魔法の学び舎(13)
その零弥の言葉と眼差しは、スカンジルマの恐怖を限界点にした。
立ち昇る湯気と鼻をつく悪臭が漂った。
ネオンは肩に置かれた手の存在にハッとして振り返る。そこにはクロムがいて、その後ろには、一連の騒ぎを聞きつけて多くの生徒がこの光景を眺めていた。
「ネオン、止めるぞ。」
「でもどうやって?」
「どうやってでもだ。考えてる暇なんてないぞ、ホラ。」
見ると、零弥は空いている右手を振り上げ、握りしめていた。魔力なんて篭っていない、ただの拳である。そのはずなのに、それを見た皆の頭の中で、スカンジルマの頭が叩き潰される、そんなイメージが浮かんだ。
骨が折れる音が聞こえた。殆どの人々は目を逸らしていたので、次に見た光景に驚愕しただろう。
零弥の拳は、スカンジルマの頭でなく、クロムの上腕にめり込んでいる。
零弥の腕は、ネオンが抱えており、軌道が下に向いたのだ。
そしてクロムは、手に一挺の黒い拳銃を持ち零弥の眉間に突きつけていた。
「レミ君、落ち着いて!こんなの、レナちゃんが知ったら本当に泣いちゃうよ!」
「レミ、もうやめろ。これ以上は、どっちも庇いきれねえ。このままだとお前、人間じゃあなくなるぞ?」
2人の言葉は零弥に届いただろうか?
「…ハナセ。俺達の、何がワカル?」
「わかる訳がねえだろ!!何も話さないくせに!今までは別に良かったさ。お前はこっちの余計なことを詮索せずにいてくれた。だから俺達もお前達の過去については黙ってた。
だけどなぁ!お前が今、こいつを殺そうとしてるのは、こいつがお前達の隠してた過去に触れたんだろ!?何が理由かは知らねえけどな、お前がそこまで変わるような理由があったとして、それを何も話してくれないと、こっちとしても何が良くて何がダメか!わからねえ!
こんなんじゃあ、このままお前と友達を続けていける気がしない!」
話しながらクロムの脳裏には、2年前の光景が浮かんだ。
…
入学して最初の魔法演習。魔力測定の際、クロムは国の三大名家に数えられるリグニア家の嫡男としての才能をいかんなく発揮した。高圧高密度の闇の魔力を大量に作り出せるクロムは、周りからも期待された。
しかし、暫くして、その期待は裏返った。クロムは自身の魔力をうまく制御出来なかったのだ。中級魔法の発動練習中、精錬、構築の過程までは上手くいくのだが、放出の段階で、魔力が急に言うことを聞かずに爆発してしまったのだ。
中級魔法からは、発動後の魔力の能動的な操作が求められる。その練習として出された課題は、魔力でできた円盤を使って、リングを指定の順番にくぐらせること。
クロムは、これを何度やっても途中で言うことを聞かなくなったり、爆発したりしてしまったのだ。
いくら良い素材を使っても下手な料理人には扱えない。クロムはその頃から、「三大名家の欠陥品」というレッテルを貼られることになった。
対してスカンジルマは、辺境伯の嫡男で、そこそこの貴族のそこそこの才能の持ち主であったため、最初こそクロムを恐れたが、欠陥品であるとわかってからは、徹底的にいじめの対象にするようになった。
まず、スカンジルマは周りの生徒達に呼びかけ、自分を中心としたコミュニティを作り始めた。ある程度大きくなると、そこで王様気取りの行動を取るようになる。そして、そのコミュニティにいないクロムに、嫌がらせをするようになったのだ。もちろん表立ってする訳がない。例えばクロムの席の周りに子分を配置し、配られるプリントを隠す程度のちゃちなものに始まり、1年次のクロムのルームメイトを取り込み、クロムを無視するようにさせたりもしていた。
ネオンは幼馴染だったためか、異変にすぐに気づいた。ネオンはその頃から容姿端麗、成績優秀で求心力も高く、スカンジルマもネオンが関わってくると、表立って対立はできなかったのだ。
