02 修復士と黒の少女①
「くっそ、この数とんでもねぇぜ……!」
<黒水晶>は四人だけのクランだが、四人が四人とも精鋭であり、熟練者だ。
全員が二つ名持ちでもある。
その四人の連携で、これまで数々の魔物を倒し、依頼を遂行してきた。
そんな四人であるのだが……。
廃城をそう進まぬ内に、撤退もできず、混戦のような状況に陥ってしまっていた。
決して油断していたわけではない。
ヴィゼが楽観的にしていられなかったのと同じように、他の三人も常以上に警戒していた。
それなのに、慎重に行く彼らを嘲笑うかのように、想定を超える魔物が湧くようにして四人を取り囲んだのだ。
前からも後ろからも次々と襲いかかってくる、濃い色の肌をした奇怪で醜悪な小人――ゴブリンの群れを、大剣で一気に薙ぎ払いながら、エイバは舌打ちした。
その隣で、ゼエンも黙々と、細剣と魔術で確実に敵を屠る。
確実に数を減らしているはずなのに、一向にゴブリンの勢いが衰えないのに、四人は焦りを覚えていた。
ゴブリンは魔術を不得手としていて、強力な魔物ではないが、こうも周りを囲まれてしまっては進めもしなければ戻れもしない。
レヴァーレの防御障壁のおかげで、メンバーに怪我がないのが唯一の幸いだ。
「これ、まずない? このゴブリンの数、かなりの綻びや」
「そうだろうね……」
世界の境界、その綻び。
それは大変な問題なのだが、それより今は、死体の山でますます身動きが取りづらくなっていて、ヴィゼは頭が痛かった。
そんな彼の足下にも、魔術で仕留めたゴブリンの死体が転がっている。
さてどう切り抜けるか、とヴィゼは複数の策を頭の中で検討した。
このまま四人だけで進むのは危険すぎる。一旦城の外に退避したい。
壁をぶち壊してもよければな、とヴィゼは、自分たちが逃げるだけであれば一番早く済む方法をちらと考えた。
そうすると魔物たちも外に放たれてしまうが、そうなれば城の中身を気にせずに魔術を使える。
しかしこの廃城には、魔物が外に出てしまわぬよう、魔術式で半永久的に固定された結界があった。過去の領主が作らせたその結界はかなり貴重なもので、城を壊してそれを使えなくしてしまうのは惜しい。
何より領民を傷つけまいとしたこれまでの領主らの行いを無にはしたくないし、領民を守りたい思いはヴィゼたちも同じだ。
それ故に、ヴィゼは城に穴を開ける方法を却下した。
――とはいえ、撤退するだけなら、遠慮なくいこうか。
「一度引き上げよう。退路を作るから、隙を逃さず扉まで走って!」
ヴィゼは声を上げて仲間たちに告げ、自身が決めた通りに魔術を行使した。
次の瞬間、ヴィゼたちを中心に突風が生じ、生死に関わらずゴブリンたちの体が吹っ飛ぶ。
何匹か壁にぶつかったり、互いにぶつかり合ったりして、城内の凄惨さが増した。
それを気に留める暇はなく、ヴィゼは次いで氷の壁を生じさせる。
撤退を邪魔されぬよう、氷の壁で通路を確保したのだ。さらに床にも氷を広げ、ゴブリンたちの動きを封じた。
――さすがに魔力消費が激しいな……。
風に続けて大量の氷と、これほどに魔術で何かを生み出すのはそうないことで、ヴィゼは顔を顰める。
だが、その程度で済んでいるのは、ヴィゼの魔力量が常人と比較して相当なものであるからだった。
一般的な魔術士であれば、これほどの量の氷を生み出す前に魔力不足で倒れている。
「リーダー、」
「大丈夫」
ヴィゼの魔力保有量の多さは仲間たちも当然承知のことだ。
それでも走りながら気遣わしげな眼差しを寄越され、ヴィゼが返した、その時である。
大きな音を立て、高い天井の一部が崩れ落ち、その破片が降り注いできた。
レヴァーレの魔術が、その破片から仲間たちを守る。
慌てたようなゴブリンたちが、ギャアギャアと甲高い叫びを上げた。
四人の注意が、上へと移り。
