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夜は明けて・・・①

「はぁ…消えたい。」


 目を覚ました零弥は開口一番呟いた。

 あれから5日、零弥はあの夜のことを思い出すたびに、穴を掘って埋まってしまいたくなるような羞恥心に悶えていた。

 しかし、胸は軽かった。頭はすっきりとして、毎朝のように感じていた頭痛や倦怠感は無く、残るのはただ生理的な眠気のみであった。


「・・・このままもう少し…」

「レミ、朝だぜ。起きろ。」


 再び目を閉じようとしたところで、二段ベッドの上の段からクロムが飛び降りてきた。


「んん…まだ眠い。」

「お前な…謹慎で学校行かなくていいからってだらけるのは良くないぜ。リンちゃんから反省文の宿題出されたんだろ?」

「あんなの初日に書いて終わらせたよ。まだ出してないけど。」

「あれ出せば謹慎なんてすぐ解けるのに…。まさかわざと?」

「ん…とゆうか…。」


 口ごもる零弥を他所に、カタンという音とともに、机の上に手紙が現れた。

 どこから来たのかといえば、天井の隅に、小さな金属製の猫扉のようなものがある。飛ばされた手紙はあそこから入ってくるのだ。

 クロムはその手紙をとると、零弥に手渡す。零弥宛てらしい。

 その手紙を開けると、零弥は目の色を変えて、ベッドから跳ね起きた。


「おい、レミ?」

「伶和が起きた。」

「本当か!よかった!」


 2人は、パンをコーヒーで流し込むと、急いで制服に着替えて部屋を飛び出した。

 まだ朝7時過ぎ、部活動のない生徒は朝食を用意しているかまだ寝ているかだろう。疎らな連絡通路を駆け抜け、廊下を走り抜け、保健室に飛び込んだ。


「伶和!」

「あ、お兄ちゃん。おはよう。」


 伶和はレミとクロムを視界に収めると、にっこりと微笑んで手を振った。

 零弥は伶和に駆け寄ると、額と額を合わせた。


「お、お兄ちゃん!?」

「・・・よかった。」


 零弥は一言呟くと閉じた目から一条の涙を流し、額を離して伶和を抱きしめた。

 伶和は若干困惑顔でクロムに目を向けるが、クロムも肩を竦めて首を縦にふるばかりであった。


「…ねぇお兄ちゃん。」

「ん、どうした?」

「教えて、欲しいの。あの日の夜、何が起きたのか。」

「っ!?それは…」


 零弥は逡巡する。せっかく伶和から記憶を消して落ち着いたというのに、また、思い出させるのは躊躇われた。


「私ね、あの時のこと、全然思い出せないの。なにがあったか、どんな気持ちだったか。」


 零弥は伶和から、あの日の出来事で伶和が感じた感情記憶を取り除いた。

 意味記憶と感情記憶は相対性だ。意味記憶を思い出すには感情記憶を思い出す必要があり、風化した感情記憶は意味記憶とともに鮮明になる。

 故に、感情記憶がなくなれば、意味記憶は残っても誰かに直接教えてもらわなければ思い出すことはない。そして、もし意味記憶を思い出せば、同時に朧げながらも感情記憶が蘇る。


「5日前、お兄ちゃんがみんなに話をしていた時ね、ほんの少しだけ、ボゥッとだけど、目を覚ましたんだ。

その時、お兄ちゃんが、私からあの時の思いを消したって言ってたのを聞いちゃったの。」

「!…そうか、すまない。」

「ううん、いいの。あのままだったら、私、壊れちゃってたかもしれないんでしょ?それならお兄ちゃんは間違ってないよ。ありがとう。」

「・・・」


 目を逸らし気味だった零弥はチラと伶和の表情、正確には目を見て理解した。伶和の目は、覚悟を秘めていた。どんな記憶でも受け止めようという覚悟を。


「とても辛い記憶なんだろうってことは分かってる。お兄ちゃんにとっても、あまり思い出したくない記憶なのは分かってる。

 でもね。それでも知りたいの。蓮兄が、どうして死んじゃったのか。お父さんやお母さんはどうなったのか。

 もしも、それを完全に忘れちゃったら、蓮兄がもういないなんて信じられなくなっちゃう気がして…、最悪、蓮兄がいたことすら忘れちゃいそうで…、」


 だから、お願い。と、伶和はレミの双眸を覗き込むように見つめる。

 零弥は、自分の愚かさを恥じた。蓮がいなくなって辛いのは自分だけじゃないと、分かっていたのに、伶和だって自分と同じぐらい蓮のことを慕って、愛していたことを理解してやれなかった。


