表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

別離

作者: 鷹樹烏介

二〇一七年一月十九日(木)夜


 夕食を終え、PCに向かって投稿作品を放出準備していた時だった。

 母親からの電話。

 私は家族と仲が良い方ではなく、どちらかというと疎遠だったので電話と言えば決まって『厄介事』。

 舌打ちしながら電話に出たのだった。


「お父さんが、死んじゃったの」


 久闊のあいさつもなく、母親がそう言う。

 がやがやと騒がしい背景音がした。

 どこか、雑踏の中で話しているのかと私は思った。


性質たちの悪い冗談はやめろ」


 その時私は『死んだ』とは、何かの比喩表現だと判断していたのだ。


「本当なの、死んじゃったの」


 泣き出しそうな母親の声。

 水に一滴、墨汁を垂らしたかのように不安が広がった。

 父は七十二歳まで某企業の役員として現役で働き、その後独立して法人を立ち上げバリバリ働いている人物だった。

 乞われて『誰もが知っている大きな企業』の新人教育のための社内研修の講師を務めたり、専門学校の非常勤講師をするなど、業界の『生き字引』みたいな人でもあった。

 私は、あえて彼と違う道に進んだのだが、それは彼が巨大すぎてその背を越えられないと思ったからなのだった。


「息子さんですか?」


 絶句する私の耳に、聞きなれない男の声。

 私はますます混乱した。誰だコイツは?


「お電話代わりました。私は〇〇警察のAというモノです。烏介さん、ご実家にお越しいただけますか?」


 いきなりこんな事を言われた。

 警察? 警察だと? 何か事件でも起こったのか?


「ご自宅でお父様がお亡くなりになってまして、こうした場合は不審死の扱いになるので、警察が来ることになっているのです。お母様が動揺されていて事情聴取が難しいのと、誰かおられた方がいいと判断しまして、お電話させていただいた次第です」


 警察官特有の堅苦しい言葉使いが、受話器から聞こえた。


「では、身支度してタクシーで向かいます。およそ一時間はかかるかと思いますが、それで大丈夫ですか?」


 深夜に近いということもあり、電車よりタクシーの方がいいだろうと判断しての事だった。

 実家に泊まることも考え、愛用の軍用パーカの下にフリースとセーターを着込み、マフラーを巻きニット帽を被って家を飛び出た。

 相方は、今日は不在だった。義父が風邪をひいたこともあり、実家に行っていたのだ。

 タクシーを探しながら、相方に携帯で連絡を取る。


「どうしたの?」

「親父が死んだらしい」

「ええ! 本当なの?」

「くわしい事はわからん。警察から電話があって、実家に向かうところだ。追って連絡する」

「うちの父はもう落ち着いたから、そっちに駆けつけるよ」

「いや、もう電車はないし、状況が判断できん。どこか、決まった場所にいてくれた方が助かる」

「わかった、寝ないで連絡待ってる」


 そんな、緊迫した会話を相方としているうちに、タクシーがつかまる。

 それに飛び乗った。

「〇〇市までお願いします」

「そっちは、詳しくないので誘導していただけますか?」

 都内から隣県に走るわけだが、住宅地から住宅地への移動ということで、ランドマークがない。

「父が急死して、警察に呼ばれているのです。住所を言いますから、ナビで最短距離を行ってください。私は道に詳しくないので、現地に近づかないと誘導は不可能です」

 ややダラけていたタクシー乗務員の背筋がピンと伸びた。

 私の緊迫感が伝わったのかも知れない。

「了解しました。急ぎます」

 ナビに住所を入力して、タクシーが走り出す。

 シートに深く腰掛け、私はやっと上滑りする思考を鎮める事が出来た。

 タクシー乗務員が、何もおしゃべりしてこないのがありがたい。

 今は、慰めの言葉も、好奇心から来る質問も、煩わしいだけだ。

 いつも持ち歩いている螺旋綴のメモ帳を取り出し、気持ちを落ち着かせながら、やるべきことをメモした。

 情けないことに、字が震えていた。


 菩提寺指定の葬儀社への連絡

 親戚と妹への速報

 父親名義の銀行口座からの現金引き出し

 私の会社の会計士との打ち合わせのキャンセル

 父の会社のパートナーへの連絡


 そんなことを書き出した。

 もっと、何か重要な事柄を思いつきそうな気がしたが、私は私が思っているほど優秀ではないことに気づかされる。


 ―― 死んだ? 死んだだと?


 父は、いつも私を小馬鹿にしているような男だった。

 どっちが実力が上か常に思い知らせようとする意図が透けて見え、会うたびに反発を感じていた。

 傲岸不遜で自信家。外見は優男のくせに、内面はマッチョな男だった。

 私は父が大嫌いだったのだ。

 自分で稼げる様になってさっさと家を出て、父とは最低限の接触(冠婚葬祭)の間柄。

 お互いそれでいいと考えている節があった。

 父は衰えてゆき、私は日々経験を積む。

 いつか父には自分では出来ない事が発生して、私に頼る事になる。

 そうしたら私は淡々と対応し、もう自分が一線の男ではない事を思い知らせてやろうと思っていた。

 それが、死んだだと?

