旅の始まりは慎重に⑤
自然と目が醒めた。疲れもなければ昨日の朝から悩まされていた眠気ももうない。
身体の状態が良好であることを確認すると、零弥はベッドから起き上がる。月明かりを頼りに蝋燭に火を点け、一階へ降りるも真っ暗であり、時計を確認すると3時前であることがわかった。
「…早くに寝すぎたか。」
最近、新しい魔法のアイデアが浮かび、連日遅くまで研究してたため、昨日は散々な目にあった。とはいえ、流石に9時前から寝たのは早かったかと反省する。
しかし寝直すにも目が冴えており、寝る気も起きなかったので、静かに馬宿を出て、周囲を散策し始めた。
「あら、こんな夜遅くに出歩く人がいるなんて。」
突然現れた気配に驚きつつ、声の主を辿ると、そこには白い髪、白い肌の少女がたっていた。見るだけで高価とわかる服を見に纏う彼女の雰囲気は深窓の令嬢というイメージがピタリと当てはまった。
「…君は?」
「フフ、相手に名を聞くのであれば、まずは自分から名乗るのが礼儀でなくて?」
「そうか。俺は零弥だ。」
「レミ…美しい名ね。私はテネシーと言うの。」
「ありがとうテネシー。君は旅人かい?」
「そうね…昔は旅人だったわ。今はここにずっといるの。
レミさん、貴方、こんな夜中に出歩いたら危なくてよ?」
「多少は腕に覚えがある。自衛くらいならできるさ。」
「ウフフ、強いのね。私、強い殿方は好きよ?」
「君こそ危なくないか?そんなところにいては陰から魔物に襲われるだろ。」
「大丈夫よ、この辺は魔物はいないわ。少しやんちゃな動物がいるだけだもの。」
「じゃあそのやんちゃな動物が現れる前にこっちにおいで。」
零弥の誘いを聞くと、テネシーはニコリと笑って零弥の元へと歩んだ。
あら、とテネシーは立ち止まり、鼻をクンクンと鳴らしながら零弥に近づいた。
「…どうした?」
「貴方、とてもいい匂いがするわ。芳醇で、少し焦げ臭い感じもするけれど、それが堪らなく香ばしいの。」
「…今日の夕飯のベーコンの匂いかな?」
「貴方みたいな人初めてよ。私、貴方に惚れてしまうわ。」
艶かしい声色で零弥に抱きつく彼女を見て、零弥は何か納得のいった表情でそうかと頷いた。
「ところで、俺はこれからその辺を歩いてまわるが、君はどうする?」
「私、少し歩き疲れたの。腕に抱いてくださる?」
テネシーは手を広げてニコリと笑う。零弥は仕方ないと、彼女をひょいと抱き上げた。歳の頃は10に満たないくらいだろうが、それにしても軽いと感じた。
しばらくはテネシーを連れて馬宿の周りをぐるりと周っていた。この時間になると家畜も寝静まりとても静かである。月明かりの煌々とした輝きすらうるさいと感じるかに思われた。
畑、牧場、材木置き場、井戸、なんてことのない場所を転々としているうちに、零弥は再び眠気が呼び覚まされてきたのを感じた。
「さてと、俺はそろそろ戻ろうかな。テネシー、君も早く帰りな。」
彼女を降ろして帰りを促す。しかし、彼女はやや不満気な顔であった。
「レディをこの世道に1人で帰らせる気?」
「ここまで1人で来ておいてその言い草か?」
「まぁ、薄情な方!」
テネシーは零弥の腕に抱きつく。ひんやりとした心地よい感触がする。零弥は離そうと腕を動かしてみるが、軽くてむしろユラユラ揺れるだけでまるで離れる様子が無い。
「さ、観念して私を見送りなさいな。」
「仕方ない。少しだけだぞ。」
零弥は胡乱気な顔で彼女の指差す方へと向かう。向かう先は林の中。彼女の案内に従ってまっすぐ歩くと、やや寒いかと思われるほどの涼風が後ろから吹いてくる。
林が開けると、そこは墓場であった。
「このお墓を抜ければ近道ですわ。ささ、行きましょう?」
「もう近いのか?」
「えぇ、もうすぐ。」
「…それなら、もうここで俺は帰るよ。」
「そんな…、私…、もう少し貴方といたいわ。」
ぐいと腕を引っ張るように抱え込むテネシーはどこか焦った顔だ。
「そんなこと言われても、俺も馬宿に戻らなきゃ。道に迷ったら困る。」
「ねぇお願い、私と一緒に来て!1人で帰るなんて嫌!」
