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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第1部 修復士と黒竜
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09 修復士と古式魔術



 翌朝――。


「ふあ~」


 最低限の身なりを整えたヴィゼは、大きなあくびをしながら食堂へ入った。

 足を踏み入れてすぐ、彼が目に留めたのは、黒い印象の少女。

 クロウはヴィゼが気付く前から彼に気付いていて、かすかな微笑みを浮かべていた。


「おはよう、あるじ」

「おはよう……」


 ヴィゼは何だか、無性にむず痒いような気持ちになった。

 ああ、クロウがいる――と、そんな当たり前の感想を胸に零す。

 彼女が夢でなかったことが嬉しかった。

 消え去ってしまっているようなことがなかったと、安堵した。

 あるべき場所にあるべきものがおさまったような、感覚――。


 ――僕はやっぱり、クロウとあの子を同一視しているのか……?


 それは良いことではない。

 ヴィゼは難しい顔になりかけたが、クロウの視線が変わらないのを認め、ぎこちなく笑った。


 クロウの華奢な腕には皿が抱えられており、どうやら朝食の支度を手伝っていたようだ。

 奥からはパンを焼く良い匂いがしてきており、ゼエンが朝食の準備を進めているのが見ずとも分かった。おそらくその隣で、ラーフリールも手伝いをしていることだろう。


 それにヴィゼは、寝癖も適当に直してきた自身が、何だか恥ずかしくなった。


「なんか早速手伝ってもらっちゃってるみたいで、ごめんね……」

「構わない。わたしは、新参者の下っ端なのだし」

「下っ端、って……」


 ヴィゼが苦笑を浮かべていると、「おや」という声が奥からやって来た。


「おはようございます、リーダー」

「おはようございます」


 朝食の乗った皿を抱え、ゼエンとラーフリールが並んでキッチンから出てくる。

 ヴィゼは二人に挨拶を返したが、続いたラーフリールの無邪気な言葉に凍りついた。


「ヴィゼさん、今日はまともですね!」


 その台詞にゼエンは目を細め、クロウは訝しげに眉を寄せる。

 ヴィゼがどう答えたものかと引き攣った笑いを浮かべた時、後ろから明るい声が響いた。


「皆、おっはよー! あれ、めっずらしいなぁ、ヴィゼやんが普通の顔でこんな早ように」

「はよーっす。おおヴィゼ、新入りが気になって早くげぼっ!」


 家族揃って余計なことしか言わない、とヴィゼはゼエンの持つ皿からパンを引っつかみ、エイバの口に突っ込んだ。

 エイバ・レヴァーレ夫婦の朝は早く、二人はそれぞれロードワークをしたり、体を動かすことを早朝の日課としている。

 しかし体を動かしてきた後の爽やかな顔を一転させ、エイバはパンに噎せた。そんなエイバにレヴァーレはやれやれと笑って、水の入ったコップを差し出してやる。


「あるじ……、」


 いつもヴィゼの朝はまともではないのか、と聞きたげなクロウの視線に、彼は嫌な汗を流した。

 穏やかな声でフォローを入れてくれたのは、ゼエンである。


「リーダーは研究熱心で、遅くまで起きていることが多いのですよ」

「研究?」

「ええ。徹夜していることも多いですなぁ。そういう時は目の下にクマをつくって、ふらふらとここに」


 フォローかと思われたが、柔らかな糾弾だった。

 ゼエンの細められた目は、実際のところ笑ってはいない。

 クロウも非難の色を浮かべて、ヴィゼを見上げた。


「あるじ……」

「……体は資本、規則正しい生活を送らなくちゃね」


 ははは、とヴィゼは笑って誤魔化す以外に手段を思いつかなかった。

 クロウから目を逸らし、彼は席につきながらわざとらしく言う。


「さ、朝ごはんにしよう! パンが冷める」


 クロウの登場でヴィゼの生活が少しは改善されればいいがと、他メンバーは期待した。

 彼は度々根を詰めることがあって、皆心配しているのである。




「……あるじは一体、どのようなことを研究しているのだ?」


 各々が席について食事が始まったところで、気になっていたのかクロウは首を傾けて尋ねた。

 ラーフリールがもふもふとパンを堪能する脇で、大人たちはクロウの疑問に意味深な視線を交わし合う。

 それを横目にサラダをのみこみ、ヴィゼは答えた。


「……大雑把に言うと、古式魔術の研究」


 古式魔術とは、魔術式を用い術者の望む結果を生み出すものである。

 魔術式は古文字を用いて記述される。何を望むのか、それをどこに具現化するのか、提供する魔力量はどの程度か、など記述を加えることでより厳密に魔術の発動を行うことができた。


 一方、現代で言う一般的な魔術は、正確に言えば無式魔術。つまり魔術式を使わない魔術だ。

 無式魔術が一般的である理由は、発動時間の速さにある。

 その分やや発動の安定に欠けるが、そこは訓練で補えるし、魔物に攻撃するだけならばそうそう細かい指定は必要なかったりするので、大抵の魔術師は無式魔術を使うことが多い。