 見知らぬ夜の街をタクシーが走る。

 エンジンの音だけが耳にささやいていた。


 到着した実家の前には、何代かのパトカーが駐まっていて、鑑識のバンも一台見えた。

 古い住宅街の中ということで道が狭いこともあり、若い警察官が二名、雪が降りそうな寒空の下で交通整理をしていた。

 彼等は実家に向かう私に鋭い目線を送ってきたので私はぺこりと頭を下げ

「ご面倒をおかけしております。電話で連絡を受けました家族の者です」

 と名乗る。

「急な事で、大変でしたね」

 慰労の言葉を受けつつ案内される。

 玄関には大量の靴が置いてあり、これは警察官の靴らしかった。

 鑑識を含め十人位が家に上がり込んでいるらしい。

「烏介さんですか?」

「烏介」

 母親と警察官が同時に言う。

 二人とも、ほっとしたような顔をしている。


 ―― 何かあったな


 そう直感した。

「寒くてかなわんので、温かいお茶ないかね?」

 母親にそういうと、彼女は台所にひっこむ。

 その隙に、警官に目を向けた。

 彼は〇〇県警〇〇署の刑事第一課の刑事だった。

「あ、どうも、電話でお話させて頂いた〇〇です」

 彼は、黒の安っぽいプラスチック製のクリップボードと百円ショップで売っているようなシャープペンシルを持っていた。

 いかにも警官という、目つきの鋭い人物。

「失礼なことをお伺いしますが、お母様には認知症の傾向がありますか?」

 そんなことを聞かれる。

 カチンときたが、これで状況は判断できた。

 おそらく、母親の証言が聞くたびに微妙にズレるのだろう。

 ベテランの刑事なら、この「事案」に事件性がないことはなんとなく察しがついているはず。

 だから、調書を書いてさっさと終わらせたいのに、証言が変わると書きようがない。

 それで、イラ立っているのだろう。

「そのよう(認知症)な話は今までありません。長年の連れ合いが死んでいたら、動揺するのは当たり前じゃないんですか? 年齢も年齢ですし」

 さすが警官。私が態度を硬化させたのを敏感に感じて、さっと軟化する。

「ちょっと、おっしゃることがアレなんで、その……」

 急に曖昧な口調になる。

 馬鹿を演じて油断させるいつもの手段だ。

「……と、おっしゃるからには、事件性ありと見ておられるのですか?」

 預かり品リストの中に、保険証書などが含まれているのを盗み見て、そう畳みかけてやる。

 自宅で死亡すると不審死の扱いになる。

 警察は疑うのが仕事。そういう視点から事案を観るのは当たり前なのだが、疑われて不快だという態度は見せておいた方がいい。

「そういうことなら、ぜひ協力させて頂きたい。なんでも聞いてください」

 警官と私は立ち話だったのだが、私はわざと先にどっかと椅子に座り、身振りで「どうぞ」と警官に席を勧める。

 この家では、どちらが「主」でどちらが「客」か、態度で示したのだ。

 警官がごにょごにょとお礼を言って、座る。

 担当の刑事は高圧的に出る作戦を簡単にひっこめ、あとはスムーズに話は進んだ。

 母親の証言を私が確かに彼女がそう発言したと裏付けたことにより、調書のシナリオが彼の頭の中で出来上がったらしい。

 時間は深夜。

 おそらく、彼は徹夜で調書を書き上げるのだろう。

 改めて考えると、警察官というのは大変な仕事だ。

「検死を行うのですが、詳しい死因特定のためには検死解剖が必要です。ですが、ご遺族の希望により『行わない』と言う選択肢もあります。どうされますか?」

 引き上げの準備をしながら、刑事が言う。

「プロの目から見て、『検死解剖』した方がいいと判断されますか?」

 逆に質問する。

 刑事はすこし考え

「私見ですが、必要ないと思います」

「では、解剖無しを希望します」


 警察が引きあげると、急に家の中が静かになった。

 放心したように母親が座っており、私は刑事に助言された検死後の遺体引き取り手続きの走り書きをメモ帳に書き写していた。

 頼んだお茶は結局出なかった。彼女は台所で泣いていたらしい。

 私が来たので気が抜けたのかも知れない。

「来てくれてありがとう」

 母親の声が震えている。

 若い頃は美人だった彼女の顔は、皺が目立つようになっており、今は恐怖と疲労で更に陰影が深くなっているように見えた。

「うちの菩提寺が指定していた葬儀社があっただろ? その連絡先を教えてくれ」

 のろのろと椅子から降りて、「どこだったっけかなぁ」などとつぶやきながら、もたもたと引き出しを母親が探る。

 ダンスをやったりして、機敏な動きの女性だったのだ。その衰えぶりに、私の胸はザワついた。

 刑事が認知症を疑うわけだ。

 じりじりするほど時間をかけて、やっと名刺を見つける。

 深夜にもかかわらず、その番号にかける。

 葬儀社は、二十四時間体制。

 誰かしら事務所にいるもの。

 江戸時代から続く、元は棺桶造のその葬儀社には、やはり当直者がいた。

 

 菩提寺の指定で七年前に祖母の葬儀を同社で行ったこと

 今回は自宅で父が亡くなり遺体は検死のために警察に運ばれたこと

 警察から遺体引き取りの連絡が来ること

 葬儀会場とそれまでの保管場所の手配も任せたいこと


 これらを伝える。

 菩提寺への連絡などはその葬儀社が行ってくれることになり、とりあえず今やれることはなくなった。

 どっと疲れた。

 病院なら医師が淡々と死亡診断書を書いて終わりなのだが、自宅だとそうはいかない事を思い知らされる。

 警察との心理戦も神経が磨り減った。

 へたり込みそうになるのを鼓舞して、相方と妹と親戚に連絡する。

 深夜だったが、構わず電話を鳴らし続けた。

 母親はオロオロするばかりで、何の役にも立たない。

 私が到着した時から、全部私に投げる態度が見えて、「疎遠だったくせに依存するな……」と、イラつく。

 喪主すら拒否する始末だった。

「遺影に使う写真を探して。それとお父さんの銀行通帳の用意。明日、下ろせるだけ下ろしておいて。生活費はいつ下ろした? 十日前? ならば出来るね? 朝一で行くこと。ついでに菓子パンとか保存のきく食料を仕入れてきて」

