PR11(2)
栃木の御子、奈須ノ城瑠璃が加わったところで引波五郎は指示を送る。
「アルファワンの映像をロスト10秒前から流してくれ」
「了解。アルファワン映像を再生します」
小日向がコンソールのキーを叩く。
ただの黒塗りの映像が淡々と流れ、その10秒後に《NO SIGNAL》の文字が浮かんだ。
「スローで、もう一度」と五郎。
真っ暗な闇の中に何かを見つけようと、全員が瞬きもせずに注視した。
…が…何も無い。沈黙の闇だけだ。
「紫兎、そっちはどうだ?何か見えたか?」
御子たちの意見を求めたが、揃って首を横に振るだけだった。
「本当にただの故障かも…」と二條いちみは結論付けてみた。
「そうかもしれんな」
だが五郎は次の指示を送る。
「デルタツーの映像を、同じく10秒前から」
先行するアルファワンの白灯と緑と赤のランプが、まだ見えている。
そして10秒後、突然それがフッ…と見えなくなる。
消えた…
故障して落ちたようには見えない。やはり忽然と姿を消したように感じる。
「スローで解像度を上げて拡大してみます」
小日向が五郎の指示を先取りした。
だがしかし。
ゆっくり、はっきり、大きく、でも同じだった。
「デルタツー、センサー類に何か反応は?」
「湿度が高いぐらいで、特に目立つ反応はありません」
鬼魔ノ衆の仕業ではなさそうだ…
では、何なんだ…これは?
五郎は次の指示を送る。
「デルタツーゆっくり下げてくれ。アルファワンのロスト地点から5メートル上は…」
「993メートルです」
小日向がそれに答える。
「了解。デルタツー、下降します」
デルタオペレーターは待機モードを解除し、再びステックを握る。
その深度を示す数字が徐々に上がっていき、990…991…992…そして、993メートルでぴたりと。
「デルタツー、停止」
「そのまま水平移動してみてくれ…どの方向でもかまわん」
「デルタツー了解。では…12時方向に前進してみます。原点マークセット。水平モードへ」
起点がセットされ、カメラとライトの角度が90度振られ、デルタツーは水平方向へゆっくりスライドしていく。
すると15メートルほど移動したところで剥き出しの岩盤のようなものが見えてきた。
「壁?…があるのね…」
いちみは見たままを口にする。
「小日向…壁の位置は?」
「まんまゲートの入り口の縁と重なりますね…ぐるっと回ってみないとわかりませんが…」
今は確かめるしかない。
「よーし…デルタ機、そのまま岩壁に沿って動いてくれ」
「了解。第2原点マーク。壁沿いに走ります」
「小日向、軌道のトレースを」
「了解です」
「瑠璃、よーく見ててくれ、何かあるかもしれん」
「はい、見てますよ」
ランが割り込む。
「五郎さん、わたしもしっかり見てるよ」
「いや、いい」
「えーっ…」
ぶっきらぼうな即答に、ぶー、と膨れるラン。
後ろで雪音がくくくっと噛み笑う。
壁沿いをトレースしながらデルタツーが第2原点まで戻ってきた。
「…この軌道は、ゲートの外周とほぼ同じですね」
小日向がその重なりをモニターに投影する。
「つまり…ストローのように垂直ということか…」
「はい…恐らく」
人工物でもないこれほどの大穴が深さ1kmに渡って真っ直ぐストロー形状だと言うのか…
しかもまだ底が見えない。
「いったいなぜ、突然こんなものが…」
鬼魔ノ衆の国に繋がっているとか、よしてくれよ…
五郎は、それを言葉にするのを躊躇った。
黄泉比良坂ーー
日本神話において、生者の住む現世と死者の住む黄泉との境界。
そんな妄想を掻き立てられるほどに、このゲートの存在そのものが不気味だった。
「瑠璃、何か見えたか?」
「…うーん、微妙ですね…もっと近づいて、下げれます?」
ここで紫兎が出張る。
「デルタさん、わたしにカメラ操作をやらせて下さい」
「おい…紫…」
呼びかける途中で、五郎はいちみに腕を掴まれた。
二條いちみは唇に人差し指をあて、何も言うなとジェスチャーしている。
「…分かった」と五郎は小声で返した。
カメラの角度と焦点を測りながら紫兎の指示が続く。
「…そこからもう少し寄せれますか?……はい、ストップ。で、そこから降ろしてください…できるだけゆっくり…」
デルタオペレーターは右と左から瑠璃と紫兎に顔を寄せられ両手に花状態なのだが、繊細すぎる操作でそれどころではない。
「瑠璃ちゃん、よく見てて」
「はい、わかりました」
深度を示すデジタル数字が上がっていく。
994…995…996…997…
ちょ…越える…
「…し…紫兎様…?」
もうロストラインだ。
デルタオペレーターはひゅっと息を呑む。
「はい、ストップ!」
紫兎がポンとその肩を叩き。
デルタオペレーターは、ふーーーーっ…と止めていた息を吐き切る。
限界ライン。あと数センチでも下がればアルファワンのロストラインを越えてしまうだろう。
手動操作ではドローンを静止するだけでも大変で、デルタオペレーターの額に大粒の汗が浮かび、それが流れて目に入り顎先まで伝う。
そっと横からハンカチが、額の汗を優しく払う。
「…ぁ……」
「ええから、集中だべ」
その声で久慈雪音だとわかる。
「ありがとうごさいます…」
デルタオペレーターはモニターを注視したままで頷く。
よし…集中!
