幕間~ミクリ家お宅訪問~①
コエンザイム皇国首都ローレンツ。中央広場から四方に伸びる大通りは東にマルシェと湾港、西に商店街、南北に伸びるメインストリートの北の端には皇帝の座する宮殿が立つ。
中央広場は四方からあらゆる人々が行き交い、所々に無断の露天商が警備兵に聴取を受けていたり、路上ライブでお捻り頂戴している者もいる。中心には噴水とそれを囲む小さな公園があり、子供が走り回ったり、歩き疲れたカップルがランチを広げる姿も見ることができる。
さて、現在時刻は午前9時。朝食の時間はとっくに過ぎ、マルシェの活気はひと段落、一方で商店街は暖簾を掲げてまさにこれからが仕事の時間となる。そんな時間の中央広場は人通りは少ないのだが、そんな中でも行き交う人々がつい目を向けてしまう少女がそこにいた。
ネオン=ミクリ。15歳。アーモンド型の大きな目に海の青を思わせる瞳、ツンと立った鼻にふっくらとした唇、細く柔らかな桃色の髪は最近伸ばしているらしく後ろで小さなポニーテールにしている。年相応の少女のような顔立ちにも関わらず、豊満なその身体は既に女性としての形を成しており、やや着丈の短い裾から真珠のような肌がちらりと見えて蠱惑的な魅力を放っていた。
彼女は噴水の近くの花壇に腰を預けて本を読んでいる。口ずさむ鼻歌は最近流行りのバンドのデビュー作であった。
さて、誰が見ても魅力的なその少女に声をかけるものがいた。
「ネオン。ごめんごめん、待たせたな。」
その少年はこの辺りでは珍しい黒髪黒瞳、肌も日に焼けているのかほんのり浅黒い。その少年、雪峰零弥は普段通りのデニムパンツに半袖のカッターシャツを着たシンプルスタイルである。
観衆の目というのは正直なもので、彼女に親しげに声をかける男が現れたと思ったら、チラリと流し見るものまだおれども、あからさまに彼女を見る目はぐんと減った。
「ううん、大丈夫。約束の時間ぴったりだよ。」
「そうか、よかった。」
「それで、レミ君からわざわざうちに来たいなんてどうしたの?」
ルミナム山への旅行から帰ってきて3日ほど経ち、零弥から風の精霊シルフィンを通してネオンに連絡が入った。
『両親がいるときにネオンの家にお邪魔したい。』
たったそれだけの短いメッセージ。ネオンは訝しみながらも時間と場所を指定して返事を返したのだ。
「ほら、ネオンの家って病院だろ?それなら医術書があるんじゃないかなって。それを読ませて欲しいんだ。」
簡潔に目的を告げる零弥。取り敢えずそこまでは理解したと首を縦にふるも、まだ背景が見えてこなかったのでそこも聞くことにする。
「最近、魂属性魔法の開発に行き詰まっててさ。俺の魔法って、魂を介して間接的に生命を操ることができるだろう?医療知識があればより効率的な運用ができるかもしれないって思ったんだ。
だけど国立図書館に行っても医術書は一般公開されてなかったんだよ。」
「なるほどね。そこで医師なら医術書を持ってるはずだから私に白羽の矢が立ったってわけね。」
この世界は、医療知識というものは非常に価値が高いものである。だが、半端な知識で悪用されると困るといった観点から、医術書は、医師以外には読ませてはいけないという風潮がある。
そのため、あらゆる書物を保有する国立図書館においても、医術書の閲覧には国より与えられる医師資格が要求される。
また、そのように希少価値が高い文献であるため医術書は一部の闇市場では金貨単位の値段がつけられているともされ、病院に盗みに入るものの主な目的は本棚であると言われている。
「まぁ、医術書に関してはお父さんに聞いて見ないとわからないかな。ところで、なんでレーネもいるの?」
ネオンが気にしているのは零弥の背中に張り付いている紫色の髪の幼女、レーネ。
「うん。ネオンの家に行くって言ったら付いてきちゃったんだ。やっぱり…まずいかな?」
「申し訳ないんだけど、うちのお父さん、かなりの親バカで、私がクロム以外の男の人と話をしてるだけで不機嫌になるような人だよ?」
「うーん、これは前途多難だなぁ。でも宿題中の伶和に任せるのは悪いしなぁ。リンさんは急な仕事が入ったって学校へ行っちゃったし。」