 それくらい出来るというので任せる。

 やることが出来て安心したのだろう。

 疲れたのか母は船を漕ぎ始めた。

「寝るなら布団で眠れ」

 母親を寝室の追い込み、ソファに座る。

 改めて見ると、家の中はゴミ屋敷みたいだった。

 私には眠る場所すらない。


 ―― 掃除しなけりゃならん


 頭の中のメモにそれを書き足して、いつしか私はテーブルに突っ伏すようにして、眠っていた。



二〇一七年一月二十日(金)朝


 朝起きた時、一瞬自分がどこにいるのか分からず、混乱した。

 居間ののテーブルに伏せるようにして眠ってしまったのだと思い出す。

 背中が痛かった。

 胃も痛む。

 昨日の夜から何も食べていないのだが、空腹感は無かった。

 まるで、腹の中に石でも詰まっているかのようだった。

 母親の気配がない。

 寝室は二階にあり、父はそこで死んだ。

 まさか、同じ部屋で眠ったのではあるまいなと思ったのだが、母はその寝室で眠っていたのだった。

 私は、父の死に顔を見ていない。

 警察に運び出された後だったからだ。

 枕とシーツに吐瀉物の痕跡があり、それを見ただけ。

 シーツは剥がされて、枕もカバーが外され、染みは拭い去られている。

 私が眠っている間、母が掃除したらしい。

 布団に包まるようにして母が眠っている。

 顔色が悪い。

 私は彼女の鼻の下に指を当てた。

 吐息を感じる。

 良かった、生きていた。

 彼女はまるで死人のような顔色だったのだ。

「大丈夫、生きてるわよ」

 目をつぶったまま、母が言う。

 彼女は私とおなじく不眠症の気があり、眠りが浅い。

「疲れているところを申し訳ないが、やることをやってくれ」

 のろのろと母親が起き上がる。

 その様子に私はイラつき、胸倉を掴んで揺すりたくなる衝動をやっと堪えた。

 彼女が身支度を整える間、台所でお湯を沸かして、珈琲を淹れる。

 昨夜から、温かい物を口にするのは初めてだった。

 珈琲を買ってくるのは、父の役目だった。

 好みはモカ・マタリ。

 彼は酸味が利いたローストが浅い豆が好みだったことを、不意に思い出す。

 ペーパーフィルターをセットし珈琲を淹れると、ふわっと香りが立ち、難しい顔をして父が珈琲を淹れていた映像が脳裏に浮かんだ。

 ジワっと涙が浮きそうになって、歯を食いしばって耐える。

 やっと暖かいものを口に入れる。

 手は痺れるほどかじかんでいて、カップを包むように持っているとじんわりと暖かかった。

 もたもたと階段を母親が下りてくる。

 カフェインの働きか、やっと私の脳が回転を始めていた。

「珈琲淹れたからね」

 母親が使っているマグカップが分からないので、テーブルの上に珈琲ポットを置いた。

「ありがとう」

 台所から黄色いマグカップを持ってきて、母が珈琲を注ぐ。

 少し、顔色が戻ってきたようだった。

「今日、遺体の引き取りに警察に呼ばれることになる。連絡待ちで自由に動けないから、私の寝具の準備と父親の口座から引き出せるだけ現金を引き出しを任せたい。出来る?」

 母親は怯えた小動物みたいな眼をして、コクンと頷いた。

 しっかりしろ! と揺さぶりたくたくなる衝動をやっと抑える。

 キリキリと胃が痛んだ。

「そろそろ銀行が開くから、行ってきて。ついでに、コンビニに寄って朝食を仕入れて」

 家から母親を送り出す。

 とにかく、動かさないとそのままへたり込んでしまいそうで、役割を与えた方がいいと思ったのだ。

 その間に、相方の電話を入れた。

 ワンコールで出た。

「どう? そっちは?」

「遺体の引き取りと、安置場所を確保した。葬儀社とは軽く電話で打ち合わせしたが、通夜は二十四日、葬儀は二十五日しか確保できなかった」

 日にちはあいてしまったが、逆に考えると日数的な余裕が出来たともいえる。

「わかった。今日は会社行くけど、忌引きの届出を出して、一旦自宅に戻り、荷物をまとめてそっちに向かうね。現金はある?」

 ポケットの財布には数万円あるだけだ。

「こころもとない。我が家の予備費を使おう」

 うちは、緊急事態に備えて、すぐに下ろせる口座にまとまった金がある。まさか、使うことになるとは思わなかったのだが……。

「とりあえず、下ろせるだけ下して来る。他に何かある?」

「思いつかん。今は警察の検死待ちだ」

「あとで思いついたら、電話して」

 そういって、相方は電話を切った。


 葬儀社から電話が入る。

 棺と輸送車の手配がついたという報告だった。

 ピックアップ場所が〇〇警察であることを告げる。

 住所は分からなかったが、検索をかけてナビに入力して向かってくれるそうだ。

 警察から連絡がない。

 なので、何時に受け取りに行けばいいのか分からないのだ。

 警察に電話を入れる。

 幸いな事に担当の刑事が署内に居た。

「葬儀社と連絡がとれまして、何時に伺えばいいか聞かれているんですけど?」

 一瞬の沈黙。

 これで分かった、コイツは連絡を忘れていやがったのだ。

 事件性がないので、優先順位が下がったのだろう。

「嘱託医と連絡が取れまして、およそ十三時頃にお引き取りが可能です」

「では、十三時にお伺いします」

 カチンときたが、耐えた。

 病院で亡くなれば、担当医師が死亡診断書を書いて引き取って終わりだが、自宅だとこういう事になる。

 役所に「火葬許可」を出してもらうための書類も「死亡診断書」ではなく「死体検案書」になるらしい。

 この警察署のローカルルールなのか、それとも一般的なのかわからないが、一度警察から嘱託医に「死体検案書」を作成して良いという許可が伝達され、その許可を受けたあとに医師は「死体検案書」を書くことになるそうだ。

 葬儀社の担当者も「珍しい仕組みですね」と言っていた。

 朝昼兼用のサンドイッチをコンビニで、母親が買ってきた。

 私はもう一度珈琲を淹れ、警察から遺体を引き取り、安置場所に向かう事などを彼女に伝えた。

 夜になるが、私の相方が来る事も伝え、練る場所の確保を頼む。

 家の中はゴミ屋敷みたいで、足の踏み場がないのだ。

「現金、預かるよ」

 彼女の今回の主目的は現金の引き落としだ。

「無いの」

「?」

 無いって何だ? 

