未来への一歩③
どうにか竜の息吹を凌いだものの、未だ脅威は去っていない。
親竜は零弥達が生きているとわかると、再びブレスを放とうと、口の中に魔力を溜め込み始めた。零弥はそれを防ぐため魔力を練るも、両者の間に入ってくる影を見た。
怪我をしていた子竜だ。子竜は親竜に向けて何かを訴えるような声で鳴いている。親竜は暫く子竜の声に耳を傾けていたが、やがて口の中の魔力を霧散させる。
《我が子を助けていただき、有難うございます。それとは知らず牙を剥いてしまった無礼、どうかお許しください。》
精霊たちと話していた時と同じ方法としても、それはあまりにも流麗な意志を持った念話であった。その見た目の荒々しさと裏腹に慈母の如き優しさを秘めた意志に、零弥もネオンも瞬きを繰り返した。
《我らは月晶竜。ヒトがマナ生命体、ルナードラゴンと呼ぶものです。》
「マナ…生命体?」
「大気中のマナが集合し、なんらかの作用の結果誕生すると言われてる幻獣種だよ。リン先生のルーツにもなってる月狐族もそう。」
ネオンの説明を聞き、そういえばそんな話を聞いたことを思い出していた。
「でも、マナ生命体はかなり珍しくて滅多なことがあっても人前に姿を現すことはそうないって聞いてたけど、なんでこんな近くに…。」
《歌の少女よ、それは少し違います。我々は、いえ、私はあなた方がそこに学び舎を建てるはるか前からここに住んでいました。学び舎の創設者であるグラネスト氏と、互いの領域には不可侵という条件でこの地に学び舎は建てられたのです。》
この森一帯は、昔からルナードラゴンの領域だった。そのため、他の脅威が近寄らない平和な場所だったために、グラネスト家はその森の傍に学校を建てたのだろう。
「…ん?ってことは、その子竜は最近生まれたんですか?」
《はい、つい先の冬の間に、この子は生を受けました。私はこの子の世話に専念するため、グラネスト氏に協力をあえいだのです。》
「なるほど、だから庭への立ち入りを禁止してたのか…。確かに、ここへ来るまで、危険そうな魔物の気配は無かった。あれは生徒を近寄らせない為の嘘か。」
納得顏で頷く零弥。しかしその横でネオンは顔を青ざめていた。
「そういえば、ネオンが歌ってたらこの子竜が滝の中から出てきたって…、」
《はい、そのようです。私達の巣はあの滝の裏にあるのですが、この子は歌の少女の歌に聴き入っているうちに外に出ようと…。ですが、この子はまだ生まれて間もないので、まだ上手く飛べないのです。》
「ごめんなさい、そうとは知らず私…。」
《あなたが気にやむ必要はないのです。あなたはこの子のそばで見守ってくれた。その上怪我を治してくれたのですから。》
「いや、治したのは私じゃなくてレミくんなんだけど…。」
「まぁいいじゃないか。子竜は無事、誤解も解けた。万々歳だ。」
零弥の言葉を受けても、ネオンは少しバツが悪そうであった。そんな中、子竜が何かを親竜に話していた。
《歌の少女…いいえ、ネオンさん。もし宜しければ、あなたの歌を、もう一度お聞かせ願えませんか?》
「…え?」
《娘が、あなたの歌を聴きたいというのです。折角です。どうか娘のお願いを聞いてあげて下さい。》
「そ、それはいいけど…、」
チラと零弥に視線を向ける。頬が赤みをさしているのは恥ずかしさ故だろう。
「恥ずかしがることはないだろう。ネオンの歌声は遠くから聞いただけでも綺麗だった。なんなら、俺も是非聴きたいな。歌ってよ、ネオン。」
「…うん。」
…
もしも、年齢、性別、生まれた国、肌や目の色、文化、価値観、そういったものが何一つ一致しない2人が、互いを理解し合おうとするならば、まずは共に歌を歌うことを薦めよう。
大事なのは鼓動と共感。胸打つ鼓動に合わせて、互いの声を重ね合わせよう。
最初は合わないかもしれない。変になるだろう。だが、何度か歌えばきっと、互いの気持ちが感じられる。互いの足りないものが見えてくる。自分が相手にあげられるものがわかってくる。
そして綺麗な歌ができた時、その時の感情こそが「喜び」で「友情」で「親愛」なのだと思う。
…
つまり何が言いたいかといえば、零弥はネオンの歌の歌詞や意味は分からなかったが、その歌声に打ち震えていたということであった。
「ど、どうかな?」
「うん、凄く良いよ!感動した!」
歌い終え、はにかむネオンに手放しの賞賛で返す零弥。その言葉に照れる彼女は、零弥の向こうの竜の親子に目を向けた。
《素敵な歌声です。そしてその歌は…、》
「お婆ちゃんに教わったんです。元気になる歌だって。」
《えぇ、その歌は『精霊の子守唄』。マナを震わせ精霊に感謝を届ける歌です。あの子をご覧ください。》
見ると、子竜の身体が震えており、身体にヒビが入っていた。
「え、えっ!?わ、私…そんなつもりじゃ…」
