01 修復士と帰還と邂逅
「あるじ……、白竜だ。白竜がいる。近くに……」
信じられない、という顔でクロウが譫言のようにそう口にしたのは、キトルスまで間もなくの街道上でのことだった。
遺跡調査が終わってから約一月。
冬から春へと季節が移り替わる中、ヴィゼとクロウはモンスベルクへ戻る旅をのんびりと続けていた。
往路と比べ本拠地へ戻るまでに時間がかかっているのは、立ち寄った場所で観光を楽しんだせいもあるが、そんな旅の途中でも依頼を受け、戦士として仕事をしていたからでもある。
知り合いのいる協会支部に立ち寄っては修復を頼まれ、断れなかったのだ。
そうして今朝、キトルス手前の街の宿を出、昼までには着くだろうと、こうして歩いていたのだが――。
「白竜って……、クロウ?」
「わたし――、行かなくては」
クロウは遥か遠くを見つめていた。
ヴィゼの戸惑いにも気付かない様子だ。
ヴィゼを置いて行ってしまいそうだ、と感じ、彼は胸をざわつかせながらも、「それなら」と告げる。
「急ごうか」
ヴィゼはブーツに仕込んだ魔術を発動させた。跳躍に近い移動でスピードを出す。
クロウは一瞬目を見張り、ありがたく思いつつそんなヴィゼと併走した。
高速で進む二人を、追い抜かれた者やすれ違う者たちが目を丸くして見送る。
近く、とクロウは言ったが、それからしばらく二人は走り続けた。
キトルスの入口が見えてきて――。
「……ディーア……!」
思わずクロウは、そう零した。
彼女はスピードをさらに上げ、ヴィゼとの間に距離ができる。
クロウの背を追いながら、ヴィゼもその目に映した。
視線の先、何かを待つように立つ人影がある。
あれは――アルクスだ。
彼は腕に何かを大切そうに抱えている。
そしてそれが、堪えきれないようにぴょんと身軽にその腕から飛び出した。
「クロウ!」
喜びに満ちた声は、幼さを宿す高いもの。
白銀の長い髪が宙に舞って――。
ヴィゼの前で、クロウが抱きしめ、クロウに抱き着いたのは、非常に整った顔立ちの幼女だった。
「こんなに早く会えるなんて……!」
「うむ。嬉しいぞ! 元気そうじゃな」
「……その話し方はなんなんだ?」
「前が丁寧口調じゃったから、今生ではこれで行くことにしたのじゃ」
クロウから身を離すと、幼女はそう言って胸を張った。
そんな二人に、ヴィゼはゆっくりと近付いていく。
「……アルクスに聞いていたが、本当に共におるのじゃな」
幼女はそんなヴィゼに視線を移して、呟く。
立ち止まったヴィゼにクロウが何かを言いかけて、それを遮るように幼女が告げる。
「直接会うのは、初めてになるの」
少しばかり舌足らずに、けれどどこか不敵な眼差しで。
「わたしは白竜。今生の名はメリディエス。よろしく頼むぞ、<ブラックボックス>よ」
どうやらヴィゼの自己紹介は必要ないようだ。
メリディエスから幼女らしからぬ迫力を感じ、ヴィゼは若干気圧されながら、「ええと、よろしく、お願いします……」と、何とかそれだけ返したのだった。
「それでの、クロウ。ここへ帰って来て早速で悪いんじゃが……、二人でゆっくり話がしたいのじゃ。時間をくれぬか?」
クロウはすぐに頷きかけたが、その前にはっとヴィゼを見上げた。
いいだろうか、と目で問いかけられて、ヴィゼは苦笑気味に首肯する。
「大丈夫だ」
「うむ! では早速行こう!」
二人の無言のやりとりを、幼女――メリディエスは唇を尖らせて見ていたが、クロウの了承の返事に満面の笑顔になり、クロウの手を掴んだ。
「では<ブラックボックス>、そなたともまた改めて話をさせてもらうつもりじゃから、その心積もりをしておくように! ではな!」
