はじめての異世界人③
その晩、セシル家の当主、アクトとイリシア=セシル夫妻は事前にある程度の連絡は行っていたのか、軽い晩餐会のような豪華な食事で零弥と伶和をもてなした。
「あらあら2人とも、もっとしっかり食べなきゃだめよ?成長期なんだから。」
イリシア夫人はそう言って零弥と伶和の空の皿を取り上げ、こんもりと山盛りに料理を盛り、2人の前に戻す。といってもイリシアは自分の料理を食べながら行っている。見てる分には勝手に盛られてる感じだ。そう、魔法でこの作業は行われてた。
零弥も伶和も、もともとの生活環境の影響か、食は細い方だ。だが食べ盛りの成長期であるためか、満腹感はあれど、料理は美味しいので箸、はないのでナイフとフォークが進んではいた。
主人であるアクトは、それを見て、
「イリシア、あまり急かすと2人ともびっくりしてしまうよ。2人とも、遠慮はしないで、食べたいだけ食べなさい。頼みや不満があればちゃんと言いなさい。この家に住む以上は、私達は家族だ。」
その言葉にリンは内心ヒヤッとしたが、零弥も伶和も気にしたり、過剰な反応をする様子はない。
「ありがとうございます。今までこんな豪華な食事はしたことがなかったので少し面食らってしまいまして…。」
「そうか、気分が悪いようでは無くて良かった。」
「フフッ。うちにはリンしか子供がいなかったし、こんな可愛い子達が来てくれて嬉しいわねぇ。」
イリシアはニコニコと、柔らかな笑みを浮かべている。リンは20代であるわけなので、それなりの年齢であるはずだが、ぱっと見では30代に突入したか否かのような印象を受ける。そしてアクトも白髪混じりの髭のせいで老けた印象は受けるが、その下にある肌や、身体からはまだ若さを感じされられた。
2人は、零弥達が突然居候するという事になっても、二つ返事で了承してくれた。それどころか、今日会ったばかりであるというのに、まるで元から家族であったかのように自然に2人を受け容れてくれていた。
この家は、アクトが官僚として働いて生計を立てている。イリシアは一応主婦なのだが、基本的にアクトについて行ってしまうので昼間はいなかったのだ。
また、今日は零弥達を引き取るために来てくれたが、リンは仕事で普段家にはいないのだそうだ。
「そういえば、なんでリンさんは俺たちを引き取ってくれたんです?」
零弥の質問を受けてリンは、フォークに刺したトマト(イヴでは名前が違うらしいが便宜的にアダム名で表す。)を皿に置き。話し始めた。
「実はな、お前達を魔法学校に通わせようと思ってな。」
「魔法学校?」
「あぁ。これまでお前達は魔法の使い方を学んでいなかったんだろう?あれだけの魔力を保有しておきながら、その才能を埋没させるのは惜しい気がしてな。
もちろんこれは私の勝手だ。お前達が望まないのならこの話はなかったことにしてくれればいい。」
リンは零弥達の不安定な魔力を制御できるようにするのが目的だと直接言ったわけではない。しかし、2人とも昨日の魔力暴走が自分たちの制御の問題だという事はわかっていた。
「お兄ちゃん、どうする?」
「別に…いいと思うよ、学校。どうせいまの俺たちじゃ、ここの事は何も知らなすぎるし、何ができるわけでもないし。
でも、いいんですか?学費とか馬鹿にならないんじゃ…。」
「そんな心配はいらないよ。リンはこの国で最も大きな魔法学校で教師をやっているし、そこは学費の多くが税金で賄われているしね。」
零弥の遠慮がちな不安はアクトによって一蹴された。それ以上は何を言おうとしてもきっと取り合われないだろう。要は、行きたいか行きたくないか、なのだと悟った。
「…それじゃあリンさん、学校の件、お願いします。」
「あぁ、任せておけ!」
…
その晩の事、零弥は夢の中で、ディオスと会っていた。どうやら、神界とのつながりがまだ僅かに残っていたようだ。
「ディオスさん…」
「久しぶりだね。そっちはどうだい?」
「魔法学校に通うことになりました。」
「とゆうことは、あの種を使ったんだね?」
「はい。でも、もしかしてあれはディオスさんが仕組んだことなんじゃないかな。とも考えているんですが。」
「ほぅ…」
「最初俺たちは、イヴの言葉が全くわかりませんでした。なぜか英語が少しだけ通じたのですが、それでも意思疎通というには程遠いものでした。
なのに、ディオスさんにもらったあの種を飲んだら、イヴの言葉が理解できるようになった。これはどう考えてもあの種のせいだと疑わざるを得ません。」
「なるほどねぇ。」
軽く感心したような声を出すディオスに対し、零弥は不信感を募らせて問うた。
