背を灼く記憶、目を焦がす過去①
零弥と伶和の生誕は、望まれてのそれではない、行きずりの関係からの子供だ。
父親、雪峰 斗真は当時まだ若く、就職したばかりであった。母、旧姓、神宮 葵はそれに比べればもういい歳で、2人を身籠った時、既に9歳になる連れ児がいたが、それは、当時の斗真の知るところではなく、発覚はそれからあとのことであった。
斗真はこの頃はまだ正義感と責任感のある、言い換えれば若く理想(を掲げる)的な人物であったため、責任を取るとして結婚を決めた。
しかし、この時2人は知る由もなかった。お腹の中の子供が2人いることに。
(約)十月十日が過ぎ、8月3日午後2時24分、男女の双子がこの世に生を受けた。が、名前は与えられなかった。父親も母親でさえも、それぞれの仕事にかまけて、名前を考えてなかったのだ。そして、8月10日に提出された出生届書には、名前が空欄であった。法的には、後に追完届で名前を登録すれば問題ないのだが、遂に両親によって2人の名前が付けられることは無かった。
…
2人の名前が決定したのは、誕生から約2年が過ぎたある日。葵の連れ子であった当時12歳の少年、雪峰蓮は偶々金を無心しに(と言うよりは盗みに)来ていた時、2人を世話していたベビーシッターに出くわした。
母は1年程は義務感から世話をしていたのだが、やがて自身も仕事に復帰し、2人の世話は乳児保育所や日雇いベビーシッターに預けられたのだ。父親は当時単身赴任で不在、弟妹はだいたいが保育所にいたのだから昼の間は小学校にいる蓮が2人を見る機会が無かったのは偶然とも言い切れない。
その時2人を世話していたシッターは、蓮がこの家の子供であることを知り、話しているうちに、この2人の名前が無いことを気にしている旨を話した。
蓮はその話を聞いて戸棚を調べ始めた。両親は重要書類は大抵戸棚の中にまとめて入れている。案の定、追完届が白紙の状態で出てきた。
それから数日、蓮は思いついた。両親が2人に名前をつける気が無いなら、自分がつけようと。思い立ったら吉日と、蓮は学校を早退けし、家に飛んで帰ってベビーシッターにそれを伝えると、彼女はいくらか思案したが、このまま何もしないでいるよりはずっといいと判断し、蓮の提案に賛同した。蓮はベビーシッターの助けを得ながら追完届を書き、2人の名前を決めた。
蓮は、まず、自身の名前である「レン」から2人の名前を「レミ」と「レナ」として、漢字を当てはめた。小学生の考えた名前であるが故に、画数だの縁起だのは考えなかったが、やがて、2人の名前に意味ある言葉が与えられた。
「零弥」…零とは始まり、弥とは普遍的なもの。全ての始まりを意味する名。
「伶和」…伶は広く人々の意を持つ。和は読んで字の如く、和やかさ、調和、安らぎ。その名の意味するところは、人々に安らぎを与え、調和をもたらす名であった。
蓮はこの追完届を提出するために母、葵の手を引き、役所へと向かった。
斯くして、蓮は2人の名付け親となった。そして、その時から、蓮は学校よりも2人の世話を優先するような生活になり始めた。
この一件で、その時のベビーシッターは葵によって解雇させられたが、彼女もまた、2人は気がかりだったが、蓮がいる限り、きっと大丈夫だと信じて潔く身を引いた。
これが、2人が物心つくまでに起きていたことの概要。
ここから先は、零弥の口から語られることになる。
…
零弥はまず前提として話さねばならない事を語る所から切り出した。
「まず、最初に言っておかなきゃいけないことがある。
俺と伶和は、こことは別の世界。アダムから来たんだ。」
リン、クロム、ネオンは驚愕、困惑、呆然、三者三様の反応を見せた。