「クロムも積極的にレーネを世話してはくれないでしょうね。フラン君は?彼なら喜んでやるでしょう?」
「姉から逃亡中。」
「あぁ、そう…。」
フランの受難は終わっていなかった。今はどこで身を隠しているのか、それとももはや何処か遠くへ逃げたのか。そしてそんな状態で宿題は終わるのか。
「…ハァ、仕方ないわね。出来るだけお父さんとは関わらないようにしましょう。」
ネオンはレーネを連れて行く覚悟を決めた。
…
ミクリ診療所はメインストリートの北側の隅にある。その立地から、利用者の大半は貴族階級以上の者達である。リグニア家の掛かり付け医としての立場もここから始まり、クロムとネオンの関係の始まりでもあった。
「ただいま。」
「お邪魔します。」
軽快なベルの音を鳴らして扉を開く。二人の声を聞きつけて一人の女性医師が現れた。
「おかえりネオン。あら、そっちの男の子はもしかして先生の?」
「その節はお世話になりました。改めまして、俺の名前は零弥=雪峰といいます。」
「私はネオンの母のヘリアナです。あれから元気にしてた?」
「えぇ、お陰様で。」
「そっか、レミ君たちは最初うちに来てたんだっけ。」
「そうよ。レミ君と妹さん…レナちゃんで良かった?二人がここに運び込まれた時は怖かったわ。まるで死体のようだったのよ。呼吸はあるのだけど、体は冷たいし痩せ細ってたし、何より生気が感じられなかった。
医師がこう言うのは良くないんだけど、まるで魂が抜け落ちてしまっているかのようだった。」
ヘリアナの言葉にどきりとする零弥。実際あの時零弥と伶和の魂は体から離れていた。
一方で、体が冷たかったのは彼らが冬の川に飛び込んだからで、痩せ細っていたのは今に比べれば遥かにQOLが低かったことを考えると、魂が抜けたことによる症状は主に生気が失われると言う部分だけだろう。だが、魂が無ければ生命力が失われるというのは、荒唐無稽な話ではないだろう。
「でもそれも過ぎた話ね。今が元気ならそれでいいわ。
っと、こんなところで長話も良くないわね。診察に来たわけではないんでしょう?こちらへいらっしゃい。」
「ねぇお母さん、お父さんは?」
「回診に出てるわ。」
ホッとした様子のネオンを背に、ヘリアナはキビキビとした動きで案内を始める。キャリアウーマン然とした格好いい女性であった。
「カッコいいな、ネオンのお母さんは。」
「少し真面目過ぎて厳しい時もあるけど、尊敬してる。」
「それ、いいな。」
呟くような零弥の言葉にネオンは少し戸惑う。「いいな」と言うのはただの肯定だろうか、それとも羨んでいるのだろうかと。ただそれを口にすれば藪蛇だろうと考えると次の言葉が出てこなかった。
だが、零弥が続けた話によって杞憂に終わる。
「俺の親は兄貴だったから、母親ってのはよくわからない。けど、ネオンが尊敬するって言う以上はいい母親だったんだろうなって思うよ。」
「…うん、ありがとう。」
「ネオンは母親似なんだな。真面目で、自分の芯をきちんと持ってる。それに綺麗だし。」
「ちょ、ちょっとレミ君?」
唐突な褒め殺しにネオンは顔を赤くする。
零弥は、前を歩くヘリアナの耳がピクピクと動いているのに気がついて、なんだか面白くなってきたので敢えて少し声を大きくした。
「事実だろう?ネオンの成績がいいのは真面目な証拠。権力に屈さないで自分の意見を持つ芯の強さもある。どんな時もクロムを見捨てなかった優しさは父親譲りか?」
「~っもう!レミ君、もう!」
流石に恥ずかしさが過ぎたか、ネオンは零弥の肩を掴んで揺さぶって止めようとする。
「ところで、さっきから少し気になってたんだけど、その子は何かしら?」
ヘリアナの言うその子とは十中八九レーネのことだ。さっきから大人しいと思ったら寝ていたようだ。
「レーネです。故あって俺が預かってるんですよ。」
「そうなの。 レミ君がお父さん代わりなの?」
「えぇ、そうゆうことになります。」
「それならネオンがお母さんになるのかしらね?」
「ちょっとお母さん!何いきなり言ってんの!?レミ君とはそんなんじゃないってばぁ!」
「騒がしいな。」
声を荒らげるネオン、一方で落ち着いた雰囲気の低い声が背後から聞こえてきた。