それから3年になる今まで、この因縁は続いていたのだ。
…
もちろんこんな事を今言ったら火に油。零弥は確実にスカンジルマに再び襲いかかるだろう。だからクロムは短く語った。
「俺は、魔法が上手く扱えない。三大名家なんて言われる家に生まれておいて、魔法が下手くそなんだ。だから俺は欠陥品と呼ばれるようになった。魔法が下手くそな奴はこの学校では認められないのさ。ルームメイトですら俺を無視するようになった。
でもレミはそれを知らないから、黙っていれば友達のままでいてくれると思った。怖かったんだ、また、見捨てられるんじゃないかって。
でも違った。スカンジルマがそれをバラした時、それでもレミは俺を友達だと言ってくれて…。本当に、安心したんだ。
だから俺は、お前とまだ友達でいたい、お前の好きなものも、苦しむ理由も、知った上で付き合いたいんだよ!」
クロムはこの学校に来て初めて、自分の本当の気持ちを吐露した気がした。ネオンは幼馴染だったが、いや、幼馴染故に、庇ってくれていることが辛かった。自分がもっと魔法が上手ければ、ネオンも自分になんか構わずにいられるのに。自分の所為で、ネオンに迷惑をかけてる気がして、辛いと言えなかったのだ。
なのに、何故だろうか?会ってまだ一ヶ月ほどしか経ってない、誕生日も、好きな食べ物も知らない友人に、今自分は感情をぶつけていた。
「レミ君、戻ってきて。今レミ君は凄く辛いだろうけど、ここでこいつに復讐することは、誰も幸せにならないんだよ。もちろん、レナちゃんにとっても…。だからお願い、その手を放してあげて。」
クロムの思いが届いたか、ネオンの祈りが届いたか、はたまたその両方か、零弥の身体から力が抜けるのが2人にはわかった。
ドサリと音を立ててスカンジルマは床に落ちた。
零弥はしばらく黙っていたが。ゆらりと振り返ると、小さな声で、
「少し、頭の整理をさせてくれ。」
と呟き、教室の外へ歩き出した。
見物人の群れは、零弥から離れようと割れていき、零弥を呼び止めるものはついぞいなかった。
…
事件は風紀管理部と職員会が預かることになった。
零弥は目に見えてわかる通り、過度な暴行、器物の破壊などの対象行為がはっきりしているので、あとは職員会議で処置を決定することになる。
普通、生徒1人2人の問題であれば立ち会った職員と校長、教頭の数名で処置を測るのだが、今回は事件としての規模が大きい。特に、多くの生徒の目に触れるような事態になったことは深く問題視された。
対して、スカンジルマへの処置であるが、結果的には彼は被害者であるが、現場の人物、具体的にはネオンとスカンジルマ、そしてスカンジルマの子分達の供述を照らし合わせることで、スカンジルマの行った非人道的行為が明らかになった。
スカンジルマの自白の鍵となった零弥の魔法については、リンができるだけ触れないように骨を折ったようで、零弥の魔法の正体を知るものはほとんどいなかったと言っていいだろう。
以上のことより、数日後に職員会が下した2人への処罰は、零弥が「2週間以上のの謹慎処分。学生寮男子寮以上の活動範囲の拡大を禁ずる。」というもの。2週間以上とあるが、零弥から反省の意がうかがえるようであれば任意で通学再開が可能なようである。
スカンジルマに対しては、「一ヶ月以内の停学処分。及び自宅への強制送還。」という厳しいものとなった。伯爵家の長男が学校で騎士道に反する行為を行うという不祥事に対しての厳罰であるとのことだった。なお、通学再会には今後も面談を繰り返した上で検討するとのこと。
しかし、これらは所謂数日後の話である。時間は一旦事件当日に戻させてもらう。
その日の夕方、中等部2年C組は早退させられた。教室が使えないからだ。翌日以降は特別教室を臨時のHRにするとして対応するらしい。
