20 修復士とナーエと二人の師
白竜と黒竜を同時に凍りつかせる、という史上初かもしれないことをやってのけたヴィゼは、そのまま話を続けた。
「アーフェラーレ――アーフェさんも一緒で、お二人には魔術のことを色々と教えてもらいました。もうずっと会っていないのですが、頼めば今回の件に協力いただけるのではないかと」
「――は?」
クロウとメリディエスはもう一度声を揃え、ヴィゼを凝視する。
竜たちの驚愕と衝撃が落ち着くまでには、それなりの時間が必要だった。
「…………ヴィゼよ」
「はい」
「そのな、もう一度、もう少しこう……、詳しく説明してくれんか」
動き出せたのはメリディエスの方が先で、それでも頭痛がするのかこめかみ辺りを抑えながらの問いである。
図らずも、メリディエスから五千年前の話を聞いた後のヴィゼと同じ格好だった。
「すみません、端折りすぎましたね」
素直に謝って、ヴィゼは懐かしげに目を細める。
「……あれは、フルスでクロウと離れ離れになった、割とすぐ後のことでした。クロウがいるかもしれないと、ナーエに行って、」
「ちょっと待ってくれ。ナーエに行った?」
ヴィゼの膝の上に乗せられたままのクロウが、ようやく我に返ってヴィゼの腕を掴んだ。
「あれ? 聞いていない?」
「聞いていないぞ!」
メリディエスを指してヴィゼが言うので、親友に向かってクロウは吼えた。
動揺を露わにするクロウに、ヴィゼの方が焦る。
藪をつつくような真似をしてしまった、と思ったのだ。
「すまぬ、それについては謝る。教えたらすぐにでも飛んでいきそうだと思ったのじゃ。じゃがあの頃のクロウを側から離すのは不安が大きすぎたし、だからといってわたしが常にこやつに張りついておくのも無理なことじゃった」
「それは……そうだろうが」
「それに、この男が死なんように最低限の守りはつけてやっておったぞ」
「そうだったんですか?」
それには全く気付いていなかった。
ヴィゼは目をぱちくりとさせた。
「そうでなければそなたなどとっくに幻獣に喰われておる。全く……、こんなことならば監視の魔術もつけておくのじゃったか……」
「ええと……、ありがとうございました?」
「礼はいらぬ。こちらの利もあってのことじゃ。そなたにはクロウのために強くなってもらわねばならなかったし、修復魔術も身につけさせたかったからの」
「そうか、あるじが修復魔術を使えるのは……、ナーエに行ったことがあるからだったのか」
クロウの言葉の通りだった。
「アビリティが使えないほど幻獣の血が薄いのかと、都合良く考えていた……。あるじ……、何という危険を冒すんだ……」
アビリティ持ちではないヴィゼが修復魔術を使えることから、彼がナーエの地を踏んだことをクロウも察しているのではないか、とヴィゼは考えていたのだが、そうではなかったらしい。
クロウの瞳がまたも潤んで、ヴィゼは迂闊だったと臍を噛んだ。
彼女の不安を蘇らせてしまった、と。
ただでさえ今はナーバスになっているところだというのに、配慮が足りなかったと反省する。
とはいえ、ジールベールたちのことを告げるならばナーエに赴いた過去について触れずにいることはできないので、致し方ないことではあった。
「ちゃんと無事だったし、良いこと尽くしだったから、そんな顔しないで」
「良いこと尽くし?」
「修復魔術が使えるようになったし、魔力保有量も増やせたし……」
初代白竜の嫌がらせによって、エーデの魔力量は少なくなった。
一方のナーエは魔力に満ちていて、ヴィゼはナーエで魔術の修行を行うことにより魔力保有量を増やしたのである。
ナーエでその修行を行うことは大変危険な行為であって、その詳細を告げるとますますクロウに心配をさせてしまうだけなので、それについては黙っておく。