「キャッシュカードで下ろそうと思ったんだけど、エラーになったの」

「え? ほんの十日前にお金下ろしたんでしょ? 同じ銀行だよね?」

「そうだけど、出来なかったのっ!」

 やや、キレ気味に母が言う。

「いつも使っている銀行から、金を下ろすことも出来んのか!」

 父は「疲れた」と言って、二階の寝室で横になったまま、二度と起きなかった。

 その日は、病院に人間ドックに行く日だったのだけど、自分でキャンセルの電話を入れて、母と昼食を採り横になったのだ。

 かなり、体調は悪かったのだろう。

 夫婦仲はあまり良くなかったが、異常に気付く事ぐらいできなかったのかという思いが私の胸にくすぶっている。

 それを、言いそうになった。

 言葉を飲み込む。

 彼女が罪悪感を感じていないわけはないのだ。

 あやうく詰ってしまうところだった。

「……できなかったものはしょうがない。何が引き落とされているか、あとで精査するので、彼の通帳や保険の証書の類を探しておいてくれ」

 そう言い置いて、家を出る。

 警察署に向かう時間だった。


 実家にはパソコンがなく、私の形態はガラケーだ。

 検索機能すらない単なる携帯出来る電話機。

 従って、警察署の電話番号は知っていても、地図の検索は出来ない。

 なので、タクシーを使う事にした。

 キリキリと胃が痛む。

 母はほんの十日前まで普通に使っていたキャッシュカードの暗証番号を忘れてしまった。

 ショックで一時的な記憶障害でも起きたか、担当刑事が疑ったように「認知症」の疑いがあるのか。

「かんべんしてくれ……」

 父が死に、母がボケるなど、同時進行の処理は私には無理だ。

 胃痛に続いて、こめかみが痛んだ。持病の偏頭痛まで出てきたようだ。

 警察署らしい無機質な建物につく。

 受付の警官はお弁当を広げていたが、私が訪いを告げるとすぐに出てきてくれた。

 事情を説明する。

 担当の刑事を呼ぶので、待っていてくれと言われてうすら寒いロビーのベンチに座る。

 ほどなくして、スーツ姿の男性が私の方に来た。

 葬儀社の方だった。

「このたびは……」

 と、型通りのあいさつを交わす。

 やっと、援軍が来た気分だった。私の祖父も祖母も、同じ葬儀社で葬儀を営んでいる。

 分からない事は、彼に聞けばいい。少なくとも、葬儀関係はもう任せることが出来る。

 担当の刑事がいかにも寝不足という顔でロビーに来る。若い刑事を連れていた。

「あ、ども」

 という曖昧な挨拶で、小脇に抱えた書類封筒の中身をベンチに広げる。

「葬儀社の方?」

 書類を広げながら、刑事が言う。

 そうだと言うと、若い刑事に目配せをした。

 若い刑事は「こちらです」と言って葬儀社の男性を伴って一度ロビーから外に出る。

 遺体安置所に案内するのだろう。

「お預かりした証拠品をお返しします」

 財布や保険証書などが束になっていた。

 預かりのサインは母親。

 彼女には保険証書などを探しておくように頼んだが、現物はここにある。

 警察に押収されたのを失念していたのだと知れた。

 今頃は、「あれぇ? どこだったかなぁ?」などと、ごそごそと金庫や押入れを探しているのかもしれなかった。

 想像するだけで、イラ立つ光景だ。

 受取証に署名と押印していると、ストレッチャーに乗った棺桶が見えた。

 『父が死んだ』という事実が、急に圧し掛かってくる。

「嘱託医には、当方から連絡を入れておきます。そうですね、あと二時間くらいで書類がそろいますので、烏介さんに連絡を入れますよ」

 そう言って、若い刑事に顎をしゃくって、立ち去ろうとしている。

「色々とご面倒をおかけして、申し訳ありませんでした」

 深々と私は頭を下げた。

 人が一人死んでいるのに、まるで何かの納品の打ち合わせみたいな態度にカチンときたのだ。だから、この馬鹿丁寧な態度は嫌味のためにとった態度だった。

 お忙しい警察官様にとっては、事件性のない死体など有象無象に過ぎないのだろうが、遺族がいて、悲しむ人がいることを忘れていい理由にはならないと思ったのだ。

「あ、いえ、このたびはどうも……」

 慌てて向き直り、若い刑事と二人で頭を下げる。


 『演技でも悼む態度を見せろ、くそポリ公!』


 心の中で吐き捨てながら、霊柩車に乗る。

 座席は、棺桶のすぐ隣だった。

 白木の棺桶を撫でる。

 この中に、父が居るなど信じられない気がした。

 浅草にある菩提寺近くの斎場に向かう。

 ここで、四日後予定の通夜まで保管してくれることになっていた。

 葬儀社の方も、ドライバーも、私も何も言わなかった。

 どんよりと曇った空からは、粉雪がちらついている。

 東京での初雪だと、後で気が付いた。


 斎場に到着する。

 葬儀社のスタッフが待ち構えており、棺を安置場所に移動させている。

 その間に、担当となるスタッフが私に名刺を差し出してきた。

 それがAさんだった。

「烏介さんのおばあ様の葬儀は、私が担当でした」

 と言う。

「何点か、決めておかないといけない事柄がありまして、お疲れでしょうけど、打ち合わせさせて下さい」

 書類の束は、祖母の葬儀の際の打合せ資料。

 そして、何点かのパンフレットが並べられる。

 葬儀の規模は?

 祭壇のグレードをどうするか?

 骨壺は?

 火葬場のランクは?

 霊柩車やマイクロバスの手配は?

 生花のランクは?

 御斎おときの量とグレードは?