「レミ、アダムっていうのは、あのもう一つの世界って言われてるあれか?」
「あぁ、そうだ。」
「し、信じられん…本当にあったのか。」
「はい。最初は俺達もイヴという世界があることどころか、神がいる事すらも信じていませんでしたから。驚きました。
…とにかく、俺達はアダムで生まれ、これまで、アダムに住んでいたんです。だから、この世界での常識、言語などは全く知らなかったし、魔法という存在も無かったから、ここに来た当初は魔法も使えなかった。」
思い当たる節が幾つかあったリンは、疑問をぶつけてみた。
「なら、どうやって言語も、魔法も使えるようになったんだ?」
「ディオスさんに、魔法が使いたかったら飲みなさいと言われた薬を飲んだんです。今思えば、あれは、この世界に順応できるようにするためのものだったんでしょうね。」
ディオス、創世神の名を気安く呼ぶことに、言い知れぬ怖れを感じながらも、3人は黙って聞いていた。
「話を戻します。俺達の親は、俺達を子供として見ていなかったと思う。3歳の頃にはすでにネグレクト…育児放棄をしていたようだし、5歳の頃、何があったかは知らないが、父親は様子がおかしくなり始め、俺達に暴行を加えるようになった。」
レミの額に脂汗が滲む。当時の事を思い出しているのだろうか。
…
当時、雪峰家は両親が共働きであった。父、斗真は一介のサラリーマン、母、葵はメディアプランナーという職種であった。
メディアプランナーの中でも民放で働く者は、実力主義の世界である。良い企画を通せばそれがそのまま昇進降級に関わることもある。
葵は、あるアイドルグループをメインとした番組企画を出したところ、それが大成功を博し、評価が急上昇、その後もその番組内で様々な企画を行い、それなりに安定した視聴率を保ち続けるという快挙を遂げた。その関係で、昇給も高く、雪峰家の家計に大きく貢献することになる。
一方で斗真は不景気の影響でイマイチ給料も奮わず、葵に対する劣等感を募らせ、やがて、薬に手を出し始めた。その所為で精神は不安定となり、やがて行き所のない怒りや不安を、零弥と伶和にぶつけるようになったのであった。
…
大きく深呼吸した後、零弥は話を続けた。
「そんな俺達を助けて、育ててくれたのは、兄貴だった。俺達よりも10も歳上で、俺達に生きる術を与えてくれた。兄貴がいたから、俺達は今まで生きてこれて、今ここにいるんだろうって、信じてる。」
目を閉じた零弥の瞼の裏には、辛い時には頭を撫でてくれて、寂しい時には遊んでくれ、父親の暴行からも身を挺して庇ってくれた、零弥にとってのヒーローの姿があった。
同時に脳裏に焼きついたあの日の記憶も思い出された。鼓膜が破れるかと思うほどの声に、目の前で噴き出す血飛沫。
零弥は慌てて頭を振って呼吸を整えた。
…
雪峰蓮という人物は、当時のクラスメイトに話を聞けば多くはこう言うだろう。
「何でも屋みたいなやつ。」
零弥達の為に金を必要とした蓮は、バイトの他に副業のようなものとして、何でも屋まがいなことをしていた。金さえ払えば失せ物探しから不良討伐まで割と本当に何でもやった。故に、不良の世界でも顔は広く、抗争に巻き込まれることもしばしばであった。
しかし、ある程度蓮と親しくしていた者たちは口を揃えてこう言う。
「蓮と関わった者は必ずあいつを認める。それだけの強さがある。体も、心も。」
はっきり言って蓮は強い。彼がその気になれば不良達の頂点にいただろう。もっとも、蓮はそもそも不良の覇権争いなんかに一分たりとも興味を示している余裕などないのであくまで降りかかる火の粉を火の元ごと叩き潰すだけであるが。
