15 修復士と白竜と隠れ里
「……いえ、分かりました」
いくつかの言葉を呑み込んで、ヴィゼは質問を続ける。
「ところで一つ、懸念なのですが」
「なんじゃ?」
「大元を叩いたとしても、増やした分体がそれに取って代わる、ということがあり得るのではないかと……」
「それが起こり得るとは、仮定もしたくないところじゃが……」
メリディエスは顔を顰めた。
「絶対にない、と言い切ることはできぬの。じゃがおそらく、全く同じように行動を続けるようなことはなかろう。“呪い”と関わってきた経験から言うと、の。何故なら“呪い”は、元々は同じであっても、何かに宿ることで変化してしまう……」
「同じ“呪い”をベースにしているが故に繋がってはいても、別個体だということですね」
「そうじゃ。じゃからの、懸念は別のところにあるのかもしれぬ。今は大元の力が強く、“呪い”らを統括しておるわけじゃが……、それが消えた時、残った個体がどう行動するか分からぬ」
危惧ばかりである。
ヴィゼとメリディエスは、同時に深い溜め息を吐いた。
「……ともかく、大元は絶対に叩くとして、他の個体もでき得る限り数を減らすことが肝要、ということですね」
「そう、じゃな」
憂鬱そうにメリディエスは首肯する。
「……綻びについても、増えぬよう人員を配置しておるが、それもどこまで保つか分からぬ……。前途多難じゃが、急がねばの」
「<消閑>、ですか?」
「いや……、」
<消閑>メンバーが奇妙な動きを見せているというのを思い出したヴィゼはその名を口にしたが、メリディエスは否定する。
「アルクスらには“呪い”の対処の方を主に任せておる。あと、各国への連絡役じゃな」
「各国への連絡……」
思わずヴィゼは復唱していた。
「うむ。なんといっても世界滅亡の危機じゃからの。トップの者らには話を通して、住民の避難やら何やら、そういうことはやってもらわねば。兵士なども借りられるなら借りたいものじゃし」
「しかし……、信じて動いてくれるものでしょうか?」
「大陸の王族連中には、旧来より白竜の存在は知らせてある。それで動かぬのなら……、民には悪いが、愚王を持った不運と嘆いてもらうしかないの」
「白竜の存在を……、王族に?」
目を見張り、ヴィゼはメリディエスを凝視した。
「うむ。アサルトとの縁もあったしの。こんなことが起こらなくとも、いずれ世界分割は行わねばならなかった。その時のために必要じゃったから……、二つの世界の真実を、ごく一部分ではあるが伝えてあったのじゃ」
「アルクスさんが<消閑>を作って大陸中で活躍されているのも……?」
「いや、あやつが<消閑>を作ったのはその名の通り自身の暇つぶしのためじゃろうが――、しかし、もしかするとこういう時に備えておいたというのも十分あり得る話じゃな。おかげで各国への通達はわたしの想定以上にスムーズなようじゃし」
さすが我が息子、とアルクスをか自分をか賞賛するようにメリディエスは小さく呟く。
「綻びの対処は、隠れ里の者たちに頼んである。こちらの存在は、そなたも知っておるじゃろう?」
「知っている、というほどではありませんね。噂で聞いたことがある、といった程度です。アビリティ持ちが隠れ住む場所があると……」
隠れ里、と聞いてそう返したヴィゼに、メリディエスはそれだけでも満足そうに頷いた。
「そうじゃ。そして、里の者たちは皆、修復魔術が使える。故に、綻びについては任せてきた」
隠れ里の住民――アビリティ持ちは、全員が修復魔術を行使可能である。
その事実に驚かないヴィゼに、メリディエスは笑みを深めた。
修復魔術の使用可能者について、その条件にヴィゼが気付いていると再確認できたからだ。
修復魔術を使用可能な人物は限られている。
何故、同じ魔術式を使用しながら、修復魔術を発動できる魔術士と発動できない魔術士に分かれるのか。
その条件は、分かってしまえば単純だ。
二つの世界を知る肉体を持つこと。
