年明けに
一章のその後、年明けの話になります。
1
お裾分け、と書かれたメモの字は丁寧で柔らかい。
コッチェリカという茨に似た植物を甘く煮るこの国独特の紅い花の煮しめは、少し崩れて、他の料理同様に黒塗りの入れ物の中に飾られている。
市販の物は、これほど丁寧に煮崩しはしないのだという。
「………」
明らかに手作りと分かる料理の数々を前に、ケルッツアは何とも言えない心持ちに口をもごもごさせ、添え付けのフォークに手を伸ばした。
自分の胸の内を占めるのは、どちらかと言えば、感謝の念に近い、温かさ。
そんな事を分析しつつ、ちょい、と、美味しそうな匂いのする紅い花弁をフォークの先で突っついて口に運び、朧に、この整理整頓の行き届いた国立図書館最上階、展望部屋付の応接室に起こった出来事に想いを馳せている。
2
古ぼけ、殆ど物置同様雑然とした関係者専用の石畳階段は、国立図書館塔の内部、東の一角を上から下まで貫く鉄の柱に沿って螺旋状に伸びてゆく。
栗色の髪を僅か乱しながらも階段を段飛ばし上がった先には、何時もの様に強大な大きさを誇る白く塗られた鉄の扉が聳え立つ。
それをこれまた何時もの様に独特の音と供に押し開けて最上階に入った彼女は、しかし背中に大きなリュックを背負い、常見られる助手の服装とはまた違った格好で最上階禁書庫の暗がりを目的地である展望部屋へと進んで行った。
『あーダッリル嬢じゃあーん! 今年もヨロシクー。序に奴もヨロシクッ
あんの大酒飲みはぁ何時もの場所でぇ飲んだくれて寝てるからぁー。
ぼくら夜から新年早々仕事でさぁー。 もー放っぽってきちゃった。あは!
ヨロシク言っといてー』
キン、と冷え込む冬の空気は昼を過ぎたと言うのに寒々しく、船に当たる風と共に防寒着に身を包んだ彼女の体温を隙あらば奪おうと躍起になっていた。良く晴れた冬の空は青く鮮やかだったが、波はしかし何処か荒んで見える。
体温を維持する為にも、と着くや否や臨時便を運行してくれた船長にお礼もそこそこウィークラッチ島へと飛び出たソフィレーナは、船着場で自身の乗ってきた船に乗り込む壮年の酔っ払い連中、知恵者の友人達と鉢合わせした。
平気そうな顔のマーロルサース・ド・リグィア第三図書館長は、背中に完全に潰れた亜麻色の髪の女性、恐らくドクター・メトーラルシザ・ド・ゲライアを負ぶったまま器用に片手を上げて軽い挨拶を送ってくる。
テェレル・ド・イグラーン第二館長に右肩を貸してもらって、引き摺られる様に向かってくるのは今年結婚したばかり、ドクター・シルヴァルド・ド・メイスンらしかった。こちらは睨まれた後軽い会釈を送られた。
テェレルはもう一人俯いてふらふらと歩いてくる見事な金髪の男性にも左肩を貸していたが、この人の正体は、推測はついてもソフィレーナはあまり信じたくない、というか護衛らしき人影もない上は人違いだろうと。
ソフィレーナの心中など知ってか知らず、両肩を塞がれたテェレルは彼女に笑って声を掛けようとしたが。
それらを遮って、グルラドルン・ド・シェスラット文化庁長官が横手からソフィレーナを抱き締め、否、アタックしてきた。
酒臭い息の彼は、そして冒頭の台詞をのたまった後少々乱暴に彼女の背負ったリュックを叩いて馬鹿笑いをして。
何時もの場所で飲んだくれて寝ている。
そのグルラドルンの言葉どおり、展望部屋の扉を開けるや否や、微か熱気の余韻と酒気の匂いが彼女にまとわりつく。
発信源は展望部屋の奥、大きく開け放たれたままの応接室のよう。ソフィレーナは、先に展望部屋の空調を回した後で、酒気の濃くわだかまる応接室に向かったが、余りに余りの濃厚なそれに頭の何処かが、ぼう、となっていた。そんな潤む視界、応接室の中で発見したものは、視界の斜め右奥に黒い大きなぼろきれ、否、知恵者がうつ伏した状態で潰れている事と、展望部屋に比べれば狭いものの決して窮屈ではない筈の部屋のあちこちに散らばる大小様々な酒瓶が、ソフィレーナの目視出来る範囲で優に二十五本を超えているという呆れ果てた事実。
件の知恵者に至っては、子供の体を有している癖に右手に酒瓶を握り締めたまま、片手で足りない本数の空の瓶に塗れて突っ伏している。
とにかく換気とばかり、こちらの空調も回し、窓辺へと近寄りガラス窓を押し開けた彼女の横には、酒の肴が乗っていたものだろう幾枚もの皿がこれまた大小汚く積み重ねられていた。応接室の絨毯は全体的に食べかす、食べ零しが散乱し、倒れた酒瓶から絨毯へと何某かのアルコールが染み込んで蒸発しただろう事は簡単に予想がつく。
年越し前この年最後、と国立図書館は公開されている最上階部分も含めて一斉に大掃除を決行し今年は展望部屋と応接室にもそのメスが入った筈だが、今や、その痕跡すらない。
ふ、不衛生……ッ!
