PR09 (01)
富士川作戦は終了し。東京の特0司令本部へと帰還するパープルラビットの機内では。
「あー…ほんまついとらん。あのキモい能面が現れんかったら、今頃けむりと二人で夢の国で遊び倒しとるはずじゃったのに…」
と、大和路紅葉が愚痴る。
「新幹線が止まって、紅葉姉さんと静岡駅で強制的に降ろされて。途方に暮れとったら、紫兎ちゃんに呼ばれたっちゃ」
と、由布ノ原けむり。
「でも二人がたまたま静岡にいてくれて、とってもラッキーでした」
引波紫兎は委細なくそう説明する。
つまり。広島と大分の御子がそこにいた理由は単なる偶然だった。
そうと聞いて、二條いちみは心底拍子抜けをした。てっきり、展開を先読みした紫兎があらかじめこの二人を呼んでいたのだと思っていたから。
ともあれ…
「舞子ちゃんの見立てでは、あの蟲鬼どもは、能面の言わばガソリンだったらしいわ…」
鬼魔ノ衆が他の鬼魔ノ衆を喰らうなど、いちみが知る限り、そんなバケモノはこれまで見たことも聞いたこともない。
「…ホント、とんでもないわね」
「問題なか。また出現たらウチがボコボコに滅しちゃるけん」
「紅葉姉さん、次は、ボコるのは鬼魔ノ衆だけにして欲しいっちゃ」
けむりが面白がって紅葉のキズを深くえぐる。
「…ぅ……ごめん…」
「まあまあ、どのみちあの新幹線は橋を落として富士川に沈む運命が決まってたのだから、紅葉ちゃんは気にしなくていいのよ…」
どころか、あの状況あの局面でよくぞ滅してくれたと褒めてあげたい。
「…でも、あまり無茶はしない、させない。あれじゃ引波司令の心臓が幾つあっても足りないわ」
「「「はーい」」」
紅葉とけむり、紫兎も声を揃える。
もちろんあんな災害があったばかりでその日は東海道新幹線の運行再開の目処が立つわけがなく。紅葉とけむりは行くも帰るも手段がない。
広島かあるいは大分からSMT194の迎えを寄こしてもよかったのだが。
「何ならわたしの家に泊まります?」と紫兎の提出に。
「わあ、ええんか?」と二人が飛びついたかたち。
三島市から多摩市への約100kmはSTM194にはあっという間で、天蓋の開いた特0司令本部のハンガーにパープルラビット機がヘリモードのまま垂直降下をする。
紫兎たちが降りると、腕組みをした五郎が、ムスッ…と不機嫌そうな表情で出迎える。
「おかえり」
「ええーと…ただいま…」
「こ…こんばんわ…五郎さん」
「ぉ…おじゃましまーーす」
やはり潰した新幹線の件で怒られると思い。
紅葉とけむりは、いちみの背に隠れるようにして申し訳なさそうな顔を覗かせる。
紫兎はけろっと開き直って。
「五郎ちゃん、松本のおじさんに怒られちゃった…とか?」
「まあ、そうでもない。どのみち落橋していたらあの新幹線は潰れていたからな。MFCは、よくやってくれたって褒めてたよ。お前と対応してくれた御子たちにも、ありがとう、だとさ…」
派手にやらかした二人は、ホッとする。
「じゃあ、なんで機嫌悪いの?」
「お前が急に飛び出して行くからだ。あの現場だってまだ危険かもしれんのに…」
「五郎ちゃんは心配し過ぎよ。過保護よ。そんなんだから禿げちゃうんだよ」
「ん…なッ!」
別に髪が抜けたりしていないのだが、五郎はつい頭を押さえてしまう。
ククク…と、いちみと二人の御子が笑いを堪える。
はぁ…と五郎は脱力した嘆息を見せ。
「で?…そちらのお二人さんは、なぜここに?」
「今夜ウチにお泊まりしてもらうから、五郎ちゃんは司令部の仮眠室を使ってね」
「ちょ!…ちょい待て、紫兎。御子さんといえ、年頃の女の子3人だけだと危険だ。よって、俺も家に帰る」
