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日ノ御子戦記〜うさうた〜  作者: おはよう太郎
PR01 東京駅
2/47

PR01 (1)


 その少女の祝詞奏上(ことば)は、駅構内の雑踏と喧騒にかき消され、誰の耳にも届いていなかった。

 もとより誰かに向かって発せられた言葉でもない独り言の(たぐ)い。

 ーー詠唱。


 8月も後半の東京駅。JR在来線の構内は、ノーネクタイで額に汗を浮かべるサラリーマンだけでなく、夏休みで浮かれている学生たちや家族連れも混じり、一層の混雑ぶりを見せていた。


 ひと目で女子高生とわかる群青と水色の格子柄プリーツスカートに白い半袖のシャツ。襟首の朱色のネクタイリボンは暑さに緩まずきちんと締められていて。

 雑多な人波に迷い込んだ蝶のようにヒラヒラと左右に軽やかなステップを踏みながら、人と人の間を駆け抜けていく一陣のまるで春風のようで。

 …急がなきゃ!

 少女は、何かに()き立てられるように、さらに足の運びを早めていく。


「…諸々(もろもろ)禍事(まがつごと)、罪、(けがれ)有らむをば…(はら)(たま)ひ清め給へと…」

 変わらず呪文のような詠唱(ひとりごと)をぶつぶつと呟きながら、少女の表情は険しい。


 その日は学校の補習も午前中で終わったので、午後は神奈川県に住む友達と横浜元町駅で待ち合わせの予定だった。そのまま二人で中華街を散策し、美味しいものを思う存分に楽しもうと算段していた。

 だって夏休みだ。

 ところが…

 電車の乗り換えで東京駅の構内に入った途端、禍々(まがまが)しい邪気を感じとり、それまで頭の中で妄想していたホカホカの中華まんやマンゴーかき氷は一気に吹き飛んだ。

 少女の険しい面持ちの理由は、そんな夏休みの楽しいひと時に水を差されたから、だけではなかった。


 こんなに人の多いところで…

 マズイ…


 神薙(かむなぎ)舞子(まいこ)。東京浅草の饅頭屋を生家とする、16歳、高校1年生。

 ひょんな切っ掛けで東京の地霊脈の御加護を受ける羽目になり。鬼魔ノ衆(きまのす)と呼ばれる、訳の分からない怪異を浄化する特殊な能力を有することになったーー御子(みこ)ーーである。

 肩までの黒蜜のように照る黒髪は、それでも暑いので後ろに()わえてある。真面目で大人しそうな、一見可憐な容貌に似合わず、その性格は一本筋の通った小粋な江戸っ子で。その華奢な体躯から周囲の予想を裏切る食いしん坊であったりもする。


「…(つむ)ぎ、祓い給えとーー」

 詠唱の最後の一句を残し。

 舞子は縦横無尽に行き交う人々の真っ只中で、唐突に行き足を止めた。


「…おっと」

 あわや後ろからぶつかりそうになった中年のリーマンが、邪魔だな、とでも言わんばかりにチッと舌打ちをし。わざとだろう、舞子の肩にドンと当たりながら(かす)め抜ける。

 そんなことをまるで意に介さない舞子だったのだが…

 自在を失くした迷子のように焦燥を浮かべてキョロキョロと頭を左右に振る。


「…近い」…けど…


 探す邪気にかなり近づいてきた。でも、迷路のように幾層にも重なる駅構内と、雑多な人々の思念が入り乱れる中で、正確な方向が曖昧になったらしい。

 顳顬(こめかみ)に嫌な汗のひと滴が、ツーっと流れる。はぁ…はぁ…と荒む呼吸を整えながら、舞子は困惑の瞳で天井を仰ぎ見た。


「虎次郎…ね?どっちかな?…分かる?」


 選ばれた御子にだけ()えるという神使獣(しんしじゅう)。言いづらいので、単に使獣(しじゅう)と略したりするソレが、舞子の瞳には白虎を太らせたぬいぐるみのように映っているらしい。

