未来への一歩⑥
ヒビは広がりそこから繭の中を満たしていたであろう概念素子が溢れ出していた。そして、外殻が光の粒子となって弾けるように霧散した。まるで、先程見た月晶竜の子供の脱皮のように。
2人の視線の先には、月の光を浴び、輝く白い肌、アメジストのような髪と瞳の、外見からの推定年齢5歳に満たない少女が立っていた。その顔立ちは何処となくネオンに似ていた。
「…人間の…子供?」
「あれが…精霊?」
その少女は虚ろな眼をこちらに向け、何度か瞬きを繰り返すと、急にぱぁと笑顔になり、
「パパ!ママ!」
と、抱きついて来た。
…
それから暫く、その少女についていろいろと二人で検討をした結果、「精霊召喚の儀式をしたつもりだったが、何かの手違いで(おそらく)人間をベースにしたマナ生命体の少女を生み出してしまった」という結論になった。
「まさか人体練成を起こしてしまうとは…。」
「正直もうなにがなんだかで頭が痛いよ…。」
それぞれが頭を抱える。その横では少女が2人の手を握って楽しそうにしている。
なお今は零弥の上着を着ている。流石に生まれたままの姿で放置するのは(主に規制的な意味で)まずい。5歳ほどの少女の身体では、育ち盛りの少年の服は大きく、ワンピースのようになっていた。
「ねぇ、パパ、これから何するの?」
どうやらこの少女は生まれてすぐに見たための刷り込みか、はたまた自分を作った人物であると本能的に感じ取っているのか、零弥とネオンの事を親と思っているようだ。
「ねぇ、まずは…この子、どうする?寮まで連れて帰るの?」
「どうするって、置いてくわけにもいかんだろ。とにかくはやく帰ってそれから考えよう。えーと…」
零弥はその少女に声をかけようとして、名前がない事に気がつく。その事についてネオンと話したのだが…、
「…レーネ。レーネでいいんじゃないか?」
「…うん。」
疲れが限界に近くなっており、2人の名前を混ぜた名前で決定した。
暫く休んでいたおかげでネオンの足首も歩けるまでに回復し、ネオンは立ち上がる。
「レーネ、ついておいで。お家に帰るよ。」
レミがそう問いかけるとレーネはその名前が自分であると把握し、小走りで付き従った。
さて、そこから零弥とネオンはレーネを引き連れて寮まで戻るのであるが、今回の大失敗通り越して全く別種の魔法となった精霊召喚の儀式でひとつだけ、成功したことがあった。
「レーネ、寮の場所がわかるのか?」
「お家帰るんでしょ?レーネ、道わかるよ!」
そう、当初の目的、道案内の契約だけはそのまま残っており、レーネは寮まで帰る道を真っ直ぐに進み始めた。
「よかった。これで帰れるな。」
「うん…よかっ…たよ。」
ネオンの目がしょぼしょぼと瞬いている。寝ずの緊張や驚愕、不安などでストレスも溜まっており、もう眠気が限界に近いのだろう。
それからはもう御察しの通りである。零弥はネオンを背負って歩き、ネオンは零弥の背で眠り、レーネは目覚めたばかりで元気なのか、零弥を学校まで連れて行く間、終始はしゃぎ回っていた。
そして朝日は昇り、学校に辿り着いた零弥達を、リン達教師陣が出迎えたということである。
…
「…そして、道中魔物に襲われていたあの子を助けて、そのまま連れて帰ってきたわけです。」
「あの子はまだ子供だろう。近くに親がいたはずじゃないのか?」
「それが…あの子曰く、魔物に襲われた際に親御さんは…、ですので、あまり触れないであげてくださいね。今は俺たちが親代わりということになってます。」
「そ、そうか…。やはり庭は危険なのか…。」
事実そのままを話しても、信じてもらえるとは思えない上、いろいろと問題視されそうなので、レーネとの出会いの話は適当に零弥がでっち上げた。
それでも案外すんなりとリンは受け入れてくれたようだ。
「あの、先生。それであの子のことなんですが…。」
「あぁ、やはり、専用の施設に預けた方が良いのではないか?お前達もあの子の世話をしていては学業に専念できんだろう。」
そう、目下の問題はこれであった。結局レーネは誰が育てるのか。
授業がある以上、学舎までレーネを連れて行くわけにはいかない。しかし、だからと言ってレーネをどこぞとも知れぬ施設に預けるというのは、曲がりなりにも親として2人は乗り気ではなかった。
「…ラジムさん達に頼んでみるか?」
「うん、私もそれは考えてたよ。」
「頼みの綱、だな。これがダメなら施設に預けるほかなさそうだ。」
苦肉の策として、零弥達はレーネを日中は寮母宅に預けておくことに決めた。
「…それで、この子がレーネちゃんね?やーん、かわいい~!」
