12 修復士と白竜と懺悔
「……青竜ミディエーニは白竜に、緑竜フィオーリは黒竜となった。魂に魔術式を刻んだことで、それが肉体にも表れたのじゃな。異なる体色であったのは、刻まれた魔術式の違いによるものじゃろう」
長い長い昔話の終わり。
白竜と黒竜の誕生を告げて、メリディエスはほう、と小さく息を吐く。
「魔術文字の収集は、わたし……白竜が引き受けた。記憶を引き継いだのも、その役目を果たすためじゃ。一方黒竜は魔力の貯蔵を担い、己の影を起点として作成途中の<源>に魔力を送り続けておる。黒竜の魔力が竜族の中でも少ない、とされるのはそのせいじゃ。実際には少ないのではなく、大半を貯蔵に回しておる、というわけじゃの。アビリティはその副産物じゃ。<影>のようなアビリティが生まれるとは、全く想定しないことじゃったが……」
黒竜のアビリティについてそのように話し、メリディエスはひょいと眉を上げて見せた。
「おやヴィゼ、どうした、頭が痛むのかの?」
「ええ……」
わざとらしい問いかけだ。
頭痛を覚えてこめかみを押さえたヴィゼは、顰め面で頷いた。
ヴィゼの受けた衝撃も混乱も、メリディエスは見透かしているのだろう。
揶揄するような眼差しが、腹立たしかった。
――次から次へと、とんでもない話をしてくれたものだ……。
黒竜と白竜という存在の誕生。
ナーエとエーデという二つの世界の成り立ち。
“全知の魔術”とアビリティの正体。
とても信じられないと、エーデに生きる多くの人々は一笑に付すか、拒絶するだろう真実。
ヴィゼはそれを、受け入れてしまっていた。
これまでヴィゼが抱えてきた疑問が解消され、腑に落ちてしまったからだ。
しかし、ヴィゼにあるのは納得だけではない。
新たなる疑問も生じているし、目の前のこの白竜の告げること全てを鵜呑みにしてしまってよいのか、躊躇いもあった。
「――信じられぬか」
そんなヴィゼの内心を読み取ったかのように、メリディエスは問う。
ヴィゼは小さく溜め息を吐いて、首を横に振った。
「……信じます。それに、もしあなたの話に虚言が混ざっていたとしても、あなたがクロウを助けたいと思っている気持ちは本物でしょうから。たとえ嘘でも、踊らされてやりますよ」
「良い覚悟じゃ」
メリディエスは満足そうに頷く。
ヴィゼは肩を竦め、すぐに真面目な顔に戻った。
「それで、単刀直入に伺いますが、あなたの求める僕の役目は、クロウの魂に刻まれている魔術式の書き換え、ということで間違っていないでしょうか?」
「……話が早すぎて、さすがのわたしもびっくりじゃ」
メリディエスがぱちぱちと目を瞬かせる仕草は、見た目相応に可愛らしい。
ヴィゼはそれに感銘を受けることもなく、己の思考を言葉にする。
「ナーエとエーデが再び一つになろうとしている。その時一体どんなことが起こるのかは未知数で、世界の滅びも可能性の一つ。それを防ぐには、今度こそ完全に世界を分けるしかない。あなたとクロウの魂を使い、<源>を創り上げて……」
「うむ、その通りじゃ。察しが良くて助かる」
素直に感心されると、それはそれで居心地悪く感じるヴィゼだった。
「今のままの魔術式じゃと、わたしたちの魂は<源>創造の魔術を発動させた際、<源>そのものとなり、肉体は生命活動を停止する。……ミディエーニであった頃は、タイミングを選べばそれで問題ないと考えておったのじゃがな。まさかこんなことになるとは」
「……正直なところを申し上げますが」
「なんじゃ」
メリディエスは嫌そうに顔を顰める。
ヴィゼが何を言うか、予測できたのだ。
「色々と迂闊……、だったのでは」
「否定できんが、あまり言ってくれるな。あの時はあまり時間がなかったし、フィオーリと一緒なら、と……。まさか共にいられる時間の方が短くなるとは……」
メリディエスの眼差しは昏い。
ヴィゼは逡巡したが、聞かずにはいられず尋ねた。
「その点が疑問の一つなのですが……、あなたがいたのに、何故、黒竜の……、ノーチェウィスクの悲劇が起きてしまったのですか?」
「……痛いところを突いてくるのう」
メリディエスは苦く笑って、しかし答えを誤魔化すことはしなかった。
