21 修復士と復讐の女戦士
ゼエンたちの背が見えなくなり、しばらく歩いたところで、ヴィゼはポーチからコンパス――のようなものを取り出した。
それにエイバは、怪訝な表情を浮かべる。
「何やってんだ、ヴィゼ」
彼の不審も当然で、そもそもヴィゼは別のコンパスをその手に持っているのだ。
この森は戦士たちが頻繁に出入りするので、迷わないよう協会が印を設置してくれてはいるのだが、コンパスも必須である。
「これ、レヴァには黙っててね」
エイバの問いに直接的な答えを返さず、ヴィゼは新たに取り出したそれに魔力を流した。
ヴィゼの手の中のそれには、コンパスの針が固定もされず無造作に入れられ、さらにきらきらとした水晶の粒がいくつか一緒に入っている。
それらはヴィゼの魔力を得、定められた通りに動いた。
針が浮き上がり、ケースの中心に位置取ると、ある方向を示してピタリと止まる。
水晶の一つも硝子の蓋に張り付くようにふわりと浮いて、白濁した。
「綻びは近くに二つ。さすがだね、この森は」
「……おい、ヴィゼ」
エイバは感心したように言うヴィゼを横目で見やり、口元を引き攣らせた。
「まさか、それ……」
「うん、そのまさか」
ヴィゼは悪びれた様子もなく、針の指し示す方へ足を向けた。
レヴァに秘密、とヴィゼが言った理由が分かり、エイバは頭痛を覚えた気がしてこめかみを押さえながら続く。
ヴィゼが取り出した特殊なコンパスは、一定範囲内にある綻びを特定できるものだった。
もっと正確に言えば、それは魔力濃度の高い空間を指し示すのだ。
ナーエはエーデより魔力が空間に満ちているため、綻びがあると針はそちらを向くのである。
そして水晶の粒は、針が示す方向とは別に感知できる高濃度の魔力空間があることを教えてくれる。
針と水晶の示す違いは、綻びの大きさだ。
綻びが複数ある場合、針はより反応が強い、感知の容易い方――つまり綻びがより大きい方を示してくれるのである。
この通りヴィゼが取り出したコンパスは、非常に優れた魔術具であることに間違いない。
それに何故エイバが頭を抱えるかというと、その魔術具を魔術具たらしめる魔術式は、協会が独占・秘匿しているものだからである。
協会の独立性、国家とも対等に渡り合える力の一端はこうした魔術の独占によるものだ。
ヴィゼはもちろん魔術式を盗んだりしておらず、協会のコンパスを参考に独自で綻び特定装置を作成したのだが、もし見つかったら大変なことになるだろう。
クロウが竜であるということがばれてしまうより大変なことになってしまうかもしれない。
だからヴィゼは、レヴァーレには黙っておいてほしいと言ったのだ。
彼女の立場を慮った故の言葉だった。
自分にも秘密のままにしておいてほしかった、とその夫であるエイバは恨めしく思いつつ、恐る恐る口を開く。
「……もしかして、赤竜を相手にする時も、」
「もちろん、これで探したよ」
「……そうか」
「今回も、これで上手くいけばいいんだけどね……」
綻びのあるところに魔物はいる。
魔物がいれば、その命を奪うことを目的とするアディーユと接触できる――はずだ。
ヴィゼの考えは口にされずとも分かって、エイバは黙って頷き、リーダーの後に従った。
そうしてアディーユを――綻びを探す途中で、弱い雨が降り始める。
雨の中、二人はコンパスの示した二つの綻びを見つけたが、数頭の魔物に遭遇しただけだった。
ヴィゼたちは襲ってきた魔物を倒し、ざっと素材を剥ぎ取って、死体を処分する。
しかし、綻びはそのままにしておいた。
修復しても報酬ゼロ、ということもあるが、魔力残量の問題もある。何より、アディーユと接触するために綻びは必要だ。
いずれ協会が見つけて対処するのだからと、二人は次の綻びを見つけることを優先する。
その後しばらくコンパスは新しい綻びを示さず、有効範囲から綻びがなくなると水晶はまた底に沈んでしまい、針はくるくると回り続けた。
コンパスが再び綻びを見つけるのを待ちつつ、ヴィゼとエイバは探索を続ける。
針が回り続けるのを止めて一方向を指し示したのは、二人が簡単に昼食を済ませて少し経った後のことだった。
「こっちだ。行こう」「おう」
わずかに足の向きを変え、二人は進む。
その内、雨の匂いの中に異臭を嗅ぎ取り、ヴィゼは眉を顰めた。
「――エイバ」
「血の臭い、だな」
二人は意見を同じくし、駆け出した。
その足並みに合わせ、濡れた落ち葉と地面が音を立てる。
やがて、はっと二人は足を止めた。
目の前に、少し開けた空間がある。
そこには――血の雨が降り注いでいた。
中心にいるのは、一人の女剣士。
黒尽くめで分かりづらいが、その細身は血で濡れそぼっている。
その顔は真っ赤に染まって、生々しい。
全て、返り血によるものであった。
鮮血の持ち主は、ヘルハウンド、という名の魔物。
黒妖犬、等と呼ばれることもある。
黒い毛皮に赤い瞳を持つ、犬によく似た姿の魔物だ。
その十数匹の群れが、女の二本の剣によって、全滅しようとしていた。
いまだ生き残っているヘルハウンドは、哀れな悲鳴を上げ、必死で逃げようとしている。
対抗しようとする素振りもない。