「……!?」
尊大に言い置いて、メリディエスはクロウの手を引いて駆け出した。
クロウは申し訳なさそうにヴィゼを見つつ、手を引かれるまま離れていく。
嵐のように現れて、クロウを連れて行ってしまったと、ヴィゼは半ば茫然とそんな二人の背を見送った。
遠ざかっていくクロウの姿に、胸の中に黒い靄が広がっていくのを自覚する。
「お久しぶりです、ヴィゼ殿」
立ち尽くすヴィゼに、同じく取り残されたアルクスが、どこか胡散臭い微笑みを浮かべて近付いた。
「……お久しぶりです。その――、事情を、お伺いしても?」
突然現れた、白竜だと名乗る幼女。
クロウの言もあり、何と言ってもアルクス付なのだから、それは嘘ではないのだろう。
しかし、それだけでは先ほどのクロウの態度は腑に落ちない。
クロウの師であった白竜は亡くなったと聞いているが、あれでは、まるで――。
「お察しの通り、ですよ。――失礼」
ヴィゼの考えを見通すようにアルクスは目を細め、二人の周りに結界を張った。
他人には聞かせられない話になるのだろう。
「白竜は……、黒竜と同じく唯一の存在です」
案の定、アルクスはそう切り出す。
あまりに単刀直入すぎて、文章としては難しいものではないのに、ヴィゼは理解するのに時間を要した。
そんなヴィゼに構わず、アルクスは続ける。
「そして、黒竜が代々写し身を一つずつ増やしていくように、白竜は初代から先代までの記憶を全て引き継ぐ」
「記憶を……」
言いかけてヴィゼは、クロウの言葉を思い出した。
「……クロウは確か、知識を受け継いでいると、」
「聞いていましたか……。ある側面から見れば、『知識』と言うのが正解なのです。……白竜を慮っての言葉選びなのでしょうが」
そう、アルクスは苦く笑う。
ヴィゼがそれを追究できずにいると、アルクスは胡散臭い微笑に戻った。
「――話を戻しますと、記憶があるために、彼女はクロウ殿の元へやって来た、というわけです。先ほどの様子からお分かりでしょうが、彼女にとってクロウ殿は特別ですので」
「なるほど……」
ヴィゼは複雑な表情で頷く。
「そういうわけですから、少しの間、クロウ殿をお借りします」
「……はい」
「不服そうですね」
ヴィゼがあからさまに顔に出すのに、アルクスはどこか愉しげだ。
「今回きり、とは言えませんが、今後頻繁なことでもないでしょうから、どうか心を広く持ってください」
「?」
訝しげに、ヴィゼはアルクスを見つめた。
その時にはもう、アルクスの口元から笑みは消えている。
何も読み取れない黒色の瞳に、ヴィゼの心臓がどくりと嫌な音を立てた。
「……一体、どういう、」
「彼女自身が説明をするでしょう」
だから今自分は答えない、とアルクスは言外に告げる。
「ヴィゼ殿、今日はゆっくりと体を休めてください。明日以降に備えて」
それでは、とアルクスは結界を解除してヴィゼに背を向けた。
言いたいこと、言えることはここまで、ということなのだろう。
――一体、何が……。
仄めかすだけ仄めかして去っていくアルクスの背は、すぐに遠ざかって行ってしまった。
白竜との邂逅と、アルクスとの再会。
とんでもないことが起きている、もしくは起ころうとしているようだとヴィゼは顔を顰める。
そしてそれに、彼の黒竜も関わらざるを得ないのだろう――。
ひとり残されたヴィゼは、空を仰いだ。
どこまでも青い、穏やかな空だ。
けれどどうやらそれは、嵐の前の静けさというものらしかった。
黒水晶の竜第6部、開始、です。
更新頻度は週一の予定。
よろしくお願いします。