このタイミングで、とエイバが舌打ちしたのは、崩れた天井から、鋭く攻め下りてくる存在を認めたからだった。
「ワイバーン……!」
褐色の小さな亜竜――といっても翼を広げたその体長は人と同じかそれ以上はある――その姿に、ヴィゼは呻くように声を上げた。
四人で倒せない魔物ではないが、幻獣の王とも言われる竜の亜種である。
この状況で、相手取る余裕はない。
そうだというのに、それは真っ直ぐ、彼ら人間を目がけて攻撃してきた。
「あかん……!」
ゴブリン程度に通用する防御障壁では破られる。レヴァーレは厚い結界で仲間たちを覆った。
ヴィゼは風の刃でワイバーンを墜落させようとするが、焦りに狙いが甘くなり、容易に避けられてしまう。いや――たとえ当たっていたとしても、込めた魔力量では大したヒットにはならなかっただろう。
それでも、多少の牽制にはなった。
応戦するよりもこの場を一刻も離れたいヴィゼたちは、ワイバーンの様子を窺いつつも、扉の方へと後ずさる。
「く……っ」
そんな人間たちを逃すまいと、ワイバーンは魔術を放ってきた。
巨大な火炎がヴィゼたちに降りかかり、それをレヴァーレの結界が防ぐ。
ゴブリンたちの悲鳴が響き、その肉体の燃える嫌な臭いが密閉された空間に充満した。
ヴィゼの生じさせた氷は溶けてしまっているが、ゴブリンたちはワイバーンの魔術でほとんどが死んでしまったようである。
「このまま魔術使い続けられたらやばいで!」
「何とか墜落させる!」
ワイバーンの厄介さは、空を飛べて機動力が高い上に魔術を使えるというところにある。
とはいえ、魔力保有量はそこまでではなく、地に落としてさえしまえば、とれる手は格段に増えるのだ。
エイバやゼエンに魔術で跳んでもらうこともできるが、ここで四人がばらばらに動けばそれだけ結界か障壁を作ることになり、結果として魔力消費量が増えるため悪手であった。
――これだけ炎を生み出し続けていたら、向こうも魔力切れになりそうなものだけど……。
そんな考えを肯定するように火炎が止まり、チャンスかと杖を握り直したヴィゼだったが――。
強い衝撃が、<黒水晶>たちを襲った。
炎を途切れさせたワイバーンが、結界に体当たりを仕掛けてきたのだ。
その体当たりで、結界に罅が入る。
レヴァーレはすぐさま修復しようとするが、ワイバーンの動きの方が速かった。
結界が、砕け散る。
「……っ」
ヴィゼも結界を張ろうとするが、あまりにもワイバーンとの距離が近い。
最初に攻撃をしたヴィゼに、ワイバーンも狙いを定めていたのか、その牙がすぐそこに迫り――。
――装備があるから死にはしない――骨を切らせて肉を断つか――
ゼエンとエイバが動くのを横目に確かめたヴィゼは、束の間にそう考え、痛みを覚悟した。
そして、廃城にさらなる赤が広がる。
それは――、首と胴を切り離された、ワイバーンの血の色だった。
傷一つなく、ヴィゼは、目の前に突然現れた小柄な人影に、目を見開く。
黒い少女、だった。
後頭部で一つに結ばれた長い黒髪が宙を舞い、宝石のような黒い瞳が、振り返って真っ直ぐにヴィゼを映し込む。
その手には、ワイバーンの血に濡れた剣。
どくり、とヴィゼの心臓が大きく音を立てたのは、その赤ではなく黒に、強い既視感を覚えたから、だった。
――誰、だ……?
「あるじ」
見知らぬはずの少女は、生真面目な表情で、ヴィゼをそう呼んだ。
淡い花の色をした唇が呼ぶのに、ヴィゼは戸惑う。
――主?
「あるじ、撤退を」
半ば放心していたヴィゼは、その言葉に我に返った。
「っ、皆、撤退だ! 君も一緒に来て!」
ワイバーンの攻撃もあって、夥しい数だったゴブリンたちの生き残りはわずかなものだ。
しかし、いつまた湧き出してくるか知れない。
ワイバーンが現れたように、他の魔物が襲いかかってくるかもしれない。
ヴィゼの指示に、<黒水晶>メンバーは扉へと一斉に駆け出した。