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炎天下に流す雨④

 その晩の公演も好評を博し、ネオンの歌声に惹かれた客も集まり、『猫の耳』は盛況であった。

 零弥達も恙無く夕食をすませると、夜特有の騒々しさを放つ商店街を抜け、住宅街に入る手前にあるリグニア邸に立ち寄った。


「いらっしゃい!」


 門についているベルを鳴らすと、慌ただしく開かれたドアからは、いつもの侍女ではなくクロム本人が現れた。と思ったが、クロムの後ろに不満げな顔をした侍女がいたことから、どんな状況かはおよそ見当がつく。


「よぉクロム。随分と慌てた登場だな。」

「…だよなぁ。いらっしゃいレナちゃん、レミ。まぁ上がっていきなよ。」


 クロムの感情は手に取るように理解できた。

 零弥はクロムの伶和に対する感情が何かは知っている。邪魔をするつもりもないが、応援するつもりもなかった。この問題は当人同士の問題として放置するつもりだ。

 少なくとも、自身が感じることのできない感情について人にあれこれ言える立場ではないと考えていた。

 案内されたのはクロムの私室。しかし、そこには殆ど何もなかった。

 ベッドとデスクがあるものの、デスクの上に手付かずの宿題が積まれているのみ。ベッドは侍女により手入れされているのか綺麗だった。

 本棚に並ぶのは教養や帝王学、戦術書などの参考書ばかり。背表紙が多少擦り切れているものの、最近は手に取っていないのか埃を被っていた。


「クロムは、あまり家にはいないのか?」

「え?…まぁな。朝飯を食う時と寝る時以外は殆ど家にいないかも。朝帰りとかもよくするし。」


 クロムの家は首都の防衛を担う守備兵団の長であり、コエンザイム皇国のトップを担う名家である。はずなのだが、クロムはそんな事は関係ないとばかりの態度だ。

 しばらく談話していると、侍女が紅茶と伶和の作ったパンプキンパイを乗せた皿を運んで来た。

 パイに舌鼓を打ちつつ、話題は伶和がパイを焼いた経緯から零弥のバイトの話に、そしてネオンのくだりへと遡った。


「なるほど、ネオンが急にバイトを始めたと思ったらそうゆう事だったのか。ネオンのお袋さんから聞いたのはどこにいるかだけだったからな。」

「それでネオンの冷やかしついでに、伶和を昼食に誘ったけど断られたと。」

「なんでレミがそれを…」

「えっと…話したらまずかったかな?」

「い、いや、まずいわけではないんだけどね。」


 バツが悪そうにする伶和にクロムは慌ててフォローを入れた。

 それを眺めていた零弥は本題を思い出したように切り出した。


「そうそうそれでさ、最近物騒な話を聞くじゃないか。」

「物騒?あぁ、例の指名手配か。隣国からこっちに逃げて来てるらしいな。なんでもローレンツに既にいるかもとか。」

「噂の信憑性はともかく、あり得る話ではあるか。」


 事件のあった街はコエンザイム皇国との国境付近にある。逃走ルートとしては鉄板であろう。


「そこでさ、クロムにネオンの迎えに行ってやって欲しいんだよ。」


 零弥の言葉に対してクロムは不思議そうな顔をして返答する。


「レミが行けばいいじゃねえか。」

「なんで俺が。」

「言い出しっぺだろ。」

「知り合って半年もない男より、10年以上一緒にいる幼馴染の方が安心できるだろう。」

「今更零弥が実は悪いやつじゃないかなんて疑うほどネオンも馬鹿じゃねえよ。」


 これ以上突っ返しても意味はないと悟った零弥は諦めたように小さく溜息を溢した。


「…わかったよ。そこまで言うなら俺が行く。伶和、帰るぞ。」

「うん、わかった。クロム君、お茶ご馳走様。」

「あぁ、レナちゃんもパンプキンパイありがとう。美味しかったよ。」

「良かった。それじゃあまたね。」


 リグニア邸を後にするため、クロムは門まで見送りについて来た。先行する伶和の後ろで、零弥は小声でクロムに話しかける。


「お前も甘いよな。」

「なんだよいきなり。」

「なんであそこで『俺がレナちゃんを送る』って言わないのかと思ってさ。クロムが俺に行けって言った時、それが目的かと思ってたんだが?」

「いや…どっちかって言うと、ネオンにとってもレミのほうがいいかと思ったんだが。」


 繰り返すようだが、零弥とネオンはレーネの「父親役」と「母親役」であり、二人に友人以上の関係はない。

 そして、そんなことに意識を割いて、自身の恋愛には尻込みするクロムのヘタレっぷりに、そろそろ零弥も頭が痛くなりそうだった。



 場所は変わり、料亭『猫の耳』はこれまでにないほどの客を集めていた。

 晩の歌で客は集まり、賑やかさは人を呼ぶ。ネオンのような美少女に給仕と言う名の酌をしてもらえるとあらば、男どもは入れ替わり立ち替わりに席について料理を頼み、酒を飲む。

 そんな調子で夜は更け、気づけば時計は夜の9時を過ぎていた。


「ネオンさん、もう遅いのでそろそろ上がってください。」

「いいんですか?まだお客様いますけど。」

「今日の売り上げは十分です。それに貴女がいる限り客足は絶えないでしょう。」

「そ、そうですか…。」


 退勤を促すタイの顔には笑顔はあったが疲れが見えた。

 ここはひとまず彼の言葉に従っておいた方がいいと考え、ネオンは厨房に挨拶をすると着替えに向かった。


「あれ、ネオンはもう帰っちゃいましたか?」


 入れ違いに店に入ってきた零弥はタイに尋ねる。


「零弥さん、お迎えですか?」

「えぇまぁ。最近物騒なんで。」

「ネオンさんなら今帰りの準備をしてます。何か飲んでお待ちになりますか?」

「いや、結構。そこの壁を借りますよ。」


 零弥は手近にあった壁に寄りかかりネオンを待つ。タイは再び残った客の対応に走り出した。


(ここまで来る道も人通りは多かった。この様子なら、大通りを歩いて帰れば危険は少ないか。)