紫兎が次の指示を出す。
「じゃあデルタさん、そのまま壁に沿って、さっきのように一周回ってくれますか」
「うえっ…!?」
マジか…
簡単に言ってくれるが先とはまるで条件が違う。
無茶振りもいいところだ。
ほんの些細なミスでアルファワンの二の舞いになりかねない。
ふーっ…ふーっ…と息も浅くなり。
緊張で舵に置く指先も石のように強張る。
「大丈夫。デルタさんなら出来ます。落っこちてもかまわないですから頑張ってください」
そうも無邪気に、紫兎に微笑みかけられ。
よしっ!
何だか出来るような気がしてきた。
フーーーッ…と長い深呼吸で覚悟を決めると、デルタオペレーターは告げた。
「第3原点座標マーク…セット。デルタツー壁に沿って周回します」
ク……とステックが繊細な動きを見せる。
息をするのもはばかられるこの状況で。
うわっ!光ってるーー
迂闊に声も出せずに驚くのは、いまだステックから手を離せないアルファオペレーター。
モニター画面をジッ…と見つめる栃木の御子の全身から魔光の粒子がフワフワと舞い始めたからで。
そして、んっ?…と雪音だけが気づいた。
同じようにモニターを注視する紫兎の瞳が真紅に染まっていることに。
ジリ…ジリ…とデルタツーは壁沿いを舐めるようにスライドしていく。
繊細な軌道に繊細なカメラ操作。
ブーーん…と電子機器の冷却ファンの静音だけがやたら大きく、特殊車両の中は汗ばむほどに暑い。
雪音がそっと、デルタオペレーターの額にハンカチを当てるその手にも気が向けない。
先の周回に比べて倍以上の時間がかかり、それでもデルタツーは何とか第3原点まで戻ってきた。
「…ゴールです。上昇してリラックスしてください」
「…りょ…了解……」
デルタツーを安全位置まで移動して待機モードに。
「…デルタツー、待機します」
ふっ…とデルタオペレーターの全身からまるで魂が抜けたようになる。
「きゃーっ、やったー」
「デルタさん、すご~い」
ランと楓子がその背をバンバンと叩きまくる。
「…あ…ありがとうございます」
何よりのご褒美だ。
だが…司令室では。
まるで変化の無い岩盤しか映らなかった結果を受けて、五郎が残念そうに呟く。
「何も無かったな…」
「…そうですね」
二條いちみにも何も見えなかった。
「瑠璃ちゃん、どうでしたか?」
蛍火のように舞っていた瑠璃の魔光の粒子は消えている。
「んーー…そうですね。モニター越しですので自信は持てませんが……でも、ある、というより、あった、と感じました」
「わたしも…そんな気がします」と紫兎。
その瞳の色もすっかり元に戻って。
「ねえ、ーー何がーーあったの?」と羽幌ラン。
「結界です」
瑠璃のその言葉は司令室にも伝わっている。
「……結界…?…だと?」
五郎には理解が及ばない。
「正確には、その残滓らしきものですね。恐らく、その効力を失った結界の残像…」
そんなものまで見えるのか…
「…だそうです。司令、どうします?」
いちみは五郎の横顔に問う。
ますます謎は深まるばかりだった。
いったい誰が、何のために、そんな地中深くに…
「…そうだな…小日向、デルタツーのバッテリー残量は?」
このまま進めるか否か…
「今のでかなり消費しましたから…そうですね、あと300ほどは進めそうです」
「そうか…なら…」
決断した五郎が告げる。
「作戦中止。アルファワンを放棄。デルタツーを地上で回収」
「了解。アルファワン放棄」
「了解。デルタツー帰還します」
この日の調査はここまでとなった。
読んで頂きましてありがとうございます。