掲示板と運行モニターに運休の赤い文字が一斉に並んだ。
いまだ事件を知らない何万もの人々が騒めき立ち、そこに大音量の構内アナウンスが各所のスピーカーを通して鳴り渡る。
「お知らせします。只今、東海道新幹線の構内にキマノスが発生したため、全ての在来線及び新幹線全線での運行を見合わせています。また、皆様の安全の確保のため、構内を一時、全面閉鎖致します。駅職員の誘導に従って落ち着いて慌てず構内から避難して下さい。繰り返します。只今……」
人々は足を止め、呆気にとられる。
「何?何?どーいうこと?電車止まっちゃったの?」
「キマノスだって…」
「それ本当?」
にわかに信じられないし困惑も広がる。すると瞬く間に公安警察官と拡声器を持った駅職員がドヤドヤと現れ、一斉の避難誘導が始まった。
一部の人々が運行再開の目処について窓口の駅職員に詰め寄ったが、その見込みは全く不明との返答しか返ってこない。急いでいるらしいリーマンが、チッ、と舌打ちをして腕時計を一瞥しながらタクシー乗り場へ足先を変えていく。
そう言った局所的ないざこざは多少あったが、それでも不思議とパニックにはならなかった。
人々はスマホを手にSNSに文字を打ち込みながらゾロゾロと、誘導されるがまま出口に向かって行進をし始める。
「マジか…大迷惑だな」
「キマノスなんて本当にいるんだ?」
「ちょっと見てみたいな」
誰もが昨年の代々木公園の被害をニュースで知ってはいたが、人的被害がなかったこともあって事件そのものが対岸の火事的な捉え方をされていた。
もしあの規模の建物崩壊が、今この場で起こったらとんでもないことになる、と実感している人は皆無だった。
危機管理能力の欠如。危険への想像力不足。あるいは単に平和ボケとでも言えばいいのだろうか。だがそのおかげで、結果、東京駅構内から数万人もの一斉退去という過去前例のない大規模な避難活動だったにも関わらず、初動でパニックと呼ぶほどの混乱が起きなかったのは、もはや奇跡に近い。
だがしかし、この後すぐにーー鬼魔ノ衆ーーの本当の恐ろしさを、多くの人々が知ることになる。
そして、これがこの国を一夜で滅亡に追い込むほどの大厄災のほんの序章であることに、もちろんだが、誰も気づいてはいなかった。
読んで頂きましてありがとうございます。