 もともと名がなく、だから舞子は虎次郎と呼ぶ。

 別に…それっぽいからなんとなく。


 虎次郎との出会いは唐突だった。舞子の場合、休みの日にたまたまひとりで饅頭屋の店番をしている時だった。

 最初は客の忘れ物かと思ったその白虎のぬいぐるみが、ふわふわと宙に浮き、一方的にこう告げてきた。

 ーー我は神使ノ獣(シンシノジュウ)日ノ御子(ヒノミコ)よ。今より覚醒する能力(チカラ)を以ってこの地の大切なものをお護りすべし。鬼魔ノ衆(キマノス)が近いーー


 は?…である。


 戸惑いや恐怖よりも先に、訳がわからない。

 だって、ふわふわと浮いている太った白い虎の「声」が聞こえてくるのだ。男とも女ともわからないどこか中性的な、通りの良い静謐な声音で。幻聴、幻覚にしてははっきりと。それがずいぶんと生々し過ぎて、頭がおかしくなってしまったのかと思った。

 とにかく気味が悪いのと認めたくないのと、だからスルーを決め込んだ。

「いらっしゃいませ」

 浅草の寺門から外れた入り組んだ小径にあるボロい…でも昔ながらの古風で小さな饅頭屋は、休日だというのにそれほど客は多くない。

 それでもぽつぽつと暖簾をくぐる客はいて、その誰もが店内で浮遊する白虎のぬいぐるみを気にも留めない。つまり舞子にしか見えていないのだ。


 その晩の夕食時、太った白虎はまだ舞子の頭上でふわふわと浮いていた。

 気になって何度も天井を見上げていたからか。


「舞ちゃん、どうしたの?」

 おばあちゃんは心配そうに。


「ん?…何でもない」


「ひょっとして何か見えてるの?」


「ん?…別に、何も」

 

 祖母に心配され、でも舞子は言えるわけがない。

 幼くして父母を車の事故で亡くした舞子は、母方の祖父母と暮らしている。おじいちゃんもおばあちゃんもコレが見えていないのが明らかだった。


「…そう…ならいいけど。ご飯、おかわりは?」

「うん、食べる」

 3杯目だ。いつもの食欲にホッとしたようで、おばあちゃんはにっこりと手を差し出す。


 ひと晩寝れば消える、と信じ。けれど翌朝目が覚めてもまだ白い虎は呑気に浮いていた。

 べらべらと喋るわけでもなく、と言うか最初に視えた時から「声」は聴こえてこない。愛くるしいぬいぐるみ顔で、不思議と危害を加えてくる気配をまるで感じない。だからつい話しかけようとも思ったけど、それじゃ馬鹿みたいだと思い直して、やっぱりスルーを決め込んだ。


 それから数日、まだ消えない。

 確か、シンシのジュウ?と言ったか。いつまでも頭上で浮遊する白虎のぬいぐるみにストーカーのように付きまとわれ、その存在にも少し慣れてきたのだろう。下校時、ふぅ…と、肩から根負けの嘆息をし、やっと舞子から話しかけてみる気になった。

 駅前通りの途中にある滑り台とブランコしかない寂しい公園の、木陰にある石造りのベンチに腰を下ろし。夏蝉の喧しさばかりで周りに人がいないのを確認して。

 だって、はたから見れば独りで喋っている頭のおかしい女子高生にしか見えない。きっと。

 えっと…

神薙(かむなぎ)舞子(まいこ)です…」

 まずは律儀に自己紹介から。


 最初に聴こえた言葉をなぜかはっきりと覚えている。一字一句。


「それで…シンシのジュウさんはどうしてここにいるの?」

 なぜ舞子に付きまとうのか…?