「まず、我々の転生の仕組みについて話そう。わたしたちの場合肉体が死んだ時、魂は<源>に還らず、大地の中に留まる。そして、近くに新しい竜族の卵が産まれると、その肉体に宿るのじゃ。あの時わたしが卵から孵ったのは、全てが終わった後じゃった。後を追いたかったが……、そのせいでまたすれ違ってしまうと思うと恐ろしくての」
しかしその後、白竜と黒竜の誕生のタイミングはずれるばかりだったとメリディエスは語る。
ノーチェウィスクの代から広まってしまった黒竜の悪評も竜族の中に根強く、白竜であっても消すことができなかった。
そのせいで、黒竜は生まれる度に蔑まれ甚振られ、ひどい時には孵ってすぐに殺されることもあった。
白竜が何とか間にあって救えた七代目・八代目黒竜も、ひどく傷つけられた後だったため、竜族の寿命を全うすることなく逝ってしまい――。
「……もっと早く手を打つべきじゃった。記憶を持つわたしだけがあの子たちを救うことができたというのに、会うことを諦められず……、愚かじゃった」
メリディエスは小さな両手でぎゅっとティーカップを握っていた。
その無念がヴィゼにはよく分かって、何も言うことができない。
「……クロウの前の黒竜は、クエルといってな。あの子だけは竜たちに虐げられる前に保護することができた。ナーエで過ごすのは危険じゃからと、人の姿を取り、エーデで生活を始めて……。今度こそ真っ当な生を送れると思っておったのじゃが、若い女の二人暮らしは、性質の悪い男どもに目をつけられることになった。わたしの留守中に……、あの子は、」
目を閉じれば、メリディエスの目蓋の裏には、クエルの最期の姿が鮮明に浮かんだ。
思い出す度に、後悔ばかりが胸に積もる。
もっと守りを固めていれば。あの子に戦う術を教えていれば。
もっと早く、独りで生きていく覚悟を決めていれば……。
「あの子は優しすぎた……。そこを奴らにつけ込まれてしまったのじゃ。家の結界は、わたしたちが招いた相手には機能しないようにしてあったからの。奴らはあの子を騙し家に上がり込んで、本性を見せたのじゃろう。戦い方を知らぬあの子は怯えてわたしに助けを求めて……。それなのに、わたしが慌てて戻って、奴らが魔術を放った時、あの子はわたしを庇った」
ただ剣を振り回すだけの賊であれば良かったのだ。
けれど彼らは用意周到で、致死性の魔術を封じた魔術具を持っていた。
おそらく、女二人を相手に使うつもりはなかっただろう。
しかし白竜があまりにも唐突に乱入した故に、賊たちも動揺し、最悪の手段を用いてしまったのだ。
「もう、それ以上は、」
「いいや、聞くのじゃ、ヴィゼよ」
メリディエスを慮り、ヴィゼは話を遮った。
しかしその気遣いは、無用とされてしまう。
「聞かれずともわたしは話すつもりじゃった。そなたは知っておかねばならぬのじゃ。わたしの、選択を」
「メリディエス……?」
決然としたメリディエスに気圧される。
困惑するヴィゼはそのままに、メリディエスは続けた。
「それから賊を皆殺しにした。あっと言う間じゃった。それなのに何故あの子のことは守れなかったのか……。いくらでも、あの子を守る方法はあったというのに……。わたしは失望し、絶望し、決心した。クエルを最後の黒竜とすることを」
「な……っ」
「わたしはあの子の魂を、湖の底に封じた。<源>を完成させるに足る魔力は貯まっていたから、これ以上あの子が傷つく必要はない……。そう判断したのじゃ」
「あなたは……っ! クロウの命を、そもそも絶っていたと、そう言うのか……!」
ヴィゼは立ち上がり、吠えていた。
ヴィゼの怒りが、彼の中の魔力を暴走させ、メリディエスに襲いかかる。
メリディエスはそれを、受け止めた。
「そうじゃ、ヴィゼよ。わたしは親友の命を絶ったのじゃ。あの子のために……、何よりも自分のために。あの子が傷つくのを、見続けていくことができずに、な」
メリディエスはそう自嘲する。
ヴィゼはドン、と拳でテーブルを叩いた。
強く、感情のままに。
奥歯を噛みしめ、彼はメリディエスを睨みつける。
一発触発の空気が満ち、そして――。