「すまない、伶和。俺は、お前のことを…。

 わかった。話すよ。あの日の出来事を。」


 零弥と伶和は、その場でクロムと別れ、寮へ、レミの部屋へと向かった。

 部屋に戻ると、ヤグモがいたが、お茶を淹れてもらってから、人払いを頼んで出て行ってもらった。


 そして、再び、あの悪夢のような出来事を、零弥は話し出した。



「そう…なんだ。蓮兄は、私を庇って…、」


 話を進めるほどに暗くなっていく伶和の顔は、再び青ざめ始めていた。

 あの時、自分が戦っていれば、誰も傷つくことはなかったのだろうか…。零弥はそんな風にも考えてはじめていた。

 零弥の顔を見ると伶和は、机に身を乗り出し、零弥の頭を手で包み込むように持ち上げた。


「お兄ちゃん、もしも蓮兄が戦ってくれなかったら、私はあのままお父さんに殺されてたと思う。

 でも、そこで蓮兄が出てきたのは、お兄ちゃんに戦わせないためだったんじゃないかな?」


 零弥は、伶和の言葉の意味がよく分からなかった。言葉としては十分理解できる。しかし、なぜ蓮はそんなことをしたのかが、今の零弥には理解できなかった。


「お兄ちゃんは、蓮兄に鍛えてもらってすごく強くなったよ。でも、だからってあの状況で私を庇ってお父さんを抑えようとしたら、お兄ちゃんでも、蓮兄でも、上手くできないと思うの。」


 現に蓮は斗真の腕を掴んで抑え込むことしかできてなかった。蓮に体格で劣る零弥が同じことをしようとすれば、当然ながら押し負けることもあり得ただろう。

 しかし零弥はそんな事で伶和を助けることを諦めるような性格ではない。


「だからきっと、蓮兄は、お母さんが警察を呼ぶのを止めるより、お兄ちゃんがお父さんに向かって私達2人が殺されちゃう可能性を止めるために…、自分の、身を呈してでも…」


 伶和の言葉は、結果論から零弥を宥めるための憶測だ。だが、零弥にとっては、それが真実だと、音を立てて心に落ちた。


「兄貴は…怒ってるかな。俺たちを救おうと、生かそうとして犠牲になってまで守ってくれたのに。勝手に…伶和を巻き込んでまで死んでさ。」

「…ねぇ、お兄ちゃん。ここに来る前、神界でディオスさんに言われた言葉、覚えてる?

 私達をイヴに運んだのは、死ぬ間際にまで強く私達を救いたいって願った人だって話。」


 零弥は…その言葉にハッとした。蓮は、分かっていたのだろうかと。零弥達がこの後、自殺を選ぶんじゃないだろうかと。


「蓮兄だよね、その人って。でも、蓮兄はきっと、私達が死んじゃうことまでは予想してなかったと思う。

 それでも、何が何でも、どんな手段を使ってでも、私達を救おうと願った蓮兄の想いは、私達をイヴに連れて来てくれたんだよ。

 だから…その…、なんてゆうか…」


 伶和はそこから先、なんと言えばいいのか分からなかった。

 一番いい結果とは言えない。斗真についてはもう手遅れだが、葵は最愛の息子を失い、配偶者が投獄、今後の人生に暗い影を落とす事になる。そもそも蓮が死んだ事も零弥と伶和にとっては耐え難い出来事だ。できる事なら回避したかった事なのだから。


「その…不謹慎ってゆうか、こんな言い方は間違ってるかもしれないけど、過去は変えられないわけで…、私達は今はこうやってここにいるから…、それは蓮兄のおかげで…」


 しどろもどろになってきた伶和。

 だがその言葉から、伶和の言いたい事は十分伝わった。零弥は大きく頷く。


「ありがとう伶和。もういいよ。

 そうだよな。兄貴の願いのこと、すっかり忘れてた…情けない。

 兄貴はいつだって俺達の幸せを、将来を考えてくれてたんだ。それなら俺達もそれに応えないと。それが、兄貴への餞になるんだから。」


 2人はにこりと微笑みを向け合うと、もう冷め切ってしまった紅茶のカップを傾けて、小さく呟いた。


「Happy rebirthday…」


 それは、一度は捨てようとした命。

 2人はその命を新たな世界に再び宿した。

 故に祝うのだ。敬愛する兄の遺志を受け取り、今度こそ幸せになれるようにと願いを込めて。

 2人の、転生の日を。


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