毎年毎年年明け、仕事初めにこのひとが病院に運び込まれる原因が分かった気がする。
頭を抱え込んだ助手は、奉仕ででも、年明け早々押しかけた自身を肯定して意味もなくあたりを見回した。
彼女とてそれほどしっかりしている訳ではなく、カビの研究をやっている手前かそれ以前の問題か、彼女の友人に比べれば随分と汚い部屋を有している。
しかしそれを押してもこの惨状はあんまり、とばかり、応接室から取って返して展望部屋に荷物を置き、身軽な格好になると掃除を開始した。
知恵者を向かい合わせてある一対ソファの上座に押し上げて、窓辺やら応接机やら絨毯やらに積み上げられた食器類を全て添え付けの流し台に湯を張って洗剤と一緒に付け置く。酒瓶を片付け仕分けし、食べ零し類を掃きとって等等。
年明け国立図書館は全体で概ね一週間の休暇を取る。
その際一日に王都の港と島とを往復する便は昼の二時と夕方四時の二便だけ。
夕方の便で帰る者に残された時間は後四十五分、という所で彼女はやっと掃除の手を止めた。
「これだけ片付けておけば……いいかしら」
換気の為開け放した窓の所為だろうか。時折掃除を決行している彼女の耳に寝ぼけた声と布を引き寄せる音が届いていたが、しかし件の人物は一向に起きる気配もなく。
「・・・・・・・・・」
寝汚く昏々と眠る知恵者は彼女がソファーに押し上げた時に仰向けに直したはずが、いつの間にかまたうつ伏せになり、ソファーに顔を埋めるような体勢に戻っている。覗く顔は安らかで程よい熟睡、否、爆睡の加減が窺えた。
「……」
絨毯に突っ伏していた所為だろう灰色の髪に絡まった塵屑やら何やらを取り除いてやりながら、時折くすぐったそうに身動ぎするケルッツアの顔に呆れ半分、惚け半分で、ソフィレーナはそっと自身の前髪を乱すと赤くなった目元を覆い隠した。
仕事でここに来たというより趣味で来た、に近いと自覚すると彼女の動悸は一層忙しくなる。
新年早々、毎年毎年病院に運び込まれる知恵者を心配しての来訪に混じって、もっと個人的な感情が胸を占めている事に、ソフィレーナはそっとソファの前、知恵者の顔のある辺りへと屈みこんだ。
鮮やかな赤いコサージュが可愛らしい、濃いローズのコートは展望部屋に置きっぱなし。今はクリーム色のセーターに、スカートは流石に止して、その代わり、黒いズボンという出で立ちの彼女は、お洒落というほどお洒落をして来た訳では無いが少しだけ空しさを覚える。
「…………」
ほんの僅かばかり紅を塗った唇を手で隠し別に見て欲しかった訳ではない、と。
彼を起こす気もなくソフィレーナは赤い顔を上げて勢い良く立ち上がった。
これから新しい年を祝う花を飾って、持ってきた料理を出して食料も出して。
やる事は残っている、と彼女は次の作業に取り掛かっていった。
3
口の中に広がる甘酸っぱさは、流民出の自分にも癖になる味だった。
ああ、ダムリゲーダに似ているんだ……。
あっちは確か白い実の保存食だった、と、ケルッツアはもう一つ、フォークで紅い花の煮しめ、コッチェリカを突くとそれを口に運ぶ。
展望部屋から見る外の景色は濃い藍色を帯びて暗く、時計はもう直ぐ六時を指そうとしていた。
「………」
だらしなくフォークを口に咥えたまま、料理のパックに添えられていたメモ、手紙を手に取り、二つ折りにされたそれを開く。
《親愛なるドクター・ワイズ様へ
今年も宜しくお願いします。
臨時便は今日しか出ないそうですので、食料は残りの日数分用意しました。水は六リットル有ります。
ポットは湯沸し式です。
即席のものばかりでは体に悪いですから、作り過ぎた新年料理をお裾分けします。
それでは、仕事始めの際は元気にお会いしましょう。
今年はあなたが余り不摂生をしませんように。
助手より》
手厳しい意見に苦笑を漏らし、もう一つ、とコッチェリカを口の中に放り込んで。
コッチェリカ以外の料理を目に止め、ふと風の吹いた方向へと首を転じた。
薄く開けられた窓辺に、紅い花が揺れている。
彼女の手によって生けられただろうそれは瑞々しく、紅い花弁を風に揺らして仄かに香っていた。
まるで、この部屋全体を色づけている様に。
「・・・・・・・・・」
見渡して分かる整理された綺麗な部屋。書置きの手紙の、内容は兎も角として文字は何処となく優しげだった。
ソファに寝かせられていた自分には毛布が掛けられていて。
いい年であるといい、と、ケルッツアはゆっくりと一つ、頬を弛めた。