「何をそんなに焦っているんだ?」
「…どうしてもダメって言うのね?」
ふいに、俯いたテネシーの纏う空気が変わった。声色も急に冷たくなる。
「…あぁ。」
「それなら…無理にでも来てもらうわ!』
再び顔を上げた彼女の眼は、赤く染まっていた。
しかし、その表情はすぐさま苦痛に歪み、零弥の腕を離すこととなる。彼女の腕は焼け焦げていた。
『熱い…何、その炎は!?』
「…うまく行ったか。幽霊に効くとはな。」
零弥の腕は紫色の炎に包まれていた。その炎は【思炎】。魔法を魔力に、魔力をマナに分解する炎である。
幽霊とマナ生命体は良く似ていると後に零弥は語る。どちらも魂をマナで構成した肉体で覆ったものだ。しかし、強いマナ結合によってより生命として完成された肉体を形作るマナ生命体よりも、幽霊というのは曖昧で薄皮一枚のような仮体を作る。このため幽霊は生命体としてよりは霊体としての性質が強く、物理的なダメージをほぼ受け付けないのだそうだ。
逆にマナ構造体である魔力を分解する【思炎】は幽霊にとっては天敵のようなものだ。彼らの身体(?)はマナで構成されている。誕生してから通常の食事を摂ることで通常の生物の肉体に近くなるマナ生命体はともかく、幽霊の身体は100%マナでできている上、元々魂属性の魔法である【思炎】は魂をも焼く。まさに幽霊を滅するためにあるような魔法であった。
『貴方…私が霊だと知っていたのね!?』
「テネシー、君が何を思ってそうなったのかは知らない。が、あの世に連れて行くにしても選ぶ相手を間違えたな。いや、むしろ正しかったか?もし他の仲間を狙っていたら、問答無用で焼き殺していたかもしれん。」
『焼き殺す?あはは!おばかさん!私はすでに死んでいる。私はただお友達が欲しいだけの可哀想な幽霊よ!』
「そこまで怨霊化が進んだやつを可哀想とは言えんな。それに、馬鹿は君だ。今さっき体験しただろう?霊魂の身を焼くこの炎の熱を。」
そう言って零弥が紫色の炎が灯った腕を向けると、テネシーは無意識のうちにビクリと身を震わせて後退りした。この時やっと彼女は、零弥に対し恐怖を覚えていることに気がついた。
「テネシー。」
『っ、こないで!』
零弥が一歩近づくたびにテネシーは後退りしながら不可視の刃を飛ばしてくる。しかしそれも零弥の身体に纏う炎によって焼き消される。
「怨霊とは言え女の子だ、あまり手荒なことはしたくなかったんだが…。」
零弥は右腕に纏った炎を長く伸ばし鞭のように振るいテネシーの脚を薙ぐ。両の脚を焼かれた痛みに彼女は立っていられなくなる。
尻餅をついた彼女の前に、零弥が屈んだ。
「テネシー、君はどうして人を襲う?」
『…寂しかったからですわ。』
彼女は旅の途中で不慮の事故にあい死んでしまったらしい。そして、この墓地に埋葬されたのだ。彼女はその場で成仏することなく墓場にとどまっていた。そうすれば墓参りに来た両親に会えたからだ。
しかし、彼女の両親も次第に墓参りに訪れることがなくなり、ついに彼女は独りになった。寂しさに耐えられなくなった彼女は成仏しようとしたが、長く留まっていた所為かあの世への行き方が分からなくなり、地縛霊になったのだという。
寂しさを紛らわせるために、旅人をたまにこうやって攫っては殺し仲間にしようとするも、すぐに成仏してしまうため彼女はいつまでたっても独りのままなのだった。
「…寂しい、か。」
「…もういいわ、帰りなさいな。貴方のことは諦めます。痛い目も見ましたし。」
気づけば彼女の纏う空気は怨霊のものとは思えぬほどに静かになっていた。独白によって少し落ち着いたのだろうか。
「御両親は、ご存命?」
「わかりませんわ。もともと遠くからの商人ですし、私もここに居着いてからの時間の感覚もなくなってますの。今頃は私のことを忘れて働いているのか、既に亡くなられているのか。」
彼女の瞳から雫がこぼれ落ちるたびに光の塵となって消えていく。
零弥は少し考えると、テネシーの手を取り立ち上がった。
「ど、どうしましたの?もしかして…」