事件の当事者および関係者であるクロムやネオン、子分達は寮の自室待機。伶和は医務室へ、スカンジルマは学園都市部の病院へ搬送された。
そして零弥は、行方が途絶えた。
…
「クロムさん、レモンティーですニャ。」
「…あぁ、ありがと。」
寮に戻ったクロムは、ヤグモのレモンティーを受け取り、一口すすると再び口を閉ざしてしまった。帰ってきてから数時間、この調子である。
「レミさん、どこに行っちゃったんですニャア…」
「・・・」
「頭を整理したい。」
そう告げて行方を眩ました零弥。クロムはずっと、零弥の過去について考えていた。
零弥が、あそこまで感情を顕にしたところを初めて見たが、あの怒りようは尋常ではない。あれは本当に、逆鱗に触れた、としか言いようのない怒りであった。
そのきっかけとなったのは、伶和。この事件の一連の流れを確認すると、零弥の逆鱗は、伶和の急変にあったようだ。
クロムが教室に着いた時、すでに伶和は落ち着きを取り戻し、眠りについていた。だが、あの魔力の暴走、そしてネオンから聞いた様子から、トラウマ、心の傷が開いたのだろう。では、何故心の傷が開いたのか…。
ここで、クロムは思考が止まってしまった。単純に、情報が足りないせいだ。
時計は6時半を過ぎた。雨も相まって周りはもうだいぶ暗い。クロムはもう一度ため息をついてティーカップに手をかけたその時、何かが聞こえた。
「なんの音だ?」
「ニャ?風が窓を叩いていますニャ。」
確かに、風が強ければ、多少は窓も音を立てるだろうが、クロムにはこれが自然の風の音としては少し違和感を感じていた。
クロムは立ち上がり窓辺に寄り、跳ね上げ式の窓をそっと開ける。すると、一陣の風が窓から吹き込み、風が形を持った。
《フゥ~、ひどい雨ダヨ!サンキューな!》
「お前は、風の妖精の…」
《オゥ!ご主人様からの言伝だ!「学舎、医務室に来てくれ。」ダッテサ!それじゃ、僕はこのままネオンのとこに行ってくるヨ。ちゃんと来いよ!》
「あぁ、ありがとう!」
シルフィンはそのまま姿を消した。驚くヤグモをよそに、クロムは急いで上着を羽織り、学舎へと駆け出した。
…
医務室の前には、保健医の先生が立っていた。クロムの姿を確認すると、名前を聞いてきたので答えたら医務室の扉を開けてくれた。
クロムが入ると、リンが振り返って声をかけてきた。
「来たか、クロム。」
「あれ、リンちゃんも呼ばれたのか。」
「あぁ、リンさんにも、知っておいて欲しかったから、な。もう少し、待っててくれ。」
第三者の声は、勿論零弥であった。服は厚手のタオル生地で作られた甚平とガウンの間のような服を着ており、制服はずぶ濡れでハンガーにかけられていた。
「レミ、レナちゃんの様子はどうなんだ?」
「安定してるよ。どうやら精神操作はうまく機能してるみたいだ。」
「精神操作?」
「あのまま放っておけば、伶和の心は壊れかねなかった。だから、一時的に、心の音を小さくするように伶和の精神に働きかけたんだ。」
「そんなことを…。」
「だが、レミがあの場でそれを行わなければ、伶和はもしかしたら2度と目を覚まさなくなるかもしれなかったんだ。レミの見立てでは、あと1週間は魔法の影響で目を覚まさないが、その間に起き上がれる程度には回復するだろうとのことだ。」
クロムはそれを聞いて、安心とともにさらに疑問を深める。一体、1週間も回復に要する伶和の心の傷とは?その疑問の答えを、零弥は語ってくれるのだろうかと。
…
暫くして、ネオンも到着した。
クロムが来た時と似たようなやり取りを交わし、全員揃ったのを確認すると、ずっとこちらに背を向けていた零弥は身体を向けて、話し出した。
「みんな、お願いがある。聞きたいことはあるだろうけど、一度、俺に、話させてくれ。俺たちの事、これまでのことを…。」
そして、零弥は語り始めた。
自分達の、過去。2人に刻み込まれた、トラウマの正体を…。