 そんなことを次々と決めてゆく。

 祖母の葬儀の打合せをしたのは父だった。

 その時のデータを参考に、私が葬儀の骨格を決めてゆく。

 相談する人もいないので、身内だけの『家族葬』にすることにした。

 現役の会社経営者で、業界の古株で人脈が広いこともあり、普通に葬儀を行うと参列者数が読めないというリスクがある。

 そして、死体検案書を受け取った後の手続きについて、説明があった。

 死体検案書は死亡届とセットになっており、私がそれに記入して役所に提出。

 そこで火葬許可書を発行してもらうという段取りだった。

 担当所轄署の嘱託医から死体検案書を発行してもらわないと、始まらないということだ。

 小一時間の打合せを終えると、遺体安置を終えたという連絡があった。

「合っていかれますか?」

 Aさんが言う。

 私は頷いた。

 一フロア上が、遺体安置場所だった。

 白木の棺には錦の布がかけられ、香炉と鐘が設置してあった。

 父の顔を見るのは、約一年ぶりだ。

 ひどい顔だった。

 横向きで亡くなったそうだが、警察はそのまま運び出して、仰向けにもしなかったのだろう。

 顔の右半分が死斑で黒ずんでいて、白髪が蓬髪の様に乱れ、まるで狂人の様だった。


 ―― あんまりだ


 髪を指で梳いて整えてやろうとしたが、頭皮が硬直しているからか、直らない。

 指に触れる皮膚の冷たさに怯む。

 父は身だしなみに気を使う人で、いつもダンディを気取っていた人だったのに、これは酷過ぎる。

 何度も、何度も、髪を撫でつけたけど、直らない。

「烏介さん、化粧師を優先で入れますから」

 と、Aさんに止められる。

 涙があふれた。

 私は父が嫌いだったが、こんな姿を見たくはなかった。

 母親の不甲斐ない態度。

 警察の無礼な仕打ち。

 勝手な事を言う親戚たち。

 変わり果ててしまった父の姿。

 それらが、渾然一体となって、胸を焼く。

「父のこんな姿は、誰にも見せたくありません。死化粧をよろしくお願いします」

「即、着手します」

 Aさんがそう請け負ってくれた。


 斎場を辞して、小雪が舞う中、最寄りの上野駅に向かう。

 地下鉄の駅の方が近いのだが、少し歩いて考えを整理したかったのだ。

 担当刑事から連絡は来ない。

 今日は金曜日なので役所は通常にやっている。なので、死体検案書を入手したら死亡届を作成し火葬許可書を入手したかったのだが、スタートで躓いていた。

 約束の時間はとうに過ぎた。

 上野からJRで移動中に連絡をもらえるのが、一番効率が良かったのだが、上手くいかないものだ。

 刑事に連絡を入れる。

 幸いなことに、彼は署内に居た。

「死体検案書を作ってくださる嘱託医の件、どうなりました?」

 と問うと、しばしの沈黙があった。

 これで分かった、彼はこの件を失念していたのだ。

 何かごにょごにょと言い訳をしていたが、自分が失念していたことは言わず、あと三十分後に嘱託医に確認してくれと言った。

 今から連絡するつもりだろう。


 『ごまかし野郎め』


 再度こいつを心の中で罵りながら、電話を切る。

 これで、役所の営業時間は終わり。

 土日の営業で許可書が発行できるか、窓口で聞いて今日の行動を締めくくることにした。

 閉庁間際の役所に行く。

 案内係に問い合わせると「市民課」に向かってくれと言われた。

 そこの、若い兄ちゃんに問いかける。

「火葬許可書について伺いたいのですが」

 顔色が悪く顎が尖った目つきの悪い男だった。

 閉庁間際ということもあり、明らかに『面倒くさい』という態度である。

 構わず、具体的な状況を説明する。


 ・死体検案書は明日以降になること

 ・市内で亡くなり、浅草で葬儀を行い、都内の火葬場を使う事


 ……を説明し、土日の休日窓口でも発行してくれるかを問い合わせる。

 コイツの回答はこうだった。


「火葬場が埋葬許可書を裏書きするので、当役所は関係ない」


 土日の受付について聞きたかったのに、予想外の回答に混乱する。

 葬儀社のAさんに連絡を入れた。

 彼から聞いていた話と違うからだ。


「そんな話、聞いた事ありません。わかりました、当社から市に問い合わせてみます」


 と、言ってくれる。

 今日は、馬鹿な公僕どもに叩かれすぎて疲れ果ててしまった。

 窓口で生意気な若造相手に一発ヤラかしても良かったのだが、その気力が湧かない。

 ベンチに座り、甘ったるい缶コーヒーを飲む。

 よく考えたら、母親が朝買ってきたサンドイッチを一切れ食べただけで、何も口に入れていない。

 頭痛がして頭を抱える。

 無残な父の姿が浮かんで、警察を逆恨みしたくなるのを堪えた。

 電話が鳴る。

 葬儀社のAさんからだった。


「大丈夫です。死亡届と死体検案書を提出すれば、休日窓口で発行してくれます。『死体埋火葬許可書』が正式名称なのですが、火葬場で確かに火葬したという証明を裏書きをします。それで初めて納骨できるという段取りなのですが、その手続きと勘違いしたようだと言い訳していましたよ。」


 とのことだった。

 馬鹿言うなと思った。順を追って説明しているのだから、事務手続きのプロであるなら忖度すべきである。こっちは、そんな手続きも専門用語も知らないのだから。

 意図的に意地悪をしたのだとしか思えない。このまま窓口に戻って、あのクソ生意気な若造の爬虫類顔に正拳をぶちこんで両生類顔に変えてやろうかと思ったが、やめた。

 私は疲れ果てていたし、明日の効率いい行動を決めなければならない。

 病院も営業時間が過ぎ、明日以降にしてくれと言われたところで、気力が尽きてしまった。


 長い一日が過ぎ、実家に戻ると、相方が着ていた。

 百万の援軍を得た気分だった。

 クソみたいな一日だったが、これで救われた気分になる。

 実家のゴミ屋敷のような惨状を見せるのは恥ずかしかったが、これが現実なので仕方ない。


 寝る場所は、結局一番マシな居間にした。

 ゴミ屋敷化している二階の客間に母はスペースを作ろうとしていたが、あんな所で寝たら具合が悪くなる。

 それに寝具がない。

 敷布団がないのだ。

 なので、私は掛け布団を二枚重ねて敷布団とし、毛布と外套を掛け布団にした。

 相方はその隣でかび臭い予備の布団で眠る事になる。

「なんだか、色々と申し訳ない」

「キャンプみたいで楽しいよ」

「このゴミ屋敷状態をなんとかせんと、葬儀後、お骨を置く場所すらない。そこからだな」

「了解。君は明日どうするのかな?」

「死体検案書を受け取り、死亡届を発行してもらう。何か手伝う事ないかと何度も電話がかかってきている叔父に出番を作るつもりだよ」

 実家にパソコンは無く、私も相方もスマホではないので地図の検索が出来ない。

 嘱託医の住所は分かっても、場所が特定できないのだ。

 そこで、叔父に車を出してもらい、ナビで検索してもらいつつ嘱託医~コンビニ~役所というルートを廻る輸送任務についてもらおうという算段だった。

「妙にしつこいから、手伝うのとは別に意図があると思う。でもまぁ、足代わりになってくれるのはありがたいけど」



二〇一七年一月二一日(土)朝


 底冷えするフローリングの床から身を起こす。

 また、一瞬自分がどこにいるのか分からなくなったが、掛布団に包まるようにして眠ったのだと思い出す。

 隣では、かび臭いが敷布団・掛布団のセットで眠っている相方が寝息を立てていた。

 時間を見たら、朝の五時。

 三時間ほどトロトロと眠った計算になる。

 寝直そうと思って目をつぶったが、もう眠気は私に訪れなかった。

 相方を起こさないようそっと身を起こして台所に行き、お湯を沸かす。

 狂おしいほど珈琲が飲みたかった。

 警察と役所の無礼な態度に、胸中で怒りがくすぶる。

 肩がぶつかったとかで、殴り合いの喧嘩をする輩というのは、こういう心理状態の奴なのだと思う。

 胃がムカムカし、頭痛がし、背中が痛んだ。

 便所に駆け込んで、吐く。

 胃液しか出なかった。

 口をゆすいで、珈琲を流し込む。

 多少、気分は良くなる。本当は刺激物である珈琲はいけないのだろうけど、気付けにはなった。


 叔父が車で迎えに来てくれた。

 ナビに嘱託医の所在地を入力し、ルートを表示する。

 私はよほど疲れた顔をしていたのだろう。「大丈夫?」と心配されるほど。

 良く考えたら、十九日以降まともに眠っていない。

 医院は意外と近かった。

 来客用駐車場で、診察開始まで時間を潰す。

 久しぶりに会った叔父は、私の生活について色々と質問をしてきた。

 そのあたりは、予測がついている。

 わが一族には『黒い羊』がいて、父の妹弟の末弟がそれなのだ。

 叔父は父の実妹の配偶者。つまり『黒い羊』から見ると義理の兄となる。

 その『黒い羊』は、堅い職場に勤務していたのだが、定年を前に突然乱れ、途中退社。

 以来、定職につくことなく退職金を喰い潰しつつ無為に過ごしていた男だった。

 噂によると、美人局つつもたせに入れ込んだ挙句、溜めこんでいた貯金をその女に毟り取られ、「留守中に女房が世話になったので、服役中の旦那が出所したら『お礼参り』すると言っている」と脅されて父の実家に逃げ込んだ経緯がある。