 零弥はそんなことを考えながらポーチからメモ帳を取り出す。そこにはこれまで学び、考え、蓄えた魔術の知識が書き連ねられている。

 これを片端から眺めていき、新たな魔法構築に関わるヒントを探すのはもはや零弥にとって癖になっていた。

 メモ帳を眺めていると頭は文字を読むことに集中するのだが、目にのみ頼る作業に集中するするとなぜか他の器官が鋭敏になる。周りの喧騒は頭の中でまるでレイヤー化されるかのように分類・分離され、彼らの会話が一つ一つ鮮明に聞こえて来る。

 とはいえ零弥は意識をそちらに向けているわけではないが、向けようと思えばできるのだろう。

 そうしてレイヤー化された喧騒の中に零弥の意識を引っ張るような会話が聞こえてきた。


「ふぅ、思ったよりはいい店ね。お酒も良いし料理も簡素ながらきめ細やか。合格よプルート。」

「お褒めに預かり光栄ですお嬢様。ですがどこにどんな耳があるかわかりません。私のことは偽名でお願いいたします。」

「あら、これだけの騒ぎの中で私達の会話を盗み聞こうとする不躾な人がいるのかしら。」

「念のためです。」


 聞こえてきたのは男女の会話。

 プルート、女の声はそう呼んだ。そして男はそれを隠そうとする。

 偶然による何かの間違いでなければ、この会話は間違いなく、あの指名手配書に書かれた二人ではないかと零弥は視線を向けずに耳を傾けた。


「わかったわ。ところでパテル、私達はいつまでここにいるのかしら?」

「明後日の夜明けに、手配した船で東へ渡ります。」

「あら素敵、それならそれまではこの街で遊んでいられるわね。」

「はい、しかしお嬢様。くれぐれも目立たぬよう。監視の目は何処にでもありますので。」

「気にしすぎよ。むしろ堂々とした方が怪しまれずに済むものよ?それに…」

「レミ君、お待たせ。」


 零弥に向け直接向けられた声に意識を引き戻される。


「どうしたの?随分険しい顔してたけど。」

「あぁ…いや、客の噂話が聞こえてな。物騒な話だと思って。

 それより、送ってくよ。行こう。」

「わかった。」


 二人は明るい街道を歩く。零弥は『猫の耳』にいたあの二人のことが気になった。


(プルート…プルート=カルロス。であれば一緒にいた女はティニー=リッツ。隣国で一晩で町を死の世界に変えた殺戮者。

 本来であれば、警察…守備兵団に通報するのがいいだろうが、迂闊に手を出せば惨劇が繰り返される。

 …確か明後日あさって、船で東へ向かうと言ったな。)

「…ん、レミ君、レミ=ユキミネ!」


 考え事をしていたこと、そして唐突なフルネーム呼びに驚き、振り返るとネオンが膨れ面をしていた。


「さっきからどうしたの?なんか心ここに在らずよ?」

「…ごめん。気になることがあって。」

「何よ、また厄介ごとに首突っ込むつもり?」

「ネオンまでそうゆうこと言うか…。」


 零弥は眉間を解す。そしてネオンの手を取り街道から伸びる一本の細い道に入り、周りを確認する。


「な、何よ急にこんなとこに連れ込んで。」

「指名手配の二人組については知ってるか?」


 零弥は声が届くよう距離を詰め、小声で問いかける。


「指名手配?あの、隣国の街を壊滅させたっていう?」

「そうだ。さっき『猫の耳』で、それらしき二人組を見た。」

「っ!?…もしかして、あの貴族っぽい2人かしら?人相書きとは随分と雰囲気が違うように見えたけど?」

「化粧や装飾で盛ってしまえば誤魔化せる部分もあるだろう?それに、女の方が男をプルートと呼んでいた。」

「…まぁそれが正しいとして、どうするつもり?追いかける?」

「…街中では危険だ。一晩で街を死滅させるなんて魔法でもなければ難しい。そんな奴がこの街で暴れたら大惨事だ。」

「賢明ね。でも、放って置けないんでしょう?レミ君って態度は冷たい癖に正義漢なんだから。」

「態度、冷たいか?」

「体温が低いっていうのかしらね?まぁ、愚痴を聞かせるにはいい相手だと思うわよ。」

「…素直に喜べん。

 ってそんなことよりも、俺もどうするのが正しいかが分からないんだ。」

「普通に考えて、クロムのところに行って、守備兵団を配置してもらうってものでしょうね。」

「…そうだな。うん、そうしよう。ありがとうネオン。」

「…それより、そろそろ離れてもらえる?私、このままじゃ動けないわ。」

「す、すまん。」


 二人は再び街道に出て歩き出す。ミクリ医院は北の街道沿いにある。大通り沿いなら大きな問題は起こらないだろう。二人は道中で路上ライブや大道芸を眺めながら、のんびりと歩いていった。

 しかし、ネオンの家に着いて、トリンの鋭い視線を浴びせられ後悔した零弥は、次からはクロムに迎えに行かせようと決意するのであった。


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