西より来たる黒雲
6月。コエンザイム皇国の西の隣国、モーメント共和国。
「…!これは…ひどい。」
男は吐き気をこらえ、ハンカチを口に当てて進む。
隣町が青い霧に包まれたとの通報を受けた。霧はすでに晴れていたが、それ以降隣町の人間と連絡が取れないという。
その一帯の治安を守る派遣憲兵である男は、現地の状況を確かめるために訪れるとそこは、この世とは思えぬ地獄絵図であった。
町は異臭が漂う。鼻が曲がるような悪臭であったり、原因のわからぬ激痛を伴う空気であった。
道端に倒れる死体があったため確認する。皮膚は爛れ、顔は真っ青になっていた。
窓から中を覗く。キッチンのあったところが黒焦げになっており、中は腐った卵のような匂いが充満していた。
(…長居は良くないな。)
そう判断して男は引き続き町の道を行く。どこもかしこも酷い有様であった。倒れる人々は、どれも病に伏したかのような生気のない様子である。そして不可解なのは、あちこちに鳥や犬の死体すら転がる、これだけの死臭が漂う中で、町そのものには殆ど壊れたところなどはないということだ。
(生き物だけが死に絶えた町か。より不気味な雰囲気になっている。)
そして、歩いて行くと、男は遂に一人の生存者を見つけた。
それは白衣を纏った痩せぎすの若い男。彼は導術士と呼ばれる、アダムでいう科学者にあたるものである。男は彼を抱き起すが、彼に男は見えていないようだった。また、もはや息も弱々しく、いつ死んでもおかしくない。
「あ…」
「ついに生存者か!おい、ここで一体何があった?」
「て…にー」
「テニー?なんだ、人の名前か?犯人だな?」
導術士の男は弱々しく頷くと、全ての力を失い、永き眠りについた。
派遣憲兵の男は、この町の瘴気に当てられたのか、涙が止まらなくなっていた。喉も焼けるように痛み出す。
(まずい…せめてこの事を本部に伝えなくては!)
男は乗ってきた馬の方に駆け出す。呼吸は荒く、意識に霞がかかってきていたが、懸命に足を動かし、遂に馬に辿り着く。
手早く集めた情報を手元の手帳にまとめて本部へと走り出した。
…
「なるほど、それで?その派遣兵はどうしている?」
「ここに来る道中で倒れ、他のものが情報を書いた手帳を持って本部へ。当人は先ほど医療機関で息を引き取りました。」
「なんということか。彼の意思は引き継がねば。犯人の特定は済んでいるのか?」
「はい。情報がこちらに渡って直ぐに、ゾーン派遣部隊長の指示で現場の調査を行いました。町民のリストを見つけ、死体の情報と照らし合わせたところ、町長の娘であるティニー=リッツとその専属執事プルート=カルロスの行方が分からなくなっているとのことです。」
「ゾーン派遣部隊長は相変わらず仕事が早い。
あいわかった。この両名を容疑者の最有力候補として、広域指名手配を出すことを許可する。
それと、現場の町はコエンザイム皇国との国境に近い。そちらの守備兵団にも情報を回して協力を求めるよう伝令を送れ。」
「それであれば、政務部へ一報を送りましょう。」
「だめだ。やつらに伝えたらコエンザイムに貸しを作りたくないなどと抜かして揉み消そうとする。
この犯人は危険だ。一晩で町一つを死の世界に変えることができる。国の利権争いなどで調査を滞らせるわけにはいかん。次の被害が現れてからでは遅いのだ。」
もともと熱血漢ではあるが、憲兵団長はいつになく正義に燃えていた。
「事態が政務部に伝わらないように部隊に箝口令を敷きつつ、冒険者ギルドを通して指名手配書を広めるのだ。罪状は「殺人」で構わん。コエンザイム皇国にも事を公にしないようにと念を押すのを忘れるな。」
「はっ!かしこまりました!」
しかし、これより1ヶ月が経過するも容疑者両名は発見されなかった。
箝口令を敷いたとはいえ人の口に戸は立たぬという諺通り、やがてこの事件は噂となって両国全体に広まる。
なお、無辜の人々を思いやった憲兵団長はその後、国に相談する事なく隣国に自国の問題を露呈したことで責めを受け、辞職に追い込まれたという。
…