 この『黒い羊』が、連日飲んだくれて倒れ、高度機能障害……俗な言い方をすると『ヨイヨイ』……になってしまっていて、父と叔父で入所できる介護施設を探していたのだ。

 叔父は、それを一人に押し付けられると思っており、私を巻き込みたいと画策しているのが判る。

 現在『仮入所』している施設の身元引受人は実兄である私の父になっており、そこは実姉である叔母が身元引受人とするつもりらしい。

 問題は連帯保証人で、以前は

 『身元引受人=父』

 『連帯保証人=叔母』

 だったのが、

 『身元引受人=叔母』

 『連帯保証人=私』

 にしたいと画策していたのだ。

 冷たいようだが、『黒い羊』から見て甥にあたる私には何の法的責任はなく、拒絶してもいい。

 ましてや『連帯保証人』という呼称が気に入らない。

 『連帯保証人』は責任が重いのだ。

「お話は分かりましたが、規約も読まないうちにはいOKってわけにはいきませんよ。相方にも相談しないといけませんしね」

 叔父への即答を避け、診療開始時間と同時に受付に免許証を提示して『死体検案書』の申請をする。

 あらかじめ用意してあったのか、すぐにそれは出た。

 発行手数料は五万円。

 病院の死亡診断書だと数千円なので、値段に驚く。

 たまたま出発前に相方が用意してきた軍資金で十万円ほど財布に補充しておいたので助かった。

 車に戻ると、微妙な雰囲気になっていた叔父に「五万円もしましたよ」と思わず報告する。

 叔父も驚いており、やや険悪な雰囲気が和らいだような気がする。

「さて、次はコンビニでコピーだね」

 市役所に向かいながら、途中でコンビニに寄り、『死体検案書』の左半分にある父の本籍や私の住所等を記入する欄を埋め、押印する。

 朱肉はコンビニで借りた。

 全て書き込み、押印したものをコピーする。

 あとは、原本を市役所に提出するだけ。

 『夜間・休日窓口』の職員は慣れているのか、「あのこれ……」と提出すると「あぁ、はいはい」と手続きに入ってくれた。

 その間、うすら寒いベンチで叔父と待っていたのだが、『黒い羊』の話はもう出なかった。

 ポツポツと父の思出話などをした。

 私が小学生の頃、叔母はガンになり大きな手術をしたのだが、まだ幼かった従弟のN君を私の実家で預かったことがあったのだ。

 私と妹とN君はまるで本当の兄弟の様に一年ほど過ごし、いよいよN君が家に帰ることが出来た時、泣けて泣けて仕方がなかったこととか、そんな話だ。

 もともと、叔父と私は敵同士ではない。

 あんなヤクザ者の『黒い羊』のせいで、険悪になるのは馬鹿げていると、しみじみと思う。

 しばらくすると、無事『死体埋火葬許可書』が発行された。

 これを、また近所のコンビニでコピーする。

 叔父には最寄りの駅まで送ってもらい、そこから浅草に向かった。

 葬儀社に『死体埋火葬許可書』を渡すためである。

 それに、妹から連絡があり、父の安置場所に行きたいという希望があったのだ。

 疎遠だった私と違い、父と妹は仲が良かった。

 父は娘が可愛かったのか、文字通り猫かわいがりしており、妹も父に懐いていた。

 月に一、二度は、会って食事などしていたようである。

 ちなみに、私は妹とはあまり仲が良くなく、ケンカもしないし会話もしないという、血は繋がっているけど遠い存在だった。

 その妹と二年ぶりくらいに会う。

 花をもってきていて、「お花もないと、パパが可哀想だから」などと言っていた。

 私はそこまで気が回らなかったので、正直いうと助かった。

 駅から斎場まで歩く。

 歩きながら、できるだけ詳しく知るか限りの状況を話してやる。

 妹は歯を食いしばって、涙をこらえているようだった。

 Aさんが遺体安置所となる斎場四階でまっていてくれて、棺桶の顔の部分を開けていてくれていた。

 髪はきちんと整えられており、死斑はファンデーションで隠され、まるで眠っているかのようなきれいな死顔になっていた。

 我慢していた妹が嗚咽をもらす。

 ほたほたと涙が流れ、ぎゅっとハンカチを握りしめている手が震えていた。

「うそでしょ、うそでしょ……」とつぶやきながら、泣く。

 引き取ったばかりの顔を見せないでよかった。

 私は妹のためにそう思った。あれは、トラウマになる。



二〇一七年一月二二日(日)朝

 

