PR10 (02)
まるで戦場ような地獄絵図を眺め、楓子は呆然と立ち尽くす。
ほんの数分前まで、人々の笑顔で満ち溢れていた光景が一瞬で奪われた。
「……なんてことを…」
よくも…
あたしの大好きな街を、大好きな人たちを、こんな…
…こんなに…滅茶苦茶にして……
怒りで両の拳を握り始める楓子の、ーー御子の本質が目を覚ます。
赦さない…
赦さないから……鬼魔ノ衆っ!
「詠唱省略!…畏み、畏み申す!」
石畳から巻き起こる魔光の粒子が、一過の渦となって楓子を包みこむ。
…っ…!
茜と亜希子は、その眩しさに目を覆った。
逃げ惑っていた人々も、一瞬、何事か?と足を止める。
大きな繭糸のように紡がれた光条が拡散し、そこに御子装束の伊達楓子が顕現する。
白地に紫の振り袖にミヤギノハギの花模様。紺青のフレアスカートに龍神を模した金刺繍、そして白いニーハイブーツ。
その手にする神起ノ具は、どんと大きな球体を冠とする金色の槌矛。
「…ふ……楓子……なの?」
路上にへたり込んでいた茜と亜希子が唖然と、御子となった楓子の背を見上げる。
ショートだったその髪は蒼味を帯びてさらさらと長く。赤鞠のついたリボンで括られ高い位置でふたつに流麗と束ねられていた。
スッ…と振り返り見せたその横顔の瞳までも金色でーー
あまりにも現実離れした出来事の連続に、二人は夢でも見ているような感覚に陥った。
茜は思った。
これはきっと、何かの悪い夢だ、と。
そうだ…
わたしは、ずんだシェークを飲みながらいつの間にか寝ちゃったんだ…と。
遠く青葉城址に浮かぶ得体の知れない黒いバケモノも。ミサイルみたいな黒い槍で崩れ落ちたビルも。街をぼろぼろに焦がす炎も。
そして目の前で光って変身した楓子もーー
きっとそんな全部がタチの悪い夢で。わたしは、まだあの甘味処のテーブルに伏せたまま、すやすやと寝ちゃっているんだ。ああ、きっとそう…
っ…と、後ろを振り返る。
じゃあ…どうして燃えているの…?
ほんのつい先ほどまで、いつもの三人で笑いあっていた甘味処のガラスは粉々に割れて崩れていて。その店内は業火に包まれモウモウと黒煙を吐き出していた。
嫌な臭いーー
茜は、焦げる化学臭に顔をしかめ、手で鼻を覆った。
夢に臭いがあるはずもなく。これは現実だと思い知らされ。
「いやぁぁぁぁ…!!」
茜は頭を抱え、座り込んだまま恐怖に泣き叫ぶ。
ポン…と誰かの手が頭に…
「茜、亜希子…わたし、あいつをやっつけてくる」
「…へ?…楓子?」
顔を上げ、茜は目を見開く。
「だから、今はお願い…すぐ逃げて」
「楓子…ダメだよ…無理だよぉ…楓子が死んじゃう…」
だだをこねる子供のように、茜は膝を抱えてボロボロとまた泣き出す。
楓子は知っていた。
普段は勝気で陽気な茜だが、意外にメンタルが弱いことを。
「…茜……大丈夫。御子は強いんだから、死なない。きっと戻ってくるから」
「ええぇぇぇ、嫌だよ…楓子ぉ~…」
泣きじゃくる茜の頭にポンと軽く手を置き、楓子は亜希子を見た。
楓子は知っていた。
いざとなると、普段はおっとりしている亜希子の方が肝が座っていることも。
「亜希子…茜をお願い」
「うん…わかった。楓子も…戻ってくるって信じてるから…」
「うん…行ってくる」
互いに強く頷き合ったあと、楓子は青葉山公園に浮かぶ黒球の怪異をキッ!と睨みつけた。
そして…
ぁ…
茜と亜希子は声にならない。
ーー飛んだ…
朱に染まり始めた西空に向かってふわっと音もなく。
金糸を蓄えたような美しい夏雲が青葉の山際に浮かんでいた。
それを瀆す、あの黒いモノが一つ、二つ…いや三つ…
それに吸い込まれるようにどんどん遠ざかっていく楓子のシルエットはもう見えなくなり。それでも茜と亜希子は祈るような涙目で見上げることをやめない。
その夕焼けに白い大輪が三つ。
音もなくパァっと…夏の花火のように咲いた。
「ーーどこだ?!」
緊急の知らせを受けた引波五郎が特0司令室に駆け込んできた。
「宮城、仙台です!」
オペレーターが答える。
「引波司令、どうやら仙台駅を中心に市街地が攻撃を受けたようです」
ヘッドセットを片耳に、立ったまま通信コンソールに食いついていた二條いちみが振り向く。
「攻撃…だと?…被害状況は?」
「まだよく分かりません、各方面かなり混乱している状況のようです…ただ…」
「何だ?」
「まるでミサイル砲撃を食らったみたいだ、と…」
「…砲撃ぃ?」
そんな鬼魔ノ衆がいるのか?