「何より、ジールさんとアーフェさんに会えた」
そう、ヴィゼは微笑する。
ヴィゼにとっては、確かに良いことばかりだったのだろう。
その裏に、どれほどの苦労があったとしても。
それを思えばクロウの胸はますます痛んだが、安心させようと微笑んでくれるヴィゼの思いも分かって、過去を責めたり悔んだりする言葉を何とかしまいこんだ。
「二人は……、あるじの師匠、だったのか?」
「そう、だね」
「その割に、召喚魔術の完成に手こずっておったの」
「あの頃は僕が魔術を覚え始めたばかりで――」
クロウが落ち着いたのを見計らい、メリディエスは口を挟む。
メリディエスの疑問に答えかけ、ヴィゼは幼女を軽く睨みつけた。
「……というか、あなたは全てを分かっていたのに、僕はともかくクロウにも何も言わなかったんですね」
「見事なすれ違いっぷりじゃったの」
メリディエスのコメントに、恋仲になったばかりの二人からの視線が突き刺さる。
さすがに居住まいを正したメリディエスは、ごほんと空咳をした。
「いや、わたしが軽はずみに口を出して良いのか、正直判断に迷っての。クロウが本格的に護衛をするとなった時、すぐに気付いてしまうかと思っておったのじゃが、あまりに生真面目にプライバシーに触れぬようにとしておって……。ヴィゼ、そなたはそなたで懸命に召喚魔術完成に動いておるし、それを安易に無にするというのも……。簡単にクロウをくれてやるのも癪じゃったし、人間は変わりやすい生き物じゃからのう。ヴィゼのヤバさなら大丈夫じゃろうとは思っておったが、そうこうするうちに寿命がの」
メリディエスは言い訳を並べる。
クロウと出会ってからの十年は、竜族の彼女にとって一瞬のような時間だった。
その最後は死の準備もあり、決断しかねたままになってしまったのだ。
クロウとヴィゼ、彼らの未来なのだから、という思いも大きかった。
それはつまり、当人たちに任せるという結論に至っていた、と言えるのかもしれない。
「……」
メリディエスの言葉に、ヴィゼとクロウはどこか気まずく視線を合わせ、白竜を責められないという気持ちを同じくした。
――今、こうしていられているから、いいか……。
腕の中の温もりと重みを感じながらヴィゼは思って、小さく息を吐く。
「――話を戻します」
ヴィゼはナーエでの記憶を辿りつつ、再度切り出した。
「ジールさんたちと初めて会った時のことですが、接触はお二人からでした」
幻獣よりも先に人間と出会ったので、少年だったヴィゼは吃驚したものである。
それは向こうも同じだったようで、どうしてこんなところに子どもが、と驚きと共に気遣わしげな眼差しを向けられた。
そして、安全な場所へと連れて行かれ、事情を話すこととなる。
初対面の相手に黒竜のことまでは打ち明けられなかったが、魔術を身につけたいこと、非道な領主への対抗手段が必要であることを説明したところ、それならばと二人は魔術をヴィゼに教えてくれたのだ。
「僕たち死んでるけどそれでもいいかな、って言われましたね……」
そう言われるまで、ヴィゼは二人が死んだ人間だということに気付かなかった。
全く普通の人間に見えたのだ。
しかし二人の体に実体はなく、彼らの足から草が突然生えているように見えたりして、その言葉が偽りでないことが分かった。
「正直なところ、信じられんと言いたいが……、話を聞く限り、本当にジールベールじゃの……。で、当然、死んでおったのじゃな」
「はい。魂だけの存在だと自認していました。何故こうなったかは分からない、と。けれど、魂の還るべきところに還れずにいると」
「理由は……、我々には明白じゃな。二人の最大の共通点――」
メリディエスは溜め息を吐き、ヴィゼは頷く。
「黒竜、なのか……?」
