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黒水晶の竜  作者: 隠居 彼方
第6部 修復士と白竜
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05 修復士と白竜と世界の危機



 メリディエスの話を聞くことになったヴィゼだが、さすがに寝間着は落ち着かないので、先に着替えさせてもらうことにした。

「私は構わんぞ?」とメリディエスは意地悪く言うが、ヴィゼの方は構うのである。


「では、先に場を整えておくかの」


 ヴィゼがほっとしたことに、意地悪だったのは言葉だけで、メリディエスは部屋に留まろうとせず、彼に背を向けた。


「待っておる故、来るのじゃぞ」


 メリディエスの背丈ではドアノブにも届かない。

 彼女は魔術でドアノブを動かしてドアを開けた。

 だが、廊下へと出て行ったはずのメリディエスの気配は、その瞬間に本拠地から消えてしまう。

 部屋のドアに魔術で細工し、別の場所に繋げたのだ。


 ヴィゼの領域である<黒水晶>本拠地で軽々とそれをやってのけた白竜に、ヴィゼは驚嘆する。

 そもそも、ここに侵入すること自体が簡単なことではないはずなのだ。


 白竜が相手とはいえ若干自信を失いながら、ヴィゼは装備を整える。

 仕上げに眼鏡をかけ、念のため杖を手に取った。


 そうしてから、自身の部屋のドアを、緊張を持って見つめる。


 ――これが何らかの罠でない、とは言い切れないけれど――


 白竜ならば、わざわざヴィゼを罠にかけるまでもない。

 圧倒的すぎる力で、ヴィゼのことなどどうとでもできるのだから。


 それよりも、メリディエスの言うことが本当ならば、クロウが危ういのだ。

 足踏みをしている暇はない。

 ヴィゼは腹を括って、ドアを開けた。






 ドアの向こうは、見慣れた廊下ではなく、不可思議な一つの部屋だった。

 広いようにも狭いようにも見える。

 様々な色が重なり合ったような壁と床と天井。

 明かりは見当たらないというのに、メリディエスの姿や、部屋の中央に置かれたテーブル、イスの輪郭ははっきりとヴィゼの目に映った。


「来たの。もうすぐ茶の用意ができるところじゃ。そちらに座るが良い」


 茶の用意、と言う通り、メリディエスは器用にティーポットを操っている。

 足元には踏み台があった。


「ここは……」


 ヴィゼは静かにドアを閉め、示されたイスに近付きながら問いかける。


「ちと時間をいじくってあるのじゃ。この部屋で一日過ごしたとして、あちらでは半刻経つか経たないか……といったところかの。時間がない際の長話にはうってつけじゃ」

「だとすると……、かなりお待たせしてしまいましたか?」

「気にする必要はないのじゃ。時の魔術を発動させたのはそなたがドアを開けた瞬間じゃからの」


 メリディエスは言って、紅茶を注いだカップをヴィゼの前に置いた。


「遠慮せず飲むが良い。自慢じゃが、私の淹れた茶は美味いぞ」


 茶の用意を終えたメリディエスは、ヴィゼの正面のハイチェアに飛び乗るようにして座る。


 幼女らしからぬ優雅な仕草でティーカップを傾け始めたメリディエスを前に、ヴィゼは静かに腰掛け、杖をテーブルに凭れさせた。


「こうしている余裕はある、ということでしょうか」

「まあ、の」


 メリディエスが言葉を濁したので、ヴィゼは眉を顰めた。


「白竜殿、」

「メリディエスと。呼び捨てで良いのじゃ。私もそなたのことはヴィゼと呼ぶ。構わんじゃろう?」

「ええ。あなたがその力で真名を書き換えないでいてくださるなら」

「心配せずとも、今は魔力に余裕がない。それに、そなたにはクロウがついておる故、そのようなことは不可能に近いのじゃ」


「しない」とは言わないのか、とヴィゼはかすかに苦笑を浮かべる。


「……あまり悠長には、していられないのですね」

「じゃからこそ、この部屋を使っていると言えるかの」


 と、メリディエスは溜め息交じりにティーカップに口をつけた。

 そしてカップをソーサーに戻し、やおら、告げる。


「実は、世界の危機が迫っておるのじゃ」


 メリディエスは憂鬱そうではあったが、幼女の言葉に重々しさはなく、ヴィゼはあっさりと「そうですか」と頷きそうになった。