 トイレやお風呂にまで、セクハラも(はなは)だしい霊的な何かなのか。

 

 ーー鬼魔ノ衆(キマノス)がもう近いーー

 それはもう聞いた。

「キマノス?」

 ーーこの世の穢れ、害を成すモノーー


 全然わからない…

 でも白虎が音声AIのように言葉を返してくれるのだとわかった。


「ヒノミコって誰?」

 きっと別の誰かと舞子を間違えているとしか思えない。そういう意味で、だから自己紹介もした。


 ーー日ノ御子(ヒノミコ)鬼魔ノ衆(キマノス)を浄化する能力(チカラ)を有する者ーー


 ふーん…

 意味不明にもほどがある。

「あのね…わたしはヒノミコさんじゃないし、そんなチカラは持ってません」

 だから…

「覚醒とか、守るって言われても…」


 1万歩譲って、その不可解パズルのような一字一句をつなげて解釈してみたとして。

 キマノスだかヒノミコだか、何だか知らないけど。抽象的すぎてまるでピンとこない。

 だいたい説明が雑すぎる。こうなったらとことんわかるまで。

 

 ね?

 あなたは誰で、どこからきたのか、そして名前は?


 同じような反応があって、我は神使ノ獣(シンシノジュウ)とだけ。あとの二つは知らないと言う。

 ほんと、ふざけてる。


 キマノスって?

 もう一度。

 同じ言葉が並べられ、この世の穢れたモノ、云々。

 訊き方が悪いのか、と思い直し。


 それって幽霊?あなたも?

 ーー否。我は神使…


「はいはい、それはもうわかったから…」

 これじゃ埒があかない。


 と、その時。

 不意にゾクッ…と、嫌な悪寒が背筋に走った。


 見えない何モノかに背後から首を括られたような嫌な感じ。後頭部から背筋にかけて冷やっとする汗が流れるような。

 そう…不吉なーー

 穢れた空気にこの辺りがどんよりと包まれたような。


 …何…?


 舞子は意識せずともその方向に振り向いた。

 ここではない、でもそんなに遠くでもない。

 ーー何かが…いる…

 怪訝に眇めた視界の先には何も見えない。大通りに車と人々の行き交うただの日常の風景。

 でも、何だろう…

 ソノ存在を確かに感じる。これまで生きてきて、とりたて霊感が強いというわけでもないのだけど…


 鬼魔ノ衆(キマノス)ーー

 考えるより先に足が立つ、その方向へ。


 駆け出した先は公園から数百メートル離れて、雑居ビルの立ち並ぶ狭い路地の袋小路だった。

 黄昏た空が夜帳を下す時間帯とあって、そこは薄暗く。どうしてこれほど急いで走ったのか自分でもわからない。

 はぁ…はぁ…

 乱れた息の視線の先で、舞子は、初めてソレに出くわした。


 何…?…これ…?


 その身丈は2メートルほど、黒い瘴気に包まれていて。あの尖ったモノは雄牛のツノか、赤い眼をした異形の人型。

 そういう怪物を舞子はアニメでしか知らない。そんなモノが、信じがたいけれど、今まさに目の前に確かにいて。こちらにギロリと敵意の睨みをきかせてくる。

「…ひ…っ…」

 言わずとも身が竦んだ。

 すぅーっと現実感が乖離していく、まるで悪夢を見ているようだ。


 じり…と後ろに、踵を返そうと。


 だが見ると、その怪物の(かたわ)らには黒いスーツの男性がひとり、倒れ伏せていた。

 アスファルトに広がる黒い血溜まりに気づく。

 気づいてしまって、動けない。今背を向ければ舞子自身もああなると、なぜかわかって。

 遠く背後の大通りの喧騒が微かに聞こえてはいたけれど、助けを呼ぼうにもこんなビルの狭間に人影すらなく。そもそも悲鳴すら上げられないほどの恐怖に、ガチガチと奥歯が震えているのだから、どうしようもない。

