旅の始まりは慎重に③
朝、未だベッドの中で微睡んでいた零弥は腹の上に軽い衝撃を受けて覚醒した。かに見えたのだが、その直後に最初の衝撃よりも重い一撃が加えられ咽せる。
「げほっ」
「パパ起きろー!」
「起きろー!」
体を起こすと1度目の衝撃の主であろう、紫の髪を二つに結い上げた少女、レーネがいた。そして、2度目の重撃の正体はその後ろでレーネと同じポーズで乗っている伶和であった。
「伶和、お前はレーネより重いんだから加減してくれよ。」
「ひどーい!」
「ひどくない。」
ぷくっと頬を膨らませるも直ぐに楽しそうな笑顔に変わり、零弥の手を取りベッドから起き上がらせる。
「お兄ちゃんが朝に弱くても起きてもらうよ!だってもう直ぐ出発だもん!」
そう、今日は旅行の出立日。時計を見ると朝の5時である。夏故に日はもう昇っている。しかし零弥は昨日は夜遅くまで馬車に荷物を運び込む作業を手伝っており事実上4時間程度しか睡眠をとっていないのだが、これだけ衝撃的な起こされ方をすれば嫌でも目が醒める。
「ささ、着替えは用意しておいたよ。早く着替えて着替えて!」
「おい伶和、ボタンを外そうとするな。そしてレーネもズボンを下ろそうとするんじゃない!」
伶和の方よりレーネの方が問題であった。なんとか引き剥がし、お使い(零弥が起きたことをセシル一家に伝えること)を頼み行かせてから、手を止めない伶和をベッドの上に投げて自ら着替えを始めた。
零弥はあまりファッションに拘りがない。その為普段の服装は専ら半袖のTシャツにデニムのパンツのカジュアルスタイルに落ち着いている。そして零弥は流れる所作でベッドサイドテーブルに置いて合った一対のリストバンドを腕に巻いた。この幾つものピンがついたリストバンドは、零弥の武器であった。
零弥は戦闘中に何本ものナイフを懐から取り出している。一見すると何もないと思わせていた袖口や襟の中からナイフが飛び出しているように見えるのだが、その実態は服の各所にナイフをリング型にして腕に巻いたり、ピンの形にして服に挿していたりして隠していたのである。
夏場においてはどうしても肌の露出が増えるということで最初は指輪型にして各指に着けていたのだが、それを伶和が見て「なんだか不良っぽい」と言われてしまい、今はリストバンドにピン型にしたナイフを取り付けることにしている。
閑話休題。兄妹が下に降りると、リン、アクト、イリシアはいつでも出られるという体で待っていた。どうやら零弥が最後だったらしい。
「すみません、お待たせしました。」
「構わんよ。どうせ数日かける行程だ、そこまで急ぐこともないさ。」
謝る零弥をフォローするリン。朝食はサンドイッチを作って馬車の中に置いてあるらしい。
馬車とは言ったがその出で立ちはキャラバンといった方が正しい。革の覆いを被せた幌馬車が2台、その後ろに荷台があり荷物は皆ここに積まれている。
「2台もあったんですね。」
「あぁ、当初は幌馬車は1台の予定だったのだが、リグニア殿が守備兵団の馬車を貸してくれたんだ。有難いことだよ。」
なんでも、クロムから旅行の話を聞いたリグニア氏が直々にアクトの仕事場に訪れ援助を申し出たのだとか。なんだかんだで息子に甘いのだなと零弥は思った。
「しかし最初は軍用馬まで貸すという話で流石にそれを私用で使うのは怖かったからね。なんとか馬車一台と荷台の援助だけで留めてもらったよ。」
なるほど確かに、二台のうち前側の一台は少し小さい。これはセシル家個人の所有車なのだとか。
しかしこれだけの荷物と馬車、さらに人間が9人乗るのだから馬の負担が相当なものになるかと思われたが、見ると手綱と蹄鉄から僅かに魔力が感じ取れた。
「もしかして、馬を魔力で強化するんですか?」
「あぁ、よく分かったね。この馬は魔法馬と言ってね、魔法による身体強化を受け付けるように訓練されているんだ。これによって通常の馬の倍以上の力を発揮できる。手綱を通して御者が魔力を与え、蹄鉄から余分な魔力を逃がすことで負担を減らすようにできているのさ。」
その分借用費も高いがね、と付け加える。
さて、余談も終わったところで準備は完了。アクトとイリシアが御者席に乗り、残りは幌馬車に乗り込むと、馬車が動き出した。
馬車は未だ人の気配の少ない街を進み、街貴族としては珍しい大きな邸宅の前で止まる。そこにはクロムとネオンが待っていた。
アクトとイリシアが馬車から降りると恭しくお辞儀をした。
「初めてお目にかかります。セシル家当主、アクティアルト=ゼラ=セシルと申します。」
「その妻、イリシア=セシルです。以後お見知り置きを。」
「初めまして。リグニア家が嫡子、クロム=リグニアです。本日はお招きいただきありがとうございます。」
貴族同士のやりとりというのは初めて見るため零弥も伶和も不思議な感じがしたが、何よりクロムが貴族然とした態度で一回りもふた回りも大人なアクト達と対等に話し合っていることに驚きを隠せなかった。
「さて、挨拶はこれくらいで。セシルさん、今回の俺はリグニア家の者としてでなく、レミの友人としての扱いで構いません。俺の事は気軽にクロムと呼んでください。」
「そうですか。それではクロムくん、よろしく。」
「はい、お世話になります。」
「私はネオン=ミクリです。初めまして。」
「よろしくねネオンちゃん。私達のことはアクト、イリシアと呼んでね。」
堅い雰囲気はクロムによって拭われ、落ち着いたところでネオンとイリシアによる挨拶が行われる。
二人の荷物を積み込んで、再び馬車を進める。今度は平民街の商人の家が多く立ち並ぶ区画へ来た。ここにフランの家があるという。
「エレク家というのは武器商の家だね。時折私の元に来る会計資料にも見かける名前だよ。」
つまり王城にも武器を卸している大手の商人のようだ。
フランの家の前には、フランとその父親と思しき大柄な人物が待っていた。
「おはようございます。私は武器商をしておりますカルストラス=クヴァル=エレクと申します。この度は我が愚息を誘っていただき感謝します。」
「おはようございます。アクティアルト=ゼラ=セシルと申します。しばらく息子さんを預からせていただきます。」
「えぇ、えぇ、息子が夏休みに友人と遊びに行くという話はなかなか聞かないものでヒヤヒヤしておりましたが、まさか貴族の子息の方々とお付き合いがあったとは驚きです。今後ともよろしくお願いします。」
「こちらこそ。」
大人の会話の横でイリシアに促されて荷物を乗せてフランが乗り込んで来る。
「フランの家って結構凄いんだな。」
「まぁ…そこそこね。でも取り立てて話すほどのことでもないよ。七光るほどのものでもないしね。」
暫くしてアクトが戻って来た。やや疲れ気味な顔なのは仕事の話でもされていたのだろう。
これで全員揃ったことを確認したところで馬車は進み、ついに首都の門を抜け、西へ向けて走り出した。
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