 が、メリディエスの言葉はそれで片付けられるものではない。


「冗談……、」

「そうであれば良かったのじゃが」


 冗談としか思えないが、メリディエスは真剣な顔つきだった。


「このままじゃと、ヒトも幻獣も滅びかねん。二つの世界がこれまで通りに続かぬことは確かじゃろう」

「まさか、そんな――」


 否定しかけて、ヴィゼは口を噤んだ。

 メリディエスの口にしたことが、起こり得ないとは言い切れない。

 五千年前の大異変という例が頭をよぎった。

 続けて、懸念されている魔物の増加や、<消閑>が奇妙な動きを見せているという情報が思い出される。


「……それが本当だとして、一体何が起きて世界の危機などということに? それにクロウは――どう関わってくるんですか。クロウには既に話を?」


 メリディエスの言は、おそらく、嘘ではない。

 それでもヴィゼは自分が騙されている可能性を考慮しつつ、問いかけた。


「クロウには先に話をしておる。まずはクロウの意思を確認せねばならなかったからの」

「クロウの意思……?」

「クロウは」


 メリディエスは続きを口にすることを厭うように、束の間、閉口した。


「世界のために――そなたの生きる世界のために、その命を使い切る覚悟でおる。このままでは確実に……、クロウは世界のための、犠牲になるじゃろう」


 メリディエスの言葉に、ヴィゼの思考は停止する。


「なに、を」


 目の前の白竜は、何を言っているのだろうか。


「何故、そんな……、」


 動揺を露わにするヴィゼを、メリディエスは底知れぬ瞳でもって見つめた。


「二つの世界のために、白竜と黒竜の命を使う。それが、古に我らが定めた、我々自身の宿命なのじゃ。じゃがそれは――もっとずっと後のことになるはずじゃった。……全く、何故とはわたしも問いたい」


 メリディエスは苦く口元を歪める。


「何故、今この時なのか。何故……、クロウばかり奪われなくてはならないのか」


 責めるような言葉は、世界の全てに向けられているようだった。

 その強い苛立ちは、クロウにも、ヴィゼにも、メリディエス自身にも向けられている――それを察したヴィゼは、彼女がヴィゼの元に独りで訪れた理由を理解したように思った。

 ヴィゼの心に、暗く重たい影が差す。


 ――クロウは、僕を――


 喉の奥が詰まったように苦しく、溜め息すらも出てこない。

 しかし、おかげで動揺は去り、頭は冴え冴えとしていた。


 ――それでも、僕のやることに変わりはない。


 ヴィゼは顔を上げ、まっすぐにメリディエスを見据えた。


「……話の続きを、お願いします」


 ヴィゼの、静かだが強い意志の感じられる声に、メリディエスは苛立ちをしまいこむと、試すようにヴィゼを見返す。

 わずかな視線の交差の後、メリディエスはかすかに口元を緩ませた。


「うむ……、そうじゃな」


 メリディエスは首肯し、もう一度ティーカップに口をつける。


「――ではまず、今何が起きているか説明するかの」


 そして、そう、メリディエスは切り出した。


「エーデで魔物が増えているのはそなたも知っての通りじゃが、原因は黒竜の“呪い”じゃ。ノーチェの“呪い”、と言った方がより分かりやすいかの」


 ずばりとメリディエスは言った。

 あまりにも単刀直入すぎるその内容に、ヴィゼは瞠目する。


「“呪い”、が……?」

「ノーチェのことは、クロウから聞いておるのじゃろう? “呪い”となった彼女の目的は、竜族への復讐――」

「それは、ええ……」


 ヴィゼは苦い顔になった。

 クロウに聞いた話だけではなく、ヴィゼ自身の出会った黒竜を思い出したのだ。


「ですが、それがどうして魔物の増加に?」

「“呪い”の宿主となったヒトが、竜族のみならず魔物全てを憎んでおるからじゃ。……アルクスが言うには、その宿主は、そなたらの知人ではないか、と……」

「まさか――」


 いささか躊躇い気味に告げられたメリディエスの言葉に、ヴィゼは蒼褪め、絶句した。

 メリディエスの言う“呪い”の宿主が、アディーユのことだ、と分かって。


「竜族を滅ぼしたいノーチェと、魔物全てを殺し尽くしたいと願う宿主――あまりにも相性が良すぎたのじゃろう。彼女らは“呪い”としてとんでもない成長を遂げ、途方もない企てを始めてしもうた」


