炎天下に流す雨③
夕方に差し掛かるちょっと前、零弥と伶和は料亭『猫の耳』に向かっていた。歌うネオンを見たいと伶和が言い出したので、夕食をついでにそこで済ませてしまおうというつもりであった。
「じゃあ、ネオンちゃんがステージで歌う時の衣装ってお兄ちゃんが買ってあげたんだ。やるねぇ。」
「流石にネオンと折半だよ。ネオンも最初からそのつもりだったし。」
「えー、そこはお兄ちゃんが男を見せるところだよー。」
「無茶言うな、俺の手持ちだけじゃドレス一着を全額は無理だ。」
二人が言い合いっこをしていると、店が見えて来た。
『猫の耳』は昼営業と夜営業で顔が変わる。昼営業はお洒落な喫茶店のようなイメージなのだが、この街道側の壁が雨戸よろしく取り外せるようになっており、夜は開放的なバールのようになるのだという。
さて、今は5時過ぎ、たった今夜営業の準備が出来たようだ。二人に、というより零弥に気づいたオーナーのタイ=リェンが、こちらに寄って来た。
「おや、貴方はネオンさんのパートナーの。」
「いや別にパートナーと言うほどでもないんですが、零弥です。」
「それは失礼。改めましてレミさん、今日はこちらにご用事で?」
「はい、こちら妹の伶和です。これがネオンの歌を聴きたいと言うので、今日はここで夕食にしようかなと。」
「それはありがたい!ではこちらにご案内しましょう。」
というわけでタイの案内でついた席は少し奥の方の席、目の前にはカーペットの敷かれた空間にギターがぽつんと置かれている。
「あ、そうだ。すみません、ネオンちゃんに挨拶していいですか?渡したいものがあって。」
「えぇ、今ネオンさんは裏手で休憩していますので、お連れいたしましょう。」
タイは裏手に続く扉へと二人を案内した。勿論、座っていた席には「予約席」のカードを置いて。
案内された部屋の前に立つと、タイがノックする。小気味良い音が響くと中からネオンの返事が聞こえ、小さな隙間からネオンは顔を覗かせた。
「はーい。あら、レミ君とレナちゃん、どうしてこっちに?」
「伶和がネオンの歌を聴きたいってさ。」
「そうなんだ。レーネは?」
「今日はアクトさんたちが仕事休みで預かってもらってる。」
「そっか。まぁ、立ち話もなんだし入って。」
軽い挨拶を済ませて零弥達を引き入れる。タイは店の準備で戻っていった。
「わぁ!すごく綺麗!」
「フフフ、ありがとう。」
部屋に入り開口一番、伶和は感嘆の声を上げてネオンに近づいた。
彼女は既に準備ができていたようだ。メイクも整っており、先日購入したドレスを身にまとってカーディガンを羽織っている。
ドレスは豪奢なものではない。むしろ、地味めな方ともいえる。色は黒。ワンピースタイプのシンプルなものだ。目立つものといえば、裾まわりに施されたレースの装飾と、腰回りを引き締めて背中側で結ばれた大きなリボンくらいであろうか。それも前から見ると体に隠れる程度なのだが。
しかし、一見すれば少し大人びた程度の少女趣味のように見えるデザインも、ネオンという格別の美少女が着ることで、これから始まるのは貴族の晩餐会かと思わせるほどの魔力_当然だが男を惑わせるという意味の比喩でだ_を発揮した。
「ネオンに似合うと思って買ったから当然だが、メイクが入るとさらに魅力が増すな。」
「そ、そう?メイクなんて今まで殆どしたことなかったから、これもオーナーにやって貰ったんだ。」
「前から思ってたけどあの人矢鱈と高スペックだよな。」
さて、高性能なオーナーの話はそこそこに、ネオンが尋ねる。
「それで、今日は本当に聞きに来ただけ?」
「あ、そうそう。私ね、今日パンプキンパイを焼いたからお裾分けに来たんだ。」
伶和は手元のバスケット(ドローレスに借りたらしい)からパンプキンパイを取り出した。
「いい匂い…焼きたてね!」
「うん、よかったら食べて。」
「ありがとう、歌を歌ったあとは休憩だから、その時いただくね。」
ニコリと笑うネオンは、格好・メイク、全て相まってこれまでにない美しさを放った。
(ははは…この顔からあの歌が出てくるんだよな。なんか、もうそのために生まれて来ましたと言わんばかりの人間だよな、ネオンって。)
零弥はそのような感想を抱く他に無かった。
話を聞いていて、零弥はネオンの仕事について気になる部分があったので聞いてみることにした。
「ん?休憩ってことは、その後は給仕もするのか?」
「うん、夜は歌がある日は夕方から歌って、休憩を挟んでピークが過ぎるまで働くよ。」
「歌がある日ってことは、いつも歌ってるわけじゃないんだね。」
「えぇ、金曜日はそれどころじゃないくらい忙しいからね。夜の歌は土日祝日だけ。火曜日から木曜日はお昼から夕方までのシフトで、おやつ時に歌ってるの。で、月曜日は店がお休み。」
「うわぁ、ほぼ毎日働いてるんだね。」
「まだ始めて一週間も経ってないわよ。それに、私の目的はお金よりも歌わせてくれる場所だから。自分のための修行みたいなものだしむしろ楽しいわ。」
「それはよかった。それでも、給料はどんなものか気になるな。正当な報酬だって大事だぞ。」
「時給と歌のギャラをあわせて一日30エルン強(約1万円相当)ね。」
能力給として見れば妥当なところだろう。
だが、続けて気がかりなことがあった。
「ところで、夜の営業の日は、帰りが遅くなるだろう?最近物騒な話も多いし、あまり一人で歩かないほうがいいんじゃないか?」
「そうでなくてもネオンちゃんは悪い虫を寄せやすいからね~。」
「何よそれ、私のせいじゃないし。まぁそれはともかくありがとうね。気をつけるよ。」
今日の昼間に指名手配書を見てしまったが故か、月並みな忠告はしたものの、零弥の懸念は晴れない。
ネオンがここで働くようになった原因は零弥にある。もしこれでネオンに何かあれば、親しい友人を危険に晒したことに対して責任を感じざるを得ないだろう。
(たしかクロムにもパイを届けに行くらしいし、クロムに頼んで迎えに行かせるか。)
そう考えて一先ずの結論は出した。
しかし一方で、零弥はどうしてネオンにそのような心配をしているのかが分からなかった。
(まさか指名手配犯が既にすぐそこにいるなんてこともないだろうに。)
いくらなんでも心配性すぎだと、零弥は旅行の時に伶和に言われた言葉を自身に繰り返した。
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