 にしては…頭だけが妙に冷静に状況を検分していて。

 雄牛のツノの怪物は、その剛腕に鋭い鉤爪を生やしている。つまり、あのおじさんは、ソレで斬りつけられたのだろう。


 ズッ…と怪物が一歩迫る。

 頬まで裂けた口で吠えるでもなく、ただ威圧的に。


 舞子は、ごくっ…と死を覚悟した。

 まるでいきなり闘技場(コロッセウム)決闘(デュエル)に放り込まれたようなもの。怪物の殺気の間合いにあって、どう見てもあの鋭い鉤爪で八つ裂きにされる未来しか思い浮かばない。

 そこに転がっているおじさんと同じようにーー


「…ぐ…ぅ……に……逃げろッ……」


 うそ…!

 まだ生きている。

 どころか瀕死の状態で舞子の身を案じてくれているのか。

 助けなきゃ……

 どうしてそう思えたのか、不可解としか言えない。


 舞子の倍ほどもある異形の怪物を前に、素手で生身の女子高生に何ができるのか?きっと血だらけの死体となって短い人生にサヨナラする。

 と同時に、なぜか…沸々と怒りが込み上げてきた。

 そんなことはさせない。

 キッ…と唇を引き結び、震える膝で異形のデカブツを()めつける。対抗手段はない。でも…一縷の望みがないわけでもない。

 神使ノ獣の言う、能力(チカラ)ーー確か、浄化と言ったか。

 日ノ御子(ヒノミコ)ーー

 不確かで、不明瞭で、得体の知れないものだけど…

 怪物から視線を決して切らず、今でもふわふわと舞子の頭上で太った白虎はまだそこに浮いてる。


「と、虎次郎…ね?…ど…どうすればいいの?…覚醒?」


 ーー受諾


 と、いきなり。

 頭の上で何かが(こう)(まばゆ)く発光し、その(まぶ)しさに双眸(そうぼう)(すが)めた。


 …きゃ…!…何!?


 ただそれだけだった。

 視界が戻ったその一瞬、雄牛の怪物が間合いを詰めているのを知る。

 絶望に見開く舞子の瞳に、その赤黒く禍々しい獣眼がすぐそこに映って。鋭い鉤爪が頭上にゴウと迫る。


 !!…殺される…


 もう駄目だと悟った。

 ただ反射的に。ほんとうにただ生きる本能そのままに、無意味だと知りつつ両の腕を上げて防ごうと。

 いつの間にか、その手に何かを握っているとも知らずに。


 ギン…!!


 鈍音が響き。その荷重と衝撃に「ぐッ…ゥ…」と歯嚙む。

 メキッと足元で、アスファルトが割れて沈む感覚。


 うそ…信じられない…


 何か棒のようなモノが両手にある。直上で怪物の鉤爪をどうやらソレで受け切ったらしい。

 舞子自身、何をしているのか全く理解できていない。ただ無我夢中で、その棒のようなモノで怪物の剛腕を受け流し、半身を捻りながら雄牛の怪物の喉元にその切っ尖を突き上げていた。

 長柄の双頭(ダブルエッジ)(ランス)

 怪物とはいえ、その喉奥の骨肉らしきをズッ…!と貫いた生々しい感触を、舞子はいまだに忘れられない。


 再び振り上げた鉤爪をそのまま頭上で、巨漢の雄牛顔が唸るでもなく後ろによろめいて静かに倒れていく。

 ドスンとそのまま地面に打ち転がって、その輪郭(かたち)が、まるで崩れる炭塵のように瓦解していく(さま)を、舞子は唖然と眺めていた。


「…はぁっ…はぁ…はぁ…」

 

 胸が焼けるように呼吸(いき)が苦しい。

 これを自身がやった事だとは到底信じ難く。そしてこうしてまだ生きていることも。

 それでもふらふらと、倒れ伏せているおじさんに歩み寄る。

 まだ息があるのは、見て分かった。

 ただ出血が酷い。人がこんなに血を流している光景はテレビドラマでしか見たことがない。


 救急車、呼ばなきゃ…

 スマホ…

 持っていた鞄はどこに?