「そうじゃろう。話を聞く限り“呪い”となっておるわけではなさそうじゃ。そうなると、彼ら自身の思いが原因で大地に残ったのではなく、外的要因によるもの――、つまり、フィオーリとノーチェの強い想いが彼らを留めておるのじゃろう……」
震える声で口にしたクロウに、メリディエスはそう分析を返した。
クロウのショックを和らげるように、ヴィゼはその背を優しく撫でる。
「ま、あくまでの推測じゃがの」
と、メリディエスも軽い口調になりフォローを入れた。
「しかし、あれから五千年も経っておる。人間の魂が変質せずに残れるはずはないが……」
「そのことはお二人も分かっていて、定期的に休眠しているということでした」
「アーフェラーレのことは知らんが、さすがはジールベール、といったところか。わたしがこれまで存在に気付かなかったのはそのせいかの」
自身を納得させるかのようにメリディエスは呟き、ティーカップに手を伸ばした。
「それで、二人は今は休眠期なのじゃな」
ずっと会っていない、と言ったヴィゼの言葉からそのことは明白である。
言外のことも、ヴィゼには分かり得ないことも察しているのだろうな、とヴィゼは落ち着いたメリディエスの瞳を見て思った。
「おそらく。少なくとも別れる際に、しばらく眠りに入らなければならないと……」
そのことは、出会ってから間もない時に告げられた。
タイミングが悪かった、と少年ヴィゼは思ったが、二人が休眠に入る前に出会えたのだから、むしろ幸運だったのだろう。
「残念じゃったの。あの二人にずっと師事できていたなら、そなたはもっと早くクロウと再会できていたはずじゃ。ジールベールは鬼才の持ち主じゃったし、アーフェラーレという男も並々ならぬ魔術の腕前の持ち主じゃったらしいからの。しかし、“全知の魔術”はほいほいと教えて良いものではないが、一体ジールベールは何を考えておったのか」
「そ――そうだ、あるじ! さっき“全知の魔術”を教えてもらったと言っていたな!? あるじは最初から知っていたのか!? 何回使った!?」
ジールベールたちの魂が地上に留められてしまっていること以上の衝撃に、クロウは声を荒げていた。
加減を忘れ、ぎりぎりとヴィゼの腕を強く掴んでしまう。
「クロウ、落ち着いて……」
「落ち着いていられることか!」
失言を重ねてしまっている。
ヴィゼは再度深く反省した。
「クロウ、とにかくそやつの腕は離してやれ。そのままじゃともげる」
「……っ」
メリディエスの冷静な声に、クロウははっと手の力を抜く。
荒ぶる呼吸を何とか落ち着け、クロウはヴィゼを睨みつけた。
「……あるじ」
「はい」
「“全知の魔術”を使うのは、あと一回きりだ。約束しろ」
強い命令調の言葉――だがそれは、心からの懇願だった。
首を横に振れるわけもなく、ヴィゼはただ頷く。
「絶対だ」
「うん……」
神妙な首肯に少し安心したクロウだったが、心に残る恐怖の残滓をどうにかしたくて、ヴィゼとの距離を詰めるように擦り寄った。
先ほどから距離は近いが、クロウの方からさらにその距離を縮められ、ヴィゼは鼓動を跳ねさせる。
少し迷って、クロウを支えるために添えていた腕に、もう少しだけ力を込めた。
「……それで、どうやって二人と接触するつもりじゃ? 休眠期なのじゃろう?」
今は致し方なし、とメリディエスは嘆息し、話を続けることにする。
「実は、本当にどうしようもなくなった時はと起こす許可をいただいていて」
「そなた、何をどうしてそんなに二人に気に入られたんじゃ……」
「気に入られていたかどうかは分かりませんが……、心配してくださっていたのだと思います。あの時は相当思い詰めていましたし、多分……、僕が探しているもののことを、察せられたんでしょう」
十年前は分からなかったが、今思い返せばそうだったのではないかと、ヴィゼは二人の厚意を改めて有り難く感じた。