喜色を示し、レーネの頭を撫でるルビー。
「僕はあんまり構ってあげられないだろうけど、ルビーに任せておけば大丈夫だ。安心しておくれ。」
「ありがとうございます、ラジムさん。」
柔らかな笑顔で受け入れてくれたラジムに締め付けられる胸の痛みに耐えながら零弥は頭をさげる。
「さて、それじゃあ…」
「…や。」
「この状態をどうにかしようか。」
その言葉を聞いて、更に締め付けが強くなる。
レーネは抵抗していた。寮母宅に預けると話して以来、ずっとレーネは零弥の身体に抱きついてというより巻きついて離そうとしない。
流石に痛いので零弥は手を差し込もうとするがビクともしない。
「…困りました。」
「うん、そのようだね。」
「どうしましょう?」
「うーん…。」
困り果てた顔で零弥とラジムは苦笑いを向け合う。
今度はネオンがレーネを宥めにかかる。
「…ねぇレーネ、心配しないで。私達、いなくなるわけじゃないの。少しの間ここで待ってて欲しいだけなの。」
「…少しって?」
「夕方くらいまで、かな。」
それを聞くとまたレーネは涙ぐみ始め…、
「ヤダヤダヤダヤダヤダヤダーーー!!」
「っ…ガハッ!」
少し緩んだかと思われた身体が再び、先ほどよりも強く締め付けられ、ついに零弥がつまり掛かっていた息を吐いた。
流石にこれ以上はいけないとリンは溜息を1つ飲み込み、話を継いだ。
「わかった。こうなったらレーネの要求を飲もう。これ以上は零弥の身体に受ける被害が大きい。」
「じゃあ、レーネを連れたまま授業を受けていいってことですか?」
「ただし、私も最善の努力は尽くすが面倒はお前達が見るんだ。先生方には私から話しておく。」
「わかりました。」
どうにかレーネの締め付けを緩めて正常な呼吸を取り戻した零弥はここぞとレーネを宥めにかかった。
「レーネ、俺達と一緒に居られるってさ。よかったな。」
「…ヴん」
「ほら、わかったら降りて、ちゃんとリンさんにお礼を言いな。ありがとうって。」
「やれやれ、本来こうゆうのはきちんと締めるべきなんだが…、」
「…ありがとう、リンお姉ちゃん。」
「っ…コホン、こ、今回だけだぞ!」
何か言おうとしたようだが、レーネの「リンお姉ちゃん」という発言によって口元が釣り上がるのを止めるのに必死なようだ。
かくして、レーネは授業中は静かにしている事を約束し、教室についてくることになった。
周囲の反応は、凡そ予想通りであった。
可愛がるものは主に女子に多く、男子は多くが遠巻きに見るもの、興味無さげに演じるものに別れた。
「しかし、ネオンを探しに行ったらレミまでいなくなってどうしようかと思ったぜ。レナちゃんなんかもうパニクっちゃってよー。」
「わわわ、クロム君言わないでよ~。」
クロムの暴露に顔を赤くする伶和。目元が赤く腫れているのを見て零弥は非常に申し訳なく感じてしまった。
「そしてまさか、たった一晩の間に子供を連れて帰ってくるとは。これはどうゆうことなんだい?パパ。」
「その呼び方は茶化してるんだな?次呼んだら口を裂くぞ?」
「おぉ怖い怖い。で、実際どうなんだ?何があったんだよ。」
「どうと聞かれても、話すと長いからなぁ。冗談抜きに。」
そもそもどこまで話していいものか、その判断が難しい。月晶竜の事はリンにすら話していない。クロムのことを信じていないわけではないが、零弥もネオンも、この話題を持て余していた。
「それじゃあその件は追い追いで。で、結局のところその子どこの子?」
「こう言うのはあまり気が進まないが、ウチの子。」
「それは、なんかそうゆう設定とかそう言うのではなく、マジなレミとネオンの子供って事か?」
「経緯から考えればそう言うことなんだろうな。俺とネオンでやった魔法儀式の結果生まれた子だから…うん。」
仔細に話せば、高純度かつ巨大なマナ水晶を媒体に、ネオンと零弥の血の情報を取り込みつつ発生した魔法生物、ということになるのだが、おそらく人間のマナ生命体と言うのがもっともしっくり来る説明だろう。
「え、魔法で生まれたのかこの子。それって誰でもできるやつ?」
「後付けの考えだけど、多分偶然の産物。状況を考えると、マナ生命体と精霊の間みたいな存在なんだろうな、レーネは。
とにかく、用意すべき素材があり得ないほど珍しいもので、その上でいろんな要因が絡んでるだろうから、仮に素材を用意できても誰にでもできることではないんだろうな。」
そう考えると、非常に興味深い存在であるような気がしてきたが、調べてみようにもどうにも出来ないし、絵面が酷く非人道的なので、考えるのはよそうと零弥はかぶりを振った。