 そう思ったところで舞子は自分の両手がぼぅと翠緑色に仄光るのを目にして驚く。

 槍らしきを傍らに放り置き、おじさんの横で膝を落とし、そうすることが当然のように傷口に手をかざしていた。

 どうしてか知っている。この仄光りに治癒の力があることを。だから、スゥ…と息を整え、祈るように手先に集中する。


「…グッ…ゥ…き…君は…?…」

 見ず知らずのおじさんの横顔が口を開く。

 30ぐらいだろうか…


「喋らないで下さい。助かります…たぶん…」


 舞子にも確信はない。けれど、そう思えた。

 ゼー…ゼー…と苦しそうだったおじさんの呼吸が、眠るように穏やかになっていく。まさか息を引き取ってしまったのかと一瞬不安になったけれど、スースーと穏やかな寝息に、そのままほんとうに眠ってしまったのだと知る。


 良かった…

 ほぉ…と息をつく。


 にしても、これはいったい…?

 もう禍々しい気配はどこにもなく、ビルの壁にとまる蝉がジージーと鳴いている夏の夕暮れ。

 背後で「…何か光ったぞ」と、ガヤガヤと人の声が近づいてくる。


 と…

 

「キミ、大丈夫か?」


 倒れているスーツの男性。その傍らに跪く女子高生。

 そして、出血は止まったが、いまだアスファルトに残る血溜まり。

「うぁ…ひでえ…」

「おい、何があった!?」

 駆けつけた3人の男性が血相を変える。

 金髪の黒服のお兄さんと、あとの二人はラフな服装の、日に焼けた強面なおじさんたちで。


 おずっと舞子は気圧される。

 

「…ぁ……その…救急車をお願いします」


「知り合いか?」と睨めつけるように訊かれ。

「違います」と立ち上がったところで首を横に振る。


「嬢ちゃん、コイツに襲われたのか?」


「ちっ…違います!」


「ん?…お嬢ちゃん…どこの店の()だ?」

「未成年か?」


 未成年はそうだけど。

 店…?


 ジロジロと、大人たちの視線が舞子の服装にあって。そこで初めて気づく。

 ぇぇっと…何?…これ…?

 学生服はどこへ。いつの間にかとんでもない衣装を纏っている。


 白地に抹茶色(ティ グリーン)の、前襟合わせた振袖付きの和装のようなワンピースで、フレアな裾の膝上スカート。おまけに花のような唐草模様の描かれた、あずき色のニーハイブーツまで履いている。


「…おい…何だソレ?」

「誰のだ?」

 

 地面の槍に、男たちの目が止まる。

 そして、まさか…と怪訝な、明らかに非難めいた視線が舞子に向けられた。


「…ぁ…それは…」

 この状況は非常にマズい、と舞子でもわかる。


 あの怪物が塵のように消えてしまった今、どう見てもその凶器がスーツおじさんを傷つけたとしか見えない。

 怪物の存在を、話したところで誰が信じる?

 罪のないおじさんを変質者の悪者にはできないし、仮にそれが正当防衛だと取られたとしても、その長い槍はどう説明する。

 過剰防衛に加えて、頭のおかしい認定で窓枠鉄格子の病院送りはきっと避けられない。


 あわわ…となった舞子は、咄嗟に槍を拾い上げ。その場から逃げるように駆け出していた。


「おい!こら!」

「待てっ!」


 怒声の大人たちを背後に置き去り、なんと、駆け出した勢いで体が宙に浮いた。


「きゃぁぁぁ…!」


 聞いてない、聞いてない、こんなの聞いてない!!