「大丈夫、おばあちゃんがいるから。五郎ちゃんは、可愛い女子高生と話しがしたいだけなんでしょ?」
「うっ…そんなことは…」
ないこともない…
「さっ、行こ行こ…」
紫兎は、紅葉とけむりの背を押し、さっさとハンガーから出て行ってしまった。
二條いちみがクククッ…とまだ笑う。
「…司令、フラれましたね」
「うるへー」
小さいながらも庭がある二階一戸建ての引波家。その隣は亀の湯という煙突の残る昔ながらの銭湯だった。
そこでまずは戦いの疲れを癒そうと。
「ハーッ…生き返るっちゃ~」
「ほんましんどい一日じゃったし、ぶち疲れた…」
紅葉とけむりは、広々とした湯槽で腕も脚も大いに伸ばしてリラックスする。
今日の一連の鬼魔ノ衆騒動の影響か、閉店間際というのもあって他に客はいない。
亀の湯のおばさんは「ゆっくりどうぞ」といつものように優しい。
「五郎さん、よかったんか?」
「凹んでたっちゃ」
「いいんですよ。あれぐらいの雑な扱いで」
紫兎はぞんざいに言い放つ。
たぶん、よくある思春期の反抗期ってやつだ。
「なぁ紫兎ちゃん、訊いてもええかな?」
「うん」
「何で、お父さんじゃなくて、五郎ちゃん、って呼んでるん?」
「それ、けむりも気になっとった」
「んー…何でだろ?…小さい頃からずっとそう呼んでたし…」
「ほな、お母さんは…何て呼んでるん?」
「あれ?言ってなかったかも…五郎ちゃん、独身ですよ」
「ええっ!?」
「どー言うことなん?」
「養子なの。んー…と、五郎ちゃんの話だと、わたしがまだ赤ちゃんの頃、わたしのお母さんは山崩れかなんだか事故で死んじゃって。それで五郎ちゃんがわたしを引き取ったらしくて、だからずっとおばあちゃんがお母さんみたいなもので……んっ?…二人ともどうかした?」
「うう…何か、ごめん」
「悪いこと聞いてしもうたみたいやね…」
「ううん…全然。ふふっ、だって覚えていないし。五郎ちゃんも、おばあちゃんも優しいし」
「なら、お父さんって呼んだったら、きっと大喜びで朝まで踊り狂うで」
「えー…今さら、なのです」
「んじゃ、パパとか?」
「ぅっ…けむりちゃん、それは絶対無理…」
「司令、お疲れ様です。お休みにならないのですか?」
コツ…とヒールを止め、二條いちみは、誰もいない薄暗い特0の食堂で引波五郎を見つけた。
ズズっ…と紙カップの熱いブラックコーヒーを啜りながら五郎は返す。
「疲れてるはずなんだが、何だか妙に目が冴えてな。二條こそ、帰らなくていいのか?」
壁の時計の針は、夜の10時を回っていた。
「何なら、添い寝して差し上げましょうか?」
五郎は口に運んでいたコーヒーを、ブッ!と噴き出した。
「ふふっ、冗談どすえ」
「…っ……たく……」
「ところで司令、紫兎ちゃんのことなんですけど…」
いちみは、五郎の向かいの椅子を引きながら話しを切り出した。
「ん?…紫兎がどうかしたか?」
「ご心配ですか?」
「そりゃ、な。できればこんな仕事に巻き込みたくなかった」
「司令が巻き込んだわけじゃないと思いますけど。強いて言えば、そうなる運命だった、としか」
「運命か…くそくらえだ。俺はあいつに普通の幸せな生活を送ってもらいたかっただけなんだが…」
「普通に幸せかどうかは、本人次第やと思いますけど。私には、今の紫兎ちゃんは決して不幸には見えへんですし」
「そうか……なら、いいんだが…」
「でも、たまに寂しそうな目をすることもありますね」
「寂しそう?」
「ええ。何て言うたらええんやろ?…遠くを見つめているような…」
「なら、俺は父親失格だな」
「そうは言うてません。どこか…自分の居場所を探しているような感じ、の」
「なおさら父親失格だな」
「…ホンマ、面倒くさい人ですね」
