25 修復士と黒竜と約束
茫然としているクロウの手を引き、ヴィゼは彼女を自身の部屋に連れ込んだ。
話ができる場所、と急いだのだが、ドアを閉めてしまってから失敗に気付く。
――この密室に二人きりって……。話の内容が内容だし……。
とはいえ、雑然とした研究室では別の意味で落ち着かないし、今から別の場所に移動するのも変な話だ。
諦めて、ベッドに並んで座った。
ちなみにフルスからモンスベルクに戻る道中、大抵の場合宿では別々の部屋をとっていた二人である(クロウは宿代を気にしたが、ヴィゼが強行した)。
仕方なく一室しか借りられなかった時も、ベッドは二つだったので、ヴィゼの理性は保たれていたのだが……。
――理性は鋼、いや、ミスリル、オリハルコン、とにかく壊れそうにないやつ……。
自身に暗示をかけ、ヴィゼはクロウに向き直った。
「クロウ、まずはその、ごめん。君のいないところで、皆に報告したこと」
「そ、それは……、いいんだ」
そもそもゼエンには知られていたし、ゼエンから仲間たちに伝わることはクロウも承知していたこと、のはずだった。
それでも動揺が溢れてしまったのは、この状況下で祝われることを想定していなかった(まあ当然である)のと、あまりにも堂々と結ばれた云々と言われてしまったせいである。
「メリディエスにも打ち明けたよ」
「……うん。怒っていただろう」
「そう、だね」
「……すまない、と思っている」
大切な人たちを守りたくて、親友を独りにしたくなくて、そのためにクロウは行動した。
ヴィゼとの関係をメリディエスに黙っていたことも、そのうちのひとつ。
クロウは自分がしようとしたことを、後悔はしていない。
けれど皆の意思に目を背けて動いたことは、申し訳なく、心苦しく思っていた。
「……謝らなくていいよ。その代償がドレス姿だから」
「あれは……、そういうことだったのか。どうせならもっと違う要求をすればいいのに……」
「結婚式」の出所が分かって、クロウはいっそ呆れてしまった。
「メリディエスにとっては、一番の願いなんじゃないかな」
「そう、か……」
心残りをなくそうとしているのか――。
遠くない内に失ってしまうだろう親友のことを憂い、クロウは俯く。
わずかな希望にかけたいが、それが儚いものだということは、分かっていた。
「……だけど、クロウ、誤解をしてほしくないんだけど、」
「うん」
「確かにその……、今回のことは、メリディエスの希望で、結婚式をって、実現させようとしたわけだけど……」
続く言葉を探し、ヴィゼは台詞を途切れさせた。
けれど結局、素直な気持ち以外の言葉を見つけられず、その想いを吐露する。
「……クロウのドレス姿を見たいのは、僕も同じで、」
「え」
クロウは顔を上げ、ヴィゼの耳が赤く染まっているのを認めた。
「結婚式をして、クロウは僕のだって、皆に知らしめたい、というか……。そういう意味でも、クロウを僕のものにしたい、というか……」
うぐ、とクロウはヴィゼよりも真っ赤になり、彼から目を逸らした。
「だから、メリディエスの希望を叶えるためだけにするものじゃないって、知っていてほしい」
「わ、分かった……」
こくこくと頷くしかないクロウを、ヴィゼは追撃する。
「ただ、結婚式のことだけど……。やっぱり、世界が終わるかもしれないからってするんじゃなくて、君と、これからも生きて、夫婦になるって、その時にできればいいなって、思うんだ」
これは僕の勝手な気持ちだけど、と続けたヴィゼに、クロウは沸騰寸前の状態でふるふると首を横に振った。
「だから、その、いつかちゃんとプロポーズをしたいので……、その時は、よろしく」
「うん……」
最早その言葉がプロポーズで、クロウは既に返事をしているようなものだったが、この場にそれを指摘する者はいない。
「……ええっと、なので、今回はお祝いをしてもらって、クロウにドレスを着てもらって……、結婚式ではないけど……、メリディエスに喜んでもらえるようにって、思うんだけど……」
「う、うん。そう、だな……。分かった」
クロウは真っ赤な首肯人形と化している。
「あの……、あるじも正装、するのか?」
「あー……、うん」
自身の装いについては考えておらず、胡乱な返事になるヴィゼだった。
とはいえ、クロウと並び立つにふさわしい装いはしなくてはならない。
そう考えたところで、思い出した。
「……エテレインさんたちも衣装を用意してくれてるみたいだから、それを着させてもらうことになるのかな」
昨日聞いたばかりのはずなのに、遠い話のようだ。
ヴィゼの呟きに、クロウは目を瞬かせた。
「レインたちも?」
「うん……」
苦笑するヴィゼに、クロウも大体のところを察した。
テンションを高くする友人たちを脳裏に浮かべ、複雑な思いになるが、とはいえ――。
「……あるじの正装、楽しみだ」
クロウはふわりと微笑んだ。
ヴィゼはそれに、胸を射抜かれたような衝撃に襲われ、やり過ごそうと額に手を当てる。
「あるじ、大丈夫か?」
「ちょっと眩暈が……」
「少し横になっていた方がいい。ずっと顔色が悪いから心配していた」
「いや、そこまでは……」
眩暈の原因は口にできない。
ヴィゼは首を横に振ったが、クロウはぐいぐいとヴィゼの肩を押してベッドに横たわらせた。
「あの空間で長く過ごしたせいで、体のバランスが崩れているのかもしれない。一度魔力枯渇状態にもなっている。休んだ方がいい」
「だけど、明日の準備が……。それに箱のこともあるし……」
