はじめての異世界人④
「お待たせお兄ちゃん。」
顔を上げると、試着を終えた伶和が購入する服をそのまま着た状態で立っていた。
クリーム色の長袖のブラウスに、朱色のフレアスカートであった。
「うん、よく似合ってる。他にはどんなのを買ったんだ?」
「え?他にも買うの?」
「当たり前だろう。イリシアさんの服じゃ大きいし、リンさんの服じゃ小さ過ぎるから、自分の服を用意しなきゃいけないんだぞ。」
「うーん、でも私ばっかり買ったらお兄ちゃんの分が無くなっちゃうよ。」
「俺のことは気にするな。男の服なんて悪趣味じゃなきゃ大体同じだよ。それより伶和は女の子なんだからもっと着飾らなきゃ。
仕方ない。俺も一緒に選んであげるから、もう何着か買おう?」
「…!うんっ!」
何が嬉しかったか、零弥の腕を抱いて上機嫌で他の服売場に向かう伶和は、いつぶりかの笑顔であった。それを見た零弥も、思わず顔を綻ばせるのであった。
…
城下町の中央広場から四方に伸びる大通り。そのうち東に伸びる道はマルシェになっている。他の道よりも広く、整備が煩雑であるが、それはこの通りは決まった区画で店が並ぶのではなく(もちろん場代を払うことで定常的に店を構えているものもいる)、多くは行商人などが勝手に店を構えており、見回りの衛兵を通して場代を国に支払うという形になっている。そのため賑わいという意味では日中最も栄えている区画である。
零弥と伶和は昼食を済ませた後、この東通りのマルシェで夕飯の材料を物色していた。さすが異世界と言うべきか、マルシェの店先に並ぶものは、見たことのある野菜や果物から、アダムにはまずなさそうな不思議な食材も並んでいた。
2人は今夜は魚料理にしようと話し合い、今にも動き出しそう、ならぬ今まさに水の中を泳ぎ回る魚を眺めながらどれを買おうかと悩んでいた。と言っても、悩んでた以上にいくつもある魚屋の屋台にあるそれぞれ違う個性の魚達に興味津々で話が進んでないだけだったが。
しかし、このような賑やかな場所というものは往々にして、トラブルや迷惑騒動、犯罪は付き物であった。
「誰か!引ったくりを捕まえて!」
引ったくりはこんな所なら日常茶飯事的に起きることなのだろう。
引ったくられた女性の声に気づいた警備員が追いかけ始めるが、それまでに引ったくり犯の稼いだアドバンテージが以外と大きかった。
「どけどけぇ~!!」
しかもタチの悪いことに、ひったくり犯はナイフを振り回しながら走っていて、一般人はそれに恐れをなして手が出せずにいた。
ひったくり犯はやがて零弥達のいる屋台のあたりにまで来た。そして運の悪いことに、零弥達の立っている場所には通りの真ん中にも屋台が立っており、往来が少し手狭であった。
「てめえらそこを退け!刺されたいかぁ!?」
零弥達に対し声を荒らげるひったくり犯、それに気づいた零弥と伶和、そこからの動きをコマ送りで表すと、
零弥が左腕で伶和の肩を抱くように身体を引き寄せ、
左脚を軸にして右回りに体を半転させ、男のナイフを持った手を手刀で打ち、
ナイフを落としたその手を下側から掴み、男の足を右脚で刈り取る。
最後に腕を軽く捻ると、男は空中で前方一回転。背中を床に強かに打ち付けられた。
「ったく、いきなり刃物なんか突きつけてきやがって…。伶和、もう大丈夫だ。顔を上げて。」
零弥の腕の中で目を閉じ顔を伏せていた伶和は、恐る恐る顔を上げる。背中を打ち付けたひったくり犯はその痛みと肺から空気が絞られてしまっていたため、あっという間に警備員に捕らえられてしまった。
零弥は警備員にも被害者の女性にも目をくれず、零弥は伶和を連れて中央広場のベンチに腰掛ける。
零弥が心配したのは伶和の精神状態。あの日のことがフラッシュバックしてないかどうか、確かめる必要があった。
「伶和、ここがどこかわかるか?」
「…うん、広場…だよね。」
どうやら我を忘れているわけではないようだ。しかし具合は良くなさそうである。
「どうする?家に戻るか?それとも暫くここで休む?」
「…ありがとう、少し休めば大丈夫だと思うから。」
「そっか、何か飲み物を買ってくるよ。」
「ううん、いいや。でも…」
伶和は零弥の袖を掴むと、潤んだ瞳で見上げた。
「隣に、いてほしいな…。」
そんな風に頼まれてしまえば、零弥は断ることなどできなかった。
まだ冬は抜けきっていないが、春の陽気が感じられる昼下がり、肩を寄せ合う二人の姿が通行人には眩しかった。
…
それから暫く、イヴに来てから2週間が経とうとしていた。
零弥と伶和はこちらでの生活にも慣れてきた。