「紫兎の母親は、な……鬼魔ノ衆に殺されたんだ」
「そ…っ……そう…なんですか?」
五郎のいきなりの告白に、いちみは二の句が継げない。
「ああ。あれは俺がまだ20そこそこの話しだ。当時の俺はまだまだ情報部の駆け出しでな。鬼魔ノ衆なんてモノは、その名も、存在すら、何も知らなかった。
そんな俺が、とある怪奇事件の調査をしていた時に、熊野の山奥で初めて鬼魔ノ衆なるモノに遭遇した…
ーーうわあぁぁぁ、
何だコイツ!? 逃げろ!逃げろ!ーー
…角の生えた3メートルはあろうかデカイ百足のような異形だ。銃火器の携帯もなく、二人の同僚たちは、次々に吹き飛ばされ噛みつかれ血にまみれて倒れていった。仲間が食われている間に俺は必死に逃げ出した…
ーーはあっ!…はぁ!…何なんだ!?いったい…
あのバケモノはーー
…月明かりだけを頼りに、暗い杉林の道なき山道のどこをどう走ったのか、全く覚えていなかったが。息の続く限り、とにかく俺は走り続けた…」
ふぅ…と、ひと息入れ。五郎は紙カップをズッと一口啜った。
いちみは、黙って続きを待つ。
「…かなり離れたと思ったんだがな。ヤツはしっかりと俺を追ってきていやがった。もうダメだ…そう覚悟した時に現れたんだ…御子が…」
「…御子?」
「そう、御子だ。もちろんその時は、あれが御子だなんて知らなかったが。今なら分かる、あれは御子だった…」
その場面を思い起こしながら、五郎は虚空を仰ぐような双眸で語り続ける。
「…俺は……へたり込んで大きな杉の木に背を預けていた。その御子が神ノ起具から閃光を放ちバケモノを浄化するのを、まるで悪夢でも見ているように茫然と眺めていただけだった……あれは…女神様に見えたなぁ、ははっ…」
「それで?」
「鬼魔ノ衆は消えていた。ところが、その御子が急に倒れたんだ。俺は…腰が抜けたまま這うようにして恐る恐る近づいた…」
ああ…
今でも、瞼を閉じたその裏にまざまざとその光景が蘇る。
月明かりの条が杉林に細々と射し込む深い山中にあって、その御子の白く透き通るような頬肌の、儚くも美しい顔立ちが。
「…何て声を掛けたのかはまるで覚えいない。ただ…その御子の、命の灯が消えかけていることだけは分かった。息も絶え絶え俺の手を取り、あの子を頼みます、と…」
「………………」
「…その視線の先に白い布に包まれた赤ん坊が……
…正直、訳が分からないことだらけだった。訊きたいことも山ほどあった。
だがな…
御子に目を戻すと、もう、眠るように死んでいた…」
五郎は、ふーーーっ…と長い息を吐き尽くし。
「…知らぬところで深手を負っていたのかもしれんが、その時は検分している余裕などなかったよ。
俺はまた走り出した。赤ん坊を抱え。とにかく、あんな恐ろしい場所から一刻も早く離れたかった。
運良く道路に出て、運良く車が通りかかった。で…生き延びた」
「その赤ちゃんが?」
「そう…紫兎だ」
「施設に預けようとは、思わんかったんですね」
「もちろん考えたさ。色々と調べもした。該当しそうな赤ん坊の行方不明の届けと照合したり。だが梨礫だった。まるで手掛かりがなかった…」
五郎は、紙カップの中で冷えていくコーヒーを飲み干した。
「…で、数日後。仲間の死体、というかバラバラになった白骨とボロボロに引き裂かれた衣服だけが発見された。御子は消えていた。
誰も俺の話を信じなかった。
事件は雲の上でうやむやにされ、というか、この事件のファイルそのものがどこかへ消え失せてしまった。その理由は今なら分かるが……
俺は精神鑑定を受けさせられ、そして他の部署へ飛ばされた。まあ…よくある話しだ…」
「そんなことがあったんですね…」
「で…手放せなくなった」