 舞子は空を飛んでいた。


 それから、どこをどう飛んだのかよく覚えていない。

 とにかく遠くへ、という思いからか。気がつけば知らない高層ビルの屋上にいた。

 遥か下に遠く、救急車のサイレンを聞きながら、貯水槽のステンレスに自身の湾曲した鏡像が映る。

 服だけでなく、肩までショートだった黒髪も長く背に伸び、ハーフに編み上げたスタイルに赤い花を模した髪飾りまで付いている。

 顔も、アイラインに朱を挿したメイクで大人びた雰囲気で、瞳の色がなんと翠玉色(エメラルドグリーン)に変わっていた。

 そして…

 うそ…!?

 貧相だった胸が立派に膨らんでセクシーな谷間まで作っている。


「…ど…どういうこと?」


 神使ノ獣の虎次郎に矢継ぎ早に質問しまくる。


 日ノ御子への変身と、槍のーー神ノ起具(かむのき)というらしいーーそして、先ほどの治癒能力まで。

 そして舞子の持ち物は、変身と同時に神使ノ獣が預かるという仕組みのようだ。


「…せ…説明不足にもほどがある!」


 怒り心頭、舞子が声を荒げたところでふっくら白虎はまるで動じない。

 変わらず無感情の音声AIのように、事前に聞いていたとしても信じなかっただろう、みたいなことを言うので。

「はい、その通り…」と項垂(うなだ)れるしかなかった。


 そんな出来事をきっかけに、舞子は東京の街を鬼魔ノ衆(キマノス)から(まも)日ノ御子(ヒノミコ)となり。学校に通いながら、日々、夜な夜な、物の怪の(たぐい)を浄化する仕事?を負う羽目になった。

 タダ働きである。ある意味、命まで賭して、まるで割りに合わない。

 でも不穏な邪気を感じ取ると、そわそわと気になって、結局は向かわずにはいられない。

 仕方ないと思いつつ「どうしてわたしなの?」と訊いてみたこともあったが。

 さあ?…と首のない首を傾げる白虎にもよくわかっていないらしい。

 ほんと、ふざけてる…


 そうして虎次郎が舞子の前に現れてから1年余り。この神の使いと称する白虎は、いつも舞子の(かたわ)らでフワフワと浮いている得体の知れないパートナーだった。


 神使ノ獣は日ノ御子にだけ視える存在。

 棒立ちで、何もない空気に向って喋り出した制服姿の女子高生に、東京駅構内を行き交う人々は怪訝(けげん)な視線を向ける。

 いつもなら、こんなに人の多い所で神使ノ獣に話しかけたりしない。けれどこの時ばかりは、そんなことに気を遣う余裕がなかった。


 急がなければ大変なことになる…

 そう御子の血が騒ぎ立てていた。


 虎次郎の声に耳を傾けた舞子は「うん」と、ひとつ頷き、「こっちね…」と再び足を踏み出す。

 そうして人波を縫い、ヒラヒラと駆け抜け。目指す方向に見えたのは東海道新幹線への乗り換え改札口だ。


 新幹線…?…そう書いてある。

 実のところ、舞子はこれまで新幹線に乗ったことがなかった。どころか関東から一度も出たことがない。来年の修学旅行で新幹線で大阪神戸に行けるのを楽しみにしていた。

 それはさておき。

 そこで立ち止まった舞子には、これまで感じたことのないほどの穢れた妖気が、その改札の奥からドロドロと大波のように溢れているのがわかって。

 ゾクリ…と嫌な悪寒が膝の裏から背筋を駆け上り、薄っすらと汗に濡れた首の後ろを嫌な気配が冷やりと逆撫でる。

 この奥で間違いない。

 ここまで急いで駆けてきた荒い呼吸を整え、ゴクリと(つば)を呑み下す。


 その邪気の、あまりの大きさに(ひる)んだことを舞子自身も認め。胸に手を当て、フーーッ……と長い深呼吸ひとつで気持ちを落ち着かせる。


 ここでも足早の乗客たちは続々と、舞子の左右を通り抜け改札に向って行く。

 あれは…何?