だが、結界が彼らの逃亡を阻んでいた。
彼らの本来の棲み処へ至るための綻びはすぐ横にあるというのに、見えない壁が彼らの行く手を遮る。
結界は全方位を囲み、森の奥へ消えることも叶わない。
必死に見えない壁にぶつかる黒犬たちに、女剣士は躊躇いなく剣を振り下ろした。
その顔には、何の表情も浮かんでいない。
血への不快さも、残忍な笑みも、見苦しい魔物たちへの怒りも何もなく、ただやるべきことをこなしているという様子で、彼女は残った魔物たちの体を一刀両断した。
その剣技は、クロウのものにも似て、風のように速く、美しい。
凄惨極まる光景に、畏怖と同時に、優美で流麗な舞を目にしたかのような感動さえ襲い、ヴィゼもエイバも息を呑んでただ立ち竦んだ。
その視線の先、女は淡々とした様子で全ての魔物が息絶えたことを確認すると、剣を鞘に収める。
結界を解き、ようやく彼女は少し離れたところにいるヴィゼとエイバに気付いた。
「……ヴィゼ殿、エイバ殿」
女剣士は――アディーユは、その時初めて表情を動かした。
わずかに目を見張り、瞬く。
「ご無沙汰しております。こちらへは、どなたかの依頼で?」
硬質だが丁寧な響き。
それは全く以前のアディーユと変わりない。
しかし、何かがひどく、おかしい。
エイバはその違和感に眉を寄せた。
妙な点は、いくつもある。
アディーユのこの、圧倒的な強さ。
復讐のために強くなったといっても異様なほどだ。
それに、彼女はこんなにも……美しかっただろうか。
以前から美人ではあった。
だが今は、それに「人間離れした雰囲気の」という形容がつくようだった。
何よりも、この気配。
アディーユのものと重なるように、もう一つ。
濃密な、闇のような。
それは、エイバのよく知る、最も不吉なものに似すぎていた。
「お久しぶり、ですね。仰る通り、依頼を受けて伺いました」
答えるヴィゼの瞳には、沈鬱で、悲しげな色がある。
「どうか、我々と来てください。アディーユさん」
「どういうことでしょう?」
「エテレインさんが、今、キトルスに滞在しています。あなたに会うためです」
アディーユの驚きは、先ほどの比ではなかった。
目が大きく見開かれる。
彼女は動揺し、唇を震わせた。
「エテレインさんはあなたに戻ってきてほしいと。それが無理でも、せめてきちんとお別れを言いたいと、我々に依頼されたんです。あなたを探すことを」
「お嬢様……」
アディーユは黒瞳を揺らした。
しかし、彼女は首をゆっくりと横に振る。
「――申し訳ありません、ヴィゼ殿。私はもう、お嬢さまにお会いすることはできないのです。その理由は……、お分かりのようですね。あなたには」
「……そうでなければいい、と思っていました」
「申し訳ありません」
もう一度謝罪を口にし、ふ、とアディーユは微笑んだ。
「お嬢様には、私はもう死んだ者と思ってください、とお伝えください。その御心に背く私を許さずとも構いません。忘れてくださっても。ただ、どうかご息災でお過ごしくださいと」
「それは、ご自身の口から語られてください」
ヴィゼは強い眼差しでアディーユを見据えた。
次の瞬間、彼の無式魔術の結界が、彼女を閉じ込める。
戻らないというアディーユの決意は、固い。
ヴィゼは問答を重ねず、実力行使に移ったのだった。
しかし女剣士はそれに、申し訳なさそうな笑みを浮かべるだけで、血に濡れたままの剣を引き抜くと、それを振るう。
「――っ!」
ヴィゼは息を呑んだ。
ヴィゼは決して、油断をしていたわけではなかったし、手心を加えたわけでもない。
それなのに、彼女の二本の剣を前に、彼の結界は容易く壊されてしまったのである。
ヴィゼはすぐさま、さらに強度を上げた結界を張ろうとした。
しかし、それよりも速く。
アディーユが、飛び上がった。
跳んだのではなく、飛んだのだ。
その背に、黒い蝙蝠のような翼を生やして。
ヴィゼは驚くよりも忌々しく、舌打ちした。
森の上方に障壁を張り、彼女の逃げ道を塞ぐ。
「エイバ!」
驚愕のあまり動けずにいたエイバも、ヴィゼの叫びにはっと我に返り、その意を受けて跳躍する。
彼も、人の身ではありえない高さまで、跳んだ。
魔術、ではない。
彼は魔術を発動させられるほどに己の魔力を使うことができないのだ。
だからそれは、エイバの体が尋常ではない、ということだった。
ヴィゼもブーツに仕込んだ魔術で跳び上がり、エイバと共にアディーユを追い込もうとする。
しかしアディーユは、強固に編んだはずのヴィゼの障壁を再度、何度か剣を振るうことで打ち壊したのである。
彼女がその翼の力を全力で使えば障壁や結界で止めることは不可能で、凄まじいスピードで彼方へと飛び去ってしまった。
「……くそ!」
着地したヴィゼは、思わず声を荒げる。
エイバも苦虫を噛み潰したような顔で、残された魔物の亡骸をただ見つめた。
雨避けのための障壁は、いつの間にか消えている。
二人はしばらく雨に濡れたままでいたが、やがてエイバは重たそうに口を開いた。
「ヴィゼ……、アディーユさんは、“呪い”を、受け入れたんだな」
その問いを、最早否定できない。
ヴィゼはのろのろと顔を上げ、無言で頷いた。