 相方と話し合った結果、今日はゴミ屋敷化している部屋の片づけを行う事とした。

 葬儀後、実家でお骨を預かる事になるのだが、安置する場所がないのだ。

 それに葬儀後誰かが線香を上げに来た時の事を考えると、せめて居間くらいはきれいに片づけておかないとマズい。

 だが、どこから手をつけていいか途方に暮れる散らかり具合だった。

「とにかく、片橋から段ボールに詰め込んで、物置と化している客間に突っ込むしかあるまい……」

 こういう時は、達成可能な目標を設定し無心でそれに邁進するしかない。

「スーパーがあったから、そこで今日の朝食兼昼食を仕入れて、同時に段ボール箱をもらっていこう」

 相方とそんな会話をする。

 母は、明け方まで起きていて、やっと寝たばかり。

 体力温存のために昼近くまで寝かしておこうという判断だった。

 私も十九日からずっとこの冷たい床で眠っており、ロクに睡眠をとっていないので体力の限界が近づいていた。体も冷え切っている。

「少し寝た方がいいよ」

 よほど疲れた顔をしていたのか、相方が布団を譲ってくれる。

 彼女の温もりが残る布団に包まると、私はストンと眠りに落ちた。


 相方に揺すられて起きる。

 時計を見たら、間もなく十時というところだった。

 四時間ほど深く眠っていたようだ。

 多少だが疲れが取れた様な気がする。

 母親を起こしに、寝室に向かった。

 しばらく風呂に入っていない彼女の垢じみた体臭が匂う。多分、私もご同様だろう。

 もううんざりだった。

 母がだらしないせいで、余計な一手間がかかるという事に腹が立つ。

 とはいえ、これは「両親と不仲」という事実に甘えて私が放置(又は見ないふり)してきた負債でもある。

「とにかく、はじめよう。呆然としていても、一歩も進まないよ」

 ぐずぐずしている母親にイラつきながら、三人で出かける。

 あるいて十分くらいの場所にスーパーがあるのだ。

 そこで、今日の買い物をしつつ段ボールをもらう算段だった。

 ついでに、テナントの百円ショップで書類ケースを買い求める。要不要が定かではない書類がテーブルの上に山になっており、その仕分けが必要だったからだ。

 母は、なんだか他人事みたいな顔をしていて、私のイラ立ちが募る。

 怖い顔をしていたのだろう。

 相方が、腕を組んできて「大丈夫」と言って離れた。

 結局母は、買い物の間フードコートのベンチで座って待っているだけで、荷物持ちの役にも立たない。

 相方は、小柄な体で段ボールを抱え、夕食の食材まで持っている。

 私は、書類ケースとやはり大量の段ボールを持っているので、これ以上持てない。

 しかも、強風が吹いていて、相方が風にあおられてよろめく。

 その度に、何も手に持つことなくヨタヨタと歩く母をひっぱたきたくなるほどイラっとしていた。

「メリーポピンズみたいに、飛んじゃいそう」

 そう言って笑う相方に救われたような気がする。

 家に帰り、スーパーで買ってきた朝昼兼用の食事を採る。

 適度に運動し、お腹がくちくなったためか、母は「横になりたい」と言い出した。

 『ふざけるな』と言いそうになって、相方の怖い目に口を噤む。

 母が寝室に向かい、案の定スヤスヤと眠り始める。

「誰のせいで、こんな作業しなければならんと思っているのか!」

 不満をぶちまけると

「近くにいて色々指図されるより、思い切ってやれると考えましょうね」

 と、諭されてしまった。


 積み上がっていた場所、そして系列(衣類など)を分類してどんどん段ボールに詰めていく。

 私は以前、ゴミ屋敷清掃業者体験取材のルポルタージュを読んだ事がある。

 その作者は

「このゴミ屋敷を形成した人物に殺意が湧いた」

 ……と書いていた。

 読んだ時は「何を大げさな」と思っていたが、実際体験してみると、本当に殺意が湧くのに気づく。

 母のクシャクシャに丸められた下着を掘り当ててしまった時など、罵ってソレを床に叩きつけたほどだった。

 どんどん箱詰めし、ラベルを作って張り、二階の倉庫(元は客間)に運んでゆく。

 居間のソファや小卓を埋め尽くしていたモノの殆どは、衣類だった。 

 それも、同じようなデザインの同じような代物。

 薄手のダウンなど、十着以上あったのではなかろうか。

 同じようなデザインが多いのは、すでに持っているにもかかわらず「あ、これいいな」と思って買ってしまうからで、それを繰り返しているということなのだろう。

 着たら、ソファの上に脱ぎ散らかして、それが層になる。

 かくして、衣類断層が出来るわけだ。

 マスクをしていても、かび臭い。

 寒かったが窓を開けて空気を通しながら作業を続けた。

 衣類の層が終わると、今度は書類と雑誌の層になった。

 床に座って、それを分別する。

 相方は、冷蔵庫の清掃に取り掛かった。

 いつ買ったかわからない食材が、萎びてカビながら冷蔵庫の中で朽ちており、相方はえずきながらそれらを容赦なく生ごみ袋に詰めてゆく。

 冷蔵庫には最低限の物しか保存しない主義の相方には、絶望的な光景だっただろう。


 気が付いたら、陽は傾き、夕方になっていた。

 なんと、五時間もぶっ続けで片付け作業をしていたことになる。

 長年溜まった埃を掃除機で吸い取り、書類と衣類の山に埋もれていた小卓を雑巾で拭く。

 それを壁際に寄せれば、お骨と遺影を安置するスペースが出来た事になる。

 これが、この長く辛い作業の目的だった。

 少なくとも居間は、弔問客が来ても恥ずかしくない程度には片付いている。

「よくやった」

 相方と二人、健闘をたたえ合っていると、どっと疲れた。

 寒いのを我慢して窓という窓を開け放っていたので、かび臭いのも多少は緩和されている。

「今日は自宅に帰って、ゆっくりお風呂に入りなさい」

「匂うか?」

「くちゃい」

 考えたら、汗だくで動き回ってかび臭い家でトロトロ眠って、四日以上風呂に入っていない。

 匂うだろうなと思う。

「母と二人になっちまうぞ」

「大丈夫」

 相方はキレイ好きなので、風呂に入れないのは辛いだろう。

 かといって、ロクに掃除していない実家の風呂に入れるのは可哀想だ。

「近所にスーパー銭湯あったな。そこに、行ってくるといい」

 叔父と車で回った時に見た記憶があったのだ。

「そうね、お母さんと一緒に行って、さっぱりしてこうかしらね」

「あのババァくせえからな」

「ババァとか言っちゃダメ。でも、くちゃい」


 相方の言葉に甘えて、四日ぶりに家路につく。

 母の衰えに気が滅入った。

 担当刑事が「認知症」を疑うのも無理はない。

 本当は夕食を作ってから出かける予定だったのだが、冷蔵庫にあった比較的マシに見えた白菜は、手に取るとぬめったのだ。

 八宝菜でも作ろうかと思っていたのだが、アテが外れてしまった。

 なので、ニンジンやらキクラゲなどを持って、電車で移動する羽目になる。

 スーパーで買った食材は、自宅の冷蔵庫に保存することになったのだ。

 実家のカビまみれの冷蔵庫だと腐敗が進みそうだったから。

 玄関のドアをあけると、安堵のあまりへたりこみそうになった。

 四日まともに眠っていないし、母にはイライラあせられっぱなしで、もう限界だったのだとわかる。

 PCはつけっぱなし。

 見ると、「なろう」に投稿準備していたままだったとわかった。

 『一撃必殺! 鉄槌男』の最新話だった。

 投げっぱなしの活動報告には「お悔やみ」が寄せられていて、じわっと涙が浮いた。

 しかし、返事を書く気力が湧かない。

 なので、『一撃~』を投稿し、中間報告という形でご勘弁願った。

 申し訳なかったなぁと今でも思う。

 「なろう」をめくっていると湯が溜まったコールサインが出る。

 PCも休ませてやることにしてシャットダウンし、風呂に入ることにした。

 脚を伸ばしてゆっくりと浸かる。

 トロトロ眠っては覚醒するを繰り返し、たっぷりと一時間は入っていただろうか。

 相方が「くちゃい」という幼児語を使ってショックを緩和してくれた私の体臭がこそげ落ちてゆく。



二〇一七年一月二三日(月)朝


 私は都内某所のオフィス街にいた。

 この一角に、父は事務所を構えていて、そこの従業員と待ち合わせをしていたのだ。

 その従業員というのは、実は私の元上司Bで彼が若い頃父の部下だったという関係で、彼は父を手伝っていたのだという。

 私は職場で倒れ、生死の境をさまよった経験がある。

 これがモトで離職したのだが、入院時、彼の心無い言葉に心底元の職場に嫌気が差して、退職を決意したという経緯があったので、彼と顔を合わすのは複雑な気分だったが、父の会社の後始末のためには仕方がない。