そんなヴィゼの言葉を聞き、顔を上げられないままクロウはますます体を寄せる。
「……では、そなたにはまずナーエに行ってもらわねばならぬか」
考えを巡らせるように腕組みし、メリディエスは告げる。
「そうですね。空振りに終わらなければ良いのですが……」
「それはそれで良い。元々想定になかったことじゃ」
ジールベールとアーフェラーレ、二人に会えたとして、手助けしてもらえるかは実際のところ不明である。
二人ともに世界の危機を放置できるような人柄ではないはずだが、亡くなっている故の制限は大きい。
だがせめてその知恵だけでも借りられないかとヴィゼは考える。
二人の魔術の腕は一流かそれ以上。
ヴィゼたちにはない対処法を出してくれる可能性もあった。
――問題は、黒竜のことを打ち明けた時の反応だ……。
この世界のことや恋人の行く末について、二人がどこまで承知しているのか。
協力を求めるならば全てを話さなければならないだろうが、正直なところ言わずにいられるならばそうしたいと思ってしまうヴィゼだった。
「……わたしも行くからな」
ようやく顔を上げて、クロウは言う。
また赤くなってしまっている目を、ヴィゼは気遣わしげに見つめ返した。
「クロウ、だけど……」
「大丈夫だ。問題ない」
そこに無理をするような響きはない。
ただ、絶対にヴィゼを守るという決意だけがあった。
「では、ジールらのことはそなたらに任せるのじゃ」
ヴィゼが躊躇する一方で、今のクロウならばナーエに行っても何の問題もない、とメリディエスはすんなりと送り出すことを決める。
クロウの成長を見守ってきた故の判断であり、それに加えヴィゼが同行するならばクロウが折れることはない――と彼女には確信があったのだ。
「わたしも行く方が話は早いかもしれんが……」
「メルも来てくれれば心強いが、今回はわたしたちだけでもいいだろう。あまり無理をするな」
「そうじゃの……」
メリディエスには活動制限がある。
クロウの顧慮に、メリディエスは素直に頷いた。
「もしできるようなら、二人を連れて来てほしいのじゃ。ナーエで邂逅し、休眠もナーエで、となると……、エーデに来られぬ可能性もあるがの」
思案げに告げるメリディエスに、ヴィゼもクロウもこくりと頷く。
――ただ単に会いたい、ってことでは当然、ないよな……。
そう考えると抵抗のわくヴィゼだったが、今は触れずにおくことにした。
「はぁ……。しっかし、ジールベールとアーフェラーレとまで遭遇しておるとか、そなた、どんだけ引きが強いんじゃ? ヤバい奴じゃとは思っておったが、マジにドン引きじゃぞ」
話は一段落した、と判断したところでどっと疲労感を覚えたメリディエスは、ただ座っているのも億劫になり、頭の重みをテーブルに預けた。
ヴィゼに半眼を向けるメリディエスに反論するのはクロウだ。
「メル、あるじに妙な悪口を言うのは止めてくれ」
「悪口? 本当のことしか言っておらんじゃろう? ヤバいんじゃから、そこの眼鏡」
指を差され、ヴィゼは苦笑するしかない。
メリディエスの言ったことは、とっくに自覚済だからである。
しかしクロウは不満げなままだ。
「クロウ、そなたはの、恋は盲目という状態で見えておらんのじゃ」
「そんなことはない。あるじのその……、悪いところはちゃんと知っている」
「えっ」
「夜更かししすぎて朝起きられないところとか、研究に没頭しすぎて食事を抜くところとか……」
「あ、その先は言わずとも良いのじゃ」
「でもそんなあるじの世話を焼きたくなるからそれは欠点ではないかも……」
真面目に考え込むクロウに、ヴィゼは胸を撫で下ろし舞い上がったが、メリディエスは死んだ魚のような目になった。
「そーゆーことじゃないのじゃ……」