「あるじの体調が万全であることが一番大事だ」
クロウはきっぱりと言い、ヴィゼの体に布団を巻きつける。
逆らうことは無理そうだと諦めて、ヴィゼは体の力を抜いた。
頭が重い自覚はある。自分に休息が必要なことは確かだった。
「……でもこれは、逆に寝にくいかな……」
「む。すまない、ちょっと待ってくれ、解くから……」
布団のせいで、身動き一つとれない。
眉を下げたヴィゼに言われ、クロウは布団と格闘し始めた。
ヴィゼのために一生懸命な姿に、彼は少し笑って――。
そんな彼女にまだ、言わなければならないことが残っている、そのことが胸を重くした。
「……クロウ、眠る前にもう一つ、君に話さなくちゃいけないことがある」
ようやく布団を解いたクロウは、今度は巻きつけずに優しくヴィゼに被せた。
それに礼をして、ヴィゼは静かに告げる。
「僕たちの命を繋いだ魔術のこと」
「……完全じゃない、ということか?」
先回りして言われ、ヴィゼは目を見開いた。
「クロウ……、」
「わたしだって……、考えたことがなかったわけじゃない。共に生きられるなら……、ずっと一緒にいたいと……」
ベッドの縁に腰かけたまま、クロウはそっと、労わるようにヴィゼの髪に触れる。
「だから、分かった。今回は繋いだだけだ、と」
クロウの言う通りだった。
ヴィゼとクロウの命は繋がれた。だが、それだけだ。
ヴィゼの体は、普通の人間のまま。
クロウが生きる限り死なないが、体が十全に動き続けるかといえば、否である。
永い生に、今のヴィゼの体は耐えられない。
だからヴィゼはこれから、体を作り替えていかねばならなかった。
「あるじ……」
じわり、とクロウの目の端に涙が滲んだ。
ヴィゼが手を伸ばし、その滴を拭う。
――この温もりを手に入れられるなんて、思っていなかった。
そう、クロウは過去を振り返る。
クロウはずっと影からヴィゼを見守り続けるだけだと、その可能性しか考えられなかった。
そしてもし、ヴィゼを見送らねばならない時が来たら。
その時は、自分のことは、封印してもらうつもりだった。
そうすれば、次の黒竜が生まれることもない。
後は世界分割に魂を使ってもらえればいい。
そう考えていた。
だからメディオディーアに相談し、白竜の転生が間に合わなかった場合にはアルクスかシュベルトがその役目を果たす手筈になっていて――、そうやって、消えていくはずだったのだ。
けれど、クロウはヴィゼと出会ってしまった。
出会って、その想いを知って。
幸せで、だからこそ、恐ろしかった。
失う時が、どうしようもなく、恐ろしかった。
それ故に、世界の危機を知った時、クロウは心のどこかで喜んだのだ。
――これで、あるじを見送らなくて済む。
そんな風に、卑怯にも思ったのだ。
同時に、親友と死ねることに安堵した。
クロウがいつか封印されるとして、タイミングによってはクロウは二度と白竜と会うことが叶わない。会えたとて、親友を置いていかなければならない。
そうしなくて良くなったと、そう、思ってしまったのだ。
――わたしは、卑しくて、あさましくて、醜い。最低の存在だ。
それなのに、メリディエスも、ヴィゼも、クロウに優しすぎるのだった。
クロウに、生きていて良いのだと、生きていてほしいと、そう、心から想ってくれる存在――。
だからクロウは、これ以上、死を望めない。
死を望まないことを、心に決めた。
生きていくことを。
「……あるじ、わたしは、死なない」
それをクロウは、声に出して、告げた。
「あるじと、生きていく」
震える声で、それでも続ける。
「あるじの体のことだって、もちろん協力する。何だってするから……。だから、ずっと、一緒に生きてほしい……」
一緒に生きてほしい、と願ってくれるクロウが、ヴィゼの目に眩しかった。
胸に、歓喜が満ちて。
「――うん」
目を細めたヴィゼは、掠れた声で頷く。
「僕もずっと、君と生きていきたい……。ルキス」
だから一緒に叶えよう。
叶えていこう。
必ず。
そう、約束を交わして――。
ヴィゼは、涙の洪水に打たれた。
ぼろぼろと、ルキスの目から零れ落ちる滴で、ヴィゼの手は温かく濡れる。
「すまない……、泣いてばかりで、情けないな、わたしは……」
「謝らないで。情けなくなんてないよ。君が……、泣くのを我慢したり、涙を隠される方が、僕は嫌だ」
拭っても拭っても止まらないルキスの涙に、ヴィゼは彼女の頭を引き寄せ、抱きしめた。
「だから、泣きたい時は泣いて……、できれば、僕のところで。僕の前だけがいいな」
「それは……鬱陶しくないか……?」
「いや、それは、幸せだよ。だって、ルキスの涙も泣き顔も、僕だけのものにできるから」
偽りのない言葉に、ルキスの胸は熱くなった。
涙が一瞬止まって、しかしまた溢れ出す。
「ばか……」
自分を責める言葉がヴィゼを罵るものに変わったけれど、それはとても甘く響いて、ヴィゼはかすかな笑みを浮かべた。
ルキスが泣き止むまで、と己を律しつつ、ヴィゼは一層彼女を引き寄せて、その頭を撫でる。
やがて、嗚咽は穏やかな寝息へと変わり――。
ヴィゼもまた、彼の竜を抱きしめたまま、いつしか眠りについていた。
未来で待ち受ける困難とは裏腹に、この時の二人を包むのは、穏やかで優しい眠りだった――。
第6部 了
第7部へ続く
ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました!
第7部開始まで、またしばらくお待ちいただければ幸いです…。