 ヴィゼは無式魔術の使い手としても高い実力を持っていたが、古式魔術に関してはさらに、他の追随を許さないほどだった。

 それは彼が、十年以上も古式魔術の研究に携わってきたからである。


「もっと言うと、」


 と、古式魔術研究者は続けた。


「現在では失われてしまったとされる魔術の、研究――」


 それは、とクロウは眉を顰める。

 何となく憚られて、小声で彼女は言った。


「まさか……、皇帝アサルトが消し去った?」

「そう――」


 ヴィゼは困ったような顔で頷く。


「胸を張って言えることじゃないんだけど……」


 五百年前に解体した、帝国ヴェントゥス。

 大陸の約半分を領土とする、豊かで強大な国だった、という。


 その最後の皇帝が、アサルトだ。

 巨大な帝国を治めるカリスマ性と聡明さを持ち合わせ、美丈夫で、当代最強の魔術剣士だったとして有名な人物である。


 彼には多くの逸話があるが、その中でも、知らぬ者は赤子だけとも言われるものがある。

 アサルトが召喚魔術で白竜を呼び出し、その竜と恋に落ちて、姿を消したという話である。

 彼は白竜と姿を消す際、召喚魔術で探されぬよう、呼び出されぬよう、それに関する資料等をほとんど全て消し去っていった。


 暴挙であった、とそれを誹謗する歴史書は多いが、皇帝にはもう一つそれを為さなければならない理由があった。


 幻獣がこちら側――エーデにあれば、それに引き寄せられるようにナーエが近付き、境界が綻びやすくなると、当時明らかになったのである。

 召喚魔術によって綻びを生まないために、アサルトはそれを消し去ろうとしたのだ。

 元々マイナーな魔術だったため、それにより召喚魔術は途絶えた。

 他にもいくつかの魔術がその際に失われたと言われる。


 ヴィゼが研究対象とするのは、召喚魔術をはじめとする、それらの失われた魔術。

 それを彼が大声で言えないのは、アサルトの行動の理由を考えれば当然のことであった。


 <黒水晶>の面々はヴィゼがそれらの古式魔術を悪用しないと分かっているし、彼の慎重な姿勢を知っているから鷹揚に構えていられるが、良識ある第三者なら咎める方が普通だ。


「クロウ……、」


 軽蔑されたか、それとももっと悪い感情を抱かれたか、とヴィゼは危惧する。

 他のメンバーもクロウに注目し、彼女の反応を心配した。

 クロウの顔色が悪くなったのは明らかだった。

 ヴィゼはその理由に恐れを覚えながらも、さらに続ける。

 この先の内容も、クロウに言わなければならないことだった。


 ――僕の方こそ、昨晩ちゃんと言っておくべきだったか……。


 そんな風に、思いながら。


「例の廃城の依頼を引き受けたのも、古い魔術資料を手に入れるためなんだ」

「残存、していたのか……?」

「その可能性がある」


 ヴィゼは首肯した。


「あの城は五百年以上前からあそこにあって、そもそもは魔術研究に使われていたらしいんだ。だから城ごと破壊した方が確実なのに、アサルトはそうしなかった。綻びができやすいあの場所に、魔物を閉じ込めるための城を残しておく必要があったのも理由の一つだろうけど、それだけじゃなくて、さすがに貴重な知識を全て無に帰すのは躊躇われたんじゃないかな。当時の城の管理者は皇帝と縁の深い人物だったみたいだから、その相手に守護を頼んで、あの城にあるものに関しては抹消するのではなく、封印した……。僕はそう考えてる」


 ヴィゼはそう、自説を口にする。


「根拠は他にもあって、これまでの領主は、それこそ決して第三者を城に入れようとしなかった。討伐の時も、ある一定のメンバーにしか入城を許可しなかったくらいに。そうするように伝えられてきたんじゃないかな。それは何故なのかと考えれば……、余計にね、あの城に入るチャンスを逃すわけにはいかなくなった。今の領主は代々の領主のようにあの城を重んじていないし、おそらくあの中身に重要性を感じていない。依頼遂行にあたって物品がいくらか失われてもこちらを咎めることはない、って契約だし、欲張らなければ多少の資料を持ち出しても責められることはない。でも、クロウ」


 クロウの瞳がどこか不安定に揺れたのを、ヴィゼは見逃さなかった。

 柔らかく、彼は言う。


「割に合わない仕事だ、ってことに変わりはない。僕がやってることに賛成できないのは当然のことだし、今回の仕事、気が進まないようだったら――」

「っ、あるじ、」


 驚いたような顔で、クロウはヴィゼを遮った。


「わたしは、そのようなこと……」


 その否定が、ヴィゼには嬉しかった。

 一方で、彼は自嘲を覚える。

 ヴィゼのことが嫌になったかと、離れたく感じるかと、問えない自分の臆病さに――。


「むしろ、あるじが望まれることなら、わたしの力を役立ててほしい」

「クロウ……」


 先ほど垣間見えた躊躇のような色を消して、クロウは真っ直ぐな目をしていた。




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