「生憎と俺にも家族がいるから、君と一緒にはなれないよ。けど、君がどうしても寂しいと言うのなら、出来る範囲で協力しよう。」
零弥は彼女を来た時と同じように抱きかかえると歩き出した。
「君の家族のこと、詳しく教えて欲しい。情報があるほどことはスムーズに進むから。」
「えぇ…」
彼女は少しずつ、糸を手繰り寄せるように自分という人間の生きた経過を語り始めた。
…
「…という感じなんですが、ここで亡くなった少女に該当する方はいるでしょうか?」
翌朝、といっても時間は5時前、先程の一幕からまだ1時間強程しか経っていない。
零弥は朝の仕事のために起きて来た馬宿の従業員を捕まえてテネシーの話から推測できる範囲で情報を伝えて彼女の家族の情報を教えてもらおうとした。
「そうですね…詳しい命日は分からないんですね?亡くなられた方の名前はテネシー=マルガリータ、ですか。…少々お待ちを。」
従業員が倉庫の奥へ引っ込んで、一冊の書物を持って来た。パラパラとめくっていくと、目的のページに辿り着いた。
「えぇ、亡くなられたのは今から約12年前ですね。死因は事故死。御家族はフォルミル共和国(アダムで言うとアメリカ大陸西部、カリフォルニア州あたり)の方ですね。」
「そのご両親に、手紙を送ることはできるでしょうか?」
「え?そうですね。出来るとは思いますが…なんででしょうか?」
当然の事を訊かれる。零弥はどうしようか迷ったが、適当に自分は親戚でテネシーとは面識があり、彼女の死を知って連絡を入れたくなったと誤魔化す。
そして、紙とペンを受け取り、テーブルに掛けると、零弥はテネシーに目配せをする。
「さ、親御さんに手紙を書こう。俺の膝の上に乗りな。」
「…うん。」
テネシーは零弥の膝の上でペンを握り、両親へのメッセージを書く。
まだ馬宿にいること、寂しい思いをしている事、零弥に出会い手紙を書くことができたこと、また会いたいこと。そして、最後には「大好きなお父様とお母様へ」と締めくくった。
この手紙を送料とともに従業員に渡した。ひと月もあれば向こうに届くだろう。
それから数刻、皆が起きて来た。しかし、テネシーの姿が見えているのは零弥だけのようだ。理由は彼女曰く「月夜の間にしか普通は見えない」らしい。
そして、朝食を済ませ、出発する前。
「それじゃあねテネシー。ご両親とまた会えるといいな。」
「…私ね、次お父様とお母様に会えたら、あの世に行きます。」
「行き方が分からないんじゃなかったのか?」
「大丈夫、きっと行けるわ。」
「そうか。なら、俺はもう行くよ。達者でな。」
「お待ちになって。」
立ち上がろうとする零弥の袖を引きとめる。
「レミ、貴方に助けていただいたこと、感謝しますわ。それと、迷惑をかけてしまいごめんなさい。あと一つ…、」
テネシーは零弥の頬にキスをする。
「……!」
「私、本気で貴方に惚れてしまいました。こんな身ですけど、あの世で貴方が訪れるのをお待ちしておりますわね?」
驚いた顔の零弥に笑いかけ、テネシーは林の奥へと姿を消した。
「お兄ちゃんそんなとこで何やってるの?」
見送っていた零弥に後ろから伶和が話しかける。振り向くと出発の準備が終わり皆集まってきていた。
「ちょっと、別れの挨拶をな。」
「挨拶って、誰にだ?」
「昨晩知り合った女の子。」
クロムの問いに悪戯っぽく笑って返す零弥を見て、伶和は何かに思い当たった。
「もしかして、また幽霊に絡まれたの?」
「また?」
伶和の言葉にギョッとするネオン。どうも昔から零弥は心霊現象に巻き込まれやすいらしい。
「で、今回は女の子の幽霊だったんだね。どんな子だったの?」
「寂しがりやのお嬢様って感じの子だよ。続きは馬車の中で話そうか。今日も暑くなるだろうし、幽霊話なら少しは冷えるだろうよ。」
馬車に向かう零弥の後を伶和が追い、他の皆も様々な表情でついて行く。
零弥の話は昨晩のものだけでなく、アダムにいた頃の体験も語り始め、思い出話という名の怪談は昼過ぎまで続いた。
その日の晩、クロムはネオンに叩き起こされてトイレに付き合わされることとなり、僅かながら零弥を恨んだという。