 目を凝らした改札の、その奥の方から黒紫の霧のようなものが漂い始めていた。

「…マズイ…毒気(どく)が溢れてきてる」

 思わず独り言ちた。


 それはある種の鬼魔ノ衆が生成する、毒を帯びた霧のようなもの。知らずして大量に吸い込めば意識昏倒となり、下手をすれば死にも至る劇毒、と。舞子がこれまで知り得た、無駄ではないが日常生活には関係ない知識の一つ。


 舞子の左手首には、煌河石(こうがせき)と呼ばれる不思議な石から削り出したブレスレットリングが通されていた。

 淡く美しい翠玉色(エメラルドグリーン)を蛍火のように放つそれを、腕時計を見るような仕草で顎下に寄せ、声音を乗せる。


「司令本部。こちら舞子です。見つけました。東海道新幹線の改札の奥から、じわじわと大量の毒気(どくけ)が溢れてきてます。マズイかも……」


 ふわっとリングが淡い菫色(パープル)に変わり。司令本部からの返答が舞子の頭に直接響く。

 女の子の声で。

「了解です。特0(トクゼロ)がすでに(スリー)ユニット編成でそちらに向かってます。防毒マスクは…」

 ここでその声の主が間を置いているのは、特0の司令部の誰かに確認しているからだと舞子はわかっている。

「…大丈夫、持ってるみたい」


「まずは避難誘導を優先します」


「うん。気をつけてね、舞子ちゃん」


「はい」

 舞子が頷いたその直後だった。


 毒気にあてられた人々が意識を失ったのか、改札の奥の方でドミノ倒しのようにバタバタと倒れ始めた。

 それに気づかず、いまだ改札に向かって行く人々の足を止めようとして、舞子は咄嗟に大声を張り上げた。


「だめっ!中に入っちゃだめです!」


 舞子の必死な叫びは(むな)しく雑踏に吸い込まれ、誰の足も止められない。どころか、頭のおかしな女の子がいる、とでも思われたらしく。人々は舞子から微妙な距離をとり、足取りを更に早めていく。


 虎次郎に、無駄なこと、と指摘されたらしく。恥ずかしくて耳まで赤く染まった舞子が頬を膨らます。


「…もう…そんなこと、分かってる」


 ちょうどその時、改札脇にいた男性の駅職員が改札内の異変に気づいたらしい。けれどオロオロと、何が起こっているのか把握出来ずにいる様子。

 改札を入ったばかりの人々も、視線の先でよろよろと倒れ始める人に気づき、やはり足を止め始めた。そこから後退りする人々も重なって、あっという間に改札は塞がり、人の壁ができあがってしまった。

「何だ、どうした?」

「おい、早く進めよ」

 改札の手前で、何事だ?…と首を伸ばす人々の脳裏に、毒ガステロ、という言葉が頭に浮かび始めるまでもう一刻の猶予もない。


 いけない!…パニックになる!


 混乱し始める改札口を、キッ…と()めつけた舞子は、力強い声音で詠唱の最後の部分を唱えた。


(かしこ)み、(かしこ)み申す!!!」


 すると…

 舞子の頭上で、神使ノ獣が目眩(めくら)むほどの白い発光体となり。と同時に、舞子の足元から(まばゆ)い魔光の粒子が湧き立ち始め、一瞬にして(まゆ)のような光塊となって舞子の体を包み込んでいく。

 わずか数秒。

 近くにいた人々は声を上げる間もなく、ただその眩しさに目を覆うように手を(かざ)す。


 光球が解けるのを待たず、舞子は一足飛びに改札に向かって駆け出していた。

 エイッ!と床を蹴る。

 低い天井と人垣の頭上の、人ひとりがすり抜けられるかどうかの狭い隙間を、伸身の背面飛びのごとくクルクルと回りながらかわし宙で(ひるがえ)る。

 そうして改札を越えた先で両手を広げてふわりと着地を決めた。


 驚く人々はぴたりと動きを止め、シン…と静まり。

 人影らしきを包む白い発光がすぐに収まっていくと、そこに可憐な装束に身を包んだ少女がひとり。

 