 その「途方もない企て」についてヴィゼが問うより早く、メリディエスは続ける。


「彼女らは散り散りになったノーチェの“呪い”を探し出して取り込み、増加を続け、力をつけておる。ナーエでは増やした“呪い”を幻獣たちに植え付け、さらに増やしては幻獣たちを次々に屠って……、それだけならばまだ良かったのじゃが……」


 既に十分すぎるほど凄惨なことをメリディエスは口にしている。

 ナーエの現状を想像するのも恐ろしいのにそれ以上があるのか、とヴィゼは息を呑み、メリディエスの唇が紡ぐ続きに耳を澄ませた。


「さらには、“呪い”を宿した幻獣をエーデに送りこみ、綻びを拡大させておる。エーデで魔物が増えておるのはそのせいじゃ。数も大きさも増加した綻びから幻獣が流入し、さらに綻びが拡大する――悪循環じゃの」


「そんなことを――アディーユさんがするはずがない」


 ヴィゼは感情のまま、反論していた。


「そんなことをしたら、エテレインさんやサステナさんだって魔物の手にかかるかもしれないのに……!」


 信じられずに否定するヴィゼに、メリディエスは憐れみの目を向ける。


「最早、人としての正気など残っておらぬのじゃろう。あるのは憎悪と復讐の念のみ……。その目的のためには手段を選ばず、それ故にヒトを相手に魔物をけしかけ、ヒトを使って少しでも多くの魔物を屠ろうとしておるのじゃ。ヒト側の犠牲など考えもせず、の」


「馬鹿な……!」


 ヴィゼは呻いた。テーブルに拳を打ち付けそうになるのを堪え、血が滲むほど強く握る。


 ――あの時、引き止められていれば……!


 黒い翼を生やし遠ざかっていった背中を思い出し、ヴィゼは奥歯を噛みしめた。


「……今はまだ彼女らも動き出したばかりじゃし、こちらも打てる手は打っておる故、行動が本格化するまでにはまだ少し余裕があるじゃろう。じゃが、相手が“呪い”というのがのう……」


 ヴィゼを宥めるように口を開いたメリディエスだったが、その言葉は溜め息交じりのものになる。


「その辺の竜を相手取るより余程厄介じゃというのは、そなたもよく知っておろう?」


 問いかけられ、ヴィゼは悔しさややるせなさを胸の奥に抑えつけた。

 嘆くよりも対処を考えなければと、メリディエスに答えを返す。


「僕らにとっては竜を相手にするのも一大事ですが……、そうですね」


 “呪い”はたとえ宿主を倒しても消えず、近くにあるものに憑りついてしまう。

 ヴィゼは今まで“呪い”を封じてから浄化してきたが、それは“呪い”の真名が分かっていたからできたことだ。

 ノーチェの“呪い”と一口に言っても真名が変化していることもある、とクロウから聞いているし、強力に成長した“呪い”を相手にして封印が破られる可能性もある。

 そうした可能性を考えると、増加する一方の“呪い”にどう対処すればよいのか、八方塞がりのように思われた。


「うむ。しかも、選んだ手段が最低の最悪じゃった。……のう、ヴィゼよ。このまま綻びが増え続けると、一体どういうことが起こると思う?」


 メリディエスの問いは、ヴィゼに世界の危機(・・・・・)を覚らせるのに、分かりやすすぎるものだった。

 それは、人と幻獣が争い、滅ぼし合うことではない。

 ()の危機ではなく、世界(・・)の危機とメリディエスが言うのは――。


「ナーエとエーデが近付いて――世界が、一つに、なる」


 答えながら、ヴィゼの顔は強張っていった。

 大異変、という事象が、再度彼の脳裏に過ったのだ。


「そうじゃ。その時世界が無事かどうかは計り知れぬ。何せ世界を二つに割った時でさえ、大変なことになったからのう」


「世界を二つに……?」


 メリディエスはさらりととんでもないことを告げていく。


「うむ。今ではナーエ、エーデなどと呼ばれておるが、二つは元々一つの同じ世界だったのじゃ。わたしたち……、初代の白竜と黒竜が、世界を二つに分けたのじゃよ」


 その告白に目を見開くヴィゼの前で、メリディエスは懐かしそうに目を細めた。


「さて、ここからは昔話といこうかの。……五千年前の話じゃ」


 そうして、メリディエスは遠い遠い昔の思い出を語り出す――。




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