「落ち着いてネオン。あれはもしかして…脱皮?」
《そうですね。我々は自然界からマナを集め、十分なエネルギーを蓄えそのマナを活性化させる事で、段階的に成長します。彼女の歌はマナを活性化させる力があり、その影響であの子の成長が促されたのです。》
やがて子竜のヒビは全身を覆うと、光の粒子を撒き散らすように弾け、中から一回り大きくなった子竜が現れた。
子竜が翼を伸ばし、羽ばたかせると、足元を風が通り抜けて行った。
《あぁ、ここまでしていただいてあなた方を手ぶらで帰させるのは惜しいです。我々にできる事でよければお礼をさせていただけますか?》
そう言われてしまい、はにかみ戸惑う零弥とネオン。
「それじゃあ…あなた方の事をもっとよく知りたい。」
《その程度でしたら。なんなら私達の巣にお招きしますよ。…ネオン、あなたは?》
「えっと、その…、空を…飛んでみたいな。なんて?」
《喜んで。では、私の背中をお貸ししましょう。》
…
《それでは、行きますよ。》
月晶竜の母親の背に乗った零弥とネオン。母竜は大きく翼を羽撃かせると、猛烈な風を纏うように飛び上がった。
地上には子竜が残っていたが、母竜が何度か声をかけると、子竜もバタバタとぎこちなく翼を動かし、遂にその地から足を離した。
それを見届けた母竜は空中で反転し、空へと駆け上がっていった。その速度たるや、あっという間に谷を抜け出し、一瞬で森を貫き、振り返った時には学園を遠目に一望できる高さまで達していた。
「わぁ~!凄い!飛んでるよ!こんな高くに!」
「あぁ、もう、言葉が出ない。」
歓喜で叫ぶネオン、感動で言葉に詰まる零弥。姿は違えど、確かに2人の心は同じものを見ていた。
「はぁ…風になるってこんな気持ちかなぁ…ヘクチッ」
「おいおい、風になるなんて言って風邪を引かないでくれよ?ほら。」
零弥はAcciaioAnimaを展開するとそのマントでネオンを包む。
「うん、あったかい…ありがとう。」
ネオンはマントを撫でると振り向いて微笑みを返した。しかし前を向くと、うつむき気味につぶやくように問いかけた。
「ねぇレミくん。私の歌、どうだった?」
「どうって、良かったよ。言葉の意味は分からなくても感動した。ネオンの歌が好きだって気持ちがよく分かったよ。」
「そう…。私ね、本当は歌手になりたいの。小さい時に見た歌姫みたいに、歌でみんなに喜んでもらいたい。幸せを感じてもらいたいの。」
「へぇ。いいじゃないか。ネオンが歌姫…、うん、実に絵になる。」
「そのためにこうやって練習もしてる。
けど、お父さんはもっとちゃんとした職に就くべきだって。普通に考えたら、歌で食べていくなんてそう出来ないってことは分かってるんだ。だから進路も医師や先生を目指そうかなって。」
「でも諦めきれないんだろ?そうでなきゃこんな話はしないし、危険だって言われたこの森に入ってまで練習を続けるなんて出来ない。」
「…うん。」
ネオンはそれきり口を閉ざした。これ以上なんと言えば自分の気持ちを理解できるか分からなくなったのだ。
その余りにも自信のなさげな後ろ姿を見た零弥は、半ば無意識にネオンの頭を撫でながら話しかけた。
「目指せばいいじゃないか。」
「でも…」
「俺たち、まだ15だぞ?人生の半分も生きてないんだ。夢を追いかける時間はいっぱいあるさ。」
「でも、ダメだったら?夢を追いかけてやっぱりダメで、それから普通の人生に戻ろうとしたって無理だよ。」
「…大丈夫!ネオンの歌は素晴らしい!立派な才能だって、俺は信じてる!」
「・・・。」
ネオンの目は揺れていた。
零弥はネオンの夢を応援したくなっていた。
零弥は夢を見る事を忘れてしまった人間である。だからネオンが夢を諦める事に対して、ネオンのためを思って引き止めている訳ではない。
実際、夢を諦めて現実的な未来を目指すのも一つの手だ。何も間違った選択ではない。そもそも正しい、間違った選択などないのだから。
ただ零弥はネオンの歌を聴いて、ネオンの告白を聞いて、「もったいない」と思ったのである。もっと言えば単に零弥が「もっと聴きたい」と思っただけだった。
「俺は、ネオンの歌が好きだ。だから、ネオンの歌をもっと聴きたい。夢に向かうネオンの歌を聴き続けたい。
だからネオンには、歌をやめてほしくない。
それでも悩むなら、俺が手伝う。支えてやる。責任とってやる!」
零弥の言葉にネオンは目を丸くし、少し経つと声を上げて笑い出した。
「フ、フフッ、アハハッ。レミくん大丈夫?私、そうゆうの普通は信じないけど…、レミくんのその言葉は、騙されたと思って、信じてみようかな。」
「…そうか。」
「でも、言質はとったからね!ちゃんと責任、取りなさいよ?…なんてね!」
冗談めかした笑顔で見つめるネオンに零弥は、
「任せろ。」
と一言で返した。
…