一体どこで身につけたかわからないような体術や身のこなしで、誰が相手でも、どれだけの人数に囲まれようとも、最後に立っているのは蓮であった。
それ故に、不良達の間では、喧嘩を売ってはならないランキング最上位に挙げられ、雪峰という名前や当時の風貌から、誰が言い出したか「天頂の黒龍」などと言う厨二臭い渾名まで付けられた。本人は嫌がっていたようだが。
そして、先ほど出てきた蓮と親しい者達というのは大抵が、喧嘩を売ったり、助けられたりと、蓮に何がしかの因縁のある者達ばかりなのである。
蓮はそもそも不良の争いに興味は無く、基本的な原動力は零弥と伶和のためにである。
そんな蓮の心の奥の善性に感化されるのであろうか?蓮と関わる者はいつしか蓮に惹かれているのである。
当の蓮はというと、来る者拒まずという性格ゆえか、放っておいたら、「黒龍一派」なる蓮すらもその存在を友人から聞かされるまで知らなかった勢力(どちらかというと親衛隊に近く、蓮の身辺を脅かそうという火の粉を裏で払おうという個人の集まり)ができていたとか。
何にしても、蓮は名実ともに、地元での伝説と称される存在であった。龍という渾名も、触れてはならないものへの畏怖と同時に、そこらの不良とは一段格が違う存在に対する尊敬の偶像化であったのだから、そのカリスマ性が伺えるというものだ。
…
「実質的に親に捨てられた俺達にとって兄貴は、兄であると同時に、親でもあった。
俺達の為に働いて、親からの暴力から守ってくれて、生きる為に必要なことを沢山教えてくれた。
野たれ死ぬか自殺するしか出来なかった俺達に、生きる希望をくれた人だ。感謝なんて言葉じゃ足りないくらいの大切な家族。心から信じられる唯一の大人だったんだ。」
零弥が蓮の「伝説」を知ることになるのは中学に上がってから。その頃は既に蓮は社会人となっていた。
そして、周りはなぜか自分達が蓮の弟妹だということを知っており、「5年前の伝説は再来するか」などと囁かれたが、当人達にとって見れば知ったこっちゃないの一言に尽きた。
しかし、零弥と伶和と蓮の3人が一緒にいる所を目撃されると、当時の伝説を知る高校三年生から徐々に話は広まり、再び「黒龍一派」が密かに流行り出したらしい。
「兄貴のファンだって言う人に呼び出されてさ、黒龍一派のことを知ったよ。
黒龍一派ってのは兄貴の親衛隊みたいなもんでさ、みんな髪を真っ黒に染めて、両腕に黒いリストバンドを巻くの秘密のシンボルなんだとさ。聞いた時は笑っちゃったよ。
それを聞いてよく見ればクラスメイトみんな髪を染めるまではしなくても黒いリストバンドをつけてるからちょっと引いたな、あれは。」
つい思い出し笑いをした零弥であったが、その顔は少し浮かない。
「でもやっぱりさ、そうゆうことで因縁をつけられて、面倒ごとにも巻き込まれてさ。降りかかる火の粉を払ってるだけだったんだが、それが尾ひれをつけてさらに厄介ごとを持ってくるなんて悪循環になっちまった。
まったく迷惑な話だよ。」
零弥はそこで少しの間静かになった。
この話はここまでにしようと、これ以上は余計なことまで話してしまうと、まだ、話すべきではないと。
「まぁ、それでもなんだかんだで中学2年の冬、年末年始まで、親の暴力に堪え、バイトをして、時々喧嘩に巻き込まれながらも、俺たちは兄貴と一緒に生きてきた。」
十分に薄められ、掻い摘んだ程度の話であったが、リン達にとっては衝撃的な内容で、絶句するしかなかった。
これがたった齢14の少年少女が辿ってきた人生だったと、同い年の友人が生きてきた道のりだったと。
背筋に寒気が走ったのは、きっと雨の所為だと信じたかった。
「…そして、年が明けて少し経った1月の終わり頃…全て…終わった。」