 再びザワッ…と、すぐに騒然とし始める。


 白地に抹茶色(ティ グリーン)の巫女装束を模してるが、ふわっとフレアな可愛らしいスカートにあずき色のニーハイブーツ。

 艶のある長い黒髪をハーフに編み上げ、紅い(かんざし)を横一文字に挿し。その瞳は翠玉(エメラルド)のように清々と澄んでいた。


 誰…?

 と、人々は一瞬にして魅入られる。


 その改札脇では眼球を飛び出さんばかりの驚きをみせる駅職員たちがいて。

 先ずは、舞子はペコリと頭を下げる。


「ごめんなさい。切符は持ってません」


「…ぁ…いえ…」とだけ。

 先ほどオロオロしていた30代ぐらいの男性職員が、ポカン…と呆けたように。


 同じようにポカンとした面々(つらづら)を並べる改札の人垣に、舞子は、すっと向き直り。

 いきなり自己紹介を始めた。

「あの…皆さま、こんにちは。公安部特務(ゼロ)課のお手伝いで参りました。東京の御子(みこ)、神薙舞子と申します」

 堂々と、静謐(せいひつ)で耳心地の良い、透き通る声音が凛と波紋のように響き渡る。


 東京の御子(みこ)ーー

 その言葉に反応した人々の表情が、えっ?…と、予想していた驚きに変わるのを見計らって。

 ひとつ、コクリ、と強く頷いた舞子が続ける。


「この先から鬼魔ノ衆(キマノス)の毒気が流れ込んできています。すぐに浄化しますので…みなさん…そこから一歩たりとも前に進まないよう、どうかお願いします」

 そう告げ。人々のパニックを制した舞子は、くるりと奥に向きを変える。


 人々がその背を唖然と見守る中、舞子はスッ…と両の手を前に突き出し、指の先まで研ぐように真っ直ぐに伸ばす。

 その指先が白々とした魔光を(まと)い始めると。まるでイルージョン手品でも観ているかのように何もないところから長い棒のような…槍らしきがボウと出現する。

 ザワッ…と、今一度どよめく観衆だったが。

 自らを東京の御子と称するその少女が、銀の刃先を双頭に持つ槍をバトンのように軽々と回し始めるその姿に固唾(かたず)を呑んだ。


 口から「はっ!」と力強く。

 どこからか、チリン…とひとつ鈴の音が鳴る。


 すると…

 クルクルと扇風機のように回っていた双槍から、ふわっとシャボン玉のような翠玉色(エメラルドグリーン)の光膜が大きく広がり出し。それがそのまま奥の空間をCTスキャンでもするかのようにユルユルと進んでいくのを見た。

 (もや)っと濁り、薄紫に(くす)んでいた構内の空気…毒気と言ったかーーそれがみるみると無色透明に塗り替えられていく。


 ぃ…いったい…

 この少女は…

 何をしているんだ…?


 初めて目にする浄化の光景に、人々はただ唖然とするばかりで。

 その様子をすぐ脇で眺めていた駅の男性職員も、唐突に目の前に現れた可憐な美少女から目が離せなかった。

 ーー東京の御子…?

 確かにそう言った。

 そうだと聞いたばかりで、だが、にわかに信じられない。

 本当に実在していたなんてーー


 SNS上で噂ばかりが飛び交っていた。

 その噂通りの、女子高生ぐらいの可愛い女の子じゃないか…


 公安部特務(ゼロ)課…

 鬼魔ノ衆(キマノス)

 そして日ノ御子(ヒノミコ)…単に御子(みこ)と呼ばれることが最近のトレンドで。


 駅職員、斎藤(たける)がそれらの言葉を初めて耳にしたのは、ちょうど1年ほど前に遡る。


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