それが、修復魔術に絶対に必要な条件だった。
そのため、人間と幻獣、双方の血を持つアビリティ持ちは修復魔術を発動させられるのだ。
では、アビリティ持ちでなければ修復魔術が使えないのかというと、そうではない。
条件の定義は、「二つの世界を知る肉体」だ。
つまり、アビリティ持ちでなければ、ナーエに一歩でも足を踏み入れればよいのである。
そうすることで、エーデとナーエ、二つの世界をその体が知ることになる。
ヴィゼが修復魔術を発動できるのは、だからだった。
そして、彼が修復魔術の使用可能者について本当のことを知れたのも、彼自身がアビリティ持ちではないのに修復魔術が使えたからである。
そうでなければ、ヴィゼは誤った答えに辿り着いていただろう。
修復魔術が使えるのは、アビリティ持ちである、と。
メリディエスの反応を見るに、ヴィゼがどうして修復魔術を使えるのか、その理由を彼自身が認識しているところまで、彼女は分かっていたのだろう。
それならば例のことも知っていて良さそうだが、とヴィゼが“全知の魔術”を手にした経緯を話す機会かと考えたところで、メリディエスはまたあくどい笑みを口元に浮かべた。
「隠れ里には近々そなたを招くつもりじゃ。世界分割の魔術は里に用意してあるからの。クロウのファンが多いから、気をつけるのじゃぞ」
「ファン……?」
「うむ。クロウが人に慣れる練習にと、しばらく隠れ里で過ごしておったのでな。クロウはあの可愛さじゃからのー、そなた、ライバルがいっぱいじゃぞ?」
ヴィゼはぎりぎりと拳を握った。
メリディエスが幼女の姿でなければ、その握った拳を振り上げていたかもしれない。
直接拳を当てることは躊躇われても、テーブルをひっくり返すくらいなら許されるのでは、という誘惑を何とか押さえつける。
――いちいち理性を試される……!
ヴィゼは笑みのようなものを顔にはりつけ、何とか平坦な口調で返した。
「……隠れ里を訪ねるのが楽しみですよ」
不用意にクロウに近付く相手は跳ね除けるつもり満々のヴィゼの目が、不穏な色を宿す。
しかしそれは先々のことだ、とヴィゼは切り替えた。
「ところで、隠れ里は白竜が作ったものなのですか?」
「いや。世界分割後、エーデに渡るようになってから関わるようになった。今は後見役……、のようなものじゃろうか」
ヴィゼがあまり感情を表に出さなかったのでメリディエスはやや不満そうにしたが、素直にそう答える。
アビリティ持ちの存在は世界分割前からのもので、隠れ里の歴史も同様に続いてきた。
白竜がその歴史に介入するようになったのは、綻びができ始めてからのことである。その存在を確固として認識したのがその時だったのだ。
アビリティ持ちは元々苦労の絶えない存在だったが、世界分割によりさらに不遇なものとなっていた。
幻獣がほとんど消えてしまった世界で、彼らはより異端視されるようになったのだ。
世界分割を行った者としてそれに責任を感じ、白竜は隠れ里の援助を開始したのである。
「クロウの前の黒竜を……、彼らに守ってもらう、ということもできたのでは?」
少し躊躇ったが、ヴィゼはその問いを口にした。
メリディエスは苦い顔つきになる。
「今となってはそうしておけば良かったかとも思っておるが……、当時は難ありと判断しての」
「というと……」
「メディオディーアとして子をなしてからは、力を借りることもあり、度々里を訪れるようになったのじゃが……。それまではそこまで深い結びつきはなくての。里でもナーエと同じで、白竜は崇拝と畏怖の対象であるばかりで、黒竜の悪名も、知る者は知っておってな……。正直、そこまで信頼をおけなかったのじゃ。それよりは、我々を知る者のいない場所が良かろうと……」
メリディエスは目を伏せ、深く溜め息を吐く。
「……今は当時とは全く違っておる。そういう意味では安心してくれて良い」
ヴィゼは一つ頷いて、クロウの前身についてそれ以上聞くことを止めた。