「は?」
「紫兎のことさ。可愛くてな…
そんな散々な目に遭って、頭のおかしな奴だと白い目で見られ周りからドン引かれ。自棄っぱちになりそうだった俺を無邪気な笑顔一つで救ってくれた。だから…養子として引き取った」
五郎は目を閉じ、そのクリクリとした可愛い瞳を瞼の裏に映した。
「…名前は、司令がつけはったんですか?」
「ああ。兎をモチーフにしたような紫色のコインみたいな石を、小ちゃな手で握っていたんだ。ほら…紫兎が首からぶら下げているやつ」
「ああ、アレですか?…十円玉ぐらいの」
しちみが指で丸を作る。
「色味は少し違うが、あれも煌河石なんだと思う。あの石は、その時、紫兎の傍らに袋詰めされていたのを一緒に持ち帰ったものだ。ああ…そう言えば、その夜は月夜で、光る煌河石で足元を照らしてたのを覚えている。なぜ、とか、何か、を考える余裕はなかった。使える物は、使え、だ。それに、あの石を夜泣きする紫兎の枕元に置くとスヤスヤとよく眠ってくれた」
「…そうですか…それであの石が…」
「あと、丸い御盆のようなものが入っていた」
「お盆?」
「ああ、たぶんそれも煌河石だろう…ちょうど喫茶店で使っていそうなトレーの大きさで。裏側なんか顔が映り込むほどツルツルで、幾何学的な透かし模様が入って、縁取りも綺麗な装飾で…あぁ…そうだ、その装飾にも兎のモチーフが入ってたな…」
「そのお盆は今どこに?」
「大きさも手頃で軽いし、見るからに御盆だから、家で御盆として使ってる」
…気になる。
「今度見せてもらってもいいでしょうか?」
「ああ、構わんが」
その頃、引波家。
「いっただきまーす!」
紫兎と御子たちは、夕食…いや、夜食を囲んでいた。
「はいはい、沢山お食べ」
「おばあちゃんありがとう」
「何やそのお盆?」
「オシャレやね」
「なんと煌河石よ」
「へー…」
「すごい」
「…司令……」
「ん?」
二條いちみは訊いてみた。
「ところで…その消えた御子が、本当に紫兎ちゃんの母親だったのでしょうか?」
「それな…そうかもしれんし、違うかもしれん。結局、本当のところは何も分からずじまいさ。まあ…すくすくと大きな怪我もなく元気に育ってくれて良かったよ。学校の成績もまんざらでもないし。俺にしてみれば、でき過ぎた娘だ」
「頭の回転の早さもですが、それより、あの直感力には驚かされますね」
「まあ…そうだな」
「司令…」
「ん?」
「もし…もしも、ですけど。紫兎ちゃんが御子として覚醒したとしたら。やはりツライですか?」
「ああ、辛いな。だが二條の言おうとしてることも何となく分かる」
「なら、今は何も言いません」
いちみは、ふーーっ…と長い嘆息を放り投げた。
「今日はホンマに疲れました。司令も早う休んだ方がええですよ」
と席を立ちながら。
「あれ?…添い寝してくれるんじゃなかったのか?」
「それ。司令から言うとセクハラになります」
いちみは、クク…と意地悪な笑みを見せ。
「はいはい…お疲れさん」
コッ…コッ…と、パンプスヒールの硬い踏み音が反響する通路を歩きながら、いちみは考えを巡らす。
御子は血筋から覚醒するケースが多い。
京都五家、出雲は既知だけど、他にも、神薙舞子や小夜山みかんの祖母、そして神津珊瑚の亡き母は元御子だったとの調査報告もある。
引波五郎を救った御子が本当に紫兎の母親であれば、つまり…引波紫兎がこの先、御子として覚醒する可能性はかなり高い。
でも…
何か、違う…
そんな違和感を覚えながら、いちみのヒールの音はコツコツち深夜のエントランスロビーを抜けていく。
「お疲れさま」と特0の立哨警備員に声をかけ、駐車場へと向かった。
読んで頂きましてありがとうございます。