「よお」

「うす」

 言葉短に挨拶を交わす。

 私が離職したあと、彼も退職したらしいのだが、没交渉だったので詳しくは知らない。興味もない。年賀状すら断ち切った間柄だった。

「事務所の場所も知らねぇのか?」

「そうすね」

 会社開設の案内を父は送ってきたが、私は目も通していなかった。

 もちろん、陣中見舞いなどしたこともない。

「やりかけの仕事がいくつかあってよぉ、途中で投げ出すわけにもいかねぇから、おめえに引き継ぐよ」

「何の仕事かも知らんのですぜ。ブン投げられても困るっすよ」

 巻き舌の、いつものBのしゃべり方にイラつきながら、小さなオフィスビルに入ってゆく。

 そこの最上階の一部屋が、父が退職後に興した会社だった。

 最初は三人で始めた会社だったのだが、二名が退職。

 父一人でほとほと困って、プー太郎だったBに昔の誼で声をかけたらしい。

「どうしても来てくれって言うからよぉ、来てやったのよ」

 コイツは、「~してやった」が口癖で、私はそれが大嫌いだったのを思い出す。

 自分が来たことで、どれほど父が助かったかという自慢話をイラ立ちながら聞く。

 Bは、全く成長していない。

 私より一回り年長なのに、嫌な野郎のまま止まってしまっていた。

 『こんなクズに頼るほど、困っていたのか……』

 父と私はずっと仲違いしていて、ほぼ没交渉だったが、私はこのクズより下に見られていたことになる。

 いつも見下していた私に頭を下げることが、どうしてもできなかったのだろう。

 Bに連れられて、お得意様のあいさつ回りをする。

 名は伏せるが、誰でも知っている企業の社長クラスが、父の古くからの友人で仕事仲間だったらしい。

 わざわざ社長室に招かれ、昔の思い出話などをした。

 私が子供の頃、遊んでもらった人たちもいた様だが、生憎と覚えていない。

 色々な話を聞いた。


 いつも冗談ばかりを言って、父が来ると職場が明るくなったこと

 積み重ねられた知識が誰よりも博識だったこと

 企業の社内研修に講師として招かれその門下生たちが『鷹樹一門』と呼ばれていたこと

 その鷹樹一門が決裁年齢に成長し大きな勢力になっていたのに決して偉ぶったりしなかったこと

 若い世代に知識を伝えることが上手で本人も楽しんでいたこと

 温和な外見のくせに一線を引くとそこから一歩も退かないタフネゴシエーターだったこと

 忘年会などでは道化役を買って出ていたこと


 そんな事柄だ。

 いつも人を小ばかにして見下していた父と、本当に同一人物なのかと疑う話ばかりであった。

 私は父の一面しか見ていなかった。

 父は私に一面しか見せていなかった。

 互いに不器用だったのだと思い知ることとなった。



そして現在 鎮魂歌に代えて


 Bは都合三日ほど、そそくさと私に申し送りをして、さっさと退職してしまった。

 厚生年金などの手続きは「俺がやっといてやったからよぉ」と言って恩を着せていたが、自分のことなので早急に手配しただけだ。

 あとは分からない事があって電話しても、返信すら寄越さない。黙殺しやがった。

 クズはやっぱりクズのままということだ。まぁ予想通りだった。


 誰もいないオフィスで、一人黙々と残務整理をする。

 大学や企業を廻って、やりかけの仕事を完遂し、手探りで請求書を作って渡す。

「これからは、やりたい仕事だけを選んでやる」

 そういって始めた会社。

 いうなれば、ここは父がつくった自分のための『秘密基地』みたいなものだ。

 この事務所に来るたび、父の気配を感じる。

 妹に加齢臭を指摘されてから使い始めたコロンの残り香。

 走り書きの私には意味が分からないメモ。

 愛用していた文具に残る噛み跡。無意識にペンを齧る癖があったのだろうか?

 葬儀が行われ、肉体が焼かれて骨になり、その骨も四十九日法要を経て墓地に葬られ、存在が少しづつ消えてゆく。

 彼の夢の具現である会社を解体する作業もまた、弔いである。

 私は父の夢の残滓を掃き集め、捨てなければならない。

 なんという役目を押し付けられたのかと、思う。

 父が命の次に大事にしていたデータの蓄積を廃棄するとき、涙が出た。

 意地をはらずに、もっと父と距離を詰める努力を私がすれば、あんなクズに集られることなく仕事が出来たのかもしれない。

 経費削減について、『オフィスシェア』などの提案も出来たかもしれない。

 私と父は、お互いの狭量さゆえ選択肢の幅を狭めてしまったのではなかろうか?

 後悔ばかりが私の胸に去来する。


 ようやく、会社解体の目処がついた。

 実に二ヶ月もの時間がかかってしまった。

 父が集めたオフィス家具は、誰かが使ってくれることになる。

 某企業で『東京オリンピック対策室』が作られることになり、そこで使ってくれるらしい。

 会計監査なども終え、大きな借金がなかった事もわかって、胸をなでおろしている。

 労使折半が原則の厚生年金等に関して、Bは会社に全額負担させていたという不正が発覚したが、退職金代わりにくれてやることにした。クズめ。

 事務所は抜け殻のようになり、父の気配は消えつつある。

 毎年の赤字から黒字に転じたところだった。『さあ、これから反撃』という時だったので、さぞ心残りだっただろうと思うが、物事には必ず『終わり』があるものだ。

 夢の具現の幕引きを、彼が最も嫌っていた私がするというのは、皮肉なものだが、これも運命なのかもしれない。


 今はただ、全てから解き放たれて、平かに過ごしてくれと、父に願うばかりだ。



        (了)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 


 

 

 

 

 

 


 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 良いも悪いも勇気が存分になければ、こうした随筆は書けないと思うので尊敬します。 [一言] 私も母が昨年五月に亡くなったので、様々な想いが去来しました。 自分もいつか母について何か書きたいと…
[一言] 心よりお悔やみを申し上げます。お疲れさまでした。 ご家族のことにこんな表現では失礼で申し訳なく思いますが、読み応えのある作品でした。 初日から疲れが限界に達している様子、匂いで蘇る気配、葛藤…
2017/03/20 01:24 退会済み
管理
[一言] 心よりお悔やみを申し上げます。大変なご苦労をされましたね。お父様の件が一段落されたという事で、少し肩の荷が下りたという所でありましょうが、どうにも悩みの種がちらほらと……。 とかく、死という…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