「MF映像はまだか!?」
「まだ届きません!」
映像オペレーターは手を動かしながら。
「ノーマルでも遠くても構わん。街の様子を出してくれ」
「了解!」
オペレーターは、防災用にビル屋上に備えてある高設定点カメラをいくつか選び出し。ざっとそれらをマルチスクリーンモニターに並べ上げた。
「…3番、拡大」
「了解……うわっ…」
驚きを洩らすオペレーター。
「なっ…」と五郎も言葉に詰まった。
仙台駅周辺の市街地から立ち昇る幾本もの燃え盛る黒煙。加えて、崩れかけ、内部をさらけ出す高層ビルからも炎が上がっている。
これは本当に爆撃か砲撃を喰らったみたいではないか…
「ひどい……」
戦争が始まったのか、と勘違いしてもおかしくないその光景に、二條いちみも呆然とモニターを見上げた。
「引波司令!他にも火の手が上がっているようです。青葉山公園」
「見せてくれ」
市街地から望む遠景のカメラがスクリーンに上がる。
黄昏れる夕空に、その小高い山の上からも同じように灰黒色の煙条が|上がっていた。
「…まさか、同時多発?」
二條いちみは、ゾクッ…背筋を震わせる。
それもビル群を破壊するほどの。
これは…ほんとうに鬼魔ノ衆の仕業なの…?
ーー無事に逃げてね…
飛び上がった楓子は、上空からゴマ粒のように見える茜と亜希子のことが心配で一度だけ振り返った。
……でも…と、すぐに目の前の敵に気持ちを切り替える。
そう。もうこれ以上好き勝手にさせない。
もう迷いはなかった。やるしかない。
そして不思議だった。
あの弱気だった自分がどこかにいってしまった。
もし、東京に現れたみたいな恐ろしい鬼魔ノ衆を前にしたら、きっと自分は逃げ出したい気持ちでいっぱいになり、怖くて震えているだけしかできないと思っていた。
それが今。こうして御子装束に包まれ神ノ起具を手にしていると、躰の奥底からこの地の守護者としての使命感だけが溢れてくる。
手首のMCリングがふわっと菫色に光る。
ーーそれに、わたしは一人じゃない…
「楓子ちゃん!!大丈夫!?」
いきなり心配そうな引波紫兎の声音が頭にキーンと届く。
「紫兎ちゃん、わたしは大丈夫。それより、街が攻撃されて燃えてるの…特0は?」
「大慌てよ。避難誘導を展開し始めてる。それで…どんなヤツ?」
「丸くて真っ黒でモヤモヤしてて、恐ろしくでっかいわ。ガスタンク?…それぐらい。感じる妖気も半端なくて、青葉山公園の上に浮いてるの…」
「応援も呼んだから、それまでなんとか持ちこたえて」
「うん、やってみる」
「MF映像…出ます!」
うおっ!とどよめく司令室。
緊急に飛び上がった特0ヘリからの安全をとった遠景の映像。
燃える青葉山公園から立ち上る幅広い黒煙と、その中に隠れるようにポーンと浮かぶ真っ黒な球状の浮遊体。
「こいつは、でかいな…」
唸る五郎。
市街地の様子も別のMFカメラが配置され始め。だがそこには鬼魔ノ衆らしきは映らず、その報告もない。
つまり…
「あそこから攻撃してきたのかしら?」
いちみが呟く。
「青葉山の鬼魔ノ衆から仙台駅までの距離は?」
サブモニターに仙台市の3Dマップが投影され、即座に演算。
「約2000メートルです」
「くそっ、迂闊に近づけんな…いったいどうやって攻撃しているんだ?」
五郎は頭を掻きむしりながら指示を送る。
「とにかく街の避難を優先しろ!」
「司令…」
呟くように呼びかけたニ條いちみはメインモニターを注視している。
モヤモヤと焔立つような黒い球体から長い突起が角のようにニョキニョキと生えてきて。それが音もなく、そう…ミサイルのように発射された。
「あれか…」
その黒い槍のようなものが緩い弧を描きながら市街地の方に飛んで行くのを、今は黙って指を咥えてモニター越しに見ていることしかできない。
五郎は「くっ!…そ…」と奥歯を噛みしめる。
すると突然…
空中で花火のような白い光円が瞬き、黒きミサイルの行く手を阻んだ。
あれは、御子の防御シールド…
「楓子か?」
「…そうみたい…ですね」
「拡大してくれ」
最大限にズームされ、空に浮く伊達楓子の姿を捉えた。
そういえば…と五郎は違和感を覚え。
MFC席を振り返り、そこが空席だと気づいた。
「…紫兎は?」
「司令が来る前にすぐに飛び出していったわ」
「紫兎ちゃんでしたら、パープルラビット機で仙台に向かって飛んでます」
チーフオペレーターの小日向が補足する。
「また、あいつ、勝手に…」