昼間はアクトの書斎から持ってきた歴史書や黄表紙(漫画や絵本などの軽い読み物)、イリシアの持つ料理本や生活知識の本を読みながら言葉を勉強しつつ、イヴという世界について調べ、夜は四人で料理を嗜んだ後、劇場や夜の繁華街へ連れて行ってもらったりと、本物の家族さながらの仲で過ごしていた。
余談だが、なぜイリシアが昼間はいないのかというと、ただアクトにくっついて行き、仕事場でアクトの世話をしているからとのこと。公私混同が懸念されたが仕事場に配偶者を連れて来るというのは以外と珍しくもないらしい。
そしてこの日は、リンが補習も終えて学校から帰ってきた。
「ただいま~」
「リンさん、お帰りなさい!」
「いま夕食の準備してるとこなんで、荷物を置いてきてください。」
「あぁ…ありがとう。」
リンが何気なく言った挨拶へ、帰ってきたお迎えの言葉に、意識せずとも、リンの口元が綻んだ。慣れない生活で不調を訴えるようなことになってなくて安心したというのもあった。
夕食を囲んだ団欒の中で、零弥と伶和はリンに話を聞いていた。
「魔法って、学校で教わるようなものなんですね。てっきり、家系や師弟の間での門外不出なんて代物と思ってましたよ。」
「一部の秘奥義のような魔法なら物によっては一子相伝であったり門外不出というのも間違いでは無いが、一般的に普及している体系化された魔法は学校で学ぶこともできるよ。
でも、大体は家庭や塾で魔法の技そのものは習って、学校で教わるのは、魔法の使い方、魔力の操り方だ。そして、魔法を操るものとしての責任などもな。」
「…?魔法は誰でも使える物ですよね?魔法を操るものって、魔法を使わない人もいるんですか?」
「確かに、魔法の力は、誰の中にも普遍的に存在するものとは言われているが、誰にでも自由に使えるというわけでは無いんだ。
もちろん魔力は誰の中にも存在する。しかし、誰もが皆、同じだけの魔力を持って生まれるわけでは無いんだ。
我々の歴史の中で、魔法を行使するのに十分な魔力を持つ者は、実際のところ、世界の人口の10分の1程度と言われている。そして、魔法を扱えるほどの素質を持ちながら、それだけで生計を立てることができている者は、さらに3分の1ほどだ。」
リンは深刻な顔でそう告げた。
「故に、魔法使いと名乗れるほどの魔法力の持ち主は貴重だ。様々な場面で魔法は役に立つ。まぁ、現状魔法使いの就職先として最も多いのは騎士過程、すなわち軍属なんだが。」
「戦いのための力として、ですか。」
伶和が不安そうな目を向ける。
「仕方ない。今でこそ停戦協定を結んでいるが、未だ列強諸国の間にある問題は解決されていないんだ。当面は軍事力の増強を維持してパワーバランスを保つ他ない。そのためには強力な魔法使いを軍に迎えることが一番の近道なんだ。
それに、その傾向を強めるためか、軍属魔法使いは他の職種に比べて収入が高い傾向にある。だから将来的な安定を求める者は軍属に行きがちだということだ。」
コエンザイム皇国の世界で有数の大国の一つであるが故ののっぴきならない事情をリンはため息をつきながら語った。
「まぁ、今はそんなことより、2人には明日から魔法の手ほどきをしてやらなければな。」
学校の春休みはおよそ一ヶ月。そのひと月の間に、零弥と伶和は自身の魔法適性、基本的な魔力の扱い、そして基礎魔法をいくらか覚えなければならない。
リンは少しでも習得を早めるため、食事後から零弥と伶和に、座学で教えられる範囲での基礎魔法理論を教えることにした。
…
翌朝、リンは2人を庭に連れて行った。
「リンさん、それはなんですか?」
零弥が聞いたのは、リンが持ってきた水盆について、金で出来ているという以外なんの変哲も無いこの水盆には、すでに半分ほど水が注がれていた。
「これは魔法適性を測る方法の一つで水盆式という。名前の通り、この水盆に魔力を流すことで起きる変化からその魔法使いの魔法の性質、属性を調べられる。
それじゃあ伶和、属性とは何か、答えてみろ。」
「えっと…、魔力には属性があり、その属性によって使用できる魔法の性質が決まっている。世界的に最も普及しているのは、火・水・風・土・雷・光・闇の基本7属性に、水の派生属性の氷属性です。」
「満点だ。しかし、魔法使いの持つ素質はそれだけでは無い、基本7属性以外にも、あまり普及していない属性や、全く新しい属性を持つ者もいる。測定器を使って測る方法では、そういったイレギュラーに対応できない。
だから、魔法研究の黎明期に採用されて今もなお、この水盆式は大雑把でもなんでもわかると言う意味で使われている。」