「ディオスさん、もしかして、俺たちが魔法に関わるようになるって、わかってたんですか?」
零弥の問いに、ディオスは一刻の間を置いて、話し始める。
「…それについては、如何として答えられないね。肯定もできないし、否定するつもりもない。
しかし勘違いしないで欲しいのは、その選択は仮に私の思惑だったとしても、君達の選であることに変わりはない。その選択の結果の責は、君達が負うべきものだと、今のうちに言っておくよ。勿論、その選択の結果得た益も君達のものだ。」
ディオスの言葉は、零弥の望んだ答えとは違ったが、それに等しい理解を零弥に与えた。零弥はそれ以上は言葉を発するつもりもなければ、発することも許されないまま、世界は白に染まり、やがて黒に溶けていく。それが神界とのつながりが離れていく感覚だと理解するのに時間は要らなかった。
そして、視界には自らの瞼の裏だけが映っていると認識した零弥は瞼を開いたのだった。
…
零弥は朝に弱い。
比較的眠りは深いが、割といつも決まった時間に起きることはできる。だが、頭が覚醒するまでに30分以上の時間がかかるのだ。
寝ぼけた頭でも時計は読める。そして時計の針は、6時半頃を示していた。
「おはようございます…」
「やぁおはよう。」
「あら、早いのね?ご飯、ちょっと待っててもらえるかしら?」
「はい…」
イリシアはキッチンで朝食を作っている。アクトは朝刊に目を戻していた。
リンは昨晩、勤めている学校に戻った。学校はまだ期末試験が終わっていないそうで、春休みに入って補習が終わったら、零弥達の個人授業をしてくれると言っていた。
零弥は何かすることもなく、テーブルに手をついてぼーっと虚空を眺めていた。だからだろうか。アクトの話に反応するのが遅れてしまった。
「零弥君、今日はどうする?私達は仕事に行くし、リンも学校だ。特にすることがないのなら、この街を散策でもするかい?」
「…え?あー…」
「…どうやらまだ寝ぼけてるようだね。」
「零弥君は朝に弱いのね。なら仕方ないわ。お小遣いと地図を置いておけば取り敢えず困ることはないんじゃないかしら?」
目の前に置かれた朝食をノロノロと食べ始めた零弥を見て苦笑する夫妻は、そう決めると出掛ける準備を始めた。
ちなみに零弥には全部聞こえていた。ただ、聞こえていただけなので相槌程度の反応しかできなかったが。
夫妻が仕事に出かけ、零弥が朝食を食べ終えた頃、伶和が二階から降りてきた。
「おはようお兄ちゃん。おじさん達は?」
「仕事に出かけたよ。お小遣いと地図をもらったから、早く朝食を済ませて出かけようか?」
「うん。」
完全に覚醒した零弥は自分の食器を洗いながら伶和に促した。
伶和は朝食を食べながら、明日はもう少し早く起きようと思うのであった。
…
夫妻の残したメモ書きには、無駄遣いしないようにとか、夕方には戻るようにとか、基本的な注意が書かれている他に、ちょっとしたお使いも書かれていた。
『どれか好きなものを買ってきてください。』
下のリストには、肉、魚、野菜がいくらか書かれていた。つまり、夕飯に食べたいものの材料を買ってきてくれということだった。
しかしそれらの材料は、名前を聞いただけではどんなものかわからない。言葉は理解できるものの、固有名詞に関しては、未だ概念理解に及んでいなかった。
「これは、直接見てみる他ないかな。」
「異世界でのお買い物かぁ、初めて2人でお買い物に出かけた時を思い出すなぁ。」
心なしかはしゃいでるように見える伶和を見て零弥は、そういえばこっちにきて服を持ってないことに気がついた。
今日はアクトの服を借りているがどうもしっくりきていない。伶和もイリシアの服なのだが大きく、ダボついているのを見て、もらったお小遣いを数える。結構な額があり、服をいくらか買う程度にはある。
こんな格好のままいつまでも歩かせるのは伶和が可哀想だと考えた零弥は、まず服屋に行くことを提案することにした。
…
とりあえず目に付いた服屋で伶和が試着をしている間、零弥は世界地図の本を眺めていた。
どうやら、イヴの大陸的な地形はアダムと大きくは変わらないようだ。そして、現在零弥達がいる場所は、北アメリカ大陸東部、具体的にはおよそダコタ・テキサス以東ほどを占める大国、コエンザイム皇国の首都ローレンツ、アダムにおいては大体ニューヨークシティのあたりに位置する。
しかし、他の国々を眺めていると、これだけの巨大な大陸の4分の1を領土として保有するだけでも世界的に大きな国であるコエンザイム皇国を見ると、USAが如何に強力な国家であったかが改めて感じさせられた。
夢の中での